ここは天国。
生前に善行を積んだ者だけが、来ることを許される楽園。
いつも透き通るような青空で、花々が咲き誇る。
川はせせらぎ、鳥は歌う。
飢えも病気もなく、戦争も差別もない美しい世界だった。
そこでは誰もが笑顔で暮らしている。
望めばなんでも手に入り、誰かが奪いに来ることもない
どんな願いでも叶う、全てが満ち足りた完璧な世界であった。
そんな中で一人、浮かない顔をした男がいた
彼の名前は、林 リョウタ。
不幸な交通事故により、若くして亡くなった若者である。
彼は不幸にも短い人生を終えることになったが、生前行った街の美化活動が評価され、天国に住むことを許された。
だが彼の心の中は満たされない……
ここには彼が一番欲しいものが無いからである。
「元気かな、彼女……」
写真を眺めながら、大きなため息をつくリョウタ。
写っているのは『太陽』と例えられるほど輝かしい笑顔の女性。
女性の名前は、草薙ヒナタ。
その界隈では有名な、地下アイドルである。
リョウタは、ヒナタの熱烈なファンであった。
彼女を一目見た時から、リョウタの灰色の人生は輝き始めた。
リョウタには、ヒナタが天使の様に見えていた。
そんな彼はライブコンサートには欠かさずに参加した。
握手会にも行ったことがある。
デビューしたときからのファンで、一度たりともイベントを休んだことは無い。
リョウタにとって、ヒナタは彼の全てであった
けれど、彼はもう死んだ身……
彼女に会いに行くことは出来ない。
彼は死人だからだ。
そして、天国において彼の心を満たすものは無い。
何かもがある楽園ですら、彼の推しはいないのだ。
しかし彼は絶望していない。
もう少しで彼女と会うことが出来るから。
けれど、それは直接会いに行くという事ではない。
死んだ人間がいきなり現れては、大混乱になってしまうからだ
そこで考え出されたのが『MAKURAーMOTO』――会いたい人と夢の中で話せるサービスである
これならば死んだ人間が現れても『夢だから』と驚くことは無い。
リョウタはこのサービスを知った時、雷に打たれたような衝撃を受けた。
もう会えないと思っていた推しに、再び会えるからだ。
リョウタはその場で申し込みをした。
だがこのサービス、なんと一週間待ちである。
『待つ』という概念がない天国において、このサービスだけが順番待ちがある。
天国に来るような人間でも――来るような人間だからか、現世に残してきた人に会いたいといった希望は多いのだ。
天国で一番人気のサービスであった。
そして申し込みをしてから一週間、ようやくリョウタの番が回って来た。
「彼女にやっと会える!」
彼は緊張した面持ちで、彼女の夢へと向かうのであった。
◇
「どうしたんですか、ヒナタさん?
顔色悪いですよ……」
草薙ヒナタがげっそりしているのを見て、マネージャーが心配そうに顔を覗き見る。
今のヒナタは、リョウタが知っている元気なアイドルではない。
顔色は悪く、睡眠不足で目の下に隈が出来ていた。
「また『あの夢』を見てね……」
「『あの夢』って、死んだファンが出てくる夢のことすか?」
「そうよ」
ヒナタは最近悪夢にうなされていた。
亡くなったはずのファンが定期的に夢に出てくるのである。
ライブの時はいつも最前席にいて、握手会も欠かさず来てくれた熱心なファン。
他のファン経由で事故の事を聞いた時、ショックを受けるくらいには彼女にとっては特別であった。
そのくらい特別な存在だったので夢に見ること自体は不思議ではない……
のだが、彼はきっかり一週間毎に夢に出てくる……
さすがのヒナタもおかしいと思い始めていた。
「それにしても死んでも追っかけくるとは……
アイドル冥利に尽きますね」
「他人事だと思って……」
「そんなことありませんよ。
でもファンなんでしょう?
サービスしてあげればいいじゃないですか」
「ライブや握手会くらいだったら、喜んでしてあげるんだけどね……」
ヒナタは、思い出すのも嫌そうな顔で言葉を続ける。
「最近何を思ったのか変な事を言うようになったのよ。
『ここには君と僕しかいない、存分に愛し合おう』って……」
「あー、典型的な厄介ファンじゃないですか……
自分に好意があるって勘違いしちゃったんですかね。
……出禁にします?」
「どうやって?」
「お祓いしましょう。
知り合いに寺生まれがいましてね。
こういうトラブルに強いヤツでしてね――」
◇
「ふふ、ヒナタちゃん、素直じゃないんだから。
次は自分の気持ちに正直になって欲しいなあ」
リョウタはご機嫌で天国を散歩していた。
現世での二人の会話の事など露知らず、次こそ憧れの彼女と一つになると意気込んでいた
だが彼は知らない。
このサービス、開始当初からトラブルが多く、今では現世からクレームが来ると使用禁止になってしまう事を……
使用前に注意を受けるのだが、彼は上の空で聞いていなかった。
もっとも聞いていたところで、これを『迷惑行為』とは思っていないだろうが……
「一週間後が楽しみだ」
近い将来、地獄を見ることになるとを知らず、リョウタは鼻歌を歌いながら歩く。
その背後で天国の管理者が彼を監視していることを、彼は知る由もなかった
『新しい地図』『フラワー』『遠い約束』
ナントカ大陸の東、カントカ山を越え、ソントカ川を越えた場所に『迷いの森』と呼ばれる魔の森があった
その森は来たものを迷わし、生きては返さない呪いの森。
何百年も人を拒み続けたこの森の奥に、人目を避けるようにひっそりと村があった。
エルフの住む村である
人間の忙しない世界から離れ、自然と共に暮らすエルフたち。
変化こそないが、静かな暮らし。
人間たちの争いに巻き込まれることもなく、彼らは平和に暮らしていた。
だがいつも静かなエルフの村が、今日ばかりは慌ただしい。
エルフの長が、村の住人たち全員を呼び出したのである。
「これが新しい地図だ」
長は集めたエルフたちに地図を配り始める。
この地図は、迷いの森で迷わないための魔法の地図。
この森で暮らす、エルフたちの必須のアイテムであった。
この森が『迷いの森』と呼ばれているのは、エルフが魔法をかけて方向を惑わしているから。
人間たちを接近させないためではあるが、エルフたちすら迷わせる強力な魔法。
同胞に犠牲者を出さないために、こうして迷わない地図を渡しているのである
だが人間は諦めが悪い。
あの手この手で迷いの森を通り抜けようとして、エルフの村にやってこようとする
だから定期的に魔法を更新し、仲間のエルフたちが迷わないように地図を渡しているのだ
面倒ではあるが、自分たちの平穏を守るための必要な処置。
なんどもやってくる人間に、エルフたちは諦めの境地であった
しかし今日集まったエルフたちの顔には、悟りの境地ではなく不満がにじみ出ていた。
誰もが不快さを隠そうとせず、舌打ちまでする始末である。
「今月に入って何枚目だよ」
若いエルフが愚痴を零す。
長は若者を睨むが、なにも言わなかった。
長もまた、同じ気持ちだったからだ。
4月に入ってから地図を配るのは3回目であった。
暖かくなった3月中旬から数えれば、もう20枚目。
エルフたちが不満を思うのも無理はない。
「最近人間の活動が活発なのだ。
抜けられるとは思わないが、用心のためだ」
それを聞いて、エルフたちは一斉に溜息をつく。
人間たちが嫌いでこんな森の奥に引きこもっているのに、どうして人間たちがやってくるのか。
エルフたちは、人間たちのしつこさにうんざりしていた
「人間が来たって面白いものなんて無いんだけどな。
何が目的なんだか……」
「なんでも、人間の間で疫病が流行っているらしい。
それで原因が森にあるとかで、周辺をうろついているようだ」
「なんでもかんでも俺たちのせいかよ!」
「人間の愚かさは今更だが……
村に疫病を持ってきたりはしないよな?」
「それを防ぐために、こうして結界を張っておるのだ。
皆の者、苦しいだろうが今だけだ。
そのうち諦めるだろうさ」
白熱する議論を打ち切るように、長は手を叩く。
それを合図に、エルフたちは静まり返った。
「では皆の者、『フラワー』様に祈りを捧げるのだ」
そう言って、長は後ろを振り返る
そこにはエルフたちが崇めるご神体――『フラワー』が鎮座していた。
「これからも『フラワー』様の祝福が貰えるよう、真剣に祈るのだぞ。
長の言葉を合図に、エルフたちは祈りを捧げる。
先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返り、小さな子供まで熱心に祈りを捧げてはじめた……
エルフたちが崇める『フラワー』とは、毎年春になると咲く美しい花である。
だが、ただの花ではない。
この世の物とは思えない美しい花を咲かせ、美に厳しいエルフたちですら魅了する花だ。
陽光を受けて虹色に輝く。
漂う香りは天にも昇る甘い香り。
そして煎じて飲めば、あらゆる病気を治す漢方薬となる。
エルフはこの美しい花を神と崇め、命よりも大事に扱っていた。
だがその花には秘密があった。
花粉を物凄くまき散らすのである。
空の色が変わるほどまき散らす。
だが自然の民であるエルフたちにとって、自然物である花粉は無害である
花粉を空を覆いつくすほどまき散らす『フラワー』ですらほとんど害はなく、特に気にかけることは無かった。
しかし、人間は違う。
『フラワー』のまき散らす花粉は、人間たちの免疫機能を大いに刺激し、主に鼻水や涙の症状――いわゆる花粉症を引き起こしていた。
この花粉症は、森の周辺に住む人々を中心に発症。
春にしか発症しない奇病であるが、重症になると何もが出来なくなるほど酷い病状であった。
さらに悪い事に年々被害は拡大し、国の経済は鈍化、生活基盤を揺るがす疫病と恐れられた。
それまで戦争をしていた国々も、事態を重く見て休戦、共同で調査に当たることになる。
調査の結果、エルフが住む迷いの森に原因があると断定。
原因を排除すべく、迷いの森に調査隊を送ることになった――というのが、騒動の真相である。
しかし、外の世界に興味がないエルフたちは、そんな事情など全く知らない。
「おお、『フラワー』様よ。
醜い人間どもから、我々をお守りください」
「「お守りください」」
だが崇める『フラワー』が災いを呼んでいる事に気づかぬまま、彼らは祈り続ける。
そしてそんなことなど露知らず、今日も『フラワー』は輝くのであった。
『空に向かって』『桜』『好きだよ』
ウチの高校には伝説がある。
ご多分に漏れずベタなもので、それは『満開の桜の木の下で告白すると永遠に結ばれる』というもの。
『意中の相手を呼び出して告白すれば晴れてカップルとなる』、そんなありふれた伝説。
あまりにも陳腐で、使い古され、そして俺たちの心を惹きつけてやまない伝説だ。
でもこの伝説、謎なところが多い。
伝説こそありふれたものだが、桜がある場所がすごく特殊なのである。
何を思ったのかこの桜、グランドの端にある切り立った崖の上にある。
この学校は山を切り崩したところに建てられているのだが、その時たまたま残ってしまったのがこの桜らしい。
そういった経緯なので、まともな手段ではこの桜の所に行くことは出来ない。
崖を登るには高すぎて危険だし、回り込もうにも山の反対側から道なき道を登ってこないといけない……
近くて遠い桜であった。
こんな危険な場所に行けるわけがない。
なので伝説は嘘っぽいのだが、生徒の中ではそれなりの信憑性を持って噂をされている。
なんでも卒業生の中に、伝説の桜の木の下で告白した猛者がいるとか。
その二人は晴れてカップルになり、『本当の愛があれば問題ない』と
そんな事を思いながら、俺は今、崖の前に立っていた。
もちろんこの崖の上の桜の所まで行き、気になるあの子に告白するためである。
共通の友人を通じ、脈があることは分かっている。
この呼び出しもOKを貰っている。
告白の前には根回しが重要。
これぞ恋の秘訣。
もはや成功したも同然であった。
だがもう一つ解決すべきことがあった
空に向かってそびえ立つ、岩肌がむきだしの崖……
一般的な男子高校性の俺に、この崖を登る技術は無い。
だが俺には秘策があった。
登れないなら飛んでいけばいいじゃない。
俺は貯金をはたいてヘリコプターをチャーターし、空から行く事にした。
もちろんパイロット付き。
そんな感じで特に苦労もなく(財布は大打撃だが)崖を登ることに成功した俺。
あとは彼女が来るのを待つだけ。
だがその時、俺はとんでも無い事に気づいた。
「彼女、どうやって来るんだ?」
自分がどうやってここに来るかを考えていたばっかりに、彼女の事をまったく考えてなかった!
俺だけ来ても全く意味がないじゃないか!
浮かれ過ぎて、彼女の事が頭からすっぽり抜け落ちていた
今気づいても、もう遅い。
もっと早く気づけば、彼女に確認を取れたのに!
俺って本当にバカ!
自己嫌悪に陥っていた、その時であった。
「待った?」
なんと彼女がやって来た。
一瞬山を越えて来たのかと思ったが、彼女は涼しい顔をしている
とても道なき道を進んできたようには思えない。
俺は信じられない光景を前に、心に浮かんだ疑問をそのまま口にする。
「どうやって来たの?」
「どうやってって、そりゃあ……」
彼女は後ろを指さした。
そこには扉が――ちょうどエレベーターみたいな両開きの扉があった。
……エレベーター?
「これに乗って来たんだけど……
もしかして知らなかった?」
「知らなかった」
「まあ、知る人ぞ知るってやつだからね。
エレベーターが無かったら私も来なかったな。
昔、崖を登る生徒がいたから作ったらしいけど――
でも、君は知らなかったんだよね?
じゃあどうやって来て――うわ、ヘリコプターがある!」
俺が乗って来たヘリコプターに気づいて驚く彼女。
彼女は目を丸くし、まじまじとヘリコプターを見つめていた。
そりゃ驚くよね。
エレベーターで来るのが正攻法だもん。
「ひえええ。
告白するのに、まさかヘリコプターを使うとか。
私、愛されてる!」
楽しそうに笑う彼女。
そんなに喜んでくれるなら、俺も勘違いした甲斐があったものである
もっとも顔から火が出そうなほど恥ずかしいけどね……
俺が羞恥に耐えていると、彼女はクルリと振り返った
「じゃあ、そろそろ告白してくれる?
『好きだよ』って言ってくれればすぐOKするから」
そして彼女はもう一度、ヘリコプターに振り返った。
「そしてすぐにデートに行きましょう。
初デートが空って素敵よね!」
『春風とともに』『またね!』『はじめまして』
藤岡ヒナタは春が好きでした。
小学六年生のどこにでもいる女の子。
彼女は花が大好きで、世界に花でいっぱいになるこの時期は、一年の中で最も好きな季節でした。
街路樹として植えられている桜の木。
誰かの庭で咲いているチューリップの花。
川のほとりに咲く、名前も知らない小さな花々たち……
色とりどりに彩られる世界は、彼女を魅了してやみません。
今日も花を眺めながら学校に登校していていました。
公園の隅に咲いている梅を眺めていた時のことです。
春風とともに、紙飛行機が飛んできました。
そして、ヒナタのちょうど目の前にポトリと落ちます。
風に流されて来たのかと辺りを見渡しますが、誰もいません。
見通しがいい場所なので、どこかに隠れているということもありません。
不思議だと首を傾げながら紙飛行機に目線を戻すと、文字が書いてある事に気づきました。
『はじめまして。
これからよろしくお願いします』
紙飛行機には、そう書かれていました。
ヒナタは怖くなりました。
知らない人が自分を見ている事にです。
学校では『知らない人と話してはいけません』と言われています。
それは誘拐されたり犯罪に巻き込まれるからです。
それに手紙の主が、姿を現さないのも不気味です。
どこからか様子を伺っているのでしょうか……
正体の分からない存在に、ヒナタは恐怖で震えます。
ですがここにいても何も解決しません。
『学校に逃げれば、変質者も追っては来れないはず』
彼女はそう思い、逃げるようにその場を後にしました。
判断が功をそうしたのか、不審者は学校まで追って来ませんでした
ホッと一安心です。
ですが学校に着いてからも不思議なことが起こりました。
鼻水が止まらないのです。
目もシパシパして、違和感があります。
風邪でも引いたか?と思いましたが、どうやら熱はない様子。
新手の病気かと不安になりますが、そのまま授業を受けました。
そして、学校が終わって帰宅してすぐ、布団に入り寝ることにしました。
少しくらいの不調なら、寝て治ると思ったからです
次の朝、ヒナタはしっかりと睡眠をとり爽やかな朝を迎え――ることは出来ませんでした。
相変わらず鼻水で鼻がつまっていました。
それどころか、くしゃみが出るようになり、前日より酷くなっている気すらします。
ヒナタの母親は、彼女が辛そうな様子を見て、こんな提案をしました。
「今日は学校を休んで病院に行きなさい」
そうしてヒナタは、母親に連れられて病院に向かうことになりました。
ですがヒナタの顔は晴れません。
自分の体に何かとんでもない事が起こっており、このまま死んでしまうのではないだろうか……
そんな不安を抱えたまま、彼女は病院へと向かいます
「花粉症ですね」
診察してくれたお医者さんは、きっぱりと断言しました。
どうやら不調の原因は、春風とともにやって来た花粉だったようです。
ヒナタは病気ではなかったことに安堵する一方、頭の中によぎった疑問を口にします。
「でも先生、去年までは何ともなかったんですよ」
「花粉症は突然来るものです。
挨拶なんてしない、失礼な奴らですよ」
お医者さんは、花をすすりながら答えます
そこでふと思いました。
昨日の紙飛行機のことを……
もしかして、あれは花粉からの手紙だったのでしょうか……?
お医者さんの様に『挨拶が無い』と怒られたから、手紙を出すことにしたのでしょうか?
よく分かりませんが、大変な病気ではなかったのでひとまず安心しました。
「お薬を出しますね。
それで楽になりますよ」
医者の言うことは間違っていませんでした。
薬を飲むと、あら不思議。
今までの体調不良がきれいさっぱり消えてしまったのです。
ヒナタはクスリが効いたことに胸を撫でおろします。
ヒナタは、自分が花粉症と聞いた時、一つ不安なことがありました。
大好きな春が大嫌いな季節になってしまうかもしれないという事……
花粉症の人の中には薬が効かない人がおり、もし自分がそうならば春の間はずっと辛い思いをすることになります。
そうなれば
しかし、ヒナタには薬が効きました。
薬を飲む限り、花粉症に悩まされる心配はありません。
花粉症で困っていたのは少しの間だけ。
ヒナタにとって大好きな春は、大好きなままなのです。
こんなに素敵なことはありません。
そしてヒナタは毎日薬を飲み、花を眺めていました。
幸せでした。
けれど何事も終わりがあるものです。
一か月後、花が咲く季節は終わりを告げました。
気温も高くなり、花が咲くのには適さない時期になりました
春の終わりの訪れに、ヒナタは切なさを感じます。
ですが悪い事ばかりでもありません。
花粉症の季節の終わりでもあるからです。
この季節さえ超えてしまえば、薬を飲む必要はない……
もう花粉症に悩まされないのです。
それはいい事なのですが、ヒナタは切なさと喜びが入り混じる複雑な思いでした。
小学生の心が受け止めるには、少々荷が重い感情でした。
ですがそれ以上に、ヒナタの頭にあるのは来年の事。
年が変わって春になれば、また花が咲く。
それが楽しみでした。
早く春にならないかな。
そう思いながら、通学路を歩いていた時のことです。
再びどこからともなく、紙飛行機が飛んできました。
その紙飛行機にはやはり文字が書かれていました。
ヒナタは、恐る恐る文を読みます
『春が終わったので、実家に帰ります。
でも来年戻ってきますので、心配なさらぬよう。
またね!
花粉より』
『春爛漫』『小さな幸せ』『涙』
俺の名前はバン。
高ランクの冒険者である。
数多のダンジョンを踏破し、冒険者の間では俺の名前を知らないもヤツはいない。
でも今現在、冒険者業は休業中。
一年前のある日、パーティの仲間たちと喧嘩した時にダンジョンに置きざりにされたことがトラウマで、ダンジョンに潜れなくなってしまったのだ。
ダンジョンの入り口に立つと、吐き気が止まらなくなり、膝が震えて動けない。
もう冒険者を廃業すべきかと悩んでいた頃、今の妻であるクレアと出逢った。
クレアは俺の悩みを熱心に聞いてくれ、一度落ち着いて休むべきだと俺に助言、そして十年ぶりに故郷の村に帰省することになった。
その甲斐あってかトラウマは劇的に改善し、村の近所にあるダンジョンにも潜れるようになった。
奇跡のような変化に、俺はクレアには感謝してもしきれない。
そして春。
若葉萌ゆる季節。
葉は芽吹き、虫たちは目を覚ます。
山は緑に染まり、道端では花が咲き誇っている。
まさに春爛漫である。
そして俺も、草花と同じように動き出そうとしていた。
雪で通れなかった道路も開通し、もはや俺の冒険を阻むものは何も無い。
さあ旅にでよう。
冒険の始まりだ――
と思っていたのが2週間前。
俺はまだ村にいた。
本来なら旅に出ているはずの俺が、なぜまだ村にいるのか?
それは……
「おーい、こっちも手伝ってくれ」
「……あいよ」
知り合いの農家の手伝いをさせられていた。
この村は農業で生計を立てている。
農家に暇などなく、この時期は特に忙しい。
田起こしに肥料を撒き、種まき、植え付け、雑草抜き、あとは農具の整備か。
猫の手でも借りたいくらいの忙しさである。
そんな慌しい空気の中で旅支度をしていたのだが、暇をしていると思われたのであろう。
村のじい様やばあ様に小言を言われた挙句、駆けつけた若い衆に連行され、強制的に農作業の手伝いをさせられた。
『暇なら、旅に出る前に少し手伝ってくれ』
と村人たちは口を揃えて言うが、全く『少し』じゃない。
いい働き手が来たと、散々扱き使われた。
しかも村全体がそんな雰囲気なので、一つの所が終わっても『次はウチ』と次の仕事が舞い込んでくる。
そうして、出発日予定日から、一日二日と延びて、今に至る。
二週間経った現在も順番待ち(!?)している農家がおり、俺の体は当分の間解放されそうにない。
どうしてこうなった!
「しけた面してるな、オイ」
俺が憂鬱でいると、声をかけてきたのは友人のジョセフ。
村を出る前は一番中の良かった悪友、そして『今日』の仕事先である。
「いろいろ計画を立てていたのに、全部オジャンになってな。
世を儚《はかな》んでいたところだ」
「それは計画を立てるほうが悪い。
自然相手に、思い通りなんてなるわけないだろ」
「主にお前たちのせいだよ」
俺が睨むと、ジョセフはイタズラっぽく笑う。
こいつ、反省してないな。
「冗談だ。
そんな怖い顔をするなよ。
あれもこれも押し付けて悪いとは思ってるよ」
「本当か?
俺が回ってきた中で、一番扱き使われている気がする」
「使えるもんは使わないとな。
ほら、手を動かせ!
日が暮れるぞ!」
「はいはい」
俺は鍬を手に持ち、畑を耕していく。
額に汗し、畑の半分ほど耕したところで、ジョセフが口を開いた。
「お前、このまま村にいるってのは出来ないのか?」
唐突に発せられた質問に、咄嗟に反応出来なかった。。
「お前、一緒に帰ってきた冒険者仲間――クレアって言ったか、その子と結婚しただろ。
ならこの村でのんびり結婚生活を満喫したらどうかと思ってな。
小さな幸せを感じながらスローライフ。
そんな生き方もアリだと思うんだがね」
「言いたいことは分かる」
この村での生活は楽しかった。
命のやりとりをする冒険者業の経験があるからこそ、この自然に囲まれたスローライフは掛け替えのないものだと断言出来る。
トラウマが治ったのも、優しい村の人々のおかげだ。
だか……
「残念ながらやり残したことがあってね。
まだ冒険者業は、廃業するつもりはないんだ」
「そうか」
どうやら聞く前から答えが分かっていたらしい
ジョセフはあっさりと引き下がる。
「まあ、ずっといられても困るしな」
「は?」
だが予想だにしない言葉が、ジョセフの口から放たれる。
お前、さっき俺に村にいて欲しい的なこと言ってたじゃん。
どういうことだよ!
「気づかなかったか?
この村の農具が、全て新しくなっている事に……」
「それは気になっていたが……
もしかして!」
「そうだ!
お前の送ってくる仕送りで買ったんだよ。
冒険者って儲かるんだな」
満面の笑みを浮かべるジョセフ。
それに対し、俺はただ茫然と立ち尽くす。
「それでもお金が余ったから、試しに最新式の農具も取り寄せたりしてな。
今はすげえのがあるぞ!
魔法の力で動くトラクターっていうヤツが凄く便利でな。
村に一台しかないから持ち回りなんだが、それでも農作業が格段に楽になんだ!
それでさらに買うためにもお金が必要だから、今さら冒険者を止められても困るんだよ」
「完全にそっちの都合じゃねえか!」
「お前がいなくなると寂しくなるけど……
俺たちは涙をのんで見送るよ」
「驚きの白々しさ」
「俺たちのことは忘れても、仕送りだけは忘れるなよ」
「もう送るのやめようかな……」
「そんなこと言うなよ。
友達だろ」
一緒にいない方が長い俺に対し、友達扱いしてくれるのは有難いことだが……
言葉通りに受け取るには、今までの話が少々生々し過ぎた。
「そういうことだから、安心して旅に出な」
とポツリと呟くジョセフ。
どうやら彼なりの励ましだったようだ。
村の事は心配するなという事だろう。
ジョセフの言葉を聞いて、俺はこの村に帰って来た時のことを思い出していた。
突然帰って来た俺を、何も暖かく迎えてくれた村人たち。
今も子供の頃と同じように接してくれるジョセフ。
俺の帰る場所はここなんだと再認識する。
家族がいて、友達がいる。
暖かく迎えてくれる人々がいる。
いつになるかは分からないけど、最後に帰る場所はここでありたい。
優しい人々がいる、この村に。
俺は心の中で、ひそかにそう思うのであった。
「それはそうとして、秋には帰ってこいよ。
村中が収穫で大忙しなんだ」
あれ……
ひょっとして俺、労働力と金蔓としか思われてない……
ここにいたら、新しいトラウマが出来そうだ。
俺はそんな予感を胸に感じながら、出来るだけ早く村を出ることを誓うのであった。