83.『Secret love』『言い出せなかった「」』『信号』
私には誰にも言えない秘密がある。
それは、高校生になっても可愛いぬいぐるみを集めているということだ。
いい歳してぬいぐるみが趣味と言うのは、さすがに公言できない。
親は何も言ってこないのが救いだけど、それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。
普段からクールに振舞っている私にとって、この秘密は絶対に知られるわけにはいかないものだった。
本当は、思い切ってぬいぐるみ仲間を作りたい気持ちもある。
中学生の頃、ぬいぐるみで盛り上がっているクラスメイたちがいた。
けれど、ちっぽけなプライドが邪魔して言い出せなかった「仲間に入れて」。
その事を後悔したまま、今日まで趣味を隠し通してきた……
そのため隠すのであれば、部屋に置くことは出来ない。
よく友人が遊びに来るので、飾ってあるとバレてしまう可能性があるからだ。
私は部屋にぬいぐるみを置きたいのを我慢して、親に使ってない部屋をもらい『ぬいぐるみ部屋』にした。
自室とぬいぐるみ部屋を分ければ、バレないからだ。
そうやって誰にも知られることなく、長い間一人でぬいぐるみたちを愛でていた。
家族以外は誰も知らない、秘密の愛<secret love>。
そうして私は、ぬいぐるみたちとささやかながらも幸せな日々を過ごしていた。
今日、この日までは――
「ねえ、沙都子、こんなのを見つけたよ!」
私は絶句した。
家に遊びに来た友人の百合子が、私の大事なぬいぐるみを持っていたからだ。
しかも特にお気に入りのクマのぬいぐるみ――テディベアだ。
特に価値のあるものではないが、誕生日プレゼントでもらった大切なものだ。
私は体中から血の気が引くのを感じた。
「さっき沙都子の家を探検して見つけたの。
可愛いから持ってきちゃった」
最悪だ。
コイツだけには知られたくなかった。
部屋には鍵をかけていたのにどうして……
いや、今はそんな事はどうでもいい。
大事なのは、百合子が私のぬいぐるみを持っているという事。
いつも私にからかわれている百合子の事だ。
ここぞとばかりに仕返しをしてくるに違いない。
そればかりか他の友人たちに言いふらされるかもしれない。
なんとか誤魔化さないと!
けれど、顔に出さないのが精いっぱいで何も名案が思い浮かばない。
動揺のあまり、過去の記憶がフラッシュバックし始めた。
私、ここで死ぬかもしれない。
「ところで、これって沙都子のぬいぐるみ?」
「ちが……」
言いかけたところで、私は思い直す。
ここで嘘をつくのは得策ではない。
普段の自分ならうまく誤魔化せたかもしれないが、動揺している今の私ではかえって怪しまれる可能性がある
それならいっそ、部分的に認めてさっさと話題を変えるほうがいいだろう。
『嘘を信じさせるには、少しだけ真実を混ぜろ』だっけ。
とにかくこの場を凌ぐ事に専念しよう。
「そうよ。
と言っても子供の頃にもらった物だけどね。
10歳の誕生日に親からもらった宝物よ。
今日のアナタみたいに家の中を一緒に冒険して、よく遊んだものだわ。
さすがに昔みたいに遊ばないけど、なかなか捨てられなくてね。
どこで見つけたか分からないけど、せっかくアナタが見つけたことだし、この部屋に飾ることにして――」
「めちゃくちゃ喋るじゃん」
しまった!
焦りすぎて、余計なことまで喋ってしまった。
早口になっていた気もするし、そもそも嘘がどこにもない。
少しの真実はどうした?
さすがに気づかれたかもしれない。
恐る恐る百合子の表情を伺うと、百合子が心配そうな顔でこちらを見ていた
「もしかして体調が悪いの?
さっきから信号機みたいに、顔が青くなったり赤くなったりしてるよ」
気付かれてないようだった。
助かったものの、これ以上話を続けるわけにはいかない。
すでにグダグダで、このまま居座られたらボロを出してしまう。
早急に帰ってもらおう。
「そうね、今日は体調が良くないの。
遊びに来てくれたところ悪いけど、帰ってもらってもいいかしら」
「うーん、まあ、仕方ないね」
そう言うと、あっさり百合子は部屋の入り口に向かった。
妙に素直だなと不思議に思うが、さすがに病人(仮)に対して食い下がる気はないらしい。
その辺りは、気の利くいい奴である。
「私が帰ったら寝るんだよ。
隠れてゲームしちゃダメだからね。
自分では大丈夫と思っても、」
「オカンか」
気が利き過ぎて、過保護になってる。
それに言われるまでもなく、今日の私はまるでダメだ。
こんな日は、大人しく寝るに限る。
「おっといけない」
百合子は手に持っていたぬいぐるみを、入り口のそばにある本棚の上に置いた。
「このぬいぐるみが見張ってるから、すぐ寝るんだよ。
いいね?」
「子どもじゃないんだから……」
ぶっきらぼうに答えるが、私の心は少しだけ弾む。
子供っぽいからと、部屋には置いていないぬいぐるみ。
けど『百合子が置いていった』ことで、堂々と置いておく事ができる。
言葉には出せないが、百合子には少しだけ感謝だ。
「あ、最後に一つだけ」
「まだあるの?」
「ぬいぐるみが好きなのは変じゃないよ」
「な!?」
油断していたところに放り込まれた爆弾発言に、私の頭は真っ白になった。
そんな私をにんまりと笑いながら、百合子は部屋から出て行った。
聞き分けが良すぎると思ったが、どうやら最初から気づいていたらしい。
まんまとしてやられた形となった。
私は悔しさでいっぱいになるが、心の片隅では少しだけホッとしていた。
「もう隠さなくてもいいんだ」
バレてしまった事は、もう無かった事に出来ない。
そして口の軽い百合子の事だから、明日にはきっとクラス中に知れ渡っているだろう。
つまり、もうコソコソする必要はもうない。
堂々と、ぬいぐるみ集めが趣味だと言うことが出来るのだ。
「気を使わせたのかしら……」
そんなに気の利くようなヤツじゃないんだけどな。
気にはなるがそれは後で考えるとして、今は明日の学校の事を考えることにしよう。
「ぬいぐるみ仲間、出来るといいな」
まるで子供の様にワクワクしてしまった私は、興奮しすぎて眠れない夜を過ごすのであった。
82『8月31日、午後5時』『夏の忘れものを探しに』『ページをめくる』
8月31日午後5時、私は頭を抱えていた。
夏休みの終わりが近づく中、私は目の前の日記帳の事で頭を抱えていた。
他の宿題はすでに終わっていて、日記だけが問題であった。
別に日記をつけてないから困ってるわけじゃない。
他の宿題と同じく、きちんとやっている。
普段から日記を書いているから全然苦にならないのだ。
じゃあ何が問題かと言うと、日記帳の中身――過去の自分が書いた内容が私を悩ませている。
何か解決策が思いつかないかと日記帳を読み返すが、その度に過去の自分に腹が立つ。
書いてるときは何も思わなかったけれど、今読めば問題ばかり。
これを提出することは、どうしても出来なかった。
書き直すにしても、全ページに書き直した跡があると、なにか勘繰られるかもしれない。
どうにかしないといけないとは思うけれど、何も思い浮かばず時間は過ぎていくばかり。
私は焦りを覚え始めていた。
そして再び日記帳に視線が向く。
もう一度読んだら何か思いつくだろうか?
何度も読み返したから望みは薄いけれど、それ以外に方法は無い。
私は一縷の望みを胸に、私は震える手でページをめくるのだった。
📖
隣の家のケンタから遊びに誘われた。
宿題したかったけど、夏休み初日なので一緒に遊ぶ事にした。
ケンタが帰った後、宿題をした。
7月19日(晴)
◇
ケンタが遊びに来た。
来るときにカブトムシを捕まえたと言って、部屋にもって来た。
虫かごに入れていたけど、カブトムシが脱走して部屋中を飛び回って、大騒ぎだった。
ケンタが帰った後、宿題をした。
7月20日(曇)
◇
ケンタが遊びに来た。
今日は雨だったので、外に出ずに部屋でゲームをして遊んだ。
知らないゲームだったけど、なかなか楽しかった。
ケンタが帰った後で、宿題をした。
7月21日(雨)
◇
ケンタとプールに行った。
私は泳ぐのが下手なので、ケンタに泳ぎを教わった。
少しだけ長く潜れるようになった。
帰った後で宿題をしようと思ったけど、疲れてそのまま寝てしまった。
7月22日(曇)
◇
ケンタが遊びに来なかった。
昨日のプールの疲れが出て熱が出たと、ケンタのお母さんから聞いた。
ケンタが来ないから朝から宿題をしてたけど、あまり進まなかった。
7月23日(晴)
◇
ケンタとお祭りに行った。
遠かったので、ケンタのお父さんの車に乗せてもらった。
ケンタはまだ体調が悪そうだったけど、お祭り会場に着くといきなり元気になった。
食べ物がおいしくて、花火が綺麗だった。
この日は宿題するのを忘れた。
7月24日(晴)
◇
家族と映画を見に行った。
『夏の忘れ物を探しに』という映画で、面白いと聞いたので、親に頼んで連れていってもらった。
ケンタは興味なさそうだったので、私たち家族だけで行った。
とても面白かった。
7月25日(晴)
◇
ケンタが遊びに来た(以下略)
7月26日(曇)
◇
ケンタの家に遊びに行った(以下略)
7月27日(晴)
◇
(略)
◇
ケンタが遊びに来た(略)
8月30日(晴)
📖
「ああああああああ」
私は思わず叫ぶ。
ケンタ、ケンタ、ケンタ、ケンタ!
日記帳のどのページを見ても、ケンタの事ばかり。
ケンタ以外にも夏休みの思い出がたくさんあるのに、どうしてこんなことに。
これじゃまるで――
ケ ン タ と 付 き 合 っ て い る み た い じ ゃ な い か !
夏休み中、ケンタと遊ばない日はほとんど無かった。
だから日記がケンタで埋め尽くされるのはしかたがないけれど、それでも限度がある。
ケンタは、たまたま隣の家に住むただの幼馴染である。
なのに、なぜ家族以上に一緒にいるのか。
意味が分からない。
この日記帳を読んだ先生は、きっと私たちが付き合っていると勘違いするだろう。
先生は節度ある大人なので言いふらす事は無いだろうが、どこから情報が洩れるか分からない。
読まれないならそれに越したことは無い。
だから何とか誤魔化す方法を考えているのだけど、何もいい解決策が思い浮かばない。
こうなっては、日記帳は失くしたことにするしかないのか?
きっと先生は怒るだろう。
憂鬱な気持ちで落ち込んでいると、ドアをノックする音が聞こえた。
「おいっす、いるか?」
ケンタだった。
私はとっさに日記帳を引き出しに隠す。
「ケンタ、どうしたの?」
「普通に遊びに来たんだよ」
「普通に遊びに来たって……
宿題はどうしたの?
やってないのがおばさんにバレて怒られたんでしょ?」
「そうだった!
宿題をしに来たんだ」
そして土下座の体勢に移行するケンタ。
「一生のお願いです。
宿題写させてください」
毎年恒例のお願いに、私は呆れて物が言えなかった。
「またなの?
一緒にやろうっていったのに、大丈夫って言ったのはケンタじゃん」
「申し訳ございません。
これが最後のお願いです。
どうかご慈悲を」
「それ去年も聞いたんだけど……
はあ、私は手伝わないからね」
「助かる。
お前はホント、いい友達だよ」
ケンタの言葉に胸が痛む。
別にケンタとは何でもないのに、なぜこんなに動揺するのだろう。
私が一人で勝手に落ち込んでいると、ケンタが声を上げた。
「あれ、日記はどうしたんだ?」
「……日記も書いてないの?」
「日記に関しては結構書いているんだけどな。
でも書いてない場所が多くて、じゃあいつも一緒に遊んだお前の日記参考にしようと思ってさ。
それで日記帳はどうしたんだ?」
「……失くした」
思わず嘘をつくと、ケンタは驚いたように目を見開いた。
「先生に怒られるぞ!
どうすんだよ」
「今考え中」
「あー、今からじゃ、何も出来ないよな……
……そうだ」
ケンタは、私に日記帳を差し出してきた。
「これ使えよ。
俺が書いている所を消して書き直せばまだ使えるはずだ」
「え、ケンタはどうするの……」
「良いんだよ。
どうせ宿題終わらないから、先生に怒られるのは決まってるんだ。
怒られる理由が一つ増えるくらい、どうってことない」
「……ありがとう」
「良いって事よ。
宿題写させてもらうんだし、そのお礼って事で」
「安いお礼だなあ」
私は呆れたように笑うが、内面では心の底から安堵していた。
これで日記を出せば、先生から怒られることはないだろう。
ケンタに感謝である。
そして私は日記帳を受け取ろうと手を伸ばしたが、
「あっ」
けれどケンタは日記帳をひっこめた。
ここに来てイタズラ!?
なんて空気を読まないヤツなんだ。
私がケンタを抗議の目線を送ると、ケンタはバツが悪そうな顔をした。
「ごめん、やっぱ無しでいい?」
「ええ!?
くれるって言ったじゃんか」
「悪いんだけど、日記帳失くしちゃって……」
「へ?」
私はケンタの手にある冊子を見る。
それは間違いなく日記帳。
失くしてなんかいない。
「日記帳そこにあるけど?」
「これは違くて、その……」
ケンタの目線が泳ぎ出す。
なんだか様子がおかしいがなにかあったのだろうか……
首を傾げていると、ケンタは急に身を翻した。
「そういう事で!
借りた宿題は明日返すから!」
「待って!」
「お礼は別の形で!」
そう言ってケンタは部屋から飛び出していった。
「いったい何だったんだ……」
嵐の様にやって来て、嵐のように去って行ったケンタに、私は呆然するしかなかったのだった。
📖
始業式の日。
私たちは宿題を忘れたことで、先生に怒られていた。
と言っても日記だけ提出しなかった私と、ほとんど宿題をしていなかったケンタとは、全然違う怒られ方だったが。
それはともかく、ケンタは日記帳を提出しなかった。
少しは書いていたらしいので見せても問題ないと思うのだが、なぜか『失くした』の一点張り。
後でそのことをケンタに聞いても、あいまいな返事をするばかりで何も教えてくれなかった。
風邪でもひいたのか顔も赤く調子も悪そうなので、それ以上は聞かなかった。
後日、落ち着いた頃にじっくりと話を聞きたいと思う。
9月1日(晴)
81.『夏草』『心の中の風景は』『ふたり』
ある所に不思議な魔法を使う青年がいました。
青年は呪文を唱えることで、人の心の中の風景を絵に写し出すことが出来たのです。
彼はその魔法を使ってお店を開くことにしました。
あまり役に立ちそうにない魔法でしたが、青年の店はすぐに評判になりました。
彼の魔法が描く絵は、どれも素晴らしい物だったからです。
心の中の風景は、その人が一番幸せだった瞬間で形作られています。
ある人は海で遊んでいる絵、ある人は家族と団らんする絵、またある人は甘いお菓子に囲まれている絵……
絵を受け取った人々は自然と笑顔になり、全員満足して帰っていきました。
しかし対照的に青年は浮かない顔でした。
一生遊んで暮らせるほどの大金を稼いだというのに、彼は少しも幸せそうではありません。
誰もが不思議に思いましたが、理由を聞かれても青年は曖昧に笑うだけ。
その点だけは人々の不満でしたが、一部の女性から影のある表情が良いと、評判になるのでした。
◇
彼は人を探していました。
小さい頃に良く遊んでいた友人をです。
友人は異性の女の子でしたが、とても気が合い毎日暗くなるまで遊んでいました。
近所の草原でふたりで走り回る時間は、彼にとって幸せな時間でした。
『ずっとこの子と遊んでいたい』、彼はそう思っていました
しかし、永遠と思われた時間は、突然終わりが訪れます。
ある日のこと、少女は草原に来ませんでした。
彼は『そんな時もある』と気にも留めませんでした。
しかし、次の日も、その次の日も来なかったのです。
少年はいつまでも待ちましたが、少女は来ることはありませんでした。
一ヶ月経って彼はようやく認めました。
彼女はもう来ないと……
胸が押しつぶされるような痛みを感じ、そして気づきました。
自分が彼女に恋していたことを……
そして数年後、彼は店を開きました。
店が評判になれば、噂を聞いた少女が会いに来てくれるかもと思ったのです。
しかし彼には、会って恋心を伝えたいとは考えていませんでした。
ただ彼女と会ってきちんとお別れをしたいと思っていたのです。
会えなくなってからずっと心に残っていたわだかまり。
それを消さなければ、自分は前に進めないと思ったからです。
自分でも女々しいと思っていましたが、彼は自分自身を納得させるために、今日も店先に立つのでした。
◇
店を開いてから一年ほど経ちました。
青年はその日最後の客を見送り、ぱたりと入り口のドアを閉めます。
そこには満足感は無く、ただ虚無感がありました
「今日も来なかった」
青年は肩を落とし、カウンター越しにかけられた一枚の絵を見ました。
その絵は、青年の心を映し出した絵でした。
黄金色の夏草が波打つ草原を、ふたりの子供が走っている絵……
青年の一番幸せだったころの光景でしたが、同時に彼を苦しめる思い出でもありました。
彼は複雑な思いを抱えながら、ポツリと呟きました。
「お店をやめようかな」
諦めの言葉は、ごく自然に口に出てきました。
この店は、もともと少女を探すために始めた店です。
少女がやってこなければ、店を続ける意味は何一つありません。
しかし他に少女を見つける方法も思いつきません。
どうしたものかと悩んでいると、店のドアがノックされている事に気づきました。
「夜分遅くに申し訳ありません。
どうかドアを開けてもらえませんか?」
ドア越しに女性の声が聞こえてきました。
しかし青年は、仕事をする気分ではありませんでした。
「申し訳ないけど、今日は終わりだよ。
明日来てくれ」
突き放すように青年は言いました。
しかし女性は諦めずに食い下がります。
「失礼なことは分かっています。
ですが私の家は、ルールが厳しく自由に出かけることが出来ないのです。
今日も家の者にばれないよう抜け出してきました。
どうか扉を開けて、中に入れてもらえませんか?」
女性の必死な懇願に、青年の心はぐらりと揺れます。
そして青年は少し考え、女性を店に入れることにしました。
必死な人間を見捨てられるほど、青年はまだ絶望していませんでした。
「ありがとうございます!」
扉を開けると、女性が礼儀正しく礼をしました。
そして青年は驚きました。
女性が上質なシルクのドレスを着ていたからです。
今までにも高位の貴族女性が来ることはありましたが、ここまで質のいいドレスは見たことがありません。
王族かそれに連なる立場の人間か、いずれにせよとんでもない人が来たと気を引き締めました。
しかし、さらに驚くことがありました。
頭を上げた女性の顔を見れば、まさに探していた少女だったからです。
青年が驚いて固まっていると、女性は緊張した面持ちで言いました。
「お久しぶりです」
「どうして……」
「あなたのことはすぐ分かったわ。
噂の店主が影のあるイケメンって聞いて、ピンときたわよ。
本当はもっと早く来たかったんだけど、監視の目が厳しくてね……
実はあの日も、屋敷を抜け出していたのがバレて、出れなくなっちゃったの」
「そうだったんだ……」
青年は動揺しつつも、女性の言葉に安心しました。
心のどこかで、彼女に嫌われたかもしれないと思っていたからです。
悲しい別れをしたことは間違いありません。
しかし、お互いに意図せぬ別れだった事は、青年にとって少しだけ救いでした。
「分かりました。
それに関しては後で話しましょう。
今日は客として来ていただいたので、そちらを先に――」
「いえ、それはいいの。
実はアナタに頼み事があるの」
「え?」
店に入ろうとする青年を、女性は服を引っ張って引き留めます。
「実は私、無理やり結婚させられそうなの。
政略結婚で会ったこともない相手によ」
「それが?」
「私と結婚してくれない?
結婚するならアナタが良いわ」
かつての友の言葉に、青年は再び固まってしまいました。
その様子を、女性は楽しそうに笑いながら、言葉を重ねます。
「身分の差なら気にする必要はないわ。
今やアナタは、国一番の魔法使いだもの。
ちなみに、拒否したらこの店潰すから」
◇
数週間後、結婚式が行われました。
新郎は、国で一番の魔法使い。
新婦は、この国の王女様。
国で一番のビッグネームの結婚式に、国中は大騒ぎでした。
魔法使いに関しては特に人気があり、多くの女性が涙しました。
彼の影のある表情に心奪われた人が少なくなかったのです。
そんなことはつゆ知らず、彼らは民衆に祝われながら大通りを通ります。
二人のその手には、絵がありました。
二人の持つ絵には、若い男女が描かれていました。
互いを見つめ合い愛を誓っている、結婚式の絵でした。
結婚式の後、その絵は美術館に飾られました。
その絵は、見た人全てを笑顔にし、長く人々に愛されたのでした。
おしまい
「ミナトなんて知らない」
「待てよ、アリサ!」
ミナトが呼び止める声を背に、私は部屋を飛び出していく。
そして勢いそのままにアパートの階段を降りていく。
エントランスまで来たところで、ふと振り返る。
私を追いかけてくると思ったけれど、ミナトはどこにもいない。
愛想を尽かせせしまったらしい。
『もしかしたら』という幻想も打ち砕かれ、私はトボトボ歩き出す。
そこで足の裏が痛いことに気がついた。
何故だろうと足元を見ると、なんと靴を履いていない。
どうやら素足のままで出てきたみたいだ。
靴を取りに帰りたいが、今帰ると負けた気がする。
しかし素足のままではどこにも行けない。
どうしようかと周囲を見渡すと、エントランスに来客用のソファーが置いてあった。
ちょうどいいと思って、ソファーに腰掛けて今後のことを考える。
――ようとしてもダメだった。
頭の中はミナトの事で頭がいっぱい。
未練たらたらだった。
私とミナトは幼馴染だ。
家は隣同士、幼稚園の頃から一緒にいて、小中高と同じ学校に通った。
一緒にいることが当たり前で、離れることなんてありえない。
そしてなんとなく交際が始まるという、絵に描いたような幼馴染だった。
けど喧嘩がないわけじゃない。
一緒にいる分、普通のカップルよりも多いだろう。
大抵の場合、私が原因で始まる。
私は人一倍こだわりがあるのだが、それを発端に喧嘩になってしまうのだ。
でもほとんど――全てかな、最終的にミナトが譲歩する形で仲直りする。
だから今回の喧嘩も、ミナトが歩み寄ってくれると思った……
けど今回は違った。
ミナトは最後まで自分の主張を曲げず、段々と激しい口論になり、最終的に私が出て行く羽目になった。
どうしてこうなったのだろうか……?
ミナトが譲歩しなかったから?
それもあるだろう。
けれど最大の要因は、私が譲歩しなかったこと。
今回もミナトが譲ってくれるだろうと甘えたせいで、最悪の結果になってしまった……
私が悪いことは分かっている。
だから、こちらから謝ることが最善なのはわかってる。
でも私のちっぽけな自尊心が邪魔をして、どうしても出来そうになかった。
けれど、私は部屋に戻らないといけない。
靴が無ければどこにも行けないからだ。
けれど、ミナトに合わせる顔がない。
自分の詰んだ状況に頭を抱えていると、誰かが私の前に立つ気配がした。
「アリサ、靴持ってきた……」
ミナトだった。
手には私の靴がお気に入りの靴が握られている。
ミナトが許してくれると期待したけれど、ミナトの顔は険しいまま。
どうやら許してないらしい。
「ありがとう」
私はがっかりした事を悟られないよう、感情を押し殺す。
靴を渡してくるミナトは、ちょっと遠い。
いつもならもっと近い距離、それこそ密着と言っていいほど近くにいてくれる。
けれど、今は知らない人に落とし物を渡す一歩離れた距離。
パーソナルエリアを意識した、他人の距離だ。
一歩踏み出せば手の届く距離、けれどその距離がたまらなく遠かった。
「じゃ、これで」
なんとなくで付き合い始めた私たち、このまま別れればなんとなく破局するだろう。
そんな確信があった。
そんなのは嫌だ。
ミナトを引き止めようと手を伸ばす。
けれどミナトは一歩下がって、私の手は空を切った。
私たちはこれで終わるの……?
そんなの嫌だ!
私は勇気を出して、もう一歩だけ、ミナトに踏み出した。
「ごめん」
一歩で足らず、二歩三歩踏み出し、ミナトに抱きつく。
顔は見えないけれど、動揺してきるのが伝わってきた。
「ごめんね、いつもわがままばかり言って……
ありがとう、いつもわがままを聞いてくれて」
「……うん」
「私はあなたが好き。
このまま別れるのは嫌」
「……俺も」
「私、頑固だった。
次はもう少し、頑張ってみる」
「うん、俺も悪かったよ。
ちょっと意地悪だったね」
「帰ろう」
「ああ、帰ろう。
二人の家に」
こうして私たちは仲直りし、手をつなぎながら部屋へと戻るのだった。
♥
「また喧嘩して仲直りしてる……」
「毎日飽きないねぇ」
「全くお熱い事で」
二人が抱き合う様子を、近所のおばさま方が見ていた。
もはや日常風景とかした二人の様子に、恋バナが大好きな彼女たちも食傷気味だ。
二人が仲良く手を繋いで部屋に戻るのを、ため息交じりで見送る。
そして姿が見えなくなってから一人が言った。
「で、今日は何でケンカしてるの?」
「ああ、それなら大声で言ってたから知ってる」
「なんとなく察しはつくけど……
一応聞かせて」
数人の視線が、一人に集まる。
「今日はピーマンを食べないんだってさ。
アリサちゃん、好き嫌い激しいからね」
1
少し前、『雷蜘蛛(カミナリクモ)』という新種の昆虫が発見された。
新種ゆえ分からないことが多いクモであるが、このクモは文字通り雷が近くにある時にしか現れず、雷が去ればどこかへ消えてしまうと言う。
クモが雷を呼ぶのか、それとも雷にクモが呼ばれるのか、それは分からない。
ただ、たいてい雷雲は雨雲を連れてくる。
雷が聞こえたらすぐに雨宿りをしないと、びしょ濡れだ。
それを思い知ったのは、つい今しがた。
旅行先でこの新種のクモを見つけてはしゃいでいたのだが、辺りに遠雷が響き渡る。
驚いて空を見上げるとどんより曇っていて、次の瞬間大粒の雨に撃たれてしまったのだ。
慌てて雨宿りできる場所を探すけれど、ここは見知らぬ街の路地裏。
軒先を見つけることが出来ず、半ばあきらめかけた時、視界の隅に看板が映った。
『スナック midnight blue』。
看板は目立つ色で彩られていて、雨の中でもはっきりと見ることが出来た。
スナックは正直苦手なのだが、今はそうも言ってられない。
扉を押して中へ入ると、そこには一人の年配の女性がいた。
「あっ、すいません。
まだ営業していないんですよ」
スナックの責任者であろう『ママさん』がこちらを見て言う。
どう見ても不審者だろうに、嫌な顔一つしないのは年の功だろうか。
一瞬驚きはしたが、すぐに笑顔になった。
「実は通り雨に遭いまして。
雨が止むまでここにいさせてもらえませんか?」
「それは大変でしたね。
どうぞ、雨が止むまで雨宿りしてください」
「ありがとうございます」
「いえいえ、困った時はお互い様ですよ」
そう言うとママさんは店の奥へと入っていった。
なんとか許可を貰えてホッとするが、いつまでもここにいることは出来ない。
早くやまないかなと外を眺めていると、ママさんが戻って来た気配がした。
「タオルとコーヒーをどうぞ」
「いえ、僕は客じゃないので。
それに雨宿りさせてもらうだけで十分です」
「そうおっしゃらずに。
それに困っている人をそのままにしておく方が無作法というものですよ」
「そういう事でしたら」
「その代わり『スナックmidnight blueのサービスは最高だ』と宣伝してください」
「ははは、敵いませんね」
僕は厚意に甘えて、タオルを受け取り水気を拭く。
そして側に置かれた湯気の立つコーヒーを飲むと、気持ちが落ち着いてきた。
濡れたのは少しだけとはいえ、やはり冷えた体に暖かい飲み物は最高である。
僕がホッと一息ついていると、ママさんは外を見てため息をついた。
「それにしても雨ですか。
天気予報は晴れだと言っていましたが、当てになりませんね」
「僕も油断していました。
もしかしたら雷蜘蛛のせいかもしれません。
さっき見かけたんですよ」
「……雷蜘蛛」
「どうかしましたか?」
「いえ、なんでも」
さっきまで饒舌だったママさんが、急に黙り込んだ。
雷蜘蛛になにか思う所があるのだろうか?
事情が気になったが、自分はたまたまここにいるだけの人間。
余計な詮索は失礼だと思ったが、ママさんは何かを言いたげな表情でこちらを見ていた。
「雨がやみそうにありませんし、少しお話しませんか?」
ママさんが僕の顔を見て呟く。
さっきまでの友好的な雰囲気は無く、顔は笑っていなかった。
その異様な空気に言葉が詰まるが、ママさんは気にせず言葉を続けた。
「少し話したい気分なんです。
ああ、お金のことはお気になさらずに。
私が話したいだけですから」
「……分かりました。
こうしてお世話になりましたし、恩返しのつもりで聞きますよ」
「ありがとうございます」
そう言って、ママさんが椅子を勧めてきたので、そのまま座る。
僕が腰かけるのを確認して、ママさんはゆっくりと口を開いた。
2
「子供の頃の話です。
私の父は癇癪持ちでした。
いつも機嫌が悪く、常に誰かに怒鳴っていました。
家族に怒鳴るのは良い方で、時に赤の他人を怒鳴り、寝ていても寝言で怒鳴るからたまったものじゃありません。
それを母は『お父さんは本当は優しいの、腹の虫に操られているだけなのよ』と言っていました。
そういう事にして母は諦めていたようですが、私はそんないい子ではありませんでした。
いつも意味もなく怒鳴られて、私はイライラしていたのです。
私は父が嫌いでした。
ある日、私は復讐することにしました。
父は心臓病を患っていて、毎食後に薬を飲んでいたのですが、その中に虫下しを混ぜたのです。
心臓病の薬が飲めずに苦しんで欲しかったし、父が死んだらもっといい。
そう思ったのです。
虫下しにしたのは母の言葉があったからです
母の言葉を信じていませんでしたが、虫下しを飲ませて虫が出てなければ、母の嘘が証明できると思ったのです。
何かと父を庇う母も嫌いでした。
そして何も知らず食後に虫下しを飲む父。
すると父が苦しみだしました。
私は言葉では心配しつつも、心の中では大喜びしました。
しかし、すぐに様子がおかしい事に気づきます。
父は心臓ではなく、お腹が痛いと言い始めたのです。
心臓が痛いと言うのは分かりますが、腹が痛いと言うのはどういうことか?
意味が分からず、私は混乱しました。
確かに私は父を殺すつもりで虫下しを入れました。
しかし、想像と違う苦しみ方をして、とても気持ち悪い物を感じました。
自分は間違いをしてしまったのではないか……
そんな思いが私を支配しました。
その時でした。
『ソレ』が現れたのは……
『ソレ』はクモでした。
虫下しが効いたのか、父の口の中から力なくよろよろと這い出てきたのです。
すると、クモが出てきたのに合わせて父も元気になりました。
私は直感しました。
父が怒りっぽいのは、この虫のせいだと。
仕返しをするためクモを捕まえようとしましたが、クモは母が肩を揺さぶった勢いで落ちてしまいました。
慌てて目線を地面に移しましたが、どこにもいません。
私はがっかりしました。
その時はそれで終わりました。
ところが不思議なことが起きました。
それ以来、父は温厚な人間になったのです。
父は数年後に亡くなってしまいましたが、それ以来一度も怒鳴るような事はありませんでした。
母は正しかったのです。
あの母の言葉は現実逃避ではなく、ただの事実だったのです。
何も知らずに父と母を憎んだ自分を恥じました。
しかし謎は残ります。
なぜあのクモは父を操って怒鳴らせていたのでしょう。
何らかの意味があると思ったのですが、長い間分からないままでした。
『雷蜘蛛』のニュースを聞くまでは……
そうです。
父の口の中から出て来たクモ、あれが雷蜘蛛とそっくりだったのです。
そして私は長年の謎が解けました。
なんでそれで分かったのかって?
だって『こっぴどく叱る』の別の言い回しがあるでしょう――
――『雷を落とす』って」
3
「あら、気がついたら雨が上がっているわ。
長話に突き合わせてゴメンなさいね」
「いえ、面白いお話でした」
「そう言ってもらえると助かるわ」
ママさんは嬉しそう微笑んだ。
彼女がどうして僕にそんな話をしたのかは分からない。
僕が二度と会わないであろう人間だからかもしれないし、ただ話たかっただけかもしれない。
ただママさんは、話してスッキリし表情だったので、僕はそれで良い事にした。
しかしここまで聞き入ってしまうのは計算外だった。
さすが客商売、話が上手である。
「でも一つだけ気になることがあります。
さっきの話が本当なら、雷蜘蛛は昔から人間の中にいたんですよね?
どうして最近になって、外で見かけるようになったでしょうか?」
「確かなことは言えないけれど、多分気づいたのよ……
外の方が効率が良いって」
「『効率がいい』?」
「人間を操って『雷を落とす』よりも、天気を操って雷を落とせば、ずっと効率が良いってね」
「それって、最近の異常気象は……」
「ふふふ、本気にしちゃいけないわ。
ただの与太話だもの。
まあ、そのあたりの事は研究が進めば分かるんじゃないかしら?」
そう言って、ママさんは時計を見た。
「そろそろ店を開ける準備をしないといけないの。
申し訳ないけど、帰ってくれるかしら。
それともこのまま飲む?」
「すいません、お酒は飲めない体質でして……
随分とお世話になりました。
ありがとうございます」
僕は丁寧にお礼を言って、店を出た。
店を出た瞬間、湿った空気と真夏の日差しが僕を襲う。
夏の容赦ない太陽に憎しみを覚えつつ、僕は泊っているホテルへと足を向ける。
タオルで拭いたとはいえ、下着がまだ濡れていて気持ちが悪いのだ。
早く着替えたいと、駆けだそうとしたその時だった。
視界の隅に雷蜘蛛が映る。
もう雷は去ったと言うのに、なぜこんなところにいるのだろう。
もしかして天気を操って雷を呼ぼうとしているのだろうか……?
「まさかね」
ポツリと呟くが、胸のざわつきは消えない。
何とも言えない気持ち悪さを感じつつ、雷蜘蛛を背にしてホテルへと向かうのであった。