98.『光と霧の狭間で』『君が紡ぐ歌』『friends』
とある晴れた日、天気がいいので友達の沙都子の家に遊びに行くと、沙都子は不機嫌を絵に描いたような顔で、ソファーに座り込んでいた。
「どしたの?」
不思議に思って聞いてみても、沙都子はキッと睨むだけで何も言わない。
普段から機嫌の悪そうな顔をしている沙都子だけど、付き合いの長い私には分かる。
『何かあったに違いない』。
私は確信した。
けれど、沙都子はいじっぱりだ。
普通に聞いても、何も答えてくれないだろう。
私は答えを得るため、そして親友の力になるため、沙都子をじっくりと観察することにした。
沙都子の目は潤んでいた。
さっきまで泣いていたのか目は赤く、涙の跡がある。
よく見れば、険しい表情も痛みを堪えているものに違いない。
極めつけは、右頬を手の平で覆うように庇う、いわゆる『虫歯のポーズ』……
ここまで分かれば嫌でも分かる。
沙都子を襲っている問題、それは……
「恋の悩みだね」
「は?」
沙都子の険しい顔が、さらに険しくなる。
「失恋したんでしょ?」
「違うわ――つううう」
「やっぱ虫歯か」
叫ぶと同時に右の頬を押さえる沙都子。
激痛が走るのか、大粒の涙をポロポロと流し始めた。
「叫んだりするから」
私がため息を吐くと、「うるさいわね」と、蚊の鳴くような声で反論してきた。
だが、それすらも辛いらしく、言った後で顔をしかめた。
どうやら見た目以上に辛いようだ。
このまま揶揄って遊ぶつもりだったが、さすがに見ていられず助け船を出すことにした。
「悪いことは言わないからさ
今すぐ歯医者に行きなよ」
「嫌よ」
「即答かい」
予想通りの答えに、私は思わず苦笑する。
まあ、素直に歯医者に行くようなら、ここまで苦しんではないだろうけど。
「歯医者が怖いの?」
「違うわ。
虫歯なんて無いからよ。
怖いからじゃないわ!」
まるで小学生みたいなことを言い出す沙都子。
これでも高校生なんだぜ。
私は仕方なく、子供をあやすように話しかける。
「ほら、歯医者に行こう?
私がついていてあげるから」
「偉そうに!
アナタは、歯医者がどんなに恐ろしい場所か知らないからそんな事を言えるのよ」
「私ほど歯医者に詳しい人間はいないよ。
歯医者の治療を受けていない歯がない私が言うんだから、間違いない」
「……それはそれで不安なのだけど」
沙都子が疑うような目で見て来る。
うーん逆効果だったか。
ちょっと切り口を変えてみよう。
「まあ、沙都子は知らないだろうけど、最近の歯医者さんは患者を呼び込むために、いろんな特色を打ち出しているんだ。
例えば『光と霧の狭間で』がテーマの歯医者とかどう?
私のお勧めだよ」
「およそ歯医者と関係なさそうなテーマだけど……
具体的には何をするの?」
よし食いついた。
あとは、『何事も経験よね』と言わせれば勝ちだ。
「治療席に小型のモニターが付いていてね。
それにアニメが流れるだけど、映像に合わせて明るくなったり、ミストが噴射されて、臨場感あふれる体験が出来るってわけ」
「それ、映画の4DXじゃない?」
「まさにそれを参考にしたって言ってたよ。
で、患者が『光と霧の狭間で』映像を堪能している間に治療するってわけ」
「はあ、変わってるわね。
ところでどんなアニメが流れるの?」
「アンパンマン」
「子供向け過ぎない?」
「楽しいよ」
「まさかの経験済み!?」
信じられないような目で見る。
うーん、反応はいいけどこの様子じゃ歯医者に行きそうにない。
何が悪かったのだろう。
もしや、アンパンマンのアンチか?
まあ、人の嗜好は色々だしな。
次に行こう。
「他は『friends』がテーマの歯医者もあるよ」
「全く想像できないわね……
どんなの?」
「人間にとって、友人とも言うべき細胞や細菌の展示をしてる」
「あら、『働く細胞』みたいね」
「そこからインスピレーションを受けたって言ってたね。
その中でも力を入れているのは、歯周病菌や虫歯菌とか『悪い友達』とも言うべきやつだね」
「……は?」
「それらの悪い友達と付き合うとどうなるのか、人生がめちゃくちゃになる様子を丁寧に描いているんだ。
虫歯の痛みに苦しみながら死ぬ過程を丹念に描くことで、歯磨きや口内ケアの大切さを訴える作品だよ」
「なにそれこわい」
なんか怯えだした。
まるで小学生のようにぶるぶると震えている。
「やっぱり、歯医者は怖いところよ!
行かないわ!」
「でも辛いでしょ?
痛さのあまり、もがき苦しみながら死んでもいいの!?」
「く……
……でも歯医者には行かない。
これまでも、これからも」
『これ以上は話を聞かん』と決意を秘めた表情で、沙都子は手で『出て行け』とジェスチャーする。
こうなっては私の言うことは聞かないだろう。
作戦は失敗だ。
私は失意を胸に部屋を出る。
けれど諦めたわけではない。
たしかに失敗したが、そのことをしっかりと受け止め、次の策を考える。
たとえ嫌われようとも、絶対に虫歯の治療をさせる。
それが友人である沙都子に出来る唯一の事だ。
沙都子に、虫歯をこじらせて、もがき苦しみ死ぬような事には絶対にさせない。
君が悲鳴で紡ぐ歌は、ここで終わらせる。
私は強い決意を抱きつつ、次の作戦を考える。
今回の失敗の要因は、説得の相手が私だったことだ。
普段は合理的な判断の出来る沙都子も、私を前にすると意固地になってしまう。
ならば別の人間、沙都子を説得できる人間を連れてくるしかない。
私は記憶を頼りに、リビングへと向かう。
半分賭けであったが、そこには沙都子を説得できる人物――沙都子の母親がいた。
子供っぽい沙都子も、母親には素直だ。
きっとうまく説得してくれるだろう。
私は胸に期待を抱きながら、沙都子の母親に近づく。
「少しいいですか、沙都子のおばさん。
沙都子のことで、耳に入れたいことがあるのですけど」
そう言うと、おばさんは私に微笑んだ。
「ええ、構わないわよ。
でも言わなくても分かるわ。
虫歯の事よね」
「知っていたんですか!?」
「ええ、当然よ。
私の娘だもの」
「じゃあ、なんで沙都子を歯医者に連れて行かないんですか?
怖いから行きたくないと言ってますが、聞いちゃだめですよ」
「だって、ねえ……」
困ったように笑うおばさん。
まさか……
「おばさんも虫歯なんだけど――」
そう言って、おばさんは右頬を庇うように手のひらで覆う。
「――実は歯医者怖いの」
親子そろって歯医者嫌いかよ!
だが諦めない。
歯医者に行かないならば、歯医者の方から来てもらおう。
そう思った私は、『逃がしません、虫歯菌』がテーマの歯医者に連絡を取り、親子ともども強引に治療をさせるのであった。
※※※※※※※※
あとがき
先日、親知らずが虫歯になり、そのまま抜きました。
地獄の苦しみから解放され、晴れ晴れとした気持ちです。
きちんとハミガキをするとともに、歯が痛かったらすぐに歯医者に行きましょう。
そうしないと、これを読んでいるアナタも、眠れない夜を過ごすことになりますよ……
作者より
愛から恋を引いたら何が残るのだろう――
僕は、離れた場所で黙々と洗濯物を畳む、お手伝いアンドロイド『アリス』を眺めていた。
僕にとって、アリスはどんな存在なのか。
この頃よく考えるようになった……
アリスは、小さい頃に親に買ってもらった最新型アンドロイドだ。
ショーケースに展示されているのを見て一目ぼれ。
寝ても覚めても彼女の事ばかり考えるようになり、それはたぶん恋だったと思う。
心を奪われたアンドロイドをなんとか手に入れようと、小さい僕が親にあらゆる手でねだった。
だがアンドロイドが一般に普及したとはいえ、まだまだ高級品。
親は頑なに拒否していたのだけど、普段ワガママを言わない僕のお願いという事で、最終的に買って貰うことが出来た。
僕は家にやって来たアンドロイドに『アリス』と名付け、とても可愛がった。
家事をするのが彼女の仕事だと言うのに、彼女の気を引こうと仕事を奪ったりもした。
当時も星が好きだったので、夜はよく星空を見に連れ出した。
アリスの方も、僕の子守を仕事の一つとして認識していたのか、いつも笑顔で対応してくれた。
片時も離れない僕たちの様子に、家族は目尻を下げて『まるで新婚さんだ』と笑った。
けれどそれは、子供の頃の話。
家族に迎えた時は見上げるほど大きかった彼女も、今では僕の方が高い。
用が無くても話しかけていた昔も、今は最低限の会話だけ。
あの頃抱いた恋心はもうどこにもなく、アリスに特別な感情は抱かなくなっていた。
とはいえ、情が無いのかと言われればそれも違う。
骨董品と揶揄されるほど古くなったアリスも、我が家ではまだまだ現役。
機械である彼女に『尽くす』という概念があるかは分からないが、今でも勤勉に働いてくれている。
古いので不具合も多いが、基本的に自分で治したし、定期的にメンテナンスにも出している。
なんだかんだいって、僕はアリスに愛着があった。
だが僕も分別のある大人。
大学進学を機に家を出るとき、いい機会だからとアリスを実家に置いて出ようとした。
だがアリスは、『坊ちゃんのお世話は、最優先事項です』と宣言し、当然の様についてきた。
最初は『全部一人でやる、そこで見ていろ』と突っぱねたのだが、悲しいかな初めての一人暮らし。
不摂生な生活を送り部屋をゴミだらけにするなどの事件を起こし、生活能力の無さを露呈させて、アリスの介入を許してしまった。
今では家事は、完全にアリスの仕事である。
まるで押しかけ女房のようだが、やはりアリスには特別な感情はない。
感謝の気持ちはあれど、恋心はどこにもない。
では僕が彼女に抱いている感情は何だろう?
『愛−恋=?』、難しい問題だ。
人生の難題に頭を悩ませていると、アリスが急にこちらを向いた。
「そういえば、坊っちゃん。
大学のレポートはよろしいのですか?
締め切りが近いとお聞きしましたが」
「あっ、やべ」
アリスの言葉で思い出し、僕は慌てて机の前に座る。
僕は教授から課題を出されていた。
それは星の地図――星図を書くこと。
今どき珍しい手書きで、である。
最近で全てコンピューターがやってくれるのだが、だからこそ一度は手書きをすべきとの教授は信じていた。
『これを出さないと進級させない』と教授が念押しするほど、重大なレポート。
落とすわけにはいかないので、気合を入れて書いていたのだが……
「星図がない……」
机の上にあるはずの書きかけの星図。
それがどこにもない。
アナログゆえに手間がかかっており、今から一から作っていては締め切りまで間に合わない。
だが机の上を探し回るがどこにもない。
消えた星図を見つけなければ、留年確定!
どうしよう、親にどやされる!
努力が無に帰したことに絶望していると、アリスが後ろから声をかけてきた。
「坊っちゃん、ノートパソコンの下は見ましたか?」
「そう言えば!」
ノートパソコンを持ち上げるとそこには書きかけの星図が!
やった、これで留年は回避!
「おお、アリスはよく分かったな」
「坊ちゃんの事なら何でも分かりますよ」
「おかんか」
「小さい頃から見ていますからね。
ところで喉が渇きませんか?」
「確かに安心したら喉が渇いたな……」
「ではお茶をお淹れしてまいりいますね」
そう言ってアリスは立ち上がり、台所まで歩いていく。
アリスは手慣れた動作でお茶を沸かして戻ってくると、僕の前に置いた。
――砂時計と一緒に。
「なんで砂時計?」
「坊ちゃんはすぐにサボりますからね。
この砂時計の砂が落ちたらレポートの続きを書いてください」
「そんなに信用ないか?
そんなもの無くても終わらせるよ」
「そう言って前回のレポートは落としましたよね」
「申し訳ありません」
「なので今回から鬼になることしました。
レポートを書ききるまで見張ってますから、覚悟してください」
「おかんか」
僕は砂時計の音を聞きながら、お茶を飲む。
こうしていると、子供の頃一緒にいたことを思い出す。
あの時と違ってもう恋心はないけれど、アリスといる時間は心地よい。
なんだかんだ言いながらも、僕はアリスの事を大切な家族として大切に思っていた。
愛から恋を引いたら何が残るのか――
未だに答えは出てない。
けれどその先にあるのは、きっと『温かいもの』だ。
『どこまでも』『lalala goodbye』『梨』
とあるマンションの一室、深夜のこと。
暗い室内に、二つの影があった。
一つはこの部屋の主である女、もう一つは可愛らしい西洋人形だ。
人形は、きれいな服ドレスに身を包まれ、とても大事に扱われていることが見て取れる。
だが、その可憐な服装に裏腹に、その顔は憎悪に満ちていた。
人形は、呪いの人形――『メリーさん』なのだ!
電話を取ったら最後、どこまでも追いかけてくる怪異だ。
部屋の主もメリーさんの標的となり、背後を取られていた。
まさに絶体絶命!
だが――
「また逃げられた!」
メリーさんは、吐き捨てながら部屋の主を蹴飛ばす。
すると、なんということか、頭がポロリと取れた。
しかしそれは作り物の頭……
この人影は人間ではなくマネキンだったのだ。
嘲笑うかのようなイタズラに、メリーさんは怒り心頭だった。
「せっかくここまで追い詰めたのに!」
メリーさんは、悔しそうに地団駄を踏む。
顔に悔しさがにじみ出る。
こうして逃がしてしまうのは初めてではない。
3週間前のこと。
標的と定めた女に電話をかけ、お決まりのセリフを告げる。
「私メリーさん。
今からあなたのおうちに行くわ」
いつもなら、電話相手はメリーさんに狙われた恐怖にむせび泣く。
メリーさんは、人間の泣き声を聞くのが好きだった。
特に女性の泣き声はお気に入りで、メリーさんは好んで女を狙っていた……
だが、この女は違った。
「Catch me if you can(出来るものなら捕まえてみろ)」
そしてメリーさんは、女を取り逃がした……
しかし、一回の失敗であきらめるメリーさんではない。
すぐさま気持ちを切り替えて、この女を追いかけた。
だが、その次もまんまと逃げられてしまう。
いつ行ってももぬけの殻。
そこには、メリーさんをおちょくるように、何かしらのイタズラが用意されていた。
時に『差し入れ』と書かれた紙切れとともに梨を置いてあることもある。
最初は舐めてかかったメリーさんも、さすがにおかしいことに気づく。
そこでメリーさんは、女の素性を調べることにした。
そしてメリーさんは仰天した。
女は、巷を騒がせる怪盗だったのだ。
ルパンの再来とまで言わしめる怪盗、それならば逃げ足の速さも納得がいく。
しかし、逃がしたままでいいかは別問題。
このままでは自身の沽券に関わるとメリーさんは全力で追跡するが、結果はご覧の通り。
本気を出したメリーさんですら、女はあっさりと、逃げおおせてしまうのだった。
隙のないメリーさんですら、手も足も出ない女。
その事実にメリーさんは絶望――はしていなかった。
メリーさんには秘策があったのだ。
女は怪盗である。
それも予告状を出すタイプの。
ならば先回りして後ろを取ればいい。
メリーさんの流儀に反する行為であるが、それよりも逃がし続けるほうが問題だった。
メリーさんは手段を選ばず、女を捕まえることにしたのだ
数日後、予告状に記された現場にメリーさんは駆けつけた。
怪盗の標的は、美術館で飾られる高価な絵画。
メリーさんは、その隣で待ち伏せすることにした。
周りには怪盗を捕まえようと警戒している警察がウロウロしていたが、メリーさんには気づかない。
警察が来る前から、歴史あるアンティークドールのフリをしていたからだ。
今のところ、警察はメリーさんのことを不審に思ってはいない。
メリーさんは心の中でほくそ笑みながら、女の来訪を待つのだった。
そして犯行時刻。
突如、室内にガスが噴き出し、警察が倒れ始める。
睡眠ガスだ。
倒れた警察はスースーと寝息を立て始め、警備員全員がガスに倒れる。
次々と警察官が倒れる中、1人だけ立っているものがいた。
ガスマスクを付けた女――怪盗だ。
倒れた警察官には目もくれず、怪盗はゆっくりと、標的の絵に向かって歩いていく。
メリーさんは、ただの人形のフリをしてその様子をずっと見ていた。
狙いは、後ろに立つ最高のタイミング。
決して悟られぬように、怪盗の動きを注視していた。
しかし――
「え?」
メリーさんは突如浮遊感に襲われる。
動揺するまもなくメリーさんは、袋に詰められ身動きが取れなくなる。
「メリーさん、ゲットだぜ」
その時、メリーさんはようやく気づいた。
怪盗の真の標的は自分であったと……
「フフフ、いっぱい着せ替えしちゃうぞ〜」
「あ~れ~」
その晩、高笑いしながら去っていく怪盗が目撃された。
だが何も取らず去っていく怪盗に、関係者の誰もが首を傾げるばかりだった。
それ以降、怪盗の予告状には、「本日のお人形」とでも言うかのように、毎回違う服を着せられた人形の写真が添付されるようになった。
『この怪盗の行為には何の意味があるのか?』
『他にも人形ならたくさんあるだろうに、なぜ恐ろしい表情の人形を使うのか?』
『ていうか、最近は写真を送って来るばかりで、何も盗もうとしない』
この問題は、関係者たちを大いに悩ませ、混沌の渦に巻き込むのであった。
『秋恋』『一輪のコスモス』『未知の交差点』
「ナムナムナム」
俺は今、道端に祀られているお地蔵さまに拝んでいた。
交差点にぽつんと置かれたお地蔵さま。
大事にされているのか、小綺麗にしてあった。
作法がよくわからないので、呪文は適当だが、その分熱心に拝む。
こういうのは気持ちが大事、きっと想いは通じることだろう。
特に信心深いわけでもない俺がこんな事をしているのには理由がある。
理由は単純、俺は絶賛現在進行系で困っているから。
都合が良すぎると非難を受けそうだが、背に腹は代えられない。
俺は今、遭難しているのだ。
とある休日、車でとある農家に向かっていた。
俺は園芸ご趣味で、特にコスモスが好きだった。
最初は郵送して欲しいと交渉したが、『直接来ないと譲らない』の一点張り。
仕方なく住所を聞き出し、こうして農家に直接向かうところだったのだが……
もう少しで目的地というところで、
ここはどこにもわからぬ未知の交差点。
途方に暮れていた。
スマホは圏外で助けも呼べぬ。
山に囲まれているからか、電波が入らずカーナビ代わりのスマホも機能しない。
コンビニどころか人の気配のしない山奥で、俺は遭難していた……
なぜこんな知らない土地に来たのか?
それは、幻のコスモスを手に入れに来たのだ。
この辺りの農家でしか育てられていない、希少価値の高いコスモス。
現地で数量限定で販売されるそれは、この山奥でしか栽培されていない。
他の愛好家たちに取られまいと、ここまでやってきたのだが……
「田舎すぎて、誰も来てなかったな……」
農家の人曰く、数量限定で販売するものの、買いに来る人が少ないので、毎年売れ残るとのことだ。
「お裾分けだよ」
そう言って、苗から一輪のコスモスを摘み取って、お地蔵さまの前に
だが不思議な感覚がある。
全くの未知の交差点だと言うのに、とこか見覚えがあるのだ。
だが全くふと足元を見ると、一輪のコスモス……
何か、思い出そうとして……
「もし、そこのお方」
94.『燃える葉』『静寂の中心で』『愛する、それ故に』
「これでよし、と。
火をつけるぞ」
焼き芋のために集めた落ち葉の山に、出力を限界まで絞った炎魔法を放つ。
葉の先がチリチリと音を立てて焦げ、やがて小さな炎が上がる。
それを見た妻のクレアは、感心したように声を上げた。
「器用ですね」
「剣士の俺がおかしいか?」
「いえ、そうではなく。
大きな火の玉を作るのは得意でも、そこまで小さな火を出せる魔法使いはなかなかいない、という意味です」
「田舎の人間はこのくらい出来るよ。
魔道具なんて便利な物は無いからな。
自分でやるしかないんだ」
「うーむ、ところ変われば必要とされる魔法も違うんですね」
と、国中でも指折りの魔法使いである彼女は呟く。
彼女を始めとした魔法使いにとって、魔法とは魔物を屠るためのモノ。
それを、こうした生活の一部として使うのは斬新なんだろう。
「そういえば俺がまだパーティを組んでいた頃、焚火の点火は俺の役目だったな。
魔法使いは魔力の温存とか言って頑なに拒否していたが……」
かつてクレアとは違うメンバーで冒険をしていた頃の思い出が蘇る。
なにかと言い訳するので当時から怪しいと思っていたが、そうか、あの魔法使いは小さな火を出せなかったのか……
あの時は『いい加減な奴』と思っていたが、真実を知った今はなんだか妙におかしい
「ところでバン様、もう火が消えてしまいますよ。
サツマイモは焼かないのですか?」
「火が強すぎると芋が焦げるんだ。
だから火が弱くなって、赤熱しているくらいがちょうどいいんだ。
と、そろそろだな」
燃える葉が灰になり、赤く光るだけの状態――熾火(おきび)になった事を確認して、俺はサツマイモを投入する。
これでイモは焦げることなく甘く仕上がるはずだ。
「それにしても、ここまでやる必要あります?
焼き芋作るだけなら、魔法を使えば数分ですよ」
「ウマい焼き芋が食べたいと言ったのはお前だろ?」
「確かに言いましたが……」
「こっちの方がウマいんだよ。
食べ比べたことがあるから間違いない」
「ちなみに、あとどれくらいかかりますか?」
「1時間くらいだな」
「魔法なら5分なのに……」
クレアはソワソワし始める。
「他に用事があるのか?
火は俺が見ておくから、そっちに行ってもいいぞ」
「ではお言葉に甘えて。
申し訳ありませんが、用事を済ませたら戻りますね」
と言ってクレアは去っていった。
そうしてクレアがいなくなり、場に静寂が訪れる。
世界がまるで、自分だけになったような感覚になる。
正確には、火の音だけが微かに響く、心地よい静寂。
まるでここが世界の中心と錯覚しそうなほど、深く静かな時間だった。
そして静寂の中心で俺は思う。
『俺、何やっているんだろう』と……
俺は冒険者だ。
自分で言うのもなんだが、超一流だ。
そんな俺が今、こうして故郷の田舎でスローライフを送っている。
その発端は、まだ俺が冒険者だった時の事。
ひょんなことからパーティメンバーと喧嘩した俺は、深く暗いダンジョンに置き去りにされた。
命からがら地上に戻ることが出来たが、その事でトラウマを発症、ダンジョンに潜れなくなった。
トラウマに苦しむ俺を見たクレアが、『一度冒険から離れた方が良い』と故郷に帰る事を勧めたのだ。
アドバイスに従い、故郷に戻ってきたのが去年の秋。
もうすぐ一年になる。
この田舎ならではののんびりした空気が良かったのか、トラウマはかなり改善した。
トラウマは癒され、いつしかもう一度冒険に出たいと思うようになった。
そのための準備もしたし、知り合いには旅に出る予定を伝えている。
だと言うのに……
「旅に出れねえ……」
田舎特有の『使えるものは親でも使え』精神により、鍛えている俺は引っ張りだこだった。
旅に出ようとする度に、引き留められ農作業を手伝わされる。
春は畑起こし、夏は雑草狩り、秋は収穫。
その合間に、村の外で魔物狩り。
常に大忙しだった。
準備は万端なのに、一向に旅に出る事が出来ない。
どうしてこうなった。
旅立ちの予定日から、もう半年だ。
俺はいったいいつになったら旅立てるんだ!
……いや、これは言い訳だ。
引き留めがあるのは事実だが、俺は本当は迷っているのだ。
ここでの生活を捨てていいのだろうかと……
ここでの生活は心地よい。
クレアとの穏やかな生活は、冒険者時代にはなかった平穏がある。
クレアのために最高の焼き芋を作るこの時間が愛おしい。
そして俺に向けて来る人々の優しい笑顔も……
この心地よさが、危険を冒してまで旅に出る判断を鈍らせているのだ。
俺は故郷の村が好きだ。
飛び出した俺を、なにも言わず暖かく迎えてくれた。
故郷を愛する、それゆえに思い切りがつかない。
俺はここにきて、人生の岐路に立たされていた。
「大変です、バン様!」
深刻な声と、クレアが息を切らせて走ってくる様子に、俺の頭はすぐさま戦闘態勢に入った。
魔法使いとして優秀なクレアが、慌てているのは非常事態が起こったに違いない。
もしや手に負えない程に凶悪な魔物が出たか!?
俺は最悪の可能性を想定しながら、クレアの言葉を待つ。
「村に来ている行商人と話したのですが、遠くの国にミカンなる果実があるそうです」
「え?」
俺は耳を疑った。
恐ろしい事態が起こったと思いきや、遠国のフルーツの話だと……?
平和なこの地に、凶悪なモンスターが出たということよりも不可解だ。
いったいクレアは何を言っているんだ。
「甘美で食べた物を虜にするという、魔法の果実……
その状態で、未だ完成には程遠いので『未完』と呼ばれているのだとか。
ぜひとも食べてみたいものです!」
「えっと、それが……?」
「一緒にいた村人たちとも話したんですが、この村でも是非とも栽培してみたいという話になりまして……
それで私たちに苗木を買い付けに行って欲しいと、今すぐに!」
「はあ!?」
俺は思わず叫ぶ。
「待て待て、話が急すぎる!」
「季節的にもう冬がやってきます。
そうなればこの村は雪に閉ざされ、出入りが出来なくなってしまいます。
その前に、今から商人の馬車に相乗りして、一緒に行って欲しいと」
「さすがに勝手すぎるだろ!
俺の都合を聞けよ!」
「『冒険に出たがっていたから丁度いい』とも言ってましたよ。
それに『不器用だから冬の内作は役立たずだから』とも」
「ふざけんな!」
不器用なのは事実だが、そこまで言われる理由はないぞ。
マジで役立たずだが、文句を言われるほどじゃない、多分。
「バン様、早く行きましょう。
旅の準備は出来てますよね?」
「だが焼き芋が……」
「それはあとで村の人が食べると言ってました」
「なんでだよ!」
「早く!
馬車が待ってます!」
「ああ、くそ!」
こうして俺たちは旅に出ることになった。
あらかじめ準備してあった装備一式を持ち、家族との別れの挨拶もそこそこに家を出た。
俺たちの慌しく出ていく様子に、家族は苦笑いしていた。
あれほど思い悩んでいた旅立ちが、まさか、ミカンの苗の買い付けという、馬鹿げたきっかけで始まるとは……
『人生何が起こるか分からない』とは言うが、さすがに予想外すぎる。
そして俺を『役立たず』と侮辱した奴らに文句を言えなかったのも心残りだ。
だが――
「村のために旅に出るのもいいもんだな」
愛する故郷のために、俺は旅に出る。
誇らしい気持ちを胸に、俺はクレアと共に馬車に乗り込むのだった。