63.『波音に耳を澄ませて』『空恋』『願い事』
私の恋はいつも空っぽだ。
何度目かもわからない失恋を経て、ようやく気づく。
私はこの空しい心を慰めるため、静かな海辺へとやって来た。
優しく満ち引きする波が、私を癒してくれる。
よく『母なる海』というが、こんな私ですら受け入れてくれるなんて、海は実に寛大だ。
私は波音に耳を澄ませて、これまでの数々の出会いを思い出していた
私の恋はいつも、幼馴染の裕子から始まる。
裕子は面食いだ。
いつもイケメンを探して、目をギラギラさせていた。
そして獲物を見つけると、いつも私に報告してくるのである。
その度に私は『そうだね』と気の無い返事するが、裕子が見つけてきた写真に目が釘付けになつてしまう。
当然だ。
裕子イチオシのイケメンなのだから。
そして私は恋をする。
最初の恋は小学生の頃。
裕子にかっこいい先輩の写真を見せられ恋をした。
文武両道で誰にも優しいスーパー優等生。
文字通り高嶺の花だった。
その次はイケメン数学教師。
クールでミステリアスなところがポイント。
普段は物静かだが、三角関数を熱く語るのがギャップ萌え。
その次はイケメン同級生だったか。
普段はぶっきらぼうだが、時折見せる優しさにときめいた。
ありがちだけど、校舎裏で捨て犬の面倒を見ているのは、ポイント高し。
他にもいろんなイケメンに恋をしたが、一番印象に残っているのはイケメン後輩。
可愛い顔で愛嬌を振りまく愛され子犬系
しかし愛らしい顔に隠されたどす黒い内面は、ただのイケメンに飽きてきた私たちをぞくぞくさせた
最近の恋の相手は、異国からやって来たイケメン留学生。
とある国の王子様で、お忍びで社会勉強にやってきた。
その財力で、私の願い事を叶えてくれるのは夢のようだった。
私の人生を彩る数々のイケメンたち。
彼らと過ごした時間は、幸せだったと断言できる。
けれどやっぱり虚しいのだ。
だって彼らはゲームの世界の住人。
違う世界に住む我々は、決して交われない。
どれだけ親密になろうとも、手すら握れないのだから。
だから私は終わらせる。
この不毛な恋を。
私もいい歳した社会人。
そろそろ恋人が欲しい。
バーチャルではなく、実体を持った恋人が。
今こうして海辺にいるのもその一環。
こうして波音を聞いて、気持ちを切り替えようとしているのだ。
だが――
「あー、こんな所にいた!」
タイミングの悪い事に、幼馴染の裕子がやってきた。
どうやって嗅ぎつけたのか分からないが、裕子がやってくるのはイケメンを見つけた時。
正直今一番会いたくない相手だった。
彼女はいつも私に恋を持ってくる。
恋を断ち切ろうとしている私にとって、彼女は邪魔な存在だ。
他人の振りをして無視を決め込むが、裕子はお構いなしに近づいて来る。
「電話にも出ないし、心配したのよ。
でもよかった。
何もなくて」
心の底から心配してくれるのが、声から分かる。
けれど親切は時として迷惑なモノ
どこかへ行って欲しい。
「ほっといて、私は生まれ変わるの」
「また言ってる?
もう諦めなよ。
沼にハマったら最後、私たちはこういう生き方しかできないんだよ」
「嫌だ、私は恋をするんだ。
ゲームのような中身の無い恋じゃなくて、実体のある恋を」
「うるせえ」
ペシと、裕子が私の頬を叩く。
「恋に貴賤はない」
裕子は腰に手を当て言い放つ。
その姿は、既に生身の恋を諦めた人間の姿だった。
「温もりが欲しい。
手を繋いで、相手の体温を感じたい!」
「温もりが欲しいなら、私が手を握ってやる。
はやくこのゲームをするんだ!
ハマるぞ!」
「嫌だ!」
「自分に正直になれ!」
ぐいーッと裕子がスマホを推しつけて来る。
見るわけには行かない。
私は空っぽじゃない、リアルの恋をするんだ!
「「あ」」
押し問答の最中、裕子が勢い余ってスマホを落としてしまう。
そのまま砂に落ちていくスマホを目で追っていると――
目が合った。
スマホに映る絶世のイケメンに。
私が見てしまった事に気づいた裕子は、にんまりと笑った。
「今回のイケメンはね、ライフセーバーなの。
色黒でマッチョで、でも優しいの。
あなたこういうの大好きでしょ?」
「……うん」
そして私の恋はまた始まり、より深く沼に沈むのであった。
62.『クリスタル』『遠くへ行きたい』『青い風』
『青い風』と呼ばれる殺し屋がいた。
彼は伝説の殺し屋として名を馳せていた
『青い風』に狙われて生き延びた人間はおらず、どんなに厳重な警備を敷いても簡単に殺しを成功させるという……
彼の手口はシンプルだ。
ターゲットに近づき、すれ違いざまにナイフを心臓に一突き。
ただそれだけ。
監視の目ををすり抜け、ナイフを突き立てる。
あまりの鮮やかさに、刺された人間もすぐには気づけないほど。
事態が発覚するころには、『青い風』はその場にいない。
その場に残されるのは、既に死んだターゲットと、胸に刺さっている青いナイフのみ。
誰も彼を見たものはおらず、風の様に現れのようにその場を去ることから『青い風』と呼ばれていた。
そして『青い風』が活躍する街に、とある若者がいた。
彼は『青い風』に憧れ、殺し屋業界に入ったが、腕が悪くいつも失敗ばかり。
今日も依頼は失敗し、逆に違約金を払って一文無しであった。
憂さ晴らしをするため、殺し屋たちが集う酒場にやって来た若者。
だが彼はお金を持っていない。
彼は酒は飲むため、他の客に奢らせることにした。
酒場全体を見渡すと、奥の方で景気よく酒を飲んでいる老人を見つける。
年甲斐もない飲みっぷりに心配になるほどだが、あの様子なら気前よく酒を奢ってくれるに違いない。
若者はそう思い、老人に目を付けた。
とはいえ『奢ってくれ』と言って、素直に奢ってくれる人間は居ない。
そこで老人をほめることにした。
誰だって褒められて悪い気分にはならない。
いい気分にしたところで酒を奢ってもらう、それが彼の算段であった。
「なあ、あんた青い風だろう?」
若者は、老人をあえて『青い風』と呼ぶ。
殺し屋にとって『青い風』に間違われることは名誉である。
多くの気をよくするのだが、しかし老人は違った。
「なぜ分かった」
声をかけられた老人は驚いたように目を見開いたのである。
信じられないものを見るかのように、老人は若者を睨みつける
この反応には若者も驚いた。
今までに同じ方法で声をかけたことはあるのだが、この老人の反応はこれまでとは全く違ったのである。
『まさか、本物か?』
若者は動揺しつつも顔には出さず、老人と机を挟んで向かいに座る。
「隠しているつもりだったのか?
見たら分かるよ」
「そうか。
儂も落ちぶれたもんだ。
こんな若造にな……」
そう言って、老人はグビリと酒を飲む。
半信半疑であった若者だが、酒をおごってもらうため話を合わせる事にした。
「オレ、あんたに憧れてるんだよね。
なんか秘訣とかあるの?」
「全部このお守りのおかげだ。
クリスタルのおかげで何もかもうまくいく」
老人そう言っては、シャツの胸ポケットからクリスタルで出来たお守りを取り出す。
お守りを見た若者は眉をひそめた。
それはどう見ても土産屋で売ってそうな、安っぽいお守りだったからだ。
こんなものにご利益があるわけがない。
若者は、目の前の老人が思い込みの激しいただの酔っ払いではないかと思い始めていた。
「信じてないようだな」
「いや、そんな事は……」
「信じないのも無理はない。
ではこれをやろう」
そう言って、若者の前にクリスタルを置く。
「これを身に付ければ、なにもかもがうまくいく。
努力も秘訣も必要ない」
「それはおかしい。
もしアンタの言っている事が本当なら、これからもアンタには必要なものだろう。
どうして俺に渡す?」
「引退するつもりだ。
正体不明が売りだったのに、お前みたいな若造に見破られた時点で終わりだよ」
「分かった、貰っておこう。
信じたわけじゃないが、持ってても邪魔にならないしな
アンタはどうするつもりだ」
「せっかくだから、遠くへ行きたいな。
うんと遠くへな」
そう言って老人は去っていった
翌日、若者は老人の言葉に従い、クリスタルのお守りを身に着けて仕事に臨んだ。
すると不思議なことに全てがうまく運んだ。
しかし上手く行き過ぎて不安になった
ターゲットに近づいても、誰も自分に関心を向けない。
さらにターゲットを殺した後も誰も追いかけて来る様子はない。
それどころか報酬が倍になる始末。
なにもかもがうまく行き過ぎた。
どう考えても普通ではなかった
自分はとんでもない物を手にしたんじゃないのか……
そんな風に怯えながら道を歩いていると、突然暗がりから男が現れた。
「気づいたかい?
これはあんたが思っているように、幸運のお守りじゃない」
頭には角が生え、禍々しい尻尾も生えている。
まるで伝え聞く悪魔のようだった
「誰だ!?」
「私はお前と契約した悪魔さ。
お前が持っているクリスタルこそが契約の証」
「オレはお前なんて知らない」
「いいや、クリスタルを譲り受けただろう?
ならお前が契約者だ」
「あの老人はオレを騙したのか?」
「騙したりはしてない。
それを持っている限り、お前の成功は約束されている。
聞いたはずだ」
「そんなうまい話があるもんか!」
「当然代償は必要だ。
だが安心したまえ、命までは取りはしない」
悪魔はおぞましい笑みを浮かべた。
「お前の若さを全て貰う。
いろいろ不自由になるだろうが何も心配はいらない。
たとえ老人になっても、お前を邪魔するものはいないのだから」
61.『青く深く』『カーテン』『夏の匂い』
気持ちのいい朝だった。
カーテンから漏れる光が部屋を優しく照らし、よく眠れたのか体が軽い。
朝特有のけだるさもなく、頭もバッチリ冴えて眠気がない。
一日を始めるには最高のコンディションだった。
カーテンを開ければ、窓一面には青く深く染まる海の色。
サンゴ礁は虹色に輝き、色とりどりの魚たちが躍る。
人生で初めて見る幻想的な風景。
文字通り究極の美と言えるだろう。
けれど時間は有限、眺めている時間は無い。
すぐに家を出ないと遅刻してしまう。
特に今日は大事な会議がある。
すぐに朝の準備をしなければ、って――
「なんじゃこりゃー!?」
思わず叫ぶ。
窓の外が海ってどういう事?
意味が分からない。
自分が住んでいるアパートは、ごくごく普通の安アパートである。
普通に陸の上に建っており、普通に街の中にあった。
間違っても海の中に建てられたものではない。
何度目をこすっても窓の外は海の色。
昨日まで代り映えしない街の風景が見えたのに、どうしてこうなった?
夏の匂いに誘われて鳴いていたセミも、どこにもいやしない。
もしかして寝ている間にアパートが水没した?
でも、近くには海は無いし……
どれだけ考えても理解できず、まるで悪い夢でも見ているようだった。
「川島様、起きられましたか?」
あまりの事態に呆然としていると、自分を呼ぶ声がした
振り返ると、そこにはこの世の物とは思えない程美しい女性がいた。
女性は優しく自分に微笑みかける。
女性の後ろには、鯛が控えるようにいた。
なにも無い空間に『ここは水中です』と言わんばかりに、当たり前の様に浮かんでいる。
荒唐無稽な目の前の風景に、夢かと思い頬をつねる。
しかし頬から伝わる痛みが、ここは現実だと知らせて来る
「お疲れのようでぐっすりと眠られていましたよ。
さあ、朝ご飯の準備は出来ておりますから――」
「待って、ちょっと待って」
咄嗟に女性の言葉を遮る。
失礼なことだと承知しているが、何が何だか分からないまま事態を進行させないで欲しい。
頭が爆発しそうなくらい混乱しているのに、何も教えないのは酷くないか?
俺は努めて冷静さを装いながら、女性に質問する。
「ここはどこ?」
「竜宮城でございます」
「竜宮城って、あの!?」
そこですべてが繋がった。
竜宮城と言えば、昔話の『浦島太郎』に出てくる場所。
海の底、美しい女性、不思議な魚……
この世とは思えないほど美しい城で、そこで時を忘れてしまうほど楽しい時間が過ごせると言う。
辺りを見渡せば、確かにここは自分の部屋ではない。
部屋は趣のある和室で、お高そうな美術品が多数置いてある。
一見して自分の部屋ではないと分かるのだが、混乱のあまり気づかなかったようだ。
となると、目の前の女性は乙姫だろうか?
ただならぬ雰囲気を纏っているので、多分そうなのだろう。
にわかには信じがたいが、目の前に起きている信じがたい事実の数々。
本当に竜宮城なのだろう。
アレはフィクションじゃなかったのか……
そんな思いを抱きながら、乙姫にさらなる質問をする
「それで、なんでボクはここにいるの?」
「川島様は、先日亀をお助けになられましたよね?」
「亀を助けた?
俺が?」
「ええ、先週の日曜日に、川辺で」
乙姫に言われて、先週の日曜日の事を思い出す。
確かその時は、アイスを買いに近所のコンビニに行こうとしていた。
川に沿って続く歩道を歩いていると、川辺でひっくり返った亀を見つけたのである。
足をばたつかせてもがく亀。
かわいそうに思った俺は、亀をひっくり返してその場を去ったのだった。
「ああ、思い出した。
あの時の」
「探すのには苦労しましたよ。
なにせ、名乗らずに行ってしまわれるのですから」
「普通は亀には名乗らないよ」
「そうでもありませんよ。
亀を助けて名乗る方が大勢いらっしゃるのです」
「へえ、そうなんだ……」
昔話を真に受けて、名乗る人がそれなりにいるらしい。
どうやら意外とロマンチストが多いようだ。
けれど自分がこうして竜宮城に来ている事を考えれば、あながち間違っても言えないのだが。
そんな事を思っていると、腹が大きな声で鳴いた。
「もっとお話をしたいところですが、空腹であるご様子。
お食事を食べながらお話ししましょう」
「そうしよう。
とりあえずなにか腹に入れて、話はそれからだな」
「ではご案内します」
最低限の身なりを整えて、乙姫に付いて行く。
いい匂いがし始める。
これは期待できそうだ。
腹ごしらえをして、次にすることは……
とまで考えてあることに気づいた。
「今思い出したんだけど、俺今日は大事な会議があるんだ。
朝食を食べたら地上に送ってもらえないかな?」
「ああ、それについてはご安心を。
こちらで手配しております」
「手配?」
「そろそろ連絡が来る頃だと思いますよ」
と乙姫が言うと同時に、通知を知らせてスマホが震える。
通知はLINE、上司からのメッセージだった。
『川島よ、話は聞いた。
そこにいる女性の言う事には絶対に逆らってはいけない。
こちらの事は何とかするから、自分の身の安全だけ考えてろ』
妙に不穏なメッセージに、俺の心が不安でいっぱいになる。
俺殺されるの?
そう言われてみれば、『浦島太郎』はバットエンド。
気を抜くととんでもない事が起こるのかもしれない。
「ところで亀を助けた人は大勢いるみたいだけど、どうなったの?」
「ええ、下心があるとはいえ、恩は恩。
歓迎し、笑顔でお帰り願いました」
「そうなんだ」
「イケメンは返しませんけどね」
「へ?」
「冗談ですよ」
ふふふ、とイタズラっぽい笑みを浮かべる乙姫。
だが俺は見逃さなかった。
乙姫の目の奥が、ほの暗い炎を宿していた事を……
「早く行きましょう、川島様。
用意したご飯が冷めてしまいます」
「ああ、分かった。
冷めたらおいしくないもんな」
適当に話を合わせつつ、乙姫に付いて行く。
おいしそうと思えた朝ご飯の匂いも、今では最後の晩餐としか思えない。
叫びそうになるくらい恐怖していると、再びスマホが震える。
震える手で操作すると、また上司からメッセージが来ていた。
『おまえは顔がいいから、逆らわない限り乱暴されることは無いだろう。
その内飽きるだろうから、それまでの辛抱だ。
生きて帰って来いよ』
一説によると、浦島太郎は300年間竜宮城にいたらしい。
さすがにそこまで引き留められるとは思わないが、覚悟はしたほうがいいかもしれない。
「川島様、どうかされましたか?」
「……なんでもない。
すぐ行く」
帰ってみせる、たとえ300年かかろうとも。
乙姫のなめつける視線に寒気を感じながら、俺は硬く決意をするのだった。
60.『最後の声』『まだ見ぬ世界へ』『夏の気配』
玄関から出ると、巣にいたツバメの雛がいなくなっていた。
天敵に襲われたかと不安になるが、隣にいた亭主によると今朝早くに巣立ちしたとのこと。
七月に入り夏の気配が濃くなってきた今日この頃。
今日みたいに天気のいい日は、たしかに旅立つにはちょうどいい
まだ見ぬ世界に胸を躍らせて巣立つツバメ。
それがかつての娘と重なる。
一年前の今頃、社会人になった娘は家を出た。
県外の会社で働くことになり、近くにアパートを借りて住む事になったのだ。
若いツバメと同じように、新しい世界に希望を抱き家を飛び出す娘。
家を出る時の最後の声は、とても弾んでいた。
そして仕事が充実しているのか、今日まで一度も帰って来なかったが……
とんだ親不孝者である。
しかし、その娘が今日帰って来る。
結婚を約束した恋人と一緒に。
歳を取り、たいていの事は動じなくなったと思っていたが、まさかここまで心をかき乱されるとは。
一週間前に帰って来ると連絡があったが、それ以来気が気でない。
今だって、到着予定の時間にはまだ早いのに、いても経ってもいられずこうして玄関に出ている。
まだかまだかと待っていると、ふとあることを思い出す。
いつかテレビでみたのだが、ツバメは寒い場所が苦手だから、冬を暖かい場所で過ごすらしい。
そして暖かくなると、かつて育った巣に里帰りするという。
まるで娘のようだ、と私は思う。
娘も寒さが苦手であった。
冬になると、ストーブの前から動かなかなくなる。
毎朝学校に送り出すのは一苦労だった。
そういえば娘が勤める会社もはるか南の方。
仕事が忙しくて帰れないと言っていたが、本音では寒いのが嫌で戻ってこないのではないかと邪推する。
これは、返ってきたら問いたださないといけない。
私はひそかに決意する。
「来たぞ」
亭主の声に、私は顔を上げる。
視線の先で、娘と男性が肩を並べて歩いていた。
娘は大きく手を振っており、隣にいるのはおそらく恋人だろう。
真面目そうな人だが、さてどうだろう?
こっちも確かめないといけない。
やることが山積みだけど、その前に言うことがある。
「おかえりなさい」
私の声を聞いた娘はニコリと笑い――
「ただいま!」
娘は里帰りした子ツバメのように、生まれ育った家に駆け込むのであった。
子供の頃の夢は、アイスクリーム屋さんになることだった。
食べるのも好なのはもちろん、食べる人の幸せそうな顔を見るのも好きだからだ。
子どもに買ってあげる親。
友人同士で同じものを食べる高校生たち。
一つだけ頼んで、二人で分け合いながら食べるカップル。
みんなが幸せそうなところを見ていると、自分も幸せになった。
小さな愛、中くらいの愛、大きな愛。
アイスクリームはたくさんの愛を運んでくる。
だから僕もアイスクリーム屋になり、たくさんの人に愛を分け与えたいと思った。
でも世界は残酷だ。
僕にはアイスクリーム屋どころか、職業選択の自由すら無かった。
先祖代々武器商人の家系で、自分も武器商人になることが決まっていたからだ。
一度家を飛び出したこともあるが、すぐに連れ戻され罰を受けた。
大好きなアイスクリームを食べることも禁止され、はっきり言って地獄だった。
だが希望が無かったわけじゃない。
粘り強く交渉した結果、副業としてならアイスクリーム屋をしてよいと渋々許可が出たのである。
表面上はアイスクリーム屋として、裏では銃器の売買。
二重経営だが、まさに天にも昇る気持ちだった。
そうして晴れて夢が叶い、アイスクリーム屋(銃器含む)を開業。
僕はおおいにテンションが上が――らなかった。
なぜかって?
アイスクリームがまったく売れないからだ。
理由は明白。
店の立地は人通りの少ない路地裏。
空はこんなにも晴れていると言うのに、日光の届かない陰気臭い場所。
こんな偏屈な場所に人が来るわけがない。
普通ではない人間を除いて、だが……
開店して一週間経つと言うのにアイスクリームの売り上げはゼロ。
銃器ばかりが売れ、これではまるで武器屋さんである。
冗談ではない。
ウチはアイスクリーム屋である。
だが憤ってもアイスクリームは売れることは無い。
そこで僕は、銃器を買いに来る人間にも売り込みを掛けることにした。
「なあ、銃もいいが、たまにはアイスクリームも買っていかないか?
おいしいぞ」
「馬鹿か?
なんでそんなマズイもん食わねえといけないんだよ」
気がついたら目の前の男を殴り倒していた。
当たりどころが悪かったのか、呻くばかりで動こうとしない。
コイツはアイスクリームを馬鹿にした。
それだけで万死に値する。
しかし『マズイ』という発言は引っ掛かる。
アイスクリームはうまいもの。
なのにマズイと言うのはなぜだろう?
と、そこであることに気づいた。
もしかしたら、彼はアイスクリームを食べたことが無いのかもしれない。
いわゆる食わず嫌いというものだ。
そうでなければ、アイスクリームをマズイなんて言う訳がない!
普通ではありえない話だが、彼の住む世界は裏社会。
ありえない話じゃない。
そうと決まれば話は早い。
アイスクリームを口にすれば、きっと彼の偏見も消えるハズ。
僕は使命感に駆られ、よそったアイスクリームを持って彼の側にしゃがみ込む。
「お前、こんなことをしてタダで済むと思って……」
「おい、アイスクリーム食えよ」
「お前何言ってる?
頭でも打ったか?」
「気にするな、サービスだ」
「本当に何を言って――もごお」
「うまいか?」
「待て、息が出来な……」
「もっとあるから遠慮しなくていいぞ」
「ぐああああ」
5個目のアイスクリームを口に突っ込んだところで、彼は動かなくなった。
僕のアイスクリームにまみれた彼の死に顔は、まるで至福を閉じ込めたようだ。
と思うのは僕の妄想だろうか?
それはともかく、今回の一件で気づいたことがある。
「もしかしたら他の人間もアイスクリームを食べたことが無いのかもしれないな。
家族が反対した理由もそこにあるのかもしれない。
こうしちゃいられない。
みんなにアイスクリームの素晴らしさを教えてあげないと!」
🍧 🍨 🍦
「速報です。
最近巷を騒がせていた、アイスクリーム殺人事件の犯人が捕まりました。
被害者は全員裏社会の人間と言うことで、ヤクザの抗争が疑われていましたが、容疑者は『愛を与えたかった』と謎の供述をしており――」