62.『クリスタル』『遠くへ行きたい』『青い風』
『青い風』と呼ばれる殺し屋がいた。
彼は伝説の殺し屋として名を馳せていた
『青い風』に狙われて生き延びた人間はおらず、どんなに厳重な警備を敷いても簡単に殺しを成功させるという……
彼の手口はシンプルだ。
ターゲットに近づき、すれ違いざまにナイフを心臓に一突き。
ただそれだけ。
監視の目ををすり抜け、ナイフを突き立てる。
あまりの鮮やかさに、刺された人間もすぐには気づけないほど。
事態が発覚するころには、『青い風』はその場にいない。
その場に残されるのは、既に死んだターゲットと、胸に刺さっている青いナイフのみ。
誰も彼を見たものはおらず、風の様に現れのようにその場を去ることから『青い風』と呼ばれていた。
そして『青い風』が活躍する街に、とある若者がいた。
彼は『青い風』に憧れ、殺し屋業界に入ったが、腕が悪くいつも失敗ばかり。
今日も依頼は失敗し、逆に違約金を払って一文無しであった。
憂さ晴らしをするため、殺し屋たちが集う酒場にやって来た若者。
だが彼はお金を持っていない。
彼は酒は飲むため、他の客に奢らせることにした。
酒場全体を見渡すと、奥の方で景気よく酒を飲んでいる老人を見つける。
年甲斐もない飲みっぷりに心配になるほどだが、あの様子なら気前よく酒を奢ってくれるに違いない。
若者はそう思い、老人に目を付けた。
とはいえ『奢ってくれ』と言って、素直に奢ってくれる人間は居ない。
そこで老人をほめることにした。
誰だって褒められて悪い気分にはならない。
いい気分にしたところで酒を奢ってもらう、それが彼の算段であった。
「なあ、あんた青い風だろう?」
若者は、老人をあえて『青い風』と呼ぶ。
殺し屋にとって『青い風』に間違われることは名誉である。
多くの気をよくするのだが、しかし老人は違った。
「なぜ分かった」
声をかけられた老人は驚いたように目を見開いたのである。
信じられないものを見るかのように、老人は若者を睨みつける
この反応には若者も驚いた。
今までに同じ方法で声をかけたことはあるのだが、この老人の反応はこれまでとは全く違ったのである。
『まさか、本物か?』
若者は動揺しつつも顔には出さず、老人と机を挟んで向かいに座る。
「隠しているつもりだったのか?
見たら分かるよ」
「そうか。
儂も落ちぶれたもんだ。
こんな若造にな……」
そう言って、老人はグビリと酒を飲む。
半信半疑であった若者だが、酒をおごってもらうため話を合わせる事にした。
「オレ、あんたに憧れてるんだよね。
なんか秘訣とかあるの?」
「全部このお守りのおかげだ。
クリスタルのおかげで何もかもうまくいく」
老人そう言っては、シャツの胸ポケットからクリスタルで出来たお守りを取り出す。
お守りを見た若者は眉をひそめた。
それはどう見ても土産屋で売ってそうな、安っぽいお守りだったからだ。
こんなものにご利益があるわけがない。
若者は、目の前の老人が思い込みの激しいただの酔っ払いではないかと思い始めていた。
「信じてないようだな」
「いや、そんな事は……」
「信じないのも無理はない。
ではこれをやろう」
そう言って、若者の前にクリスタルを置く。
「これを身に付ければ、なにもかもがうまくいく。
努力も秘訣も必要ない」
「それはおかしい。
もしアンタの言っている事が本当なら、これからもアンタには必要なものだろう。
どうして俺に渡す?」
「引退するつもりだ。
正体不明が売りだったのに、お前みたいな若造に見破られた時点で終わりだよ」
「分かった、貰っておこう。
信じたわけじゃないが、持ってても邪魔にならないしな
アンタはどうするつもりだ」
「せっかくだから、遠くへ行きたいな。
うんと遠くへな」
そう言って老人は去っていった
翌日、若者は老人の言葉に従い、クリスタルのお守りを身に着けて仕事に臨んだ。
すると不思議なことに全てがうまく運んだ。
しかし上手く行き過ぎて不安になった
ターゲットに近づいても、誰も自分に関心を向けない。
さらにターゲットを殺した後も誰も追いかけて来る様子はない。
それどころか報酬が倍になる始末。
なにもかもがうまく行き過ぎた。
どう考えても普通ではなかった
自分はとんでもない物を手にしたんじゃないのか……
そんな風に怯えながら道を歩いていると、突然暗がりから男が現れた。
「気づいたかい?
これはあんたが思っているように、幸運のお守りじゃない」
頭には角が生え、禍々しい尻尾も生えている。
まるで伝え聞く悪魔のようだった
「誰だ!?」
「私はお前と契約した悪魔さ。
お前が持っているクリスタルこそが契約の証」
「オレはお前なんて知らない」
「いいや、クリスタルを譲り受けただろう?
ならお前が契約者だ」
「あの老人はオレを騙したのか?」
「騙したりはしてない。
それを持っている限り、お前の成功は約束されている。
聞いたはずだ」
「そんなうまい話があるもんか!」
「当然代償は必要だ。
だが安心したまえ、命までは取りはしない」
悪魔はおぞましい笑みを浮かべた。
「お前の若さを全て貰う。
いろいろ不自由になるだろうが何も心配はいらない。
たとえ老人になっても、お前を邪魔するものはいないのだから」
7/8/2025, 1:35:30 PM