109.『見えない未来へ』『夢の断片』『紅の記憶』
ここは、オルベリアス王国。
名前に、富と自由を冠する商業の国。
この国では、稼ぐことこそが正義であり、ステータスである。
他国では侮辱される成金も、この国では英雄として称えられる。
平民であっても他を凌ぐほど富を築く人間がいれば、国王自らが頭を下げて『貴族になってほしい』と懇願するほど、実力主義が徹底している。
その国風は、貴族すら例外ではない。
高貴なる身分の者は、商才に恵まれている事が絶対条件。
才無きものは、王族であろうとも容赦なく身分を剥奪される。
厳格な自由に基づく経済競争。
まさに現代の弱肉強食である。
だが、貴族が没落することは滅多にない。
貴族たちは家名に恥じぬよう、子息に英才教育を施すからだ。
今から語る物語の主人公もその一人。
幼い頃から世界最高峰の教育を受け、『国一番の商人になれ』となるべく育てられた。
彼女の名前はオフィーリア=オルベリアス。
この国の第一王女である。
オフィーリアは才女であった。
あらゆる知識を吸収し、万事に通じる天才少女。
国始まって以来の天才と持て囃され、誰もが彼女を次期国王と信じて疑わない。
彼女自身も過酷なカリキュラムを全てこなし、総仕上げとして有力な商家へと弟子入りを果たしていた。
そこでも頭角を現した彼女は、すぐに支店の一つを任され采配を振るうことになる。
彼女の華麗な経歴に、人々は羨望と尊敬の眼差しを向けた。
だが――
「うぎゃあ、注文数のケタ間違えたぁ!」
残念なことに、オフィーリアという少女はドジだった。
「納品が今日!?
受け取りの日付も間違えてる!」
致命的なレベルでドジだった。
彼女は来る年末商戦に向け、様々な商品を注文していた。
その中の目玉商品、聖誕祭限定のスペシャルケーキも含まれていたのだが、あろうことか彼女は注文を間違えていた。
「おおう、型番も間違えてる。
聖誕祭仕様じゃなくて、生クリームたっぷりの普通のホールケーキだ。
だから誰も指摘してくれなかったんだな」
踏んだり蹴ったりとはこのことだ。
「聖誕祭の時期なら売れるのに……
一ヶ月前は、さすがに需要はない!」
聖誕祭――
一年の終わりに行われる、一年で最も大きなイベント。
普段は節約志向の家庭も、この日ばかりは財布のひもが緩み、競って贅沢品を買い集める。
その中でも聖誕祭用にデコレートされたケーキは売れ筋商品であった。
だが逆を言えば、聖誕祭シーズンでもなければケーキはあまり売れない。
日持ちしない高価なケーキは、文字通り贅沢品。
多少は売れるだろうが、完売する見込みはゼロと言っていい。
「これがクッキーとかならよかったんだけどな……」
日持ちするものなら、ゆっくりと長い時間をかけて売ることが出来る。
だが大量にあるのは、当日に消費することが望まれるケーキ。
今日中に売り捌かなければ、大赤字だった。
「あ、赤字、大赤字だわ……」
オフィーリアはガタガタと震える。
商業国家オルベリアス王国では、売上金がすべてだ。
その中で大赤字を出せばどうなるか?
「身分の…… はく奪……」
悪夢だった。
オフィーリアが王族でいられるのは優秀だからで、決して王の娘に生まれたからではない。
『商才なし』と烙印を押されれば、明日から平民である。
約束された素晴らしい未来は、いまや先の見えない未来へと変貌してしまった。
「なんとかフォローしなければ。
でもどうやって?」
オフィーリアは頭を抱えた。
意外に思われるかもしれないが、オルベリアス王国では赤字を出すこと自体は比較的寛容だ。
手放しで許されるわけではないが、長く商売をやっていれば、そういうことは何度もあるし、長い目で見れば回収できることもあるからだ。
だからこそ、『それなら赤字でも仕方ない』と思わせる策が必要だった。
だが、何も思い浮かばない。
どんな危機的状況でも即座に解決策を打ち出せる彼女の頭脳も、目の前の在庫の山と、焦りと恐怖から、うまく働かないでいた。
『いっそ夜逃げしようかしら』
彼女がすべてを諦めかけた、まさにその時であった。
「お困りかい、お姫様」
彼女が顔を上げれば、部屋に入り口に見知った顔があった。
部屋の入り口に立っていたのは、フィーリアの婚約者兼、専属コンサルタントであるアレクシスであった。
この国では、商人が高い地位を占めている。
だが、商品には詳しい商人も、経営はずぶの素人であることは珍しくない。
そこで経営戦略に長けたコンサルタントが、商人に手助けして店舗を大きくしていく。
この国での基本的な戦略であった。
そして、足りない部分を互いに補い、店を大きくしていく過程で、そのまま夫婦になるも例も珍しくない。
オフィーリアとアレクシスも、公私ともに良きパートナーとなることを望まれて婚約を結ばされていた。
はずなのだが、
「お帰り下さい」
オフィーリアは嫌そうな顔で、そう告げた。
コンサルタントもピンキリだ。
伝説のコンサルタントは財政の傾いた国すら立て直すが、腕の悪いものは破産まで一直線。
そして、目の前にいる少年は、残念ながら後者であった。
「せっかく助けに来たのに、なんだよ、その言い草。
助けてやらねえぞ」
「ええ、それがいいわ。
そっちの方が傷が浅くて済むもの」
オフィーリアの脳裏に思い浮かぶのは、紅の記憶。
彼のアドバイスを信じたばかりに、帳簿が文字通り赤一色に染まったあの日。
アドバイスを受けなければ、ここまで大惨事にはならなかったであろう。
それ以来、オフィーリアは心に誓っている。
「こいつのいう事は二度と信じない」と。
「はん、そんな事を言えるのも今のうちウチだ。
俺の案を聞いたら腰を抜かすぜ」
「はあ、言うだけ言ってみなさいな。
聞く『だけ』ならタダだもの」
「ケーキを十倍の値段で売る」
「却下。
ただでさえ高いケーキを高くしてどうするのよ」
「他の人気商品とセットで売ろうぜ。
もちろん得な価格で」
「抱き合わせ商法ね。
数年前に禁止されてたの知らないの?」
「しゃあねえ、消費期限を改ざんしよう。
バレないって」
「シンプルに犯罪」
「……もう捨てれば?」
「残念ながら、捨てるにもお金がかかるの。
世知辛い世の中ね」
『どれこれも聞くに値しないアドバイスだった』。
オフィーリアの顔には、そう書かれていた。
オフィーリアの冷ややかな視線を受け、自信満々だったアレクシスはがっくりとうな垂れる。
今度こそ認めさせれると思ったのに。
アレクシスは苦々しそうに呟いた。
「もう、誰かに押し付けてしまえばどうだ?
タダなら受け取るやつもいるだろ――」
「それだ!」
「へ?」
さきほどまで死人のような顔をしていたオフィーリアが、パアッと満面の笑みを浮かべる。
その変わり様に何が何だか分からず、アレクシスは目を点にするのだった。
☆
「なるほど寄付か。
考えたな」
アレクシスは、目の前の光景を見て感心する。
広場にはケーキが山のように積まれ、そこにはたくさんの人が集まっていた。
『寄付は、採算度外視で行うものだ』
『これなら赤字が出ても、社会的信用を得るためだと、周囲に思ってもらえる』
そう計算したオフィーリアは、街の外れに住む貧民たちに『食糧支援』をすることにしたのだ。
下心満載で始まった寄付だが、貰う側に思惑なんて関係ない。
我先にとケーキは運び出され、どんどんと山は小さくなっていった。
その様子を眺める二人の前を、みすぼらしい格好の少年が通る。
食いだめするつもりなのだろうか、それとも日持ちしないのを知らず備蓄にしようというのか、はてまた家で待つ家族のためか。
少年は、腕にたくさんのケーキの箱を抱えて運んでいた。
「これで、在庫の処分費は心配しなくていいわね」
「この光景を見てそれかよ」
「『一か月早い聖誕祭ね』とでも言えばいいのかしら。
けど私の胃はキリキリしてて、彼らを慈しむ余裕なんて無いわ」
「そうかい」
アレクシスは苦笑する。
「でもいいのか?」
「何が?」
「寄付する相手が貧民でいいのかってことだ。
別に、平民や貧乏貴族に寄付しても喜ぶだろうよ」
「大丈夫よ。
私は商人であると同時に、王族だから」
「というと?」
「数字の上での稼ぎも大事だわ。
けれど国を統べる一族として、私たちは国を富ませる義務があるの。
そのためにも一人でも多くの商人を増やす必要があるわ。
その上で平民は寄付が無くても生きていけるけど、ここの人たちはそうじゃない。
明日の食べ物すら困っている彼らに寄付すれば、生きていく事が出来るわ。
そうすれば、この中から成金が出て貴族に人も出るかもしれないでしょう。
それは国の利益よ。
そう思わない?」
「詭弁だね」
オフィーリアの言葉を、少年は鼻で笑う。
「確かに生きることは出来るがそれだけさ。
平民で貴族になった奴はいるが、貧民が貴族になった例はない。
商売には金がいる。
食うものを買う金にすら困るやつが、貴族になるなんて夢のまた夢だよ」
それを聞いたオフィーリアは、悲しそうに眉をひそめた。
少年を軽蔑したからではない。
それが事実だと知っているからだ。
「いいじゃない、夢を見たって。
お金を稼ぐだけじゃ、つまらないわ」
「……まあ、お前のものだからさ。
どうしようと文句はないよ」
二人の間に気まずい空気が流れる。
別にアレクシスは、オフィーリアを糾弾したいわけではない。
付き合いの深さゆえに、無遠慮な物言いをしてしまっただけだ。
言い過ぎたことを反省したアレクシスが、謝罪の言葉を口に出そうとした時だった。
二人の前に一人の少年が駆け寄って来た。
先ほどやまほどのケーキを抱えていた少年だ。
だが、彼の抱えていたケーキの箱はどこにもなかった。
「何か用かしら?」
オフィーリアがそう尋ねると、少年はニっと笑って答えた。
「あんたらだろ、寄付してくれたのは。
一言お礼を言おうと思って」
「お礼?
ああ、ケーキの事ですね。
気にすることはありません、国民に奉仕するのは貴族の義務で――」
「そうじゃなくって」
少年はオフィーリアの言葉を遮り、懐から革袋を取り出す。
「存分に稼がせてもらったからな。
その礼だ」
チャリと重たい音が響く。
彼が誇らしげに掲げた革袋はたくさんの銀貨が入っているのか、ずっしりと重量感があった。
「あれを売ったんですか?」
「ああ、そこら辺を歩いていた観光客にな。
『今だけの限定品』って言いながら、笑顔で近づけばイチコロさ」
オフィーリアとアレクシスは、互いに顔を見合わせた。
「ただでもらった物を売るほど、もうかる商売はないね。
俺、貴族になるのが夢なんだ。
この金さえあれば、俺も商売を始めれる 。
助かったよ」
「じゃあな」。
そう言って、少年は夢の断片が詰まった袋を握り締め、風の様に去っていく。
その様子を呆然と見送る二人。
少年が見えなくなり、しばらくしてアレクシスが呟いた。
「貧民から貴族が出る日も近そうだ」
二人は笑った。
11/27/2025, 1:07:14 PM