G14(3日に一度更新)

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           1

 少し前、『雷蜘蛛(カミナリクモ)』という新種の昆虫が発見された。
 新種ゆえ分からないことが多いクモであるが、このクモは文字通り雷が近くにある時にしか現れず、雷が去ればどこかへ消えてしまうと言う。

 クモが雷を呼ぶのか、それとも雷にクモが呼ばれるのか、それは分からない。
 ただ、たいてい雷雲は雨雲を連れてくる。
 雷が聞こえたらすぐに雨宿りをしないと、びしょ濡れだ。

 それを思い知ったのは、つい今しがた。
 旅行先でこの新種のクモを見つけてはしゃいでいたのだが、辺りに遠雷が響き渡る。
 驚いて空を見上げるとどんより曇っていて、次の瞬間大粒の雨に撃たれてしまったのだ。

 慌てて雨宿りできる場所を探すけれど、ここは見知らぬ街の路地裏。
 軒先を見つけることが出来ず、半ばあきらめかけた時、視界の隅に看板が映った。

 『スナック midnight blue』。
 看板は目立つ色で彩られていて、雨の中でもはっきりと見ることが出来た。
 スナックは正直苦手なのだが、今はそうも言ってられない。
 扉を押して中へ入ると、そこには一人の年配の女性がいた。

「あっ、すいません。
 まだ営業していないんですよ」
 スナックの責任者であろう『ママさん』がこちらを見て言う。
 どう見ても不審者だろうに、嫌な顔一つしないのは年の功だろうか。
 一瞬驚きはしたが、すぐに笑顔になった。

「実は通り雨に遭いまして。
 雨が止むまでここにいさせてもらえませんか?」
「それは大変でしたね。
 どうぞ、雨が止むまで雨宿りしてください」
「ありがとうございます」
「いえいえ、困った時はお互い様ですよ」

 そう言うとママさんは店の奥へと入っていった。
 なんとか許可を貰えてホッとするが、いつまでもここにいることは出来ない。
 早くやまないかなと外を眺めていると、ママさんが戻って来た気配がした。

「タオルとコーヒーをどうぞ」
「いえ、僕は客じゃないので。
 それに雨宿りさせてもらうだけで十分です」
「そうおっしゃらずに。
 それに困っている人をそのままにしておく方が無作法というものですよ」
「そういう事でしたら」
「その代わり『スナックmidnight blueのサービスは最高だ』と宣伝してください」
「ははは、敵いませんね」
 僕は厚意に甘えて、タオルを受け取り水気を拭く。
 そして側に置かれた湯気の立つコーヒーを飲むと、気持ちが落ち着いてきた。
 濡れたのは少しだけとはいえ、やはり冷えた体に暖かい飲み物は最高である。
 僕がホッと一息ついていると、ママさんは外を見てため息をついた。

「それにしても雨ですか。
 天気予報は晴れだと言っていましたが、当てになりませんね」
「僕も油断していました。
 もしかしたら雷蜘蛛のせいかもしれません。
 さっき見かけたんですよ」
「……雷蜘蛛」
「どうかしましたか?」
「いえ、なんでも」

 さっきまで饒舌だったママさんが、急に黙り込んだ。
 雷蜘蛛になにか思う所があるのだろうか?
 事情が気になったが、自分はたまたまここにいるだけの人間。
 余計な詮索は失礼だと思ったが、ママさんは何かを言いたげな表情でこちらを見ていた。

「雨がやみそうにありませんし、少しお話しませんか?」
 ママさんが僕の顔を見て呟く。
 さっきまでの友好的な雰囲気は無く、顔は笑っていなかった。
 その異様な空気に言葉が詰まるが、ママさんは気にせず言葉を続けた。

「少し話したい気分なんです。
 ああ、お金のことはお気になさらずに。
 私が話したいだけですから」
「……分かりました。
 こうしてお世話になりましたし、恩返しのつもりで聞きますよ」
「ありがとうございます」
 そう言って、ママさんが椅子を勧めてきたので、そのまま座る。
 僕が腰かけるのを確認して、ママさんはゆっくりと口を開いた。


           2

「子供の頃の話です。
 私の父は癇癪持ちでした。
 いつも機嫌が悪く、常に誰かに怒鳴っていました。
 家族に怒鳴るのは良い方で、時に赤の他人を怒鳴り、寝ていても寝言で怒鳴るからたまったものじゃありません。
 それを母は『お父さんは本当は優しいの、腹の虫に操られているだけなのよ』と言っていました。

 そういう事にして母は諦めていたようですが、私はそんないい子ではありませんでした。
 いつも意味もなく怒鳴られて、私はイライラしていたのです。
 私は父が嫌いでした。

 ある日、私は復讐することにしました。
 父は心臓病を患っていて、毎食後に薬を飲んでいたのですが、その中に虫下しを混ぜたのです。
 心臓病の薬が飲めずに苦しんで欲しかったし、父が死んだらもっといい。
 そう思ったのです。

 虫下しにしたのは母の言葉があったからです
 母の言葉を信じていませんでしたが、虫下しを飲ませて虫が出てなければ、母の嘘が証明できると思ったのです。
 何かと父を庇う母も嫌いでした。

 そして何も知らず食後に虫下しを飲む父。
 すると父が苦しみだしました。
 私は言葉では心配しつつも、心の中では大喜びしました。

 しかし、すぐに様子がおかしい事に気づきます。
 父は心臓ではなく、お腹が痛いと言い始めたのです。
 心臓が痛いと言うのは分かりますが、腹が痛いと言うのはどういうことか?
 意味が分からず、私は混乱しました。

 確かに私は父を殺すつもりで虫下しを入れました。
 しかし、想像と違う苦しみ方をして、とても気持ち悪い物を感じました。
 自分は間違いをしてしまったのではないか……
 そんな思いが私を支配しました。

 その時でした。
 『ソレ』が現れたのは……

 『ソレ』はクモでした。
 虫下しが効いたのか、父の口の中から力なくよろよろと這い出てきたのです。
 すると、クモが出てきたのに合わせて父も元気になりました。
 私は直感しました。
 父が怒りっぽいのは、この虫のせいだと。

 仕返しをするためクモを捕まえようとしましたが、クモは母が肩を揺さぶった勢いで落ちてしまいました。
 慌てて目線を地面に移しましたが、どこにもいません。
 私はがっかりしました。
 その時はそれで終わりました。

 ところが不思議なことが起きました。
 それ以来、父は温厚な人間になったのです。
 父は数年後に亡くなってしまいましたが、それ以来一度も怒鳴るような事はありませんでした。

 母は正しかったのです。
 あの母の言葉は現実逃避ではなく、ただの事実だったのです。
 何も知らずに父と母を憎んだ自分を恥じました。

 しかし謎は残ります。
 なぜあのクモは父を操って怒鳴らせていたのでしょう。
 何らかの意味があると思ったのですが、長い間分からないままでした。
 『雷蜘蛛』のニュースを聞くまでは……

 そうです。
 父の口の中から出て来たクモ、あれが雷蜘蛛とそっくりだったのです。
 そして私は長年の謎が解けました。

 なんでそれで分かったのかって?
 だって『こっぴどく叱る』の別の言い回しがあるでしょう――


 ――『雷を落とす』って」
 

           3

「あら、気がついたら雨が上がっているわ。
 長話に突き合わせてゴメンなさいね」
「いえ、面白いお話でした」
「そう言ってもらえると助かるわ」
 ママさんは嬉しそう微笑んだ。
 彼女がどうして僕にそんな話をしたのかは分からない。
 僕が二度と会わないであろう人間だからかもしれないし、ただ話たかっただけかもしれない。
 ただママさんは、話してスッキリし表情だったので、僕はそれで良い事にした。

 しかしここまで聞き入ってしまうのは計算外だった。
 さすが客商売、話が上手である。

「でも一つだけ気になることがあります。
 さっきの話が本当なら、雷蜘蛛は昔から人間の中にいたんですよね?
 どうして最近になって、外で見かけるようになったでしょうか?」
「確かなことは言えないけれど、多分気づいたのよ……
 外の方が効率が良いって」
「『効率がいい』?」
「人間を操って『雷を落とす』よりも、天気を操って雷を落とせば、ずっと効率が良いってね」
「それって、最近の異常気象は……」
「ふふふ、本気にしちゃいけないわ。
 ただの与太話だもの。
 まあ、そのあたりの事は研究が進めば分かるんじゃないかしら?」
 そう言って、ママさんは時計を見た。

「そろそろ店を開ける準備をしないといけないの。
 申し訳ないけど、帰ってくれるかしら。
 それともこのまま飲む?」
「すいません、お酒は飲めない体質でして……
 随分とお世話になりました。
 ありがとうございます」
 僕は丁寧にお礼を言って、店を出た。

 店を出た瞬間、湿った空気と真夏の日差しが僕を襲う。
 夏の容赦ない太陽に憎しみを覚えつつ、僕は泊っているホテルへと足を向ける。
 タオルで拭いたとはいえ、下着がまだ濡れていて気持ちが悪いのだ。
 早く着替えたいと、駆けだそうとしたその時だった。

 視界の隅に雷蜘蛛が映る。
 もう雷は去ったと言うのに、なぜこんなところにいるのだろう。
 もしかして天気を操って雷を呼ぼうとしているのだろうか……?

「まさかね」
 ポツリと呟くが、胸のざわつきは消えない。
 何とも言えない気持ち悪さを感じつつ、雷蜘蛛を背にしてホテルへと向かうのであった。

8/30/2025, 6:54:09 AM