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107.『ささやかな約束』『木漏れ日の跡』『君を照らす月』



「シェイプシフター?
 どんな魔物ですか?」
「人間に化けることが出来る魔物さ。
 形状(シェイプ)を変化させるもの(シフター)だから、そう呼ばれている」
「バン様は物知りですね」
「冒険者の間では常識だよ」
 俺が説明すると、妻のクレアは感心したようにうなずいた。
 先輩冒険者に飽きるほど聞かされた話だが、冒険者ではないクレアにとっては新鮮らしい。
 夜のとばりで表情は判然としないが、それでも隠しきれないほどクレアの目は輝いていた。
 俺は顔がにやけることを自覚しながら話を続ける。

「戦闘力はさほどじゃないけど、かなり危険な魔物だ。
 ぱっと見では見分けがつかないからね」
「ですが所詮ニセモノでしょう?
 姿だけ真似ても、癖や言葉使いで分かるのでは?」
「ところが、やつら記憶が読めるんだ。
 完全ではないが、いかにもそれっぽく振舞って騙してくる」
「そんな……」
「たちの悪い事に、魔物は化けた本人だと思い込んで接触してくる。
 存在自体が嘘の癖に、言動に嘘がないから騙される人間は多い。
 生き残った奴らも『変だとは思ったが、まさか魔物とは思わなかった』と証言しているしな」

 そう言うと、クレアは不安からか、顔をこわばらせた。
 きっと俺に化けた魔物が出て来たところを想像してしまったのだろう。
 無理もない。
 俺たちは今まさに、シェイプシフターの生息地にいるのだから……


 俺たちは今、『帰らずの森』にいた。
 名前の由来は、もちろん多くの人間がシェイプシフターの餌食になって戻らなかったから。
 こんな物騒なところは近づかないに限るのだが、ここを通れば目的地まで大幅なショートカットになる。
 そのため、俺たちは危険を承知で通ることにしたのだ。

 冒険者の間ではシェイプシフターは警戒すべき相手なのは常識だが、クレアは元々聖女であり魔物に詳しくない。
 そこで魔物の危険性を共有するために、クレアにこうして説明をしているのだった。

 だが少しだけ怖がらせ過ぎたのかもと思った。
 先ほどからクレアは、顔を真っ青にして震えていた。
 何も知らないのは危険だと説明したが、これでは逆効果だった。

 それに愛する人を怯えさせるのは本望じゃない。
 俺はためらいつつも、クレアの手をそっと握った。

「大丈夫だよ、クレア。
 俺がついてる」
 俺が手を握ると、クレアは驚いたように顔を上げた。
「こうして手を握っていれば、魔物が出ても問題ない。
 手を握っているのが本物なんだから、それ以外は偽物さ」
「バン様……」
 クレアが頬を赤らめる。
 いつものクレアなら、恥ずかしさのあまりすぐに目を逸らすのだが、よっほど参っていたらしい。
 潤んだ瞳でこちらを見つめて来た。

 正直俺も恥ずかしいが、クレアが安心してくれるのであれば喜んで受け入れよう。
 結婚式の日、俺はクレアに約束したのだ。
 『君を照らす月のように、ずっとそばにいよう』
 ありふれて、ささやかな約束。
 絶対にクレアに魔物を近づけてなるものかと、心に誓うのだった。

「さあ、行くぞ。
 対策は万全でも、出逢わないに越したことは無い。
 全速力だ!」
 俺は気恥ずかしさを誤魔化すように、クレアの手を引く。
 こんな物騒な森に、クレアをいさせるわけにはいかない。
 そう思って一歩前に出た、その瞬間だった。

 胸に鋭い痛みを覚えた。
 驚いて胸を見ると、剣の先が突き出ていた。
 意味が分からず動転するが、それよりもクレアが心配だ。
 俺は痛みをこらえながら、さらに一歩前に出て剣を引き抜く。
 そしてよろめく体にムチ打ちながら、愛するクレアの方に振り返る。
 だが――

「なんで……」
 そこにいたのは、クレアだった。
 だがクレアは血まみれの剣を持って立って佇んでいた。
 意味が分からず呆然とする俺。
 何もできずその場に立ち尽くす。

 その時月が顔を出した。
 満月で、夜にもかかわらず、木漏れ日の跡が出来るほど明るかった。
 その明るい月の光は、そしてクレアの顔を照らし出す。
 そこにあったのは――

 ――獰猛な笑顔だった。

 そして俺は、遅ればせながら気づいた。
 目の前にいるクレアが、シェイプシフターであることに。
「あなたが悪いんですよ」
 喜色を含んだ声。
 馬鹿な、今まで一緒にいたのは偽物だったというのか。
 では本物のクレアは今どこに?

 動揺する俺に向かって、シェイプシフターは剣をおおきく振りかぶった。
(どうか無事でいてくれ……)
 俺は愛する人を案じながら、事切れたのだった――


 ☆

「ふう、危うく騙されるところでした」
 夫の姿をした魔物を前に、私はため息をつく。
 暗かったため不安だったが、どうやらうまく急所を付けたようで、魔物はピクリとも動かない。
 既に息絶えたようだ。

 あらかじめ聞いていた通り、魔物は自分がバン様だと思い込んで接触してきた。
 始めは警戒していた私も、しばらくの間は気づくことが出来きなかった。
 恐ろしい魔物だ。
 『存在自体が嘘の癖に、言動に嘘がない』。
 その意味をしみじみと実感した。
 だが――

「バン様は意外とウブなので、自分からは手を握らないんですよ」
 確かに私たちは夫婦だが、だからこそ躊躇《ちゅうちょ》することもあるのだ。
 その辺りの機微が分からない辺り、やはり魔物なのだろう。

 それにしてもバン様は無事だろうか……
 魔物に騙されなければいいけれど。
 なにせ、見抜く自信があった私ですらギリギリだったのだ。

「どうかご無事でありますように」
 いつものように祈りを捧げていた、どの時だった。
 近くの茂みがガサガサと音を立てて、人影が出てきた。
「クレア、無事か!」
 だれであろう、夫のバン様だった。
 
「よくご無事で!
 私の方は大丈夫、魔物を返り討ちにしました」
「ああ、本当に良かった。
 今まで生きた心地がしなかったよ。
 どうやって倒したんだ?」
「ええ、この剣のおかげです」
「さすがクレアだ」

 心配していたバン様も、どこにも怪我がない。
 これで何も心配は無くなった。
 安堵のため息を吐いた、その瞬間だった。

「油断したな」
 いつの間にか剣を抜いていたバン様に、私は真っ二つにされたのであった――
 

 ☆

「シェイプシフターは意外といい加減だな。
 クレアが使う武器はメイスだぞ。
 剣なんて使うわけがない」

 目の前に横たわる妻の姿をした魔物の前で呟く。
 魔物はこと切れたようで、ピクリとも動かない。
 とりあえずこれで安心だ。

 さっきも数体クレアの姿をした魔物と遭遇したが、姿だけならば見分けがつかなかった。
 想像以上に恐ろしい森だ。
 こんな物騒な森、早く出ないといけない。

 早くクレアと合流しよう。
 踵を返し、クレアを探しに行こうとした、その時だった。

「バン様ーーー」
 草むらからクレアが飛び出し、オレに抱き着く。
「わたし、寂しかったですぅ」
 クレアはオレの腰に手をまわして、力強く抱きしめる
 どうやらかなり怖い思いをしたらしい。
 オレは夫として、情けない思いに駆られる。

 なぜ彼女を泣かせてしまったのか。
 きっとオレの力不足なのだろう。
 もっと強くなろう、そう誓った、その瞬間だった。

「そしてサヨナラですぅ」
 クレアの姿をした何かは、そのままオレの体をへし折ったのだった――


 ☆

「やはり偽物でしたかぁ。
 本物のバン様なら、これくらいじゃあ死にませんよぉ」
 三つ折りにした魔物を前に呟く。
 どうやら魔物と言えど、三つ折りにすれば死ぬらしい。
 私は会ったときに教えてあげようと鼻息を荒くした、その時だった。

 近くの草むらから物音がしたのを聞いて、わたしは反射的に草むらに飛びかかり、相手に抱き着いて力を入れる。
 愛しのバン様ならば、この程度のサバ折など意に介さない。
 敵なら死ぬだろう、私は本気で抱きしめた。

「折れない!
 これは本物のバン様ですね!」
 喜びのあまり、バン様に口づけをしようとした、その瞬間だった。

「ごっつあんです」
 バン様の姿をした何かは、私を平手打ちして首の骨を折ったのだった――
 

 ★


 ――
 ――――
 ――――――

 
 ★

 
「森が騒がしいですね」

 森沿いの街道を歩いていると、クレアが森を見ながら呟いた。
 確かに森が騒がしい。
 森の中から叫び声や、悲鳴が響いている。
 その理由を察した俺は、苦笑しながらその理由を話す。

「シェイプシフターが張り切っているんだよ。
 久々の獲物だってね」
「久々ですか?
 ここは『帰らずの森』なんでしょう?」
「『帰らずの森』だからさ。
 有名になり過ぎて、誰も入らなくなったんだよ。
 ここ百年は犠牲者は出ていないぞ」
「ああ、そういう事ですか」
 クレアは納得したように頷く。
 危険なら近づかなければいい。
 当然といえば当然の話。
 子供でも知っている事だ。

「ですが、さすがに賑やかすぎは?
 私たち、森の中に入ってませんよ」
「ああ、奴らは待ち伏せするために、予め化けるんだ。
 で、シェイプシフターの変化は人間を騙すほど高度な術なんだが、それは魔物にとってもそうでな」
「つまり、同士討ちしていると」
「そういうこと」
「なんですか、それ」

 そう言って、クスクスと笑うクレア。
 余程おかしかったらしい。
 珍しく大きく肩を揺らしながら笑っていた。

 それを見た俺は、思わず頬が緩む。
 やっぱり笑うクレアが一番かわいいと、俺はそう信じている。
 絶対に本人には言わないけれど。

「ところで、もし偽物の私が出てきたら見分けられますか?」
「当然だ。
 と言いたいところだが、無理だな」
「愛が足りないですね」
「そういう意味じゃない。
 今見たように、シェイプシフターがとんでもなく張り切っているだろ。
 その状態で森に入るとどうなると思う?
 クレアに化けた偽物が何十匹と殺到して来て、てんやわんやさ。
 偽物が一人いるくらいなら見分けられる自信があるけど、さすがに無数の偽物が殺到してきたら見分けるどころじゃない。
 ご理解いただきたいね」
「理解できるような、出来ないような」
 腑に落ちないといった様子で、うんうんと唸る。
 そのまましばらく唸っていたが、これ以上考えても仕方ないと思ったのか、大きくため息を吐いて俺を見た。

「しかし、どちらにせよ森を抜けないといけないのですよね?
 どうするんですか?
 私も無数のバン様に追いかけられるのは嫌ですよ」
「そこは問題ない。
 この先にワイバーンの農場があってな。
 そこでワイバーンを借りて、森を飛び越える」
「飛び越える……」
「ああ、通り抜けれないなら空から飛び越えていまえばいい。
 奴らを森に置いてけぼりにする」
「あの、肩を持つわけではありませんが、シェイプシフターがあまりにも不憫ではありませんか?」
「そんなことないさ。
 奴らは体を変化させることで繁栄して来たけど、俺たちは思考を柔軟に変化させることで繫栄したんだ。
 やつらがシェイプシフターなら、俺たちはパラダイムシフター(発想を変えるもの)だ。
 柔軟にいこうぜ」

11/22/2025, 12:33:57 AM