98.『光と霧の狭間で』『君が紡ぐ歌』『friends』
とある晴れた日、天気がいいので友達の沙都子の家に遊びに行くと、沙都子は不機嫌を絵に描いたような顔で、ソファーに座り込んでいた。
「どしたの?」
不思議に思って聞いてみても、沙都子はキッと睨むだけで何も言わない。
普段から機嫌の悪そうな顔をしている沙都子だけど、付き合いの長い私には分かる。
『何かあったに違いない』。
私は確信した。
けれど、沙都子はいじっぱりだ。
普通に聞いても、何も答えてくれないだろう。
私は答えを得るため、そして親友の力になるため、沙都子をじっくりと観察することにした。
沙都子の目は潤んでいた。
さっきまで泣いていたのか目は赤く、涙の跡がある。
よく見れば、険しい表情も痛みを堪えているものに違いない。
極めつけは、右頬を手の平で覆うように庇う、いわゆる『虫歯のポーズ』……
ここまで分かれば嫌でも分かる。
沙都子を襲っている問題、それは……
「恋の悩みだね」
「は?」
沙都子の険しい顔が、さらに険しくなる。
「失恋したんでしょ?」
「違うわ――つううう」
「やっぱ虫歯か」
叫ぶと同時に右の頬を押さえる沙都子。
激痛が走るのか、大粒の涙をポロポロと流し始めた。
「叫んだりするから」
私がため息を吐くと、「うるさいわね」と、蚊の鳴くような声で反論してきた。
だが、それすらも辛いらしく、言った後で顔をしかめた。
どうやら見た目以上に辛いようだ。
このまま揶揄って遊ぶつもりだったが、さすがに見ていられず助け船を出すことにした。
「悪いことは言わないからさ
今すぐ歯医者に行きなよ」
「嫌よ」
「即答かい」
予想通りの答えに、私は思わず苦笑する。
まあ、素直に歯医者に行くようなら、ここまで苦しんではないだろうけど。
「歯医者が怖いの?」
「違うわ。
虫歯なんて無いからよ。
怖いからじゃないわ!」
まるで小学生みたいなことを言い出す沙都子。
これでも高校生なんだぜ。
私は仕方なく、子供をあやすように話しかける。
「ほら、歯医者に行こう?
私がついていてあげるから」
「偉そうに!
アナタは、歯医者がどんなに恐ろしい場所か知らないからそんな事を言えるのよ」
「私ほど歯医者に詳しい人間はいないよ。
歯医者の治療を受けていない歯がない私が言うんだから、間違いない」
「……それはそれで不安なのだけど」
沙都子が疑うような目で見て来る。
うーん逆効果だったか。
ちょっと切り口を変えてみよう。
「まあ、沙都子は知らないだろうけど、最近の歯医者さんは患者を呼び込むために、いろんな特色を打ち出しているんだ。
例えば『光と霧の狭間で』がテーマの歯医者とかどう?
私のお勧めだよ」
「およそ歯医者と関係なさそうなテーマだけど……
具体的には何をするの?」
よし食いついた。
あとは、『何事も経験よね』と言わせれば勝ちだ。
「治療席に小型のモニターが付いていてね。
それにアニメが流れるだけど、映像に合わせて明るくなったり、ミストが噴射されて、臨場感あふれる体験が出来るってわけ」
「それ、映画の4DXじゃない?」
「まさにそれを参考にしたって言ってたよ。
で、患者が『光と霧の狭間で』映像を堪能している間に治療するってわけ」
「はあ、変わってるわね。
ところでどんなアニメが流れるの?」
「アンパンマン」
「子供向け過ぎない?」
「楽しいよ」
「まさかの経験済み!?」
信じられないような目で見る。
うーん、反応はいいけどこの様子じゃ歯医者に行きそうにない。
何が悪かったのだろう。
もしや、アンパンマンのアンチか?
まあ、人の嗜好は色々だしな。
次に行こう。
「他は『friends』がテーマの歯医者もあるよ」
「全く想像できないわね……
どんなの?」
「人間にとって、友人とも言うべき細胞や細菌の展示をしてる」
「あら、『働く細胞』みたいね」
「そこからインスピレーションを受けたって言ってたね。
その中でも力を入れているのは、歯周病菌や虫歯菌とか『悪い友達』とも言うべきやつだね」
「……は?」
「それらの悪い友達と付き合うとどうなるのか、人生がめちゃくちゃになる様子を丁寧に描いているんだ。
虫歯の痛みに苦しみながら死ぬ過程を丹念に描くことで、歯磨きや口内ケアの大切さを訴える作品だよ」
「なにそれこわい」
なんか怯えだした。
まるで小学生のようにぶるぶると震えている。
「やっぱり、歯医者は怖いところよ!
行かないわ!」
「でも辛いでしょ?
痛さのあまり、もがき苦しみながら死んでもいいの!?」
「く……
……でも歯医者には行かない。
これまでも、これからも」
『これ以上は話を聞かん』と決意を秘めた表情で、沙都子は手で『出て行け』とジェスチャーする。
こうなっては私の言うことは聞かないだろう。
作戦は失敗だ。
私は失意を胸に部屋を出る。
けれど諦めたわけではない。
たしかに失敗したが、そのことをしっかりと受け止め、次の策を考える。
たとえ嫌われようとも、絶対に虫歯の治療をさせる。
それが友人である沙都子に出来る唯一の事だ。
沙都子に、虫歯をこじらせて、もがき苦しみ死ぬような事には絶対にさせない。
君が悲鳴で紡ぐ歌は、ここで終わらせる。
私は強い決意を抱きつつ、次の作戦を考える。
今回の失敗の要因は、説得の相手が私だったことだ。
普段は合理的な判断の出来る沙都子も、私を前にすると意固地になってしまう。
ならば別の人間、沙都子を説得できる人間を連れてくるしかない。
私は記憶を頼りに、リビングへと向かう。
半分賭けであったが、そこには沙都子を説得できる人物――沙都子の母親がいた。
子供っぽい沙都子も、母親には素直だ。
きっとうまく説得してくれるだろう。
私は胸に期待を抱きながら、沙都子の母親に近づく。
「少しいいですか、沙都子のおばさん。
沙都子のことで、耳に入れたいことがあるのですけど」
そう言うと、おばさんは私に微笑んだ。
「ええ、構わないわよ。
でも言わなくても分かるわ。
虫歯の事よね」
「知っていたんですか!?」
「ええ、当然よ。
私の娘だもの」
「じゃあ、なんで沙都子を歯医者に連れて行かないんですか?
怖いから行きたくないと言ってますが、聞いちゃだめですよ」
「だって、ねえ……」
困ったように笑うおばさん。
まさか……
「おばさんも虫歯なんだけど――」
そう言って、おばさんは右頬を庇うように手のひらで覆う。
「――実は歯医者怖いの」
親子そろって歯医者嫌いかよ!
だが諦めない。
歯医者に行かないならば、歯医者の方から来てもらおう。
そう思った私は、『逃がしません、虫歯菌』がテーマの歯医者に連絡を取り、親子ともども強引に治療をさせるのであった。
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あとがき
先日、親知らずが虫歯になり、そのまま抜きました。
地獄の苦しみから解放され、晴れ晴れとした気持ちです。
きちんとハミガキをするとともに、歯が痛かったらすぐに歯医者に行きましょう。
そうしないと、これを読んでいるアナタも、眠れない夜を過ごすことになりますよ……
作者より
10/25/2025, 3:44:02 AM