87.『センチメタル・ジャーニー』『答えは、まだ』『靴紐』
靴紐が好きだ。
世界で一番靴紐が好きだ。
好きで好きでたまらなくて、一時たりとも離れたくない。
外出している時はもちろんのこと、室内にいる時も靴から外して、常に身に着けている。
毎日よく洗い、寝る時も腕に巻き付けて眠っている。
俺たちは運命共同体。
俺の人生は靴紐と共にあり、靴紐のためにある。
命よりも大切な物、それが靴紐だ。
以前、付き合っていた彼女に言われたことがある。
「私と靴紐、どっちが大事なの?」
俺は答えた。
「靴紐」
フラレた。
納得いかなかった。
彼女は、俺が靴紐愛好家だと知って付き合っていた。
なのに、なにかにつけて靴紐を下に見るような発言をし、靴紐の肩を持つと機嫌が悪くなる。
意味が分からない。
そんな彼女に辟易していたが、自分から別れを切り出すなんて、考えもしなかった。
彼女は、世界で二番目に大切だったものだからだ。
だからこそ、フラれたことは自分にとってショックだった。
フラれてからは、魂が抜けたように無気力になった。
仕事も手に付かず、心の中はずっと彼女の事ばかり。
何を間違えたのだろうと、自責の念に駆られていた。
そんな自分を見かねてか、同僚が『有休を取って傷心旅行に出ると良い』と言った。
何もする気が起きなかった自分は、同僚の言葉に従い、旅に出ることにした。
同僚が貸してくれた『センチメタル・ジャーニー』を聞きながら、電車に揺られてあちこちを旅した。
だが旅は過酷だった。
心を休めるどころか、一秒たりとも気の抜けない旅であった。
もしも靴紐がいなかったら、俺は10回ほど死んでるだろう。
罠だらけの古代遺跡。
本でしか読んだことのない、ゴブリンの巣。
理解できない技術で作られた未来都市。
刺激的で、退屈しない旅……
心が癒えたとは言い難いが、少なくとも彼女のことは気にならなくなった。
そして傷心旅行3か月目、空飛ぶ城から脱出して大地に降り立った時のこと。
唐突に空が暗くなり驚いて見上げると、そこには未確認飛行物体――UFOがあった。
そしてUFOが目の前に着陸したかと思うと、その中から宇宙人が出てきた。
「我々は宇宙人だ。
地球を征服しに来た」
なんてことだ。
今までもとんでもない事に巻き込まれた自分であるが、まさか宇宙人がやって来るとは……
突然の事態に呆然としていると、宇宙人がこちらを見た。
「だが、我々も無慈悲ではない。
お前が持っている靴紐を献上すれば、世界征服は諦める。
まさか迷うことはないよな。
世界と靴紐、どっちが大切だ?」
僕は答えた。
「靴紐」
宇宙人はブチギレた。
「よし、世界征服の手始めにお前を殺そう」
宇宙人は、子供向けの漫画でしか見たことないような光線銃をこちらに向ける。
そして宇宙人が引き金を引こうとした、まさにその瞬間、奇跡が起こった。
靴に結ばれた靴紐がほどけ、シュルシュルと伸び、宇宙人に巻き付いたのだ。
右足の靴紐と左足の靴紐、二本の靴紐が次々に宇宙人たちを締め上げていき、あっというまに宇宙人を制圧してしまった。
地球は救われたのだ。
辺りが静かになった後、靴紐は頭(?)をこちらに向けた。
「ご主人様、ご無事で?」
「マスター、ご無事で?」
二本の靴紐がしゃべった。
とてつもなく驚いたが、自分に恐怖は無かった。
なぜならば、そこにいるのは愛すべき靴紐だからだ。
「ありがとう、助かったよ」
「いいえ、滅相もありません。
ご主人様が無事のためなら何でもします」
「私たちがこうして動けるのは、ひとえにごマスターの愛のおかげ。
マスターには、返しきれない恩があります」
二本の靴紐が、交互に話しかけてくる。
愛する靴紐たちと、いつの日か言葉を交わすことが出来ないだろうか……
そんな事を夢想する日々だったが、まさか夢が叶う日が来ようとは。
幸せのあまり死にそうだった。
「ご主人様、どうしても最初に聞きたいことがあるのです」
「マスター、これは取るに足らない質問と思われるかもしれませんが、私たちにとっては大切な質問です」
幸せに浸っていると、二本の靴紐が話し始めた。
なんだろうと、姿勢を正して聞く
「ご主人様、私たちの今後を左右する重大な質問です」
「マスター、どうか誤魔化さずに素直におっしゃってください」
「ああ、分かった。
何でも聞いてくれ」
そして二本の靴紐は頷くと、声を揃えて聞いてきた。
「「右足の靴紐と、左足の靴紐。
どっちが好き?」」
答えは、まだ出ていない。
おしまい
『やっと雨が止んだね』
スマホが震えて、恋人のリオからのメッセージを知らせる。
返信しようとスマホを手に取るが、アプリを開く前にリオから新しいメッセージが届いた。
『晴れてきた。
明日は絶好のデート日和だね』
続けて送られてくるメッセージに、思わず頬が緩む。
顔文字はついていないけれど、リオもきっと笑顔に違いない。
向こうにも僕が笑っているのはバレているだろうと思いつつ、僕は返事を送った。
『だからこそ残念だ。
明日は会えないんだから……』
僕たちは遠距離恋愛だ。
お互いの進学した大学が遠く、家まで電車で4時間。
さすがに気軽には会えない距離だが、恋に距離は関係ない。
月に一度は会うようにしていた。
けれど今月のデートは中止になった。
台風の接近で線路ががけ崩れで埋まり、電車が動かなくなってしまったのだ。
どんなに忙しくても必ず会うようにしている僕たちだが、さすがに自然災害の前にはどうしようもない。
偶然だろうけど、神様からの嫌がらせかと思ってしまう。
けれど、このくらいでは僕たちの仲を引き裂けない。
会えない空白の時間が、僕たちの絆をより深める。
たとえ神様でも、僕たちの仲は引き下げないのだ!
でも、ふとした瞬間に不安になることがある。
僕たちは、本当は結ばれる運命ではないのでは、と……
そもそも僕たちは、同じ大学に行く予定だった。
けれどお互いの夢のためには、どうしても違う大学に通う必要があった。
僕たちは話し合いの場を持ち、時には喧嘩したが、最終的には違う大学に通うことになった。
そこまでは良い。
月に一度は会えるのだから。
でも4年後、大学を卒業したらどうなるのだろう……?
さすがに同じ会社に勤めることは出来ないし、お互いの入りたい会社がさらに遠く離れていたら……
転勤だってあり得る。
僕たちの未来には障害が多い。
どれだけ苦難を乗り越えても、最後に別れるのではないか……
そんな不安がぬぐい切れない。
それならいっそ、今別れた方が別れた方が、お互いにとって幸せではないか――
そんな事を考えてしまう。
『ねえ、月を見て。
とってもきれい』
リオから新しいメッセージ。
不安を押し殺しつつ、窓の外を覗いた。
『台風が過ぎ去って、空気が綺麗になったのかな。
今まで見た月の中で一番きれいかも』
窓の外には、特に変わり映えの無い月があった。
いつもと同じような気もするのだが、リオの言葉を聞くと今日は一段ときれいな気もするから不思議だ。
「これも愛の成せる技か」と感心していると、再びリオからメッセージが来た。
『違う場所にいるのに、おんなじものを見てるって不思議。
こうして見ると、一緒にいるみたいだね』
まるで僕の心の中を見透かしたかのようなメッセージにドキリとする。
そして僕の返信を待たず、リオは新たなメッセージを送って来た。
『君と見上げる空……🌙
絶対忘れないよ!』
こちらが恥ずかしくなるようなメッセージを送ってくるリオ。
バカップルと呼ばれても仕方がないセリフに、思わず身もだえしてしまう。
そして送った本人も、顔を赤くして悶えているに違いない。
リオはそういうやつだ。
けれど、リオがこういう事を言う時、たいていは僕に何かを言って欲しい時だ。
もしかしたら、リオも僕と同じ悩みを抱えているのかもしれない。
ならば僕は、彼女を安心させるため、気の利いた一言を言うしかあるまい。
けれど僕は気の利いたセリフを言うのが苦手だ。
狙いすぎて滑ったことが何度もある。
正直気乗りしないけれど、そうも言っていられない。
大事なリオが落ち込んでいるんだ。
逆に笑わせてリフレッシュさせるくらいの気概でいこう。
僕は頭をフル回転させ、浮かんだフレーズをメッセージに打ち込む。
86.『台風が過ぎ去って』『空白』『君と見上げる月……🌙』
『月が綺麗ですね』
……少し狙いすぎたかもしれない。
今見ている月と夏目漱石のエピソードを絡めた返事なのだが、送った後で後悔した。
これはもはやプロポーズでは?
確かに結婚は考えているけど、リオもこのタイミングで言われるとは夢にも思っていないだろう。
早まったかもしれない……
その証拠に、既読が付くも一向に返信がない。
やらかしたか?
あまりに空気の読まないプロポーズに、きっと怒ったのだろう。
百年の恋も、不用意な一言で冷めることがあると聞く。
今からでも謝罪すべきではないのか……
そんな不安が頭がいっぱいになっていると、スマホが震えた。
『来週の予定を開けといて』
もしや、別れる前提の話し合いか?
内心ヒヤヒヤしていると、リオからメッセージの着信。
神に祈るような気持ちで、メッセージを見る。
『親に挨拶しないとだ。
これからはずっと一緒だね』
85.『フィルター』『Red、Green、Blue』『ひとりきり』
皆さんは『ちりとてちん』、あるいは『酢豆腐』とも呼ばれるこの食べ物をご存知だろうか……
これは落語に出てくる架空の料理。
カビが生えて腐った豆腐に、調味料を混ぜて食べると言う、とんでもない代物だ。
もちろん、こんなものが美味しいはずもなく、知ったかぶりする奴がまんまと食べさせられるという話だ。
オチも『ちょうど腐った豆腐の味』『酢豆腐は一口に限る(それ以上は食べれない)』というもの。
かなりマズイ食べ物として表現されている……
しかし、私はこうも思うのだ。
本当に不味いのだろうかと……
『不味いに決まってるだろ!』と言われるかもしれないが、私はその意見に異議を挟ませてもらう。
なぜならば、食べたのは落語の中の住人のものであり、実際に現実世界で食べた人の感想ではない。
『不味いに違いない』という想像上の感想なのだ。
私はコレが、どうしても許せない。
私はグルメ評論家だ。
この界隈ではちょっと名の知れた有名人である。
そんな自分が、食べたことがない食べ物を不味いと断言する?
ありえない!
私は疑問を解消するために、実際に食べてみることにした。
幸いにして、どんな料理かは分かっている。
夏場に放置して腐らせてしまった豆腐に、梅干しとワサビなどを入れたもの。
用意するのは簡単だった。
しかし一つだけ計算外の事があった。
この料理、豆腐にカビを生やす過程で、とんでもなく臭いのである。
あまりにも臭すぎて、今ガスマスクを着けているのだが、フィルター越しにも仄かに漂う腐敗臭。
私は既に後悔し始めていた……
この時点でやばいが、それでも食べないわけにはいかない。
グルメ評論家を自称する以上、目の前の食べ物を食べないと言う選択肢はない。
それに臭い物でも美味しいものはたくさんある。
『ちりとてちん』も意外な化学変化が起きて、美味しいのかもしれない
私は吐き気を堪えつつ、梅干しとワサビを入れて混ぜ合わせる。
原作では、臭いをごまかすため入れるらしいが、カラフルになってさらに毒々しくなってしまった
Red、Green、Blue
青色の素材なんて入れてないのに、なんか浮き上がって来た。
すごく怖い……
こんなことなら、誰かにいてもらえばよかった。
一応友達を呼んだのだけど、臭いを嗅いだ途端、急用を思い出し帰ってしまった。
今はひとりきり。
こんなに心細いのは初めてだ。
といっても、いつまでもビビってるわけにはいかない。
こんなところで躓いていたら、グルメを極めることはできないだろう。
グルメは度胸!
勇気を出して口に入れる。
さて、そのお味は――
「うん、食べるまでもなく不味いね」
84.『誰もいない教室』『雨と君』『仲間になれなくて』
1日の業務が終わり、夕暮れ時。
職員室で明日の授業の準備をしていると、先輩から声をかけられた。
「今、暇だよな?
校内の戸締まりを確認してこい」
『今忙しいんですけど』という言葉をぐっと飲み込み、笑顔で頷く。
教師というのは体育会系の世界、先輩の言うことには逆らうことはできない。
恨みがましい視線を先輩に送りながら、冷房の利いた職員室に別れを告げた。
涼しかった職員室とは違い、校内はまだ暑かった。
9月になって涼しくなったとはいえ、校内が蒸すように熱い。
思わず地球温暖化に思いを馳せるが、一教員である自分に何ができるのであろう。
自分の無力さを噛みしめながら、見回りを始めようとした、まさにその時だった。
コツン
誰もいない教室から音がした。
すでに下校時間は過ぎており、生徒は一人もいない。
なのに物音がするのは、どういうわけか?
正体を確認する前に、頭の中でシミュレーションをする。
①ほかの生徒たちと仲間になれなくて、居場所を探している『不良生徒』
②この学校に眠る徳川埋蔵金をさがしにやって来た『不審者』
③学校で運動会を始めた『幽霊』
……うん、ろくな選択肢が無いね
正直聞かなかったことにしたいけれど、聞いてしまった以上無視するわけにも行かない。
意を決して物音がした教室へと向かう。
意を決して扉を開けると、そこにいたのは――
④開けっ放しの窓から侵入した河童
だった。
って、おい!?
いや、なんで河童!?
これ、どうすればいいの?
こんなの学校で教えてもらわなかったよう……
目の前の光景にオロオロしていると、河童が苦しそうに呻いた。
「み、水をくれ」
ドサリと河童が前のめりに倒れる。
どうやら河童は、調子が悪いらしい。
助けるかどうか迷ったが、困ってる人(?)を見捨てることは出来ない。
恐る恐る近づいて、熱中症対策で持っていた水筒を差し出す。
「どうぞ」
すると、河童はひったくるように水筒を奪い、器用に水筒の蓋を開け――
――頭から被った。
一瞬『飲まんのかい!』とツッコミそうになったが、よく考えれば相手は河童、人間の身体とは仕組みが違う。
河童の頭には皿があり、それが渇けば死んでしまうと聞いたことがある。
それを考えれば、頭から水を被るのもやむを得ないし、責めるのは酷というものであろう。
河童の周りがビショビショになっている事を除けばだが……
「助かった。
命を助けて頂いたことについて、礼を言わせていただく」
そう言って河童は恭しく頭を下げた。
最初見た時と違い、今の河童は溢れんばかりの生気に満ちていた。
命が助かったというのは、嘘ではないようだ。
「助けてもらった礼をしたい。
何でも言ってくれ」
「お礼、ですか……?」
私は困ってしまった。
助けてもらったので、恩返しがしたい。
その思考は理解できる。
しかし、私はただの一般庶民。
神様ならともかく、河童に叶えてもらうような願いなんて持ち合わせていない。
どうしようかと考えて、適当に流す事に決めた。
「いえ、気にしないでください。
困った時はお互い様ですよ」
そう言って、営業スマイルをする。
これでウヤムヤに出来ればよかったのだが、河童は納得いっていないようで、しかめっ面をしていた。
「そうはいかない。
礼をしないと、恩知らずと笑われてしまう」
「そう言われても……」
「何かないか?
今困っていること」
「困っていることてすか……」
今まさに河童に絡まれて困っているんですけれど。
さすがに口には出せないけれど、さてどうしたものか……
そんな事を考えつつ、頬を伝う汗を拭った時あることを閃いた。
「そうだ、最近暑すぎるんですよね。
数日でいいので涼しくできませんか?」
残暑の厳しさを思い出しながら聞いてみる。
流石に河童がどうこう出来るとは思わないが、聞くだけならタダだ。
それに望みが叶えられないと分かれば、案外引いてくれるかもしれない。
だが私の予想に反し、河童はニンマリと笑った。
「承知した」
河童は上空に手を突き出したかと思うと、突然奇声を上げ始めた。
「カーッパカパカパカッパ、カパパ、カッパッパ」
笑うべきか怒るべきか。
悪い冗談みたいな河童の呪文を聞いて、またしても混乱している私。
非難を込めた視線を送るが、河童は臆することなく言った。
「外を見てみろ」
この河童、実はとんでもない奴だったらしい。
河童の言葉に従い外を見ると、さっきまで雲一つなかったのに雨が降っていた。
「さすがに気温を下げることはできん。
しかし、雨を降らせればいくばくか涼しくなるであろう」
最初はしとしと降っていた雨は、すぐにザアザア降りになり、夏の暑さを洗い流していった。
この調子なら、二、三日は涼しく過ごせるはず。
期待していなかったのだが、ここまでしてくれるとは予想外だ。
感謝を伝えようと振り返るが、そこには誰もいない。
最初からなにも無かったかのように、全ての痕跡が消えていた
さっきの事は夢だったのだろうか……
しかし河童がぶちまけた水筒の中身が、それは本当にあった事だと教えてくれる。
「サンキュー、河童」
窓の外を見ながら、河童に向かって呟く。
おそらく聞こえていないだろうけど、素直に感謝を伝えたい気持ちだった。
こんな気持ちになったのは何年ぶりだろうか。
夏の暑さだけでなく、私の心の中の澱みまで洗い流すなんて、あの河童は只者ではない。
今日経験した、雨と君の事は忘れずに覚えておくことにしよう。
そうすれば、辛い事があってもきっと素直なままでいられるから。
去ってしまった河童に思いを馳せていると、誰かが走ってくる気配がした。
「あ、こんなところでサボってる!」
先輩が鬼のような形相で睨んでいた。
「窓を閉めといてって言ったじゃない!
あーあ、雨が入って来てる……」
「すいません……」
「謝る暇があるなら窓を閉める!」
「はいいいい」
先輩に叱責され、慌てて教室の窓を閉める。
「まったく、アナタはすぐサボるんだから……
ほら、そっちも開いてる」
「すぐに閉めます!」
先輩の怒号を背に、次の窓へと走り出す。
なんでこうなった?
さっきまで涼しくなって喜んでいたのに、走り回ってもう汗だくだ。
こんなはずじゃなかったのに……
涼しい校内を、ゆっくり見回りしたかっただけなのに。
こうなりゃヤケだ。
とっとと終わらせて、とっとと帰ろう。
「これで最後!」
最期の窓を閉める時、一瞬だけ河童が見えた。
雨の中、子供の様にはしゃぐ河童を見て、私はあることに気づいた。
「あ、傘持ってきてない」
83.『Secret love』『言い出せなかった「」』『信号』
私には誰にも言えない秘密がある。
それは、高校生になっても可愛いぬいぐるみを集めているということだ。
いい歳してぬいぐるみが趣味と言うのは、さすがに公言できない。
親は何も言ってこないのが救いだけど、それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。
普段からクールに振舞っている私にとって、この秘密は絶対に知られるわけにはいかないものだった。
本当は、思い切ってぬいぐるみ仲間を作りたい気持ちもある。
中学生の頃、ぬいぐるみで盛り上がっているクラスメイたちがいた。
けれど、ちっぽけなプライドが邪魔して言い出せなかった「仲間に入れて」。
その事を後悔したまま、今日まで趣味を隠し通してきた……
そのため隠すのであれば、部屋に置くことは出来ない。
よく友人が遊びに来るので、飾ってあるとバレてしまう可能性があるからだ。
私は部屋にぬいぐるみを置きたいのを我慢して、親に使ってない部屋をもらい『ぬいぐるみ部屋』にした。
自室とぬいぐるみ部屋を分ければ、バレないからだ。
そうやって誰にも知られることなく、長い間一人でぬいぐるみたちを愛でていた。
家族以外は誰も知らない、秘密の愛<secret love>。
そうして私は、ぬいぐるみたちとささやかながらも幸せな日々を過ごしていた。
今日、この日までは――
「ねえ、沙都子、こんなのを見つけたよ!」
私は絶句した。
家に遊びに来た友人の百合子が、私の大事なぬいぐるみを持っていたからだ。
しかも特にお気に入りのクマのぬいぐるみ――テディベアだ。
特に価値のあるものではないが、誕生日プレゼントでもらった大切なものだ。
私は体中から血の気が引くのを感じた。
「さっき沙都子の家を探検して見つけたの。
可愛いから持ってきちゃった」
最悪だ。
コイツだけには知られたくなかった。
部屋には鍵をかけていたのにどうして……
いや、今はそんな事はどうでもいい。
大事なのは、百合子が私のぬいぐるみを持っているという事。
いつも私にからかわれている百合子の事だ。
ここぞとばかりに仕返しをしてくるに違いない。
そればかりか他の友人たちに言いふらされるかもしれない。
なんとか誤魔化さないと!
けれど、顔に出さないのが精いっぱいで何も名案が思い浮かばない。
動揺のあまり、過去の記憶がフラッシュバックし始めた。
私、ここで死ぬかもしれない。
「ところで、これって沙都子のぬいぐるみ?」
「ちが……」
言いかけたところで、私は思い直す。
ここで嘘をつくのは得策ではない。
普段の自分ならうまく誤魔化せたかもしれないが、動揺している今の私ではかえって怪しまれる可能性がある
それならいっそ、部分的に認めてさっさと話題を変えるほうがいいだろう。
『嘘を信じさせるには、少しだけ真実を混ぜろ』だっけ。
とにかくこの場を凌ぐ事に専念しよう。
「そうよ。
と言っても子供の頃にもらった物だけどね。
10歳の誕生日に親からもらった宝物よ。
今日のアナタみたいに家の中を一緒に冒険して、よく遊んだものだわ。
さすがに昔みたいに遊ばないけど、なかなか捨てられなくてね。
どこで見つけたか分からないけど、せっかくアナタが見つけたことだし、この部屋に飾ることにして――」
「めちゃくちゃ喋るじゃん」
しまった!
焦りすぎて、余計なことまで喋ってしまった。
早口になっていた気もするし、そもそも嘘がどこにもない。
少しの真実はどうした?
さすがに気づかれたかもしれない。
恐る恐る百合子の表情を伺うと、百合子が心配そうな顔でこちらを見ていた
「もしかして体調が悪いの?
さっきから信号機みたいに、顔が青くなったり赤くなったりしてるよ」
気付かれてないようだった。
助かったものの、これ以上話を続けるわけにはいかない。
すでにグダグダで、このまま居座られたらボロを出してしまう。
早急に帰ってもらおう。
「そうね、今日は体調が良くないの。
遊びに来てくれたところ悪いけど、帰ってもらってもいいかしら」
「うーん、まあ、仕方ないね」
そう言うと、あっさり百合子は部屋の入り口に向かった。
妙に素直だなと不思議に思うが、さすがに病人(仮)に対して食い下がる気はないらしい。
その辺りは、気の利くいい奴である。
「私が帰ったら寝るんだよ。
隠れてゲームしちゃダメだからね。
自分では大丈夫と思っても、」
「オカンか」
気が利き過ぎて、過保護になってる。
それに言われるまでもなく、今日の私はまるでダメだ。
こんな日は、大人しく寝るに限る。
「おっといけない」
百合子は手に持っていたぬいぐるみを、入り口のそばにある本棚の上に置いた。
「このぬいぐるみが見張ってるから、すぐ寝るんだよ。
いいね?」
「子どもじゃないんだから……」
ぶっきらぼうに答えるが、私の心は少しだけ弾む。
子供っぽいからと、部屋には置いていないぬいぐるみ。
けど『百合子が置いていった』ことで、堂々と置いておく事ができる。
言葉には出せないが、百合子には少しだけ感謝だ。
「あ、最後に一つだけ」
「まだあるの?」
「ぬいぐるみが好きなのは変じゃないよ」
「な!?」
油断していたところに放り込まれた爆弾発言に、私の頭は真っ白になった。
そんな私をにんまりと笑いながら、百合子は部屋から出て行った。
聞き分けが良すぎると思ったが、どうやら最初から気づいていたらしい。
まんまとしてやられた形となった。
私は悔しさでいっぱいになるが、心の片隅では少しだけホッとしていた。
「もう隠さなくてもいいんだ」
バレてしまった事は、もう無かった事に出来ない。
そして口の軽い百合子の事だから、明日にはきっとクラス中に知れ渡っているだろう。
つまり、もうコソコソする必要はもうない。
堂々と、ぬいぐるみ集めが趣味だと言うことが出来るのだ。
「気を使わせたのかしら……」
そんなに気の利くようなヤツじゃないんだけどな。
気にはなるがそれは後で考えるとして、今は明日の学校の事を考えることにしよう。
「ぬいぐるみ仲間、出来るといいな」
まるで子供の様にワクワクしてしまった私は、興奮しすぎて眠れない夜を過ごすのであった。