81.『夏草』『心の中の風景は』『ふたり』
ある所に不思議な魔法を使う青年がいました。
青年は呪文を唱えることで、人の心の中の風景を絵に写し出すことが出来たのです。
彼はその魔法を使ってお店を開くことにしました。
あまり役に立ちそうにない魔法でしたが、青年の店はすぐに評判になりました。
彼の魔法が描く絵は、どれも素晴らしい物だったからです。
心の中の風景は、その人が一番幸せだった瞬間で形作られています。
ある人は海で遊んでいる絵、ある人は家族と団らんする絵、またある人は甘いお菓子に囲まれている絵……
絵を受け取った人々は自然と笑顔になり、全員満足して帰っていきました。
しかし対照的に青年は浮かない顔でした。
一生遊んで暮らせるほどの大金を稼いだというのに、彼は少しも幸せそうではありません。
誰もが不思議に思いましたが、理由を聞かれても青年は曖昧に笑うだけ。
その点だけは人々の不満でしたが、一部の女性から影のある表情が良いと、評判になるのでした。
◇
彼は人を探していました。
小さい頃に良く遊んでいた友人をです。
友人は異性の女の子でしたが、とても気が合い毎日暗くなるまで遊んでいました。
近所の草原でふたりで走り回る時間は、彼にとって幸せな時間でした。
『ずっとこの子と遊んでいたい』、彼はそう思っていました
しかし、永遠と思われた時間は、突然終わりが訪れます。
ある日のこと、少女は草原に来ませんでした。
彼は『そんな時もある』と気にも留めませんでした。
しかし、次の日も、その次の日も来なかったのです。
少年はいつまでも待ちましたが、少女は来ることはありませんでした。
一ヶ月経って彼はようやく認めました。
彼女はもう来ないと……
胸が押しつぶされるような痛みを感じ、そして気づきました。
自分が彼女に恋していたことを……
そして数年後、彼は店を開きました。
店が評判になれば、噂を聞いた少女が会いに来てくれるかもと思ったのです。
しかし彼には、会って恋心を伝えたいとは考えていませんでした。
ただ彼女と会ってきちんとお別れをしたいと思っていたのです。
会えなくなってからずっと心に残っていたわだかまり。
それを消さなければ、自分は前に進めないと思ったからです。
自分でも女々しいと思っていましたが、彼は自分自身を納得させるために、今日も店先に立つのでした。
◇
店を開いてから一年ほど経ちました。
青年はその日最後の客を見送り、ぱたりと入り口のドアを閉めます。
そこには満足感は無く、ただ虚無感がありました
「今日も来なかった」
青年は肩を落とし、カウンター越しにかけられた一枚の絵を見ました。
その絵は、青年の心を映し出した絵でした。
黄金色の夏草が波打つ草原を、ふたりの子供が走っている絵……
青年の一番幸せだったころの光景でしたが、同時に彼を苦しめる思い出でもありました。
彼は複雑な思いを抱えながら、ポツリと呟きました。
「お店をやめようかな」
諦めの言葉は、ごく自然に口に出てきました。
この店は、もともと少女を探すために始めた店です。
少女がやってこなければ、店を続ける意味は何一つありません。
しかし他に少女を見つける方法も思いつきません。
どうしたものかと悩んでいると、店のドアがノックされている事に気づきました。
「夜分遅くに申し訳ありません。
どうかドアを開けてもらえませんか?」
ドア越しに女性の声が聞こえてきました。
しかし青年は、仕事をする気分ではありませんでした。
「申し訳ないけど、今日は終わりだよ。
明日来てくれ」
突き放すように青年は言いました。
しかし女性は諦めずに食い下がります。
「失礼なことは分かっています。
ですが私の家は、ルールが厳しく自由に出かけることが出来ないのです。
今日も家の者にばれないよう抜け出してきました。
どうか扉を開けて、中に入れてもらえませんか?」
女性の必死な懇願に、青年の心はぐらりと揺れます。
そして青年は少し考え、女性を店に入れることにしました。
必死な人間を見捨てられるほど、青年はまだ絶望していませんでした。
「ありがとうございます!」
扉を開けると、女性が礼儀正しく礼をしました。
そして青年は驚きました。
女性が上質なシルクのドレスを着ていたからです。
今までにも高位の貴族女性が来ることはありましたが、ここまで質のいいドレスは見たことがありません。
王族かそれに連なる立場の人間か、いずれにせよとんでもない人が来たと気を引き締めました。
しかし、さらに驚くことがありました。
頭を上げた女性の顔を見れば、まさに探していた少女だったからです。
青年が驚いて固まっていると、女性は緊張した面持ちで言いました。
「お久しぶりです」
「どうして……」
「あなたのことはすぐ分かったわ。
噂の店主が影のあるイケメンって聞いて、ピンときたわよ。
本当はもっと早く来たかったんだけど、監視の目が厳しくてね……
実はあの日も、屋敷を抜け出していたのがバレて、出れなくなっちゃったの」
「そうだったんだ……」
青年は動揺しつつも、女性の言葉に安心しました。
心のどこかで、彼女に嫌われたかもしれないと思っていたからです。
悲しい別れをしたことは間違いありません。
しかし、お互いに意図せぬ別れだった事は、青年にとって少しだけ救いでした。
「分かりました。
それに関しては後で話しましょう。
今日は客として来ていただいたので、そちらを先に――」
「いえ、それはいいの。
実はアナタに頼み事があるの」
「え?」
店に入ろうとする青年を、女性は服を引っ張って引き留めます。
「実は私、無理やり結婚させられそうなの。
政略結婚で会ったこともない相手によ」
「それが?」
「私と結婚してくれない?
結婚するならアナタが良いわ」
かつての友の言葉に、青年は再び固まってしまいました。
その様子を、女性は楽しそうに笑いながら、言葉を重ねます。
「身分の差なら気にする必要はないわ。
今やアナタは、国一番の魔法使いだもの。
ちなみに、拒否したらこの店潰すから」
◇
数週間後、結婚式が行われました。
新郎は、国で一番の魔法使い。
新婦は、この国の王女様。
国で一番のビッグネームの結婚式に、国中は大騒ぎでした。
魔法使いに関しては特に人気があり、多くの女性が涙しました。
彼の影のある表情に心奪われた人が少なくなかったのです。
そんなことはつゆ知らず、彼らは民衆に祝われながら大通りを通ります。
二人のその手には、絵がありました。
二人の持つ絵には、若い男女が描かれていました。
互いを見つめ合い愛を誓っている、結婚式の絵でした。
結婚式の後、その絵は美術館に飾られました。
その絵は、見た人全てを笑顔にし、長く人々に愛されたのでした。
おしまい
9/6/2025, 4:42:39 AM