『届かないのに』『糸』『雨の香り、涙の跡』
ある日のことです。
お釈迦様は、極楽にある蓮池の側で悲しんでいました。
数刻前、地獄にいるカンタダを救うため、地獄へと通じる蓮池に蜘蛛の糸を垂らしていたのですが、糸が切れてしまったのです。
ほかならぬカンタダの、他人を蹴落とそうとする無慈悲な行いによってです。
カンタダは生前残虐な大泥棒として名を馳せていました
裕福な家に盗みに入り、金目の物を奪うばかりではなく、人を殺める事も厭わないため、人々を恐怖に陥れていました。
そんなカンタダでしたが、一度だけ善行をしたことがあります。
小さな蜘蛛を助けた事があるのです。
カンタダににとって気まぐれなのでしょうが、それは紛れもない善行です。
善行は報いがあるべきと考えたお釈迦様は、極楽へと来れる機会を与えたのです。
しかし、カンタダは己の浅ましさによって、その機会を自ら潰してしまいました。
自らの行いによって救いの道を閉ざす。
そんな結末に、お釈迦様は嘆かれたのです
その一連のやりとりを見ていたものがいました。
カンタダの元相棒、カンベエです。
かつてカンタダと組んで、巷を騒がせていたカンベエ。
結婚を機に犯罪から足を洗い、今までの悪事の償いをするかのように善行に取り組みました。
それが認められてカンベエは極楽へ迎えられたのです。
しかしカンベエの心には、ずっと心残りがありました。
カンタダの事です。
カンベエは多くの善行を行いましたが、特に力を入れたのは防犯について。
元犯罪者であるカンベエは、どんな対策をすれば犯罪者が嫌がるかをよく知っていました。
カンベエの的確な助言による防犯対策は功を奏し、犯罪を減らすことに成功、町の治安は良くなっていきました。
そんな時でした、カンタダが捕まったのは……
カンベエの防犯対策によってカンタダは盗みに失敗、そのまま捕らえられたのです。
カンタダが連行される時、カンベエもその場にいました。
すぐにでも振り出しそうな雨の香り、そして悔しさをにじませたカンタダの涙の跡。
無念のうちに連れていかれる元相棒の姿に、カンベエは黙って見送ることしか出来ませんでした。
そして、まるでかつての相棒を嵌めたような形になったカンベエは、そのまま気を病んでしまいました。
そして極楽に来た後もカンベエの心は晴れず気晴らしで散歩に出た時に、お釈迦様が蜘蛛の糸を垂らすところを目撃したのです。
そうして蜘蛛の糸が切れた後、お釈迦様が去っていくのを見てカンベエは蓮池の側まで走り寄りました。
蓮池から地獄の様子を伺うためです。
再び地獄まで堕ちてしまったカンタダは、極楽に向かって罵詈雑言を叫んでいました
届かないのに、なおも叫び続けづカンタダ。
その様子を見たカンベエは心を痛め、カンタダがあそこまで落ちぶれてしまった原因は自分にあると感じました。
カンベエは罪滅ぼしにと、カンタダを助ける事を決意しました。
そしてお釈迦様がされたように、もう一度蜘蛛の糸を垂らしたのです。
垂らされた糸を見て、カンタダはすぐさま糸を掴みます。
そして途中で切れては敵わないと、一回目よりも早い速度で昇っていきます。
無心で上った結果、後ろを振り向いて亡者たちを振り落とすこともなく、無事に登り切ることが出来きたのでした。
「なんだ、糸を垂らしていたのはお前だったのか」
「許して欲しい、カンタダ。
俺は……」
「何も言わなくていい。
俺を極楽まで連れてきてくれたことには感謝してる」
カンタダは優しく笑いかけながら、カンベエの肩を掴みます。
「だが許さねえよ」
「うあああ」
カンタダは、カンベエの肩を思い切り引っ張って蓮池の中に落としてしまいました。
カンベエは何が起こっているか分からないまま池に沈みます
「俺を裏切った奴は許さない。
たとえ恩人だろうともな」
カンベエが浮き上がってこない事に、カンタダは満足気に笑みを浮かべます。
「これで邪魔者はいなくなった。
ここでのんびりと暮らし――
なんだ?」
そこでカンタダはあることにに気がつきました。
いつのまにか、目の前に大きな柱がそびえ立っていたのです。
「こんなものあったか?」
不思議に思いつつ周囲を見渡すと、柱は全部で五本。
カンタダを取り囲むように立っていました。
「カンタダよ」
「俺を呼ぶのは誰だ!」
カンタダは声の方を振り向きます。
そこには巨大なお釈迦様の顔がありました。
非常識な光景に、カンタダは呆然とします。
「極楽まで連れて来た恩人を池に落とすとは何事だ」
「これは手違いで……
ははは」
「改心すれば極楽にいさせたものを」
お釈迦様がそう言うと、突然の地面が震え始めました。
カンタダは、そこでようやく自分がどこにいるか気づきます。
「お釈迦様の手のひらの上だったのか!」
「もう一度地獄へと落としてくれる」
「待ってくれ。
改心するからもう一度――」
カンタダは助命を乞いますが、最後まで言うことが出来ませんでした。
お釈迦様が手のひらを返したからです。
「もう二度と、お前には救いはない」
カンタダはそのまま真っ逆さまに地獄へと落ちていきました。
こうして地獄へと舞い戻ったカンタダは、ようやく自らの愚かさに気づきましたが、二度と救いの手が差し伸ばされることはありませんでしたとさ。
君はこんな経験があるだろうか?
家でのんびり寛いでいる時、用事を思い出して立ち上がったがいいが、その瞬間忘れてしまった経験。
休日街を歩いている時、知り合いに会ったが、名前を全く思い出せない経験。
トイレに言った後、スマホをどこに置いたか分からなくなる経験。
今日が何曜日なのか忘れてしまった経験……
それらの原因は『加齢が原因の物忘れ』と信じられているが真相は違う
それは海賊の所業。
記憶の海を股にかける大海賊ボウ・キヤックの仕業だ。
ボウ・キヤックは金銀財宝には一切興味を見せない。
ひたすら人間の思い出や記憶を奪い、悦に浸るのが彼の趣味なのだ。
ボウ・キヤックの手際は鮮やかだ。
記憶を盗まれてもすぐには気づけず、多くの人が盗まれたことにも気づかない。
彼の手際は、かの大怪盗ルパンにも匹敵する。
もしも君がジュースを飲みたくなったとしよう。
君はキッチンに行き、棚からお気に入りのマグカップを取り出すだろう。
そして、冷蔵庫から取り出してジュースをマグカップに注ぐ。
もしかしたら、おやつも一緒に用意するかもしれない。
これでようやく準備が整ったわけだが、ボウ・キヤックが暗躍するのはこの時だ。
彼は部下を使って君へと来客を装う。
あるいは不審な物音を立てるなど、君の注意を惹く。
君は来客や物音に対応するため、手に持っているマグカップをキッチンの流し台の上に置くだろう。
このとき、ボウ・キヤックが掠め取るのだ。
君の『ジュースを用意した』と言う記憶を……
そして、まんまとトラブルに対応させられた君は、ジュースの事など忘れ他の作業をし始める。
そしてジュースは、流し台の上に放置される。
気づいた時にはもう遅い。
ぬるくなったジュースが残されただけだ
なぜボウ・キヤックの正体は誰も知らない。
神出鬼没で、誰も姿を見た者すらいないからだ。
だが一つだけ分かっている事がある。
それは今も記憶を盗み続けていること。
ボウ・キヤックは自らの趣味のため、今日も記憶を集め続ける。
もし物音を聞いたら気をつけたほうがいい。
次に盗まれるは、君の記憶かもしれないのだから。
🏴☠️ 🏴☠️ 🏴☠️
「これが宿題を忘れた理由です、先生。
全ては海賊のせいなのです。
自分は悪くありません」
「それは災難だったな。
だが安心するといい。
そんな事もあるかと思って、補習の準備をしてあるから」
55.『雨音に包まれて』『I love』『君だけのメロディ』
「俺、漫画の才能無いかも」
とある日のリビング、暗い表情で息子のコウジがポツリと呟く。
漫画家になるために、コンテストに応募したと言っていたが、どうやらダメだったらしい。
自信作だった分、ショックだったに違いない。
私も読ませてもらったが、とても面白かった。
親目線だからかもしれないが、あれで入選しないというのは信じがたい。
漫画家になるというのは、私の思っている以上に難しいらしい……
コウジは小さい頃から漫画家になりたいと言っていた。
親として可愛い息子の夢を応援しているのだが、どうにも結果が芳しくない。
頑張っている姿を見ているだけに、まるで自分の事の様に心が苦しい。
でもこれだけは言える。
息子は漫画が大好きだ、誰よりも。
コウジの人生は漫画を中心に回っている
小学生の頃、覚えたての英語を使って『I love MANGA』と言っていたのは今でも忘れない。
学校で習った事はすぐ漫画に反映させるし、それを描いている息子は楽しそうだった。
好きなことを仕事に出来る。
これほど幸せなことは無い。
だからなんとしても夢を叶えて欲しい。
そう思うのは、私が夢を諦めた事があるからだろう。
私は若い頃アイドルだった。
地下アイドルというマイナーなジャンルではあったけど、とても充実していた。
歌って踊って、たくさんの人に元気を与えるアイドル。
そんなアイドルに私はなりたかった。
でも私は辞めた。
才能に限界を感じたのだ。
自分よりも才能がある子がいて、自分よりもかわいい子がいる。
愛想のいい子がいれば、運に恵まれた子もいる。
負けて堪るかと頑張ってみたものの、たくさんの後輩たちに追い抜かれ続け、ついに私の心は折れてしまった。
事務所に引退の意思を告げて、雨の中傘もささず歩いた道。
雨音に包まれて家に向かう光景は今でも夢に出る。
人生であれほど辛い事は無かった。
息子もきっと、あの時の私のように絶望した気分だろう
でも人生とは、辛い事ばかりではない。
息子にせがまれて童謡を歌った時、ものすごく喜んでくれた。
あれほど幸せだった事はない。
人生には嬉しい事も辛い事もたくさんある。
これからもめげずに頑張ってほしい
だが私が何を言っても、息子の心には響かないだろう。
コウジには漫画の才能があると確信しているけれど、私は漫画の事を何も知らないのだ。
『何も知らないくせに』と返されるのは、目に見えていた。
そんな私に出来ることは何だろう?
漫画の事は分からない。
絵の上手くなる秘訣は知らないし、どうすれば入選するかも知らない。
漫画について、私は何もアドバイスが出来ない。
私に出来るのは――歌だけだ。
そうだ、歌を送ろう。
息子が喜んでくれた歌。
その歌に乗せて、私の思いを伝えよう。
「今から歌を歌います」
「急に何?」
「コウジが落ち込んでるから、励ますために歌います」
「意味分からん」
「歌います!」
「分かったよ」
渋々といった表情で、私の正面に座るコウジ。
気が進まないといった様子であるが、ちょっとだけワクワクしている様子が伺える。
なんのかんのと言っても、コウジは私の歌が好きなのだ。
「で、何歌うの?」
「あっ」
「まさか……」
「いやいやいや、ちゃんと考えているよ。
君だけのメロディをね」
だが何を歌うか決めてなかった。
今決めたことなので、準備など何もしていない。
見切り発車もいいところだが、ここで引けば沽券にかかわる。
頭をフル回転させ、この場にふさわしい歌を考える。
『人生山あり谷ありだけど、いつかはきっと報われる』
そんな教訓めいた想いを伝え、そして説教臭くなく、思わず笑顔になるような、そんな素晴らしい歌。
でもそんな都合のいい歌なんてあるのだろうか?
私の人生の中で、そんなそんな歌聴いたことない――
あったわ。
とびっきりの歌が。
これならコウジも笑顔になるはず。
「では聞いて下さい。
息子に捧げる応援歌」
私は大きく息を吸って、歌い始める
「人生楽ありゃ苦もあるさ~」
52.『水たまりに映る空』『さあ行こう』『夢見る少女のように』
これは令和のお話です。
あるところに須藤凛子という女性がおりました。
彼女はゲーム大好きで、特に任天堂が出すゲームを愛していました。
任天堂の出したゲームは古いハードも含めて全てコンプするほど熱心なゲーマーです。
言葉を選ばないのであれば、彼女は重度の任天堂信者でした。
そんな彼女です。
今話題のSwitch2の抽選販売に申し込むのは当然の流れでした。
当選発表まで眠れない夜が続く凛子でしたが、祈りが通じたのか晴れて当選のメールが来ます。
受取日当日、休みを取って近所のコンビニでswitch2を受け取る凛子。
天にも昇るような気持ちで我が家に向かいます。
いい歳した大人がスキップする様子は、周囲の人々から注目されましたが、当の本人は気にしません。
夢見る少女のように、鼻歌を歌いながら家路につきます
凛子は幸福の絶頂にいました。
手に持っているSwitch2を見ながら『何があってもこの手は離さない』と誓いました
しかし、不幸というものは油断したときに襲い掛かって来るもの。
足元の注意がお留守になっていた凛子は、ポイ捨てされた空き缶を踏み転んでしまいました。
「あっ」
勢いよく滑ってしまった彼女は、思わずswitch2を手放してしまいます。
そして放Switch2は、放物線を描きながら水たまりの中に落ちてしまいました
「ヤバい!
遊ぶ前に水没で壊すなんて洒落にならない」
凛子はすぐに拾い上げるため、慌てて水たまりに駆け寄ります。
しかし不思議なことに、目に映るのは水たまりに映る空ばかり。
switch2はどこにもありません。
なにが起こったか分からず右往左往する凛子。
その時不思議な事が起こりました。
「私は水たまりの女神です。
お前はこの水たまりに物を落としましたね」
なんという事でしょう。
水たまりの中から女神が現れたのです。
凛子がその神々しさに呆けていると、さらに女神が言葉を続けます。
「あなたが落としたのは、この金のswitchですか?
それともこちらの銀のswitchですか?」
「いいえ、私が落としたのはマリカー同梱版のswitch2です」
凛子が正直に答えると、女神は驚いたような顔をします。
「なんと正直なのでしょうか。
この嘘と裏切りで満ちた現代社会において、アナタのような正直者がいるのはとても素晴らしい事です」
「光栄です」
「正直者のアナタには、贈り物を与えましょう。
こちらの金のswitchと銀のswitchをどうぞ」
「ありがとうございます」
凛子は女神から金と銀のSwitchを受け取ります。
最新のSwitch2ではなく、旧型のSwitchでしたが、金と銀の価値は不変のもの。
その妖しい輝きに、凛子の目は釘付けでした。
その様子を見ていた女神は、満足そうに頷きます。
「アナタならば、きっと有効活用できるでしよう」
「はい、女神様の好意を無駄にはしません。」
「期待していますよ」
そういうと女神はニコリと笑い、そのまま水たまりの中に消え――
「ちょっと待て」
凛子は、女神の肩をがっしりと掴みます。
肩を掴まれた女神は、先ほどより少しぎこちない笑みを浮かべて凛子を見ます。
「……なんでしょう?」
「『なんでしょう?』じゃない!
他に渡すものがあるだろ?」
「いいえ、それで全部です。
さすがに銅のswitchはありませんよ」
「そうじゃない!
switch2を返せ!」
凛子がそう言うと、女神はチッと舌打ちをした。
「舌打ち!?
女神が舌打ちだって!?」
「仕方ないではありませんか!
女神だってswitch2が欲しいのです」
「抽選落ちたんか!」
「ええ、落ちましたとも!
いつも人々の幸福を願っていると言うのに酷いと思いませんか?」
「酷いのは貴様だ。
switchを2台と、最新のswitch2が釣り合うと思ってんのか!」
「釣り合いますよ。
そのSwitchを売れば、ざっと1000万!
ブームが落ち着いた頃に、100台でも200台でも買えばよいのです」
「分かってねえな!
発売日にプレイするっていう経験は金に換えられねえんだよ!
とにかくSwitch2を返せ!」
凛子はそう言うと、女神の隠し持っていたswitch2を奪い返します。
「金と銀のswitchはいらねえから、とっとと失せろ!」
「ええ、分かりましたよ!
この欲深い人間め!
呪われてしまえ」
女神は捨てセリフを吐くと、水たまりの中に消えていきました。
凛子はというと、水たまりにツバを吐きその場を去っていきます。
これで、人間と女神のswitch2を巡る争いは終わったのでした。
しかしその様子を見ていた男がいました。
彼の名は悪朗。
転売によって生計を立てている嫌われ者でした。
今日は転売用のSwitch2を受け取った帰り道、凛子と女神のやりとりを目撃したのです。
そして彼は思いました
「あいつはバカだ。
金銀のswitchを渡せば大金持ちになれるのに」
switch2はもともと転売用に買ったもの。
彼はゲームには興味がありません。
手っ取り早くお金を稼げるのなら、渡すことになってもSwitch2は惜しくはありません。
そう考えるのは自然なことでした。
「転売してもたかだか10万そこらだが、女神に渡せば1000万。
すぐに大金持ちだ」
悪郎は、自らの輝かしい未来を想像し、思わず笑みがこぼれます。
「さあ行こう。
これが俺の輝かしい未来への第一歩だ」
悪朗は、まるで夢見る少女のように鼻歌を歌いながら、水たまりに近づきます。
「わあしまったあ」
やや棒読みで転ぶフリをする悪郎。
もちろんぬかりなく水たまりにswitchを放り込みます
ドボンと音を立てて沈むswitch2。
その様子を悪郎は目を輝かせながら見ていました。
そして予想通り水たまりから女神が現れました。
「私は水たまりの女神です」
「よし来た!」
悪朗は心の中でガッツポーズします。
これで、自分は大金持ちだ。
悪郎は計画の成就を確信します
ところがです。
どれだけ待っても、女神は何も言いません。
不思議に思って女神を見れば、その手に持っているのは先ほど悪朗が落としたばかりのSwitch2。
凛子の時は、最初から金銀のSwitchを持っていたのに、これはいったいどういう事か?
悪朗は予想外の展開に、焦り始めました。
「あなたが落としたのは、このSwitch2ですね」
「あ、はい……」
悪朗が答えると、突然涙を流す女神。
さすがの悪朗も狼狽えます。
「あなたが、先ほどのやり取りを見ていたことには気づいていました。
抽選に申し込むも、落選してしまった私を哀れんでくれたのですね」
「あー、そうです」
別にそんな事全然思ってないけれど、女神の不興を買って没交渉にしたくない。
そう思った悪朗は、適当に話を合わす事にしました。
「ですが!
あなたのおかげで、私の手の中にSwitch2がある。
感謝します!」
「それは良かった……
では金銀のSwitchを……」
「さっそくSwitch2で遊んできます!
あなたの人生に幸あれ!」
「待て、ちょっと待ってくれ!」
帰ろうとする女神に、とっさに手を伸ばします。
しかし手はむなしく空を切り、女神は水たまりの中に消えてしまいました。
そして残されたのは、悪朗と水たまりだけ。
Switch2は無くなってしまいました。
悪朗のSwitch2は、転売目的とはいえお金を出して買ったもの。
それを女神にタダでもタダで持っていかれてしまい、悪朗は丸々赤字になってしまいました。
大富豪の未来から、また一つ遠のいてしまった悪朗……
その現実を受け入れられず、悪朗はいつまでもその場に立ち尽くすのでした。
これでこのお話は終わりです。
さて、このお話の教訓は何でしょうか?
『欲張りはすべてを失う』?
『悪い事はするもんじゃない』?
『人生、何事もほどほどが一番』?
『転売は悪』?
いいえ、違います。
このお話の教訓は『飢えた獣の前にエサをぶら下げるな』。
Switch2が欲しい人間の前に、Switch2を見せつければトラブルになるのは自然なこと。
今回も、深く考えずに女神にSwitch2を差し出した悪朗が悪いのです。
まさに自業自得と言えるでしょう。
これを読んでいる皆さんも、目先の大金につられて、Switch2を見せびらかせてはいけません。
悪朗のようにSwitch2を失うかもしれないのですから……
『傘の中の秘密』『約束だよ』『恋か、愛か、それとも』
恋か、愛か、それとも万引きか?
自身が経営するアンティークショップで、『中古の傘』コーナーに熱のこもった視線を向ける若い女性がいた。
かれこれ2時間ほど居座っており、懐に心配があるのか時折ウーンウーンと唸っていた。
わがアンティークショップでは、他の店よりも幅広い商品を扱っている。
そのうちの一つが、女性が見ている『中古の傘』なのだ。
けれど、ただ傘と言ってもウチにあるのは一山いくらのビニール傘ではない。
いわゆる高級傘と呼ばれる、ハイエンド物だ。
高級には高級なりの理由がある。
耐久に優れ、デザインが優れ、機能に優れる。
全ての点においてワンコインの物とは比較にならないのだが、その分お値段も張る。
一万ぐらいのそこそこ手ごろな物から、二十万と目玉が飛び出るような物まで。
安い価格帯でも若者が躊躇する値段だが、中古ならばいくらかハードルが低い。
そのため憧れの高級傘を手に入れるべく、熱心に物色する客は珍しくない。
万引きされる可能性もあるため目は離せないが、邪魔にならない限りは暖かい目で見守っていた
だがもうすぐ閉店時間。
そろそろ買うか買わないかを決めてもらわないと、店を閉めることが出来ない。
どうしたものかと考えていると、女性は突然「ヨシ!」と声を上げた
「店長さん!
これ会計して!」
「あいよ」
嬉しそうに笑みを浮かべる女性から傘を受け取り、カウンターに置く。
そして傘に付けた値札を見て、あることに気づいた。
「お客様、申し訳ありません。
これ売りものじゃないんですよ」
「ええ!?」
女性がショックを受ける。
無理もない。
悩み抜いて選んだ傘を売れないと言われたのだ……
納得がいくわけがない。
「売れないってどういうこと?」
「不良品なんですよ」
「不良品?」
「部品が壊れていのか、この傘は開かないんです。
捨てようと思っていたんだけど、忘れていまして……
とにかくこの傘は使えないんです」
「ああ、そういう事でしたか……」
女性は合点が言ったかのようにウンウンと頷く。
どんなに気に入ってても使えなければ意味が無い。
『直せ』と言われることもあるので、納得してもらって安心する。
しかし、
「買います」
「えっ!」
女性の口から出た言葉に耳を疑う。
不良品なのに買う!?
なんで!?
「それ不良品だよ!」
「大丈夫、大丈夫。
開かなくても問題ないし」
「問題大ありでしょう!」
「そもそもこれ、傘じゃないし」
「傘じゃない……?」
女性の持っている傘をまじまじと見る
傘じゃないと言うが、どう見たって傘でしかない。
開かない傘を傘と呼んでいいかは議論の余地はあるが、禅問答をしたいわけじゃあるまい。
「ああ、店長さんは本当にこれが何かご存じで無いのですね」
「お客さんは知っていると」
「ええ、この傘には秘密があります」
「秘密とは?」
「うーん、本当はダメなんですが、このままだと売ってくれそうにありませんね。
せっかくですし傘の中の秘密、ご覧に入れて見せましょう」
「本当は秘密だよ~」と聞の抜けた声で笑う女性。
何が始まるのかと思っていると、女性は傘の横にしてその先を自分に向ける
『どこかで見たことがあるな』と思っていると、
ドコオオオン
突如店内に大きな破裂音が響く。
そして顔の横を何かが掠め、後ろの棚にあった小物が粉々に砕けた。
突然の出来事に一瞬なにが起こったか分からなかったが、数秒ほどして傘の正体に思い至る。
「じゅ、じゅ、銃!」
「はい銃です。
傘に擬態した銃――仕込み傘ってやつですね」
どこかで見たか思い出した。
海外のスパイ映画である。
たしかこんなシーンがあった。
そして傘を向けられた相手は――
「スイマセン。
まさか弾が入るとは思わなくて、暴発してしまいました」
女性はペコリと頭を下げる。
どうやら殺されるわけではないらしい
どうやら今のは純粋に事故だったらしく、申し訳なさそうな雰囲気が漂っていた。
命が助かったことに、心の底から安堵する。
「それで、ですね。
これ売ってもらえませんか」
「え……」
「あの、これ代金です」
ドンという音と共に、カウンターに札束が置かれる。
それこそ映画でしか見たことが無いような帯で包んである札束だ。
その札束が計10個。
しめて1000万円である。
あまりの現実離れした光景に、その場に倒れそうだった
「あの、多すぎでは……」
「いえ!
普通の傘ならともかく、仕込み傘となればこれくらいします。
お金を出しても手に入るか分からないくらいの代物ですから」
「それでもこんなに頂くわけには……」
「……口止め料も含まれています」
「何分、日本では非合法なもので……」と付け加える。
なんと言っていいか分からないでいると、女性は傘を脇に抱え店を出ようとする
「まって、お客さ――」
「店長さん……」
とっさに引き留めようとすると、女性がくるりと振り向き優しく微笑んだ。
「ここで起こったことは誰にも言わないでね。
約束だよ」
微笑みの中に、とてつもない殺気を感じる。
約束を破ったらどうなるのだろうか……
間違いなく、よくない事が起こるに違いない。
何も言い返さないのを肯定と取ったのか、女性は満足そうな笑みを浮かべ去っていった。
姿が見えなくなって安心したのか、そのまま地面にへたり込む。
あの女性何者なのだろうか。
なぜ仕込み傘を買い求めたのか。
分からないことだらけだ。
でも一つだけ分かる事がある。
「秘密は暴くもんじゃない」
世の中にはたくさんの秘密があり、秘密なのには理由がある。
さっきは傘の中の秘密を暴こうとして死にかけた。
女性の秘密を暴けば、今度こそ命は無いだろう。
「店を閉めたら映画でも見よう」
なんでもいいけれど、傘がちゃんと傘をしている映画がいい。
そんな事を思いながら、店を閉めるのであった