111.『時を紡ぐ糸』『心の深呼吸』『霜降る朝』
すいません、隣の席に座ってもいいですか?
カウンター席でラーメンを食べるのが好きでして。
無理にとは言いませんが、よろしければ……
……ありがとうございます!
では隣に失礼します。
店長さん、しょうゆラーメンお願いしまーす。
麺細目、バリ堅で!
トッピングは、うーん、今日は無しで。
これで良しと。
ふふ、やっぱりお昼時は多いですね。
本当はもっと早く来たかったんですけど、母の目を盗むのに時間がかかってしまって……
母さんったら、私がラーメンばかり食べるものだから、『不健康だ!』って怒るんですよ。
酷いと思いませんか?
私はこんなにもラーメンを愛しているのに!
……どうかしましたか?
私の顔をじっと見てますが、顔に何かついてますか?
……私が綺麗、ですか……
もう、いやですねえ。
ここはラーメンを食べる場所であって、冗談を言う場所じゃないですよ。
……冗談じゃない、ですって?
もう、私を褒めたって何も出ませんよ。
あんまり私を褒めると、氷漬けにしてコレクションしちゃいますよ!
……そんなにビックリしないでくださいよ。
ただのジョークです、雪女ジョーク。
ええ、そうです。
私、雪女なんですよ。
……え、雪女がラーメン食べても大丈夫なのかって?
何言っているんですか?
常識的に考えたらすぐに分かるでしょう?
だめです。
ラーメンを食べるたびに、体調を崩します。
死にかけたこともあります。
ですが、それでも私はラーメンを食べます。
ラーメンは美味しいから。
明日死ぬと分かっても、私はラーメンを食べます。
それほどまでに、ラーメンを愛しています。
ラーメンは偉大な料理です。
この料理が発明されてから、あらゆる改良が施されました。
しょうゆ、とんこつ、みそ、しお……
スープにはたくさんのバリエーションがあります。
麺も同様です。
あの地味な見た目に、どれだけ改良が施されたか分かりますか?
太さの種類もさることながら、硬さまでたくさんのバリエーションがあります。
究極のラーメンを作るため、数多の料理人が最高の麺を追い求めました。
この一本一本に、どれほどの情熱と歴史の積み重ねが詰まっているか分かりますか?
まさに時を紡ぐ糸です!
あ、話し過ぎちゃいましたね。
私ったらラーメンの事になると、どうしても熱が入っちゃうんです。
ラーメン好きな雪女なんて、幻滅しちゃいますよね……
……え、そんなことない、ですか?
あなたもラーメンには目がない、ですか!?
私、感激です!
どれだけラーメンを熱く語っても、仲間に呆れられるだけ。
悲しみのあまり冷気が漏れ出して、何度、霜降る朝を迎えたことでしょう……
でも私は今日、ここで同志に会えました。
私は今日と言う日を絶対に忘れません!
ラーメンを食べながら、じっくりと語り合いましょう!
ああ、興奮しすぎて溶けてしまいそう。
落ち着け、私。
まずは心の深呼吸。
すーはーすーはー。
それにしても、今日みたいな記念すべき日に、トッピング無しは寂しいですね……
店長!
やっぱりトッピングは、全部乗せでお願いしま――
……あの、店長。
何です、そんな申し訳なさそうな顔をして。
……ラーメンは出せない、ですって!?
ここはラーメン屋、そんな無法が通るわけがないでしょう!
ラーメンを出さないラーメン屋なんて、断じてありえません!
……入り口を見ろ?
……私にお客さんが来ている?
何を言っているんですか。
こんな所に、ラーメンの崇高さを理解しない仲間が来るわけが――
あっ。
いえ、知らない雪女ですね。
間違っても母ではありません。
縁もゆかりもないただの他人です。
無視して構いませんよ。
さ、ラーメンを出さないなんて意地悪は言わないで、早く作って下さい。
雪女ですが、ちゃんとお金を持って――
待って、お母さん!
もう少しだけ待って!
私はここでラーメンを食べるの!
ミニラーメンで我慢するから!
ちょっとだけ、ちょっとだけだから!
あっ、叩かないで!
分かったから、大人しく戻るから!
ううう、なんでお母さんに場所がバレて……
はっ、まさか店長、私を売ったんですか!?
あれだけこの店の売り上げに貢献し、SNSでアピールして知名度を上げた、この私を裏切ったんですか!
お客さんが来るようになったのは、誰のおかげだと思っているんですか!
許さない!
絶対に許さない!
私を裏切った人間を絶対に許さない!
覚えていろよ、愚かな人間どもよ!
絶対に後悔させてやる。
絶対に後悔させてやるからな、ニンゲンドモォォォォォ――
(雪女は、母親と思わしき女性に引きずられて、店を出ていく)
(それを見た店長が、申し訳なさそうに話しかけてきた)
騒がしてしまって、申し訳ありません。
あの子の代わりに、私がお詫びいたします。
誤解しないでほしいんですけど、本当は優しくていい子なんですよ。
ただラーメンの事になると、暴走しがちなだけで……
……見たら分かる、ですって?
まあ、そうですね。
そのくらいラーメンが好きって言う事なんですが、まあ、食べ過ぎましてね。
そのせいで体を壊して、食事制限が出ているんですよ……
普段は家族が見張っているんですが、たまに隙を見て来店してくるんです。
『死んでも食べたい』と言ってもらえるのは、料理人として光栄なんですけどね。
本当に死なれると困るから、家族に通報することになっているんです。
……びっくりしたけど気にしてない、ですか。
はは、そう言ってもらえると助かります。
それよりラーメンが食べたい?
大丈夫、分かってますよ。
ただその前に、入り口の方を見てもらえませんか?
ほら、男の方がいるでしょう?
はい、あの険しい目つきでこちらを見ている男性です。
知らない人ですって?
いえいえ、あなたのお父様ですよ。
誤魔化しても無駄です。
あの方が、あなたにお話があるとか……
それも、ラーメンについてですって。
ほら、行ってらっしゃい。
ここにいても無駄ですよ。
ラーメンは絶対にお出ししませんから。
そんなに恨みがましい目で見ないでください。
ちゃんとお父様と一緒に、病院に行ってくださいね。
お医者さんから許可が出たら、その時はお出ししますよ。
……病院に行くくらいなら死んでやる、なんて言わないでください。
本当に死んだら、二度とラーメンを食べられないんですから。
110.『手放した時間』『君が隠した鍵』『落ち葉の道』
「うわっ、なんだこれ!?」
朝起きてリビングに行くと、そこには落ち葉の道が出来ていた。
いや、本当の落ち葉じゃない。
私の赤い靴下が、あちらこちらに散乱しているのだ。
まるで泥棒が入ったかのような有様だけど、私には心当たりがあった。
これは飼い猫のレオの仕業。
靴下に異常な執念を持っている、イタズラ好きの猫だ。
今回も、寝る前に取り込んだ洗濯物を、レオが荒らしたのだろう。
肝心の犯猫はどこにも見えないが、きっとその辺りで寝ているはずだ。
イタズラを終えたら、一仕事を終えたとばかりにどこかに隠れて寝てしまうのだ。
しかも巧妙に、である。
そのうち出てくるだろうと思い、私は散らかった洗濯物を再び畳む。
何回もレオを叱っているのだが、まったく反省の色はない。
隠れている事からも分かるように、レオはこれが悪い事だとは分かっている。
けれど内なる衝動を抑えられないのか、こうして定期的に靴下が荒らされるのだ。
でも、私はそんなに怒ってなかったりする。
レオが、私の気を引こうとしてイタズラしているのは分かっているからだ。
なにより、私が憎からず思っている事がレオにはバレバレなのだ。
なんだかんだで、私はこうして靴下を集める時間が好きだった。
レオはもともと実家で飼っていた猫だ。
私が小学生のころ、子猫のレオを親が引き取って、それ以来彼は私の弟になった。
でも私が猫アレルギー発症してしまったことから、レオはおじいちゃんの家に預けられた。
アレルギー症状は出なくなったけど、年に数回しかレオに会えず、私は寂しい思いをした。
けど私たちは今一緒に住んでいる。
大学進学の際、おじいちゃんの家が近いので住まわせてもらっているのだ。
アレルギーの件も、医者の指導の下なんとかやっている。
根本的な解決ではないけれど、私たちは楽しくやっていた。
レオのイタズラも、多分寂しかった事への裏返しなのだ。
私が手放したレオとの時間。
それを埋めるように、私に甘えているのだ。
「それにしても、今日は赤色の靴下ばっかりだな……」
私がぶつぶつ言いながら靴下を片づけていると、すぐに大学に行く時間になった。
いつもならレオも姿を現す時間なのだけど、今回は特に疲れていたのか、最後まで起きてこなかった。
私はさっと朝食を摂って、玄関に向かう。
おじいちゃんとおばあちゃんは朝早くから出かけているので、今日は私が鍵をかけないといけない。
私は、鍵が入れてある小物入れに視線を向けた。
「あれ、鍵がない……」
芯から冷えるような感覚があった。
昨晩確かにここに置いたはずなのだ。
それなのに、鍵がないのはどういう事だろう。
おじいちゃんが持っていった?
いや、ここに置いてあったのはスペアキー。
持っていくはずがない。
「どうしよう、鍵をかけずに行けないよ」
どこかに落ちているのだろうか?
そう思い、周囲を見渡しているとあるものが目に入った。
片方だけの、赤色の靴下だ。
「なんでこんなところに」
そういえば、荒らされた靴下を回収したとき、一組だけ片方が無かった。
ペアの片方がなくなるのは日常茶飯事なので、特に気に留めてなかったのだが、
まさかこんな所にあるとは……
私は帰ってから整理しようと、靴下を摘まみ上げる
「……何か入っているな」
持った瞬間、硬い感触があった。
なんだろうと不思議に思い、何気なく中身を取り出す。
そして私は中身を見て、仰天した。
「な、なにい!?」
鍵だった。
『なぜこんなところに?』と思っていると、のそっと、レオが現れた。
その顔は、どこかドヤ顔で『必要だと聞いたので入れておきましたよ』と言わんばかりである。
そう言えば、今日荒らされたのは赤色の靴下。
いつもは色関係なく荒らすレオが、赤色だけをターゲットにしているのは珍しいと思っていたが、まさか……
「レオ、お前サンタのつもりか?」
ニャオ。
レオが答える。
猫語は全く分からないけど、タイミングは出来過ぎだ。
怒る気も失せて、私は思わず笑ってしまった。
「ではありがたく。
君が隠した鍵を使って家をでますね」
レオは満足したのか、喉をゴロゴロならして私を見送る。
離れていた数年間の間に、我が弟は随分と成長したようだ。
きっとこれからも、私を驚かせてくれるに違いない。
次は、どんなサプライズをしてくれるのだろう。
期待に胸を膨らませながら、私は大学へと向かうのだった。
109.『見えない未来へ』『夢の断片』『紅の記憶』
ここは、オルベリアス王国。
名前に、富と自由を冠する商業の国。
この国では、稼ぐことこそが正義であり、ステータスである。
他国では侮辱される成金も、この国では英雄として称えられる。
平民であっても他を凌ぐほど富を築く人間がいれば、国王自らが頭を下げて『貴族になってほしい』と懇願するほど、実力主義が徹底している。
その国風は、貴族すら例外ではない。
高貴なる身分の者は、商才に恵まれている事が絶対条件。
才無きものは、王族であろうとも容赦なく身分を剥奪される。
厳格な自由に基づく経済競争。
まさに現代の弱肉強食である。
だが、貴族が没落することは滅多にない。
貴族たちは家名に恥じぬよう、子息に英才教育を施すからだ。
今から語る物語の主人公もその一人。
幼い頃から世界最高峰の教育を受け、『国一番の商人になれ』となるべく育てられた。
彼女の名前はオフィーリア=オルベリアス。
この国の第一王女である。
オフィーリアは才女であった。
あらゆる知識を吸収し、万事に通じる天才少女。
国始まって以来の天才と持て囃され、誰もが彼女を次期国王と信じて疑わない。
彼女自身も過酷なカリキュラムを全てこなし、総仕上げとして有力な商家へと弟子入りを果たしていた。
そこでも頭角を現した彼女は、すぐに支店の一つを任され采配を振るうことになる。
彼女の華麗な経歴に、人々は羨望と尊敬の眼差しを向けた。
だが――
「うぎゃあ、注文数のケタ間違えたぁ!」
残念なことに、オフィーリアという少女はドジだった。
「納品が今日!?
受け取りの日付も間違えてる!」
致命的なレベルでドジだった。
彼女は来る年末商戦に向け、様々な商品を注文していた。
その中の目玉商品、聖誕祭限定のスペシャルケーキも含まれていたのだが、あろうことか彼女は注文を間違えていた。
「おおう、型番も間違えてる。
聖誕祭仕様じゃなくて、生クリームたっぷりの普通のホールケーキだ。
だから誰も指摘してくれなかったんだな」
踏んだり蹴ったりとはこのことだ。
「聖誕祭の時期なら売れるのに……
一ヶ月前は、さすがに需要はない!」
聖誕祭――
一年の終わりに行われる、一年で最も大きなイベント。
普段は節約志向の家庭も、この日ばかりは財布のひもが緩み、競って贅沢品を買い集める。
その中でも聖誕祭用にデコレートされたケーキは売れ筋商品であった。
だが逆を言えば、聖誕祭シーズンでもなければケーキはあまり売れない。
日持ちしない高価なケーキは、文字通り贅沢品。
多少は売れるだろうが、完売する見込みはゼロと言っていい。
「これがクッキーとかならよかったんだけどな……」
日持ちするものなら、ゆっくりと長い時間をかけて売ることが出来る。
だが大量にあるのは、当日に消費することが望まれるケーキ。
今日中に売り捌かなければ、大赤字だった。
「あ、赤字、大赤字だわ……」
オフィーリアはガタガタと震える。
商業国家オルベリアス王国では、売上金がすべてだ。
その中で大赤字を出せばどうなるか?
「身分の…… はく奪……」
悪夢だった。
オフィーリアが王族でいられるのは優秀だからで、決して王の娘に生まれたからではない。
『商才なし』と烙印を押されれば、明日から平民である。
約束された素晴らしい未来は、いまや先の見えない未来へと変貌してしまった。
「なんとかフォローしなければ。
でもどうやって?」
オフィーリアは頭を抱えた。
意外に思われるかもしれないが、オルベリアス王国では赤字を出すこと自体は比較的寛容だ。
手放しで許されるわけではないが、長く商売をやっていれば、そういうことは何度もあるし、長い目で見れば回収できることもあるからだ。
だからこそ、『それなら赤字でも仕方ない』と思わせる策が必要だった。
だが、何も思い浮かばない。
どんな危機的状況でも即座に解決策を打ち出せる彼女の頭脳も、目の前の在庫の山と、焦りと恐怖から、うまく働かないでいた。
『いっそ夜逃げしようかしら』
彼女がすべてを諦めかけた、まさにその時であった。
「お困りかい、お姫様」
彼女が顔を上げれば、部屋に入り口に見知った顔があった。
部屋の入り口に立っていたのは、フィーリアの婚約者兼、専属コンサルタントであるアレクシスであった。
この国では、商人が高い地位を占めている。
だが、商品には詳しい商人も、経営はずぶの素人であることは珍しくない。
そこで経営戦略に長けたコンサルタントが、商人に手助けして店舗を大きくしていく。
この国での基本的な戦略であった。
そして、足りない部分を互いに補い、店を大きくしていく過程で、そのまま夫婦になるも例も珍しくない。
オフィーリアとアレクシスも、公私ともに良きパートナーとなることを望まれて婚約を結ばされていた。
はずなのだが、
「お帰り下さい」
オフィーリアは嫌そうな顔で、そう告げた。
コンサルタントもピンキリだ。
伝説のコンサルタントは財政の傾いた国すら立て直すが、腕の悪いものは破産まで一直線。
そして、目の前にいる少年は、残念ながら後者であった。
「せっかく助けに来たのに、なんだよ、その言い草。
助けてやらねえぞ」
「ええ、それがいいわ。
そっちの方が傷が浅くて済むもの」
オフィーリアの脳裏に思い浮かぶのは、紅の記憶。
彼のアドバイスを信じたばかりに、帳簿が文字通り赤一色に染まったあの日。
アドバイスを受けなければ、ここまで大惨事にはならなかったであろう。
それ以来、オフィーリアは心に誓っている。
「こいつのいう事は二度と信じない」と。
「はん、そんな事を言えるのも今のうちウチだ。
俺の案を聞いたら腰を抜かすぜ」
「はあ、言うだけ言ってみなさいな。
聞く『だけ』ならタダだもの」
「ケーキを十倍の値段で売る」
「却下。
ただでさえ高いケーキを高くしてどうするのよ」
「他の人気商品とセットで売ろうぜ。
もちろん得な価格で」
「抱き合わせ商法ね。
数年前に禁止されてたの知らないの?」
「しゃあねえ、消費期限を改ざんしよう。
バレないって」
「シンプルに犯罪」
「……もう捨てれば?」
「残念ながら、捨てるにもお金がかかるの。
世知辛い世の中ね」
『どれこれも聞くに値しないアドバイスだった』。
オフィーリアの顔には、そう書かれていた。
オフィーリアの冷ややかな視線を受け、自信満々だったアレクシスはがっくりとうな垂れる。
今度こそ認めさせれると思ったのに。
アレクシスは苦々しそうに呟いた。
「もう、誰かに押し付けてしまえばどうだ?
タダなら受け取るやつもいるだろ――」
「それだ!」
「へ?」
さきほどまで死人のような顔をしていたオフィーリアが、パアッと満面の笑みを浮かべる。
その変わり様に何が何だか分からず、アレクシスは目を点にするのだった。
☆
「なるほど寄付か。
考えたな」
アレクシスは、目の前の光景を見て感心する。
広場にはケーキが山のように積まれ、そこにはたくさんの人が集まっていた。
『寄付は、採算度外視で行うものだ』
『これなら赤字が出ても、社会的信用を得るためだと、周囲に思ってもらえる』
そう計算したオフィーリアは、街の外れに住む貧民たちに『食糧支援』をすることにしたのだ。
下心満載で始まった寄付だが、貰う側に思惑なんて関係ない。
我先にとケーキは運び出され、どんどんと山は小さくなっていった。
その様子を眺める二人の前を、みすぼらしい格好の少年が通る。
食いだめするつもりなのだろうか、それとも日持ちしないのを知らず備蓄にしようというのか、はてまた家で待つ家族のためか。
少年は、腕にたくさんのケーキの箱を抱えて運んでいた。
「これで、在庫の処分費は心配しなくていいわね」
「この光景を見てそれかよ」
「『一か月早い聖誕祭ね』とでも言えばいいのかしら。
けど私の胃はキリキリしてて、彼らを慈しむ余裕なんて無いわ」
「そうかい」
アレクシスは苦笑する。
「でもいいのか?」
「何が?」
「寄付する相手が貧民でいいのかってことだ。
別に、平民や貧乏貴族に寄付しても喜ぶだろうよ」
「大丈夫よ。
私は商人であると同時に、王族だから」
「というと?」
「数字の上での稼ぎも大事だわ。
けれど国を統べる一族として、私たちは国を富ませる義務があるの。
そのためにも一人でも多くの商人を増やす必要があるわ。
その上で平民は寄付が無くても生きていけるけど、ここの人たちはそうじゃない。
明日の食べ物すら困っている彼らに寄付すれば、生きていく事が出来るわ。
そうすれば、この中から成金が出て貴族に人も出るかもしれないでしょう。
それは国の利益よ。
そう思わない?」
「詭弁だね」
オフィーリアの言葉を、少年は鼻で笑う。
「確かに生きることは出来るがそれだけさ。
平民で貴族になった奴はいるが、貧民が貴族になった例はない。
商売には金がいる。
食うものを買う金にすら困るやつが、貴族になるなんて夢のまた夢だよ」
それを聞いたオフィーリアは、悲しそうに眉をひそめた。
少年を軽蔑したからではない。
それが事実だと知っているからだ。
「いいじゃない、夢を見たって。
お金を稼ぐだけじゃ、つまらないわ」
「……まあ、お前のものだからさ。
どうしようと文句はないよ」
二人の間に気まずい空気が流れる。
別にアレクシスは、オフィーリアを糾弾したいわけではない。
付き合いの深さゆえに、無遠慮な物言いをしてしまっただけだ。
言い過ぎたことを反省したアレクシスが、謝罪の言葉を口に出そうとした時だった。
二人の前に一人の少年が駆け寄って来た。
先ほどやまほどのケーキを抱えていた少年だ。
だが、彼の抱えていたケーキの箱はどこにもなかった。
「何か用かしら?」
オフィーリアがそう尋ねると、少年はニっと笑って答えた。
「あんたらだろ、寄付してくれたのは。
一言お礼を言おうと思って」
「お礼?
ああ、ケーキの事ですね。
気にすることはありません、国民に奉仕するのは貴族の義務で――」
「そうじゃなくって」
少年はオフィーリアの言葉を遮り、懐から革袋を取り出す。
「存分に稼がせてもらったからな。
その礼だ」
チャリと重たい音が響く。
彼が誇らしげに掲げた革袋はたくさんの銀貨が入っているのか、ずっしりと重量感があった。
「あれを売ったんですか?」
「ああ、そこら辺を歩いていた観光客にな。
『今だけの限定品』って言いながら、笑顔で近づけばイチコロさ」
オフィーリアとアレクシスは、互いに顔を見合わせた。
「ただでもらった物を売るほど、もうかる商売はないね。
俺、貴族になるのが夢なんだ。
この金さえあれば、俺も商売を始めれる 。
助かったよ」
「じゃあな」。
そう言って、少年は夢の断片が詰まった袋を握り締め、風の様に去っていく。
その様子を呆然と見送る二人。
少年が見えなくなり、しばらくしてアレクシスが呟いた。
「貧民から貴族が出る日も近そうだ」
二人は笑った。
108.『冬へ』『記憶のランタン』『吹き抜ける風』
11月中旬。
本格的に寒くなる前に、私は冬への準備をすることにした。
『今頃かよ』と呆れられそうだが、忘れていたので仕方ない。
一応やろうとは思っていたのだが、物忘れが激しいため、寒くなっても冬支度が出来ないでいた。
そんなわけで、思い出したが吉日ばかりに、私は押し入れを漁っていた。
「冬服は確かここらへんに……
おや?」
衣装箱を動かそうとしたとき、その横に見慣れないものがあった。
気になったので取り出してみると、それは小さなランタンだった。
いかにもチープな、オモチャのランタン。
趣味からかけ離れているので自分で買ったとは思えず、おそらく貰いものだった。
ただ、どこで手に入れたのかはどうしても思い出せない。
買ってはいないのは確かでも、誰にもらったか分からないのは気持ち悪い。
『湧いて出てきたのだ』と言われたら信じてしまいそうなほど、私は心当たりが無かった。
なんとか思い出そうとランタンをくるくる回していると、底に一枚の紙が貼っている事に気づいた。
それはメモだった。
忘れっぽい私が、説明書代わりに付けているメモ。
私は『これならば』と思い、メモを手に取る。
そこには一言、こう書かれていた。
『記憶のランタン』。
一見して意味不明な文章。
だが私は、その言葉を見て一週間前のことを思い出していた。
あれは風の強い日だった。
ベルが鳴ったので玄関のドアを開けると、吹き抜ける風が私の部屋をメチャクチャに散らかしたのだ。
あの時の絶望した気持ちはよく覚えている。
その原因となった、訪問客のバツの悪そうな顔も……
訪問客は、新興宗教の勧誘だった。
なんでも私を救うためにやって来たらしい。
余計なお世話にもほどがあるが、宗教の勧誘によくある強引さで居座られ、彼の話を一方的に聞かされた。
興味がないので聞き流していたが、一つだけ私の興味を引くものがあった。
なんと、彼の属する宗教に入信すれば、記憶力が上がると言うのである。
正確には、お布施と引き換えに霊験あらたかな品が貰えると言う。
その一つが『記憶のランタン』である。
宗教には興味はないが、記憶力が上がるのなら話は別だ。
私は彼に詳しい話を聞いた。
だが、そうそう都合のいい話は転がってない。
なんと寄付に5万円必要だと言うのである。
私の悪癖が治るのなら5万でも安いが、給料日前の私にはとても払えない。
泣く泣く辞退の旨を伝えると、彼は笑顔でこう言った。
「でしたら給料が入るころにまた来ます。
このランタンを置いていくので、神の愛を感じてください。
ご利益ありますよ」
そして今に至る。
ついでに言えば、約束の日は今日である。
メモにも書いてあるから間違いない。
そして見計らったかのように、玄関のベルが鳴った。
「こんちには」
彼は笑顔で玄関の前に立っていた。
今にでも彼のマシンガントークが始まりそうな雰囲気。
でも私は彼に伝えることがある。
彼が話し始める前に、勇気を出して切り出した。
「これはお返しします。
ご利益なかったので」
私がランタンを差し出すと、笑顔だった彼は急に怒り出した。
「いい加減にしろ!
お金払いたくないからって、下手な嘘を吐くな!」
私は首を横に振りながら言った。
「いいえ、本当の事です
その証拠に、アナタに渡すはずだったお金を用意するのを忘れました」
107.『ささやかな約束』『木漏れ日の跡』『君を照らす月』
「シェイプシフター?
どんな魔物ですか?」
「人間に化けることが出来る魔物さ。
形状(シェイプ)を変化させるもの(シフター)だから、そう呼ばれている」
「バン様は物知りですね」
「冒険者の間では常識だよ」
俺が説明すると、妻のクレアは感心したようにうなずいた。
先輩冒険者に飽きるほど聞かされた話だが、冒険者ではないクレアにとっては新鮮らしい。
夜のとばりで表情は判然としないが、それでも隠しきれないほどクレアの目は輝いていた。
俺は顔がにやけることを自覚しながら話を続ける。
「戦闘力はさほどじゃないけど、かなり危険な魔物だ。
ぱっと見では見分けがつかないからね」
「ですが所詮ニセモノでしょう?
姿だけ真似ても、癖や言葉使いで分かるのでは?」
「ところが、やつら記憶が読めるんだ。
完全ではないが、いかにもそれっぽく振舞って騙してくる」
「そんな……」
「たちの悪い事に、魔物は化けた本人だと思い込んで接触してくる。
存在自体が嘘の癖に、言動に嘘がないから騙される人間は多い。
生き残った奴らも『変だとは思ったが、まさか魔物とは思わなかった』と証言しているしな」
そう言うと、クレアは不安からか、顔をこわばらせた。
きっと俺に化けた魔物が出て来たところを想像してしまったのだろう。
無理もない。
俺たちは今まさに、シェイプシフターの生息地にいるのだから……
俺たちは今、『帰らずの森』にいた。
名前の由来は、もちろん多くの人間がシェイプシフターの餌食になって戻らなかったから。
こんな物騒なところは近づかないに限るのだが、ここを通れば目的地まで大幅なショートカットになる。
そのため、俺たちは危険を承知で通ることにしたのだ。
冒険者の間ではシェイプシフターは警戒すべき相手なのは常識だが、クレアは元々聖女であり魔物に詳しくない。
そこで魔物の危険性を共有するために、クレアにこうして説明をしているのだった。
だが少しだけ怖がらせ過ぎたのかもと思った。
先ほどからクレアは、顔を真っ青にして震えていた。
何も知らないのは危険だと説明したが、これでは逆効果だった。
それに愛する人を怯えさせるのは本望じゃない。
俺はためらいつつも、クレアの手をそっと握った。
「大丈夫だよ、クレア。
俺がついてる」
俺が手を握ると、クレアは驚いたように顔を上げた。
「こうして手を握っていれば、魔物が出ても問題ない。
手を握っているのが本物なんだから、それ以外は偽物さ」
「バン様……」
クレアが頬を赤らめる。
いつものクレアなら、恥ずかしさのあまりすぐに目を逸らすのだが、よっほど参っていたらしい。
潤んだ瞳でこちらを見つめて来た。
正直俺も恥ずかしいが、クレアが安心してくれるのであれば喜んで受け入れよう。
結婚式の日、俺はクレアに約束したのだ。
『君を照らす月のように、ずっとそばにいよう』
ありふれて、ささやかな約束。
絶対にクレアに魔物を近づけてなるものかと、心に誓うのだった。
「さあ、行くぞ。
対策は万全でも、出逢わないに越したことは無い。
全速力だ!」
俺は気恥ずかしさを誤魔化すように、クレアの手を引く。
こんな物騒な森に、クレアをいさせるわけにはいかない。
そう思って一歩前に出た、その瞬間だった。
胸に鋭い痛みを覚えた。
驚いて胸を見ると、剣の先が突き出ていた。
意味が分からず動転するが、それよりもクレアが心配だ。
俺は痛みをこらえながら、さらに一歩前に出て剣を引き抜く。
そしてよろめく体にムチ打ちながら、愛するクレアの方に振り返る。
だが――
「なんで……」
そこにいたのは、クレアだった。
だがクレアは血まみれの剣を持って立って佇んでいた。
意味が分からず呆然とする俺。
何もできずその場に立ち尽くす。
その時月が顔を出した。
満月で、夜にもかかわらず、木漏れ日の跡が出来るほど明るかった。
その明るい月の光は、そしてクレアの顔を照らし出す。
そこにあったのは――
――獰猛な笑顔だった。
そして俺は、遅ればせながら気づいた。
目の前にいるクレアが、シェイプシフターであることに。
「あなたが悪いんですよ」
喜色を含んだ声。
馬鹿な、今まで一緒にいたのは偽物だったというのか。
では本物のクレアは今どこに?
動揺する俺に向かって、シェイプシフターは剣をおおきく振りかぶった。
(どうか無事でいてくれ……)
俺は愛する人を案じながら、事切れたのだった――
☆
「ふう、危うく騙されるところでした」
夫の姿をした魔物を前に、私はため息をつく。
暗かったため不安だったが、どうやらうまく急所を付けたようで、魔物はピクリとも動かない。
既に息絶えたようだ。
あらかじめ聞いていた通り、魔物は自分がバン様だと思い込んで接触してきた。
始めは警戒していた私も、しばらくの間は気づくことが出来きなかった。
恐ろしい魔物だ。
『存在自体が嘘の癖に、言動に嘘がない』。
その意味をしみじみと実感した。
だが――
「バン様は意外とウブなので、自分からは手を握らないんですよ」
確かに私たちは夫婦だが、だからこそ躊躇《ちゅうちょ》することもあるのだ。
その辺りの機微が分からない辺り、やはり魔物なのだろう。
それにしてもバン様は無事だろうか……
魔物に騙されなければいいけれど。
なにせ、見抜く自信があった私ですらギリギリだったのだ。
「どうかご無事でありますように」
いつものように祈りを捧げていた、どの時だった。
近くの茂みがガサガサと音を立てて、人影が出てきた。
「クレア、無事か!」
だれであろう、夫のバン様だった。
「よくご無事で!
私の方は大丈夫、魔物を返り討ちにしました」
「ああ、本当に良かった。
今まで生きた心地がしなかったよ。
どうやって倒したんだ?」
「ええ、この剣のおかげです」
「さすがクレアだ」
心配していたバン様も、どこにも怪我がない。
これで何も心配は無くなった。
安堵のため息を吐いた、その瞬間だった。
「油断したな」
いつの間にか剣を抜いていたバン様に、私は真っ二つにされたのであった――
☆
「シェイプシフターは意外といい加減だな。
クレアが使う武器はメイスだぞ。
剣なんて使うわけがない」
目の前に横たわる妻の姿をした魔物の前で呟く。
魔物はこと切れたようで、ピクリとも動かない。
とりあえずこれで安心だ。
さっきも数体クレアの姿をした魔物と遭遇したが、姿だけならば見分けがつかなかった。
想像以上に恐ろしい森だ。
こんな物騒な森、早く出ないといけない。
早くクレアと合流しよう。
踵を返し、クレアを探しに行こうとした、その時だった。
「バン様ーーー」
草むらからクレアが飛び出し、オレに抱き着く。
「わたし、寂しかったですぅ」
クレアはオレの腰に手をまわして、力強く抱きしめる
どうやらかなり怖い思いをしたらしい。
オレは夫として、情けない思いに駆られる。
なぜ彼女を泣かせてしまったのか。
きっとオレの力不足なのだろう。
もっと強くなろう、そう誓った、その瞬間だった。
「そしてサヨナラですぅ」
クレアの姿をした何かは、そのままオレの体をへし折ったのだった――
☆
「やはり偽物でしたかぁ。
本物のバン様なら、これくらいじゃあ死にませんよぉ」
三つ折りにした魔物を前に呟く。
どうやら魔物と言えど、三つ折りにすれば死ぬらしい。
私は会ったときに教えてあげようと鼻息を荒くした、その時だった。
近くの草むらから物音がしたのを聞いて、わたしは反射的に草むらに飛びかかり、相手に抱き着いて力を入れる。
愛しのバン様ならば、この程度のサバ折など意に介さない。
敵なら死ぬだろう、私は本気で抱きしめた。
「折れない!
これは本物のバン様ですね!」
喜びのあまり、バン様に口づけをしようとした、その瞬間だった。
「ごっつあんです」
バン様の姿をした何かは、私を平手打ちして首の骨を折ったのだった――
★
――
――――
――――――
★
「森が騒がしいですね」
森沿いの街道を歩いていると、クレアが森を見ながら呟いた。
確かに森が騒がしい。
森の中から叫び声や、悲鳴が響いている。
その理由を察した俺は、苦笑しながらその理由を話す。
「シェイプシフターが張り切っているんだよ。
久々の獲物だってね」
「久々ですか?
ここは『帰らずの森』なんでしょう?」
「『帰らずの森』だからさ。
有名になり過ぎて、誰も入らなくなったんだよ。
ここ百年は犠牲者は出ていないぞ」
「ああ、そういう事ですか」
クレアは納得したように頷く。
危険なら近づかなければいい。
当然といえば当然の話。
子供でも知っている事だ。
「ですが、さすがに賑やかすぎは?
私たち、森の中に入ってませんよ」
「ああ、奴らは待ち伏せするために、予め化けるんだ。
で、シェイプシフターの変化は人間を騙すほど高度な術なんだが、それは魔物にとってもそうでな」
「つまり、同士討ちしていると」
「そういうこと」
「なんですか、それ」
そう言って、クスクスと笑うクレア。
余程おかしかったらしい。
珍しく大きく肩を揺らしながら笑っていた。
それを見た俺は、思わず頬が緩む。
やっぱり笑うクレアが一番かわいいと、俺はそう信じている。
絶対に本人には言わないけれど。
「ところで、もし偽物の私が出てきたら見分けられますか?」
「当然だ。
と言いたいところだが、無理だな」
「愛が足りないですね」
「そういう意味じゃない。
今見たように、シェイプシフターがとんでもなく張り切っているだろ。
その状態で森に入るとどうなると思う?
クレアに化けた偽物が何十匹と殺到して来て、てんやわんやさ。
偽物が一人いるくらいなら見分けられる自信があるけど、さすがに無数の偽物が殺到してきたら見分けるどころじゃない。
ご理解いただきたいね」
「理解できるような、出来ないような」
腑に落ちないといった様子で、うんうんと唸る。
そのまましばらく唸っていたが、これ以上考えても仕方ないと思ったのか、大きくため息を吐いて俺を見た。
「しかし、どちらにせよ森を抜けないといけないのですよね?
どうするんですか?
私も無数のバン様に追いかけられるのは嫌ですよ」
「そこは問題ない。
この先にワイバーンの農場があってな。
そこでワイバーンを借りて、森を飛び越える」
「飛び越える……」
「ああ、通り抜けれないなら空から飛び越えていまえばいい。
奴らを森に置いてけぼりにする」
「あの、肩を持つわけではありませんが、シェイプシフターがあまりにも不憫ではありませんか?」
「そんなことないさ。
奴らは体を変化させることで繁栄して来たけど、俺たちは思考を柔軟に変化させることで繫栄したんだ。
やつらがシェイプシフターなら、俺たちはパラダイムシフター(発想を変えるもの)だ。
柔軟にいこうぜ」