89.『虹の架け橋🌈』『cloudy』『僕と一緒に』
『この先、虹の架け橋🌈
土産あり〼』
ポップなフォントで書かれている看板を見て、俺は深くため息を吐いた。
観光客向けに書かれているであろう看板は、一目見ただけで自治体の浮かれ具合がよく分かる。
観光資源の無い田舎では、この『虹の架け橋』は、きっと救いの神に見えるだろう。
だが事情を知っている者にとって、かなり頭の痛い事態であった……
この『虹の架け橋』は、1週間前に現れた消えない虹の事である。
雨上がりに現れたそれは、当初は何の変哲もない虹として受け止められたものの、虹がいつまで経っても消えないので話題になった。
この異常事態に、現地民がSNSに写真をあげ始めるものの、AIが疑われ大炎上。
真実派とAI派でレスバ合戦が始まり、SNSは大騒ぎになる。
あまりにも見苦しい騒動だったので詳細は避けるが、近年稀に見る大混乱であった。
そしてテレビでも特集が組まれ、日本中が知るところになった。
結果、多くの人がこの土地を訪れた。
ある者は好奇心から、ある者は真偽を確かめるために、ある者はビジネスチャンスを感じて……
まさに百年に一度の観光バブルであった。
だが、何事にも理由がある。
残念ながら、これは幻想的な虹などではない。
迷惑な宇宙人が残した、とんでもない置き土産なのである……
近年、宇宙人の間で地球観光が流行っていた。
『地球人に気づかれないように』という制限が課せられるものの、多くの宇宙人がこぞってやってきた。
というのも、宇宙人にとって地球は刺激的な星であり、見る物全てが新鮮だったのだ。
自分の故郷では見られない、自然現象の数々。
太陽の動き、雲の流れ、降雨、月の変化、海の満ち引き、雨上がりの虹……
地球にあるもの全てに心を動かされる宇宙人が多数現れ、すぐに地球はパワースポットとして人気を集めるようになったのである。
しかし、多くの観光客が訪れるという事は、自然とトラブルも起きやすくなるのは世の常である。
あるマナーの悪い宇宙人は思った。
『ここに自分が来た証拠を残そう。
せっかくだから、でっかい物を残しておこう』
かくして落書きするかのようなノリで、消えない虹が現れたのである。
これには、地球への旅行を管理する『銀河旅行連盟』が大慌て。
このままでは、地球人に宇宙人の存在がバレかねない。
連盟は早急に事態の収拾を図る必要に迫られた。
そこで、解決のために連盟の本部から俺が派遣された、という訳である。
とはいえ、地球はまだまだ知られていない事が多い。
予期せぬ事故を避けるため、現地に詳しい調査員とバディを組むことになったのだが……
「君が僕と一緒に調べる相手かい?」
現地調査員は少年だった。
陽の光を浴びてキラキラ輝く金髪、大空を思わせる青い目。
ともすれば女の子と見間違えそうな中性的な美貌。
そしてこの世の悪を何一つ知らないかのような、あどけない表情。
この世の物とは思えない程美しい少年であった。
「あんたが本部が言ってた助っ人か?」
「そうだよ。
『Cloudy』って呼んでね」
「『Cloudy』?」
「地球の言葉で『曇り』って意味さ」
そこで俺は悟った。
この『Cloudy』とかいう少年、どうやら地球の文化にドはまりしたらしい。
地球の言葉にちなんだ名前を呼べとは、正直引いた。
『Cloudy』の姿も、地球の資料で見た覚えがあるので、多分全身整形したのだろう。
俺にとっては狂気以外の何物でもないが、あるいはそうでもなければ、辺境の惑星で調査員など出来ないのかもしれない。
何事も適材適所だな、と俺は納得した。
「行くぞ、『Cloudy』。
すぐに仕事に取り掛かるぞ。
地球人の影響が計り知れんからな」
「ああ、いいとも。
ところで、原因は分かったのかい?」
「ああ、アレを引き起こした奴はすでに捕まえている。
尋問で吐かせた情報によると、巨大なプロジェクターらしい。
バッテリーで動く安物だってさ」
「安物てことは、数日で消えるのかい?」
「馬鹿を言え!
あの程度のプロジェクターなら、どんなに安物でも1万年は動くぞ。
それくらい知ってるだろ?」
「そんなに怒るなよ。
確認しただけじゃないか」
『Cloudy』は困った顔で肩をすくめた。
なんとなくムカついたので抗議しようと思ったが、その前に『Cloudy』が口を開く。
「てことは、消えるのを待つことは出来ないね」
「いいや、そこら辺が安物たる所以でな。
天気が曇りになると、勝手に電源がオフになる欠陥品だ」
「……なんで曇り?」
「なんか気圧がどうとか言ってたぞ。
メーカーがリコールで回収したんだが、どうやらまだ残っていたらしい」
「はあ、最近のテクノロジーは分からん」
そう言って『Cloudy』は、ため息をついた。
まるで年寄りのような事を言うやつだと思った。
「なんだ、思ってたより早く終わりそうだね」
「馬鹿を言うな!
地球人があんなに大勢いたら、落ち着いて装置を探すことが出来ないだろ。
まずは虹を消して、人払いをしてから捜索をするんだよ。
天候を変えるための装置は明日届くから、今日は設置場所の選定をだな……」
「そんなに待ってられないなあ」
「だからといって、他にすることもないぞ」
「まあ、僕に任せなよ」
『Cloudy』がそう言いながら、右手を天高く上げた。
その手の先には雲一つない青空が広がっていた
「なんだ曇りに出来るのか?」
俺は冗談めかすように言った。
しかし少年は怒るふうでもなく、ニヤリと笑うだけだった。
その表情を不審に思い、もう一度聞こうとした瞬間、空の向こうから雲が流れてくるのが見えた。
そして冷たい風が吹いたかと思うと、見る見るうちに曇り空になり、やがて虹は消えてしまった。
目の前で起こったことが信じられなかった。
天候を操るというのは、並大抵のことでは出来ない。
巨大な設備、多くのエネルギー、そして人員。
たくさんの手間をかけて、初めて天候を変えることが出来る。
にもかかわらず、目の前の少年はやってのけた。
特別な設備もなく、その小さな体で……
「お前、いったい何者……」
そう聞こうとした時、通信機から着信音が聞こえた。
「はい、もしも――」
『おい、お前、どこにいる!?
調査員から、いつまで経っても来ないと連絡があったぞ』
「何を言ってる?
調査員ならそこに……」
そう言いながら『Cloudy』に目線を向けると、彼はいなかった。
驚いて周囲を見るが、どこにもいない。
忽然と姿を消してしまった。
『とにかく、調査員がそっちに向かってる。
運よく虹は消えてるから、手分けして探せ。
いいな!』
そう言うと、通信は切れてしまった。
「なんだったんだ……」
俺は今もなお信じられない気持ちでいた。
目の前で起こった不思議な出来事。
こんなものを報告しても、きっと信じてもらえないに違いない。
理解の範疇を越えて、なにも分からなかった。
なにもかも投げ出して叫び出したかったが、それを一抹の理性が引きとめる。
「と、とりあえず出来る事からしよう!
まずは合流だな――ん?」
足を踏み出そうとして、目の前に小さな祠があることに気づいた。
地元の人たちに大切にされているのか、隅々まで手入れが行き届いていた。
「これは……
たしかカミサマを祀る箱だったか……?」
カミサマ――自然を超越する存在。
時に豊作を約束して人々を慈しみ、時に嵐を呼んで制裁を与えると言う。
地球人の守護者ともいえる存在である。
だが地球人は、カミサマを信じていない。
我々の調査でも、カミサマはおとぎ話の中にしか存在せず、ただの空想だと結論つけた。
だが先刻の『Cloudy』の事が思い出される。
身一つで天候をあやつる能力、あれはまるで……
「はは、まさかね」
カミサマなんて、非論理的。
存在するわけがない。
「多分、天気予報が間違っていて、気圧の関係で幻覚でも見たんだよ、きっと」
俺は視線を背中に感じながら、逃げるように合流地点に向かうのであった。
88.『もしも世界が終わるなら』『秋色』『既読がつかないメッセージ』
いつまでも既読がつかないメッセージを見て、思わず舌打ちする。
友人のカヨコにメッセージを送って30分、何も反応がない。
全く来る気配の無い友人に、私はイライラしていた……
カヨコは遅刻の常習犯だ。
一度も時間通りに来たことがない。
今年のクラス替えで出会った頃はその事を知らず、ちょくちょく待ち合わせをしていたのだが、その度に待ちぼうけを食らわされていた……
一か月経つ頃にはさすがにヤバさを感じ始め、最近はまったく約束をしていない。
どうせ守れないからだ。
それでも今回待ち合わせをしたのは、カヨコが必死にお願いをしてきたから。
私の週末の予定を聞いて、カヨコが『一緒に行きたい』と言ったのが事の始まり。
最初は断固拒否していたのだけど、カヨコがどうしてもと懇願してくるので、最終的に私が折れた。
必死さに心を動かされ、約束をしたけれどご覧の通り。
絶対大丈夫と言ったくせに、結局来れてない。
あいつ、いつか絶対殺してやる。
私は怒りが込み上げてくるのを堪えながら、スマホから視線を上げる。
視界に入って来たのは、秋色に染まった商店街の、その一角。
秋の味覚フェアの幟が立っている定食屋だ。
この定食屋では、フェアの期間中、『秋色定食』なるものが食べられる。
キノコ、カボチャ、クリ、サンマ、新米……
旬の食材をふんだんに使ったこの定食は、とても美味しいと評判だ。
評判を聞きつけてやって来たグルメ評論家も『もし世界が終わるなら、最後に食べたい一品』と舌鼓を打つほどの完成度の高さ。
そして、学生にも優しい値段設定。
毎年多くの人が訪れ、あっという間に完売する。
ああ、説明していたら涎が出てきた。
私も食べたいと思っていたのだが、いかんせん部活が忙しい。
見計らったかのように大会や試合があり、毎年涙を呑んでいた。
しかし今年はなにも用事がない。
私はついに、究極の美食を食べることが出来るのだ!
けれど私は店の前で足踏みしていた。
いくらカヨコが遅刻の常習犯であり、そしてクズだからと言って、一人で店に入るわけにはいかない。
約束は約束、破ってはいけない。
だがカヨコを待っている間にも、一人また一人とレストランの中へと入っていく。
ここに来てから、いったい何人の客が店に入ったのだろう……
さすがに全員が秋色定食を注文したとは思えないが、ここままだと私たちが食べる前に売り切れになってしまう。
(このままでは売り切れるのでは?)
私が不安に駆られていると、中から一人の店員が出て来た。
「秋色定食、残り十セットでーす。
食べたい人はお早めに!」
残酷な事実を告げる店員。
そして未だに既読のつかないメッセージ。
私は選択を迫られていた。
友を見捨てるべきか……
それとも秋色定食を諦めるべきか……
本格的に悩み始めた、まさにその時である。
「あ、来てんじゃん」
とカヨコの声。
やっと来たのか!
怒りを込めて怒鳴りつけようとした時、私はカヨコの姿を見て言葉を失ってしまった。
カヨコが店の制服を着ていたからだ。
店員姿のカヨコは、凛々しい雰囲気を漂わせており、とても同一人物だと思わなかった。
あのアホ面のカヨコが、こうも出来る女に見えるとは。
これが馬子にも衣裳というやつか……
勝手に納得していると、カヨコは膨れ面で私を睨む。
「もー、時間厳守って言ったじゃん。
何してたのさ」
「そ、それは私のセリフよ!
なんで制服着ているの?」
「言ってなかったっけ?
この店、私の親が経営しているの。
私はそのお手伝い」
「聞いてない……」
そう言いつつ、私は昨日のカヨコの様子を思い出していた。
自他ともに認める遅刻魔のカヨコが、『絶対遅れない!』と断言する場面を……
そして私は、ある答えを導き出す。
つまりあれだ。
ここは自分の家でもあるから、遅刻しようにも絶対遅刻できないと、そういうことか?
種を明かせば、なんて単純なロジック。
私は答えを得て、胸のつかえがとれてすっきりした。
……早く言えよ。
「お父さーん、友達来たから休憩するね」
新たな怒りが湧き始めた私を尻目に、カヨコは店内に向かって叫ぶ。
そして怒っている私に気づかず、カヨコはにこりと笑った。
「ささ、早く入って。
私たちの分は確保してあるから。
それにしても……」
思わせぶりに私に微笑みかけるカヨコ。
「いっつも遅刻するなって言う癖に、今日は大遅刻だね。
いよっ、二代目遅刻王!」
「うるせえ」
どや顔で言うカヨコの頭を、私は容赦なく叩くのだった。
87.『センチメタル・ジャーニー』『答えは、まだ』『靴紐』
靴紐が好きだ。
世界で一番靴紐が好きだ。
好きで好きでたまらなくて、一時たりとも離れたくない。
外出している時はもちろんのこと、室内にいる時も靴から外して、常に身に着けている。
毎日よく洗い、寝る時も腕に巻き付けて眠っている。
俺たちは運命共同体。
俺の人生は靴紐と共にあり、靴紐のためにある。
命よりも大切な物、それが靴紐だ。
以前、付き合っていた彼女に言われたことがある。
「私と靴紐、どっちが大事なの?」
俺は答えた。
「靴紐」
フラレた。
納得いかなかった。
彼女は、俺が靴紐愛好家だと知って付き合っていた。
なのに、なにかにつけて靴紐を下に見るような発言をし、靴紐の肩を持つと機嫌が悪くなる。
意味が分からない。
そんな彼女に辟易していたが、自分から別れを切り出すなんて、考えもしなかった。
彼女は、世界で二番目に大切だったものだからだ。
だからこそ、フラれたことは自分にとってショックだった。
フラれてからは、魂が抜けたように無気力になった。
仕事も手に付かず、心の中はずっと彼女の事ばかり。
何を間違えたのだろうと、自責の念に駆られていた。
そんな自分を見かねてか、同僚が『有休を取って傷心旅行に出ると良い』と言った。
何もする気が起きなかった自分は、同僚の言葉に従い、旅に出ることにした。
同僚が貸してくれた『センチメタル・ジャーニー』を聞きながら、電車に揺られてあちこちを旅した。
だが旅は過酷だった。
心を休めるどころか、一秒たりとも気の抜けない旅であった。
もしも靴紐がいなかったら、俺は10回ほど死んでるだろう。
罠だらけの古代遺跡。
本でしか読んだことのない、ゴブリンの巣。
理解できない技術で作られた未来都市。
刺激的で、退屈しない旅……
心が癒えたとは言い難いが、少なくとも彼女のことは気にならなくなった。
そして傷心旅行3か月目、空飛ぶ城から脱出して大地に降り立った時のこと。
唐突に空が暗くなり驚いて見上げると、そこには未確認飛行物体――UFOがあった。
そしてUFOが目の前に着陸したかと思うと、その中から宇宙人が出てきた。
「我々は宇宙人だ。
地球を征服しに来た」
なんてことだ。
今までもとんでもない事に巻き込まれた自分であるが、まさか宇宙人がやって来るとは……
突然の事態に呆然としていると、宇宙人がこちらを見た。
「だが、我々も無慈悲ではない。
お前が持っている靴紐を献上すれば、世界征服は諦める。
まさか迷うことはないよな。
世界と靴紐、どっちが大切だ?」
僕は答えた。
「靴紐」
宇宙人はブチギレた。
「よし、世界征服の手始めにお前を殺そう」
宇宙人は、子供向けの漫画でしか見たことないような光線銃をこちらに向ける。
そして宇宙人が引き金を引こうとした、まさにその瞬間、奇跡が起こった。
靴に結ばれた靴紐がほどけ、シュルシュルと伸び、宇宙人に巻き付いたのだ。
右足の靴紐と左足の靴紐、二本の靴紐が次々に宇宙人たちを締め上げていき、あっというまに宇宙人を制圧してしまった。
地球は救われたのだ。
辺りが静かになった後、靴紐は頭(?)をこちらに向けた。
「ご主人様、ご無事で?」
「マスター、ご無事で?」
二本の靴紐がしゃべった。
とてつもなく驚いたが、自分に恐怖は無かった。
なぜならば、そこにいるのは愛すべき靴紐だからだ。
「ありがとう、助かったよ」
「いいえ、滅相もありません。
ご主人様が無事のためなら何でもします」
「私たちがこうして動けるのは、ひとえにごマスターの愛のおかげ。
マスターには、返しきれない恩があります」
二本の靴紐が、交互に話しかけてくる。
愛する靴紐たちと、いつの日か言葉を交わすことが出来ないだろうか……
そんな事を夢想する日々だったが、まさか夢が叶う日が来ようとは。
幸せのあまり死にそうだった。
「ご主人様、どうしても最初に聞きたいことがあるのです」
「マスター、これは取るに足らない質問と思われるかもしれませんが、私たちにとっては大切な質問です」
幸せに浸っていると、二本の靴紐が話し始めた。
なんだろうと、姿勢を正して聞く
「ご主人様、私たちの今後を左右する重大な質問です」
「マスター、どうか誤魔化さずに素直におっしゃってください」
「ああ、分かった。
何でも聞いてくれ」
そして二本の靴紐は頷くと、声を揃えて聞いてきた。
「「右足の靴紐と、左足の靴紐。
どっちが好き?」」
答えは、まだ出ていない。
おしまい
『やっと雨が止んだね』
スマホが震えて、恋人のリオからのメッセージを知らせる。
返信しようとスマホを手に取るが、アプリを開く前にリオから新しいメッセージが届いた。
『晴れてきた。
明日は絶好のデート日和だね』
続けて送られてくるメッセージに、思わず頬が緩む。
顔文字はついていないけれど、リオもきっと笑顔に違いない。
向こうにも僕が笑っているのはバレているだろうと思いつつ、僕は返事を送った。
『だからこそ残念だ。
明日は会えないんだから……』
僕たちは遠距離恋愛だ。
お互いの進学した大学が遠く、家まで電車で4時間。
さすがに気軽には会えない距離だが、恋に距離は関係ない。
月に一度は会うようにしていた。
けれど今月のデートは中止になった。
台風の接近で線路ががけ崩れで埋まり、電車が動かなくなってしまったのだ。
どんなに忙しくても必ず会うようにしている僕たちだが、さすがに自然災害の前にはどうしようもない。
偶然だろうけど、神様からの嫌がらせかと思ってしまう。
けれど、このくらいでは僕たちの仲を引き裂けない。
会えない空白の時間が、僕たちの絆をより深める。
たとえ神様でも、僕たちの仲は引き下げないのだ!
でも、ふとした瞬間に不安になることがある。
僕たちは、本当は結ばれる運命ではないのでは、と……
そもそも僕たちは、同じ大学に行く予定だった。
けれどお互いの夢のためには、どうしても違う大学に通う必要があった。
僕たちは話し合いの場を持ち、時には喧嘩したが、最終的には違う大学に通うことになった。
そこまでは良い。
月に一度は会えるのだから。
でも4年後、大学を卒業したらどうなるのだろう……?
さすがに同じ会社に勤めることは出来ないし、お互いの入りたい会社がさらに遠く離れていたら……
転勤だってあり得る。
僕たちの未来には障害が多い。
どれだけ苦難を乗り越えても、最後に別れるのではないか……
そんな不安がぬぐい切れない。
それならいっそ、今別れた方が別れた方が、お互いにとって幸せではないか――
そんな事を考えてしまう。
『ねえ、月を見て。
とってもきれい』
リオから新しいメッセージ。
不安を押し殺しつつ、窓の外を覗いた。
『台風が過ぎ去って、空気が綺麗になったのかな。
今まで見た月の中で一番きれいかも』
窓の外には、特に変わり映えの無い月があった。
いつもと同じような気もするのだが、リオの言葉を聞くと今日は一段ときれいな気もするから不思議だ。
「これも愛の成せる技か」と感心していると、再びリオからメッセージが来た。
『違う場所にいるのに、おんなじものを見てるって不思議。
こうして見ると、一緒にいるみたいだね』
まるで僕の心の中を見透かしたかのようなメッセージにドキリとする。
そして僕の返信を待たず、リオは新たなメッセージを送って来た。
『君と見上げる空……🌙
絶対忘れないよ!』
こちらが恥ずかしくなるようなメッセージを送ってくるリオ。
バカップルと呼ばれても仕方がないセリフに、思わず身もだえしてしまう。
そして送った本人も、顔を赤くして悶えているに違いない。
リオはそういうやつだ。
けれど、リオがこういう事を言う時、たいていは僕に何かを言って欲しい時だ。
もしかしたら、リオも僕と同じ悩みを抱えているのかもしれない。
ならば僕は、彼女を安心させるため、気の利いた一言を言うしかあるまい。
けれど僕は気の利いたセリフを言うのが苦手だ。
狙いすぎて滑ったことが何度もある。
正直気乗りしないけれど、そうも言っていられない。
大事なリオが落ち込んでいるんだ。
逆に笑わせてリフレッシュさせるくらいの気概でいこう。
僕は頭をフル回転させ、浮かんだフレーズをメッセージに打ち込む。
86.『台風が過ぎ去って』『空白』『君と見上げる月……🌙』
『月が綺麗ですね』
……少し狙いすぎたかもしれない。
今見ている月と夏目漱石のエピソードを絡めた返事なのだが、送った後で後悔した。
これはもはやプロポーズでは?
確かに結婚は考えているけど、リオもこのタイミングで言われるとは夢にも思っていないだろう。
早まったかもしれない……
その証拠に、既読が付くも一向に返信がない。
やらかしたか?
あまりに空気の読まないプロポーズに、きっと怒ったのだろう。
百年の恋も、不用意な一言で冷めることがあると聞く。
今からでも謝罪すべきではないのか……
そんな不安が頭がいっぱいになっていると、スマホが震えた。
『来週の予定を開けといて』
もしや、別れる前提の話し合いか?
内心ヒヤヒヤしていると、リオからメッセージの着信。
神に祈るような気持ちで、メッセージを見る。
『親に挨拶しないとだ。
これからはずっと一緒だね』
85.『フィルター』『Red、Green、Blue』『ひとりきり』
皆さんは『ちりとてちん』、あるいは『酢豆腐』とも呼ばれるこの食べ物をご存知だろうか……
これは落語に出てくる架空の料理。
カビが生えて腐った豆腐に、調味料を混ぜて食べると言う、とんでもない代物だ。
もちろん、こんなものが美味しいはずもなく、知ったかぶりする奴がまんまと食べさせられるという話だ。
オチも『ちょうど腐った豆腐の味』『酢豆腐は一口に限る(それ以上は食べれない)』というもの。
かなりマズイ食べ物として表現されている……
しかし、私はこうも思うのだ。
本当に不味いのだろうかと……
『不味いに決まってるだろ!』と言われるかもしれないが、私はその意見に異議を挟ませてもらう。
なぜならば、食べたのは落語の中の住人のものであり、実際に現実世界で食べた人の感想ではない。
『不味いに違いない』という想像上の感想なのだ。
私はコレが、どうしても許せない。
私はグルメ評論家だ。
この界隈ではちょっと名の知れた有名人である。
そんな自分が、食べたことがない食べ物を不味いと断言する?
ありえない!
私は疑問を解消するために、実際に食べてみることにした。
幸いにして、どんな料理かは分かっている。
夏場に放置して腐らせてしまった豆腐に、梅干しとワサビなどを入れたもの。
用意するのは簡単だった。
しかし一つだけ計算外の事があった。
この料理、豆腐にカビを生やす過程で、とんでもなく臭いのである。
あまりにも臭すぎて、今ガスマスクを着けているのだが、フィルター越しにも仄かに漂う腐敗臭。
私は既に後悔し始めていた……
この時点でやばいが、それでも食べないわけにはいかない。
グルメ評論家を自称する以上、目の前の食べ物を食べないと言う選択肢はない。
それに臭い物でも美味しいものはたくさんある。
『ちりとてちん』も意外な化学変化が起きて、美味しいのかもしれない
私は吐き気を堪えつつ、梅干しとワサビを入れて混ぜ合わせる。
原作では、臭いをごまかすため入れるらしいが、カラフルになってさらに毒々しくなってしまった
Red、Green、Blue
青色の素材なんて入れてないのに、なんか浮き上がって来た。
すごく怖い……
こんなことなら、誰かにいてもらえばよかった。
一応友達を呼んだのだけど、臭いを嗅いだ途端、急用を思い出し帰ってしまった。
今はひとりきり。
こんなに心細いのは初めてだ。
といっても、いつまでもビビってるわけにはいかない。
こんなところで躓いていたら、グルメを極めることはできないだろう。
グルメは度胸!
勇気を出して口に入れる。
さて、そのお味は――
「うん、食べるまでもなく不味いね」