『届かないのに』『糸』『雨の香り、涙の跡』
ある日のことです。
お釈迦様は、極楽にある蓮池の側で悲しんでいました。
数刻前、地獄にいるカンタダを救うため、地獄へと通じる蓮池に蜘蛛の糸を垂らしていたのですが、糸が切れてしまったのです。
ほかならぬカンタダの、他人を蹴落とそうとする無慈悲な行いによってです。
カンタダは生前残虐な大泥棒として名を馳せていました
裕福な家に盗みに入り、金目の物を奪うばかりではなく、人を殺める事も厭わないため、人々を恐怖に陥れていました。
そんなカンタダでしたが、一度だけ善行をしたことがあります。
小さな蜘蛛を助けた事があるのです。
カンタダににとって気まぐれなのでしょうが、それは紛れもない善行です。
善行は報いがあるべきと考えたお釈迦様は、極楽へと来れる機会を与えたのです。
しかし、カンタダは己の浅ましさによって、その機会を自ら潰してしまいました。
自らの行いによって救いの道を閉ざす。
そんな結末に、お釈迦様は嘆かれたのです
その一連のやりとりを見ていたものがいました。
カンタダの元相棒、カンベエです。
かつてカンタダと組んで、巷を騒がせていたカンベエ。
結婚を機に犯罪から足を洗い、今までの悪事の償いをするかのように善行に取り組みました。
それが認められてカンベエは極楽へ迎えられたのです。
しかしカンベエの心には、ずっと心残りがありました。
カンタダの事です。
カンベエは多くの善行を行いましたが、特に力を入れたのは防犯について。
元犯罪者であるカンベエは、どんな対策をすれば犯罪者が嫌がるかをよく知っていました。
カンベエの的確な助言による防犯対策は功を奏し、犯罪を減らすことに成功、町の治安は良くなっていきました。
そんな時でした、カンタダが捕まったのは……
カンベエの防犯対策によってカンタダは盗みに失敗、そのまま捕らえられたのです。
カンタダが連行される時、カンベエもその場にいました。
すぐにでも振り出しそうな雨の香り、そして悔しさをにじませたカンタダの涙の跡。
無念のうちに連れていかれる元相棒の姿に、カンベエは黙って見送ることしか出来ませんでした。
そして、まるでかつての相棒を嵌めたような形になったカンベエは、そのまま気を病んでしまいました。
そして極楽に来た後もカンベエの心は晴れず気晴らしで散歩に出た時に、お釈迦様が蜘蛛の糸を垂らすところを目撃したのです。
そうして蜘蛛の糸が切れた後、お釈迦様が去っていくのを見てカンベエは蓮池の側まで走り寄りました。
蓮池から地獄の様子を伺うためです。
再び地獄まで堕ちてしまったカンタダは、極楽に向かって罵詈雑言を叫んでいました
届かないのに、なおも叫び続けづカンタダ。
その様子を見たカンベエは心を痛め、カンタダがあそこまで落ちぶれてしまった原因は自分にあると感じました。
カンベエは罪滅ぼしにと、カンタダを助ける事を決意しました。
そしてお釈迦様がされたように、もう一度蜘蛛の糸を垂らしたのです。
垂らされた糸を見て、カンタダはすぐさま糸を掴みます。
そして途中で切れては敵わないと、一回目よりも早い速度で昇っていきます。
無心で上った結果、後ろを振り向いて亡者たちを振り落とすこともなく、無事に登り切ることが出来きたのでした。
「なんだ、糸を垂らしていたのはお前だったのか」
「許して欲しい、カンタダ。
俺は……」
「何も言わなくていい。
俺を極楽まで連れてきてくれたことには感謝してる」
カンタダは優しく笑いかけながら、カンベエの肩を掴みます。
「だが許さねえよ」
「うあああ」
カンタダは、カンベエの肩を思い切り引っ張って蓮池の中に落としてしまいました。
カンベエは何が起こっているか分からないまま池に沈みます
「俺を裏切った奴は許さない。
たとえ恩人だろうともな」
カンベエが浮き上がってこない事に、カンタダは満足気に笑みを浮かべます。
「これで邪魔者はいなくなった。
ここでのんびりと暮らし――
なんだ?」
そこでカンタダはあることにに気がつきました。
いつのまにか、目の前に大きな柱がそびえ立っていたのです。
「こんなものあったか?」
不思議に思いつつ周囲を見渡すと、柱は全部で五本。
カンタダを取り囲むように立っていました。
「カンタダよ」
「俺を呼ぶのは誰だ!」
カンタダは声の方を振り向きます。
そこには巨大なお釈迦様の顔がありました。
非常識な光景に、カンタダは呆然とします。
「極楽まで連れて来た恩人を池に落とすとは何事だ」
「これは手違いで……
ははは」
「改心すれば極楽にいさせたものを」
お釈迦様がそう言うと、突然の地面が震え始めました。
カンタダは、そこでようやく自分がどこにいるか気づきます。
「お釈迦様の手のひらの上だったのか!」
「もう一度地獄へと落としてくれる」
「待ってくれ。
改心するからもう一度――」
カンタダは助命を乞いますが、最後まで言うことが出来ませんでした。
お釈迦様が手のひらを返したからです。
「もう二度と、お前には救いはない」
カンタダはそのまま真っ逆さまに地獄へと落ちていきました。
こうして地獄へと舞い戻ったカンタダは、ようやく自らの愚かさに気づきましたが、二度と救いの手が差し伸ばされることはありませんでしたとさ。
6/23/2025, 1:14:27 PM