『新しい地図』『フラワー』『遠い約束』
ナントカ大陸の東、カントカ山を越え、ソントカ川を越えた場所に『迷いの森』と呼ばれる魔の森があった
その森は来たものを迷わし、生きては返さない呪いの森。
何百年も人を拒み続けたこの森の奥に、人目を避けるようにひっそりと村があった。
エルフの住む村である
人間の忙しない世界から離れ、自然と共に暮らすエルフたち。
変化こそないが、静かな暮らし。
人間たちの争いに巻き込まれることもなく、彼らは平和に暮らしていた。
だがいつも静かなエルフの村が、今日ばかりは慌ただしい。
エルフの長が、村の住人たち全員を呼び出したのである。
「これが新しい地図だ」
長は集めたエルフたちに地図を配り始める。
この地図は、迷いの森で迷わないための魔法の地図。
この森で暮らす、エルフたちの必須のアイテムであった。
この森が『迷いの森』と呼ばれているのは、エルフが魔法をかけて方向を惑わしているから。
人間たちを接近させないためではあるが、エルフたちすら迷わせる強力な魔法。
同胞に犠牲者を出さないために、こうして迷わない地図を渡しているのである
だが人間は諦めが悪い。
あの手この手で迷いの森を通り抜けようとして、エルフの村にやってこようとする
だから定期的に魔法を更新し、仲間のエルフたちが迷わないように地図を渡しているのだ
面倒ではあるが、自分たちの平穏を守るための必要な処置。
なんどもやってくる人間に、エルフたちは諦めの境地であった
しかし今日集まったエルフたちの顔には、悟りの境地ではなく不満がにじみ出ていた。
誰もが不快さを隠そうとせず、舌打ちまでする始末である。
「今月に入って何枚目だよ」
若いエルフが愚痴を零す。
長は若者を睨むが、なにも言わなかった。
長もまた、同じ気持ちだったからだ。
4月に入ってから地図を配るのは3回目であった。
暖かくなった3月中旬から数えれば、もう20枚目。
エルフたちが不満を思うのも無理はない。
「最近人間の活動が活発なのだ。
抜けられるとは思わないが、用心のためだ」
それを聞いて、エルフたちは一斉に溜息をつく。
人間たちが嫌いでこんな森の奥に引きこもっているのに、どうして人間たちがやってくるのか。
エルフたちは、人間たちのしつこさにうんざりしていた
「人間が来たって面白いものなんて無いんだけどな。
何が目的なんだか……」
「なんでも、人間の間で疫病が流行っているらしい。
それで原因が森にあるとかで、周辺をうろついているようだ」
「なんでもかんでも俺たちのせいかよ!」
「人間の愚かさは今更だが……
村に疫病を持ってきたりはしないよな?」
「それを防ぐために、こうして結界を張っておるのだ。
皆の者、苦しいだろうが今だけだ。
そのうち諦めるだろうさ」
白熱する議論を打ち切るように、長は手を叩く。
それを合図に、エルフたちは静まり返った。
「では皆の者、『フラワー』様に祈りを捧げるのだ」
そう言って、長は後ろを振り返る
そこにはエルフたちが崇めるご神体――『フラワー』が鎮座していた。
「これからも『フラワー』様の祝福が貰えるよう、真剣に祈るのだぞ。
長の言葉を合図に、エルフたちは祈りを捧げる。
先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返り、小さな子供まで熱心に祈りを捧げてはじめた……
エルフたちが崇める『フラワー』とは、毎年春になると咲く美しい花である。
だが、ただの花ではない。
この世の物とは思えない美しい花を咲かせ、美に厳しいエルフたちですら魅了する花だ。
陽光を受けて虹色に輝く。
漂う香りは天にも昇る甘い香り。
そして煎じて飲めば、あらゆる病気を治す漢方薬となる。
エルフはこの美しい花を神と崇め、命よりも大事に扱っていた。
だがその花には秘密があった。
花粉を物凄くまき散らすのである。
空の色が変わるほどまき散らす。
だが自然の民であるエルフたちにとって、自然物である花粉は無害である
花粉を空を覆いつくすほどまき散らす『フラワー』ですらほとんど害はなく、特に気にかけることは無かった。
しかし、人間は違う。
『フラワー』のまき散らす花粉は、人間たちの免疫機能を大いに刺激し、主に鼻水や涙の症状――いわゆる花粉症を引き起こしていた。
この花粉症は、森の周辺に住む人々を中心に発症。
春にしか発症しない奇病であるが、重症になると何もが出来なくなるほど酷い病状であった。
さらに悪い事に年々被害は拡大し、国の経済は鈍化、生活基盤を揺るがす疫病と恐れられた。
それまで戦争をしていた国々も、事態を重く見て休戦、共同で調査に当たることになる。
調査の結果、エルフが住む迷いの森に原因があると断定。
原因を排除すべく、迷いの森に調査隊を送ることになった――というのが、騒動の真相である。
しかし、外の世界に興味がないエルフたちは、そんな事情など全く知らない。
「おお、『フラワー』様よ。
醜い人間どもから、我々をお守りください」
「「お守りください」」
だが崇める『フラワー』が災いを呼んでいる事に気づかぬまま、彼らは祈り続ける。
そしてそんなことなど露知らず、今日も『フラワー』は輝くのであった。
4/9/2025, 1:33:45 PM