「ミナトなんて知らない」
「待てよ、アリサ!」
ミナトが呼び止める声を背に、私は部屋を飛び出していく。
そして勢いそのままにアパートの階段を降りていく。
エントランスまで来たところで、ふと振り返る。
私を追いかけてくると思ったけれど、ミナトはどこにもいない。
愛想を尽かせせしまったらしい。
『もしかしたら』という幻想も打ち砕かれ、私はトボトボ歩き出す。
そこで足の裏が痛いことに気がついた。
何故だろうと足元を見ると、なんと靴を履いていない。
どうやら素足のままで出てきたみたいだ。
靴を取りに帰りたいが、今帰ると負けた気がする。
しかし素足のままではどこにも行けない。
どうしようかと周囲を見渡すと、エントランスに来客用のソファーが置いてあった。
ちょうどいいと思って、ソファーに腰掛けて今後のことを考える。
――ようとしてもダメだった。
頭の中はミナトの事で頭がいっぱい。
未練たらたらだった。
私とミナトは幼馴染だ。
家は隣同士、幼稚園の頃から一緒にいて、小中高と同じ学校に通った。
一緒にいることが当たり前で、離れることなんてありえない。
そしてなんとなく交際が始まるという、絵に描いたような幼馴染だった。
けど喧嘩がないわけじゃない。
一緒にいる分、普通のカップルよりも多いだろう。
大抵の場合、私が原因で始まる。
私は人一倍こだわりがあるのだが、それを発端に喧嘩になってしまうのだ。
でもほとんど――全てかな、最終的にミナトが譲歩する形で仲直りする。
だから今回の喧嘩も、ミナトが歩み寄ってくれると思った……
けど今回は違った。
ミナトは最後まで自分の主張を曲げず、段々と激しい口論になり、最終的に私が出て行く羽目になった。
どうしてこうなったのだろうか……?
ミナトが譲歩しなかったから?
それもあるだろう。
けれど最大の要因は、私が譲歩しなかったこと。
今回もミナトが譲ってくれるだろうと甘えたせいで、最悪の結果になってしまった……
私が悪いことは分かっている。
だから、こちらから謝ることが最善なのはわかってる。
でも私のちっぽけな自尊心が邪魔をして、どうしても出来そうになかった。
けれど、私は部屋に戻らないといけない。
靴が無ければどこにも行けないからだ。
けれど、ミナトに合わせる顔がない。
自分の詰んだ状況に頭を抱えていると、誰かが私の前に立つ気配がした。
「アリサ、靴持ってきた……」
ミナトだった。
手には私の靴がお気に入りの靴が握られている。
ミナトが許してくれると期待したけれど、ミナトの顔は険しいまま。
どうやら許してないらしい。
「ありがとう」
私はがっかりした事を悟られないよう、感情を押し殺す。
靴を渡してくるミナトは、ちょっと遠い。
いつもならもっと近い距離、それこそ密着と言っていいほど近くにいてくれる。
けれど、今は知らない人に落とし物を渡す一歩離れた距離。
パーソナルエリアを意識した、他人の距離だ。
一歩踏み出せば手の届く距離、けれどその距離がたまらなく遠かった。
「じゃ、これで」
なんとなくで付き合い始めた私たち、このまま別れればなんとなく破局するだろう。
そんな確信があった。
そんなのは嫌だ。
ミナトを引き止めようと手を伸ばす。
けれどミナトは一歩下がって、私の手は空を切った。
私たちはこれで終わるの……?
そんなの嫌だ!
私は勇気を出して、もう一歩だけ、ミナトに踏み出した。
「ごめん」
一歩で足らず、二歩三歩踏み出し、ミナトに抱きつく。
顔は見えないけれど、動揺してきるのが伝わってきた。
「ごめんね、いつもわがままばかり言って……
ありがとう、いつもわがままを聞いてくれて」
「……うん」
「私はあなたが好き。
このまま別れるのは嫌」
「……俺も」
「私、頑固だった。
次はもう少し、頑張ってみる」
「うん、俺も悪かったよ。
ちょっと意地悪だったね」
「帰ろう」
「ああ、帰ろう。
二人の家に」
こうして私たちは仲直りし、手をつなぎながら部屋へと戻るのだった。
♥
「また喧嘩して仲直りしてる……」
「毎日飽きないねぇ」
「全くお熱い事で」
二人が抱き合う様子を、近所のおばさま方が見ていた。
もはや日常風景とかした二人の様子に、恋バナが大好きな彼女たちも食傷気味だ。
二人が仲良く手を繋いで部屋に戻るのを、ため息交じりで見送る。
そして姿が見えなくなってから一人が言った。
「で、今日は何でケンカしてるの?」
「ああ、それなら大声で言ってたから知ってる」
「なんとなく察しはつくけど……
一応聞かせて」
数人の視線が、一人に集まる。
「今日はピーマンを食べないんだってさ。
アリサちゃん、好き嫌い激しいからね」
9/1/2025, 12:07:35 PM