14.『誰も知らない秘密』『遠く……』『君の背中』
「ミコト、今日なんか変じゃないか? 」
学校からの帰り道、恋人のユウタと商店街で買い物をしている時の事。
真剣な顔でユウタが尋ねてきた
あのお調子者のユウタが真剣な顔をしている事に内心では驚きつつも、感情を悟られないようニコリと微笑む。
「気のせいだよ」
ユウタの質問に、私ははっきりと否定の言葉を返す。
しかし、納得が出来ないようで、なおも腑に落ちない顔をしていた。
「皆、俺を見てる気がする」
「自意識過剰」
「真面目に聞いてくれよ」
「分かったから怒らないでよ。
それで、どう変なの?」
真面目に取り合おうとしない私に、少しだけ不機嫌そうになるユウタ。
少し意地悪し過ぎたかも思い、話を聞くことにする。
「遠く……ってほどじゃないけど、離れた場所から俺を見ている気がするんだ……」
「私もずっと一緒にいたけど、気づかなかったなあ。
やっぱり気のせいよ」
「そうなのかなあ……
なんというか、話しているときは普通なんだけど、話が終わって別れてから背中に視線を感じるんだよね」
ユウタは、その場で腕を組んで考え込む。
そしてすぐに顔を青くして、私を見た
「なあ、まさか俺の秘密がバレたんじゃあ……」
まるで世界の終わりが来たかのような顔をするユウタ。
ユウタはいつもこうだ。
お調子者の癖に、意外とネガティブ。
『仕方ないなあ』と思いつつも、ユウタを安心させるために、私はいつもするように彼の手を握る。
「安心してユウタ。
あなたの秘密はバレてないわ。
私とあなた、ふたりだけの秘密だからね」
それを聞いたユウタは、ようやくホッとしたような顔をする。
けれどその顔を見て、私の良心は少しだけ痛む。
実の所、ユウタの秘密は『誰も知らない秘密』どころか、この街に知れ渡っている
ユウタの秘密――それは世界を救った英雄だという事。
世界征服を狙う悪の組織、ワルイーダと戦った正義の味方なのだ。
ユウタとワルイーダは壮絶な戦いを繰り広げ、そして勝った。
救世主というやつで、彼がいなければどうなっていた事か……
世間的には正体不明とされているが、みんな知っている。
いわゆる公然の秘密。
知らない方が珍しい。
というのも、ユウタは迂闊でおっちょこちょいなので、隠しているつもりで隠せてない
私の時も、変装しているのに普通に名乗られた。
時には変装用の仮面をかぶり忘れて、しかも最後まで気づかないという失態をしたこともある。
敵の方もユウタの事は知っており、武士の情けかなんかで最後まで分からないフリをしていた。
そのくらいユウタは、やらかし癖が酷いのである。
「うーん、疲れてるんじゃない?
ほら、ジュース飲む?」
ユウタはコクリと頷く。
どうやらそれなりに参っているらしい。
ユウタは大人しく私の後ろを付いてきた。
「あら、ユウタ君ミコトちゃん、ごきげんよう。
今日も熱々ね」
ジュースを飲んでいると、近所に住んでるおばさんが話しかけてきた。
私たちを子供のころから知っている人で、ユウタと付き合い始めた時は、親の様に喜んでくれた。
もちろん、おばさんもユウタが英雄であることを知っている
「ふたりとも福引券いらない?
たくさん持ってるから一枚あげるわ……」
そういって差し出してきたのは、この商店街で行われている福引の券が一枚。
当たるとは思えないけど、どうせタダ。
損は無いのでのでもらうことにした
「ありがとうございます」
私たちは礼を言って、福引券を受け取る。
「いい商品が当たるといいわね」
そんな事を言いながら、おばさんと別れた、まさにその時だった。
おばさんが急にハッとしたような顔をし、ユウタの背中に手を伸ばそうとする。
マズイ!
そう思った私はとっさに目線で制する。
すると、おばさんは少し迷った末に手を引っ込めた。
どうやら私の意図が伝わったようだ。
「どうかしたか?」
「なにも無いよ」
私たちのやり取りに感づいたのか、ユウタは問いかける。
けれど、私は頭を振って否定する。
「そうか」
納得できないようであったが、ユウタはそれ以上は食い下がらなかった。
そんなユウタをみて、私はホッと一息つく
危ないところだったが、なんとか誤魔化せたようだ。
これからが本番なのだ。
ユウタにはまだ気づかれるわけにはいかないのだ。
『ユウタの背中には紙が貼られている』という事には……
そして紙には『英雄を労う会』と書かれており、時間場所まで書かれている事も……
そう、ユウタが感じていた視線というのは気のせいではない。
知人友人すれ違った他人まで、背中に張り付けてある紙に気づき、彼の背中を見ていたのである
これが視線の正体。
流石英雄、感覚はなかなかに鋭いようだ。
となるとこれを張ったのは誰かという話になるが……
私である。気づかれないようにこっそり張り付けた。
背中に紙を張り付けたのには訳がある。
ユウタは世界を救った英雄である。
本人はいらないと言っていたが、良い事をした者には感謝の言葉を受ける義務がある。
偉大な事をした人間は、たくさんの人に感謝されるべきなのだ
そう思った私は『英雄を労う会』を企画したのである。
本人には内緒で。
そう言った目的で開催するので、色々な人に参加して欲しいと思った。
けれど私はまだ学生、交友関係は広いようで狭い。
普通にお知らせするだけでは、身内でしか情報が回らないだろう……
そこで私は妙案を思いつく。
ユウタの背中に紙を張り街を練り歩けば、いろんな人の目につくだろうと……
ユウタは有名人。
誰もが彼を目で追いかけ、そして背中の張り紙に気づく。
こうすれば不特定多数の人々に『英雄を労う会』がある事を知らせることが出来る。
なんという素晴らしいアイディア!
将来の夢に『軍師』と書こうかしら。
私が心の中で自画自賛していると、ユウタが怪訝そうな顔で私を見る
「なあ、やっぱり視線を感じるんだけど」
「気のせいだってば」
誰もが見る君の背中。
視線に気づいても、その理由までは分からない
悪の組織の悪だくみは阻止で来ても、近くにいる恋人のイタズラは分からないらしい
サプライズの成功を確信してほくそ笑む私の横で、未だに納得いかなさそうな顔をするユウタなのであった。
『永遠の花束』『heart to heart』『静かな夜明け』
家の外から、小鳥のさえずりが聞こえてくる。
あれからどれだけ時間が経ったのだろう。
衝撃的な事件から一睡もできず、寝ていないのに冴えた頭のまま、私は静かな夜明けを迎えた。
目の前にあるのは、花の残骸。
かつて花束だったものだ。
昨日まで私を魅了した花束だが、今は見る影もない
どうしてこうなったのだろう……?
私はそれを見て何もできず、呆然と見つめていた……
この花束は、愛しの彼がプロポーズにくれたもの。
巷で噂の『永遠の花束』。
この花束は、千代という土地で摘まれた花で作られている。
千代――つまりとても長い年月を意味する、大変縁起のいい場所だ。
ここで育った花でプロポーズすれば、二人の永遠が約束されるという
もちろん根拠のあるものではない。
花束を売っている企業が勝手に言っているだけで、本当にそんな効果があるかは分からない。
でもいいじゃないか、ロマンチックで!
彼が、私を思ってプレゼントしてくれたのだから!
心が込められたプレゼントは、心で受け取らなければいけない
heart to heart。
余計な理屈を持ち込んでは無粋というものだ。
だから花束を貰った私は、嬉しくて嬉しくて、大事に抱えて家に戻り、そのまま部屋に入り、そのままベッドで悶え――そして寝落ちした。
その上私は寝相が悪い。
ふと夜目が覚めて、体を起こしてみれば、目の前には無残な花束の姿。
叫ばなかった自分を、褒めてやりたい
花束だったものの出来上がりである。
永遠なんてないとはいえ、まさか翌日にこんなことになるとは……
コレが彼にばれたらマズイ。
なにせ彼の心のこもったプレゼントを粗末に扱ったのだ。
気分を害した彼にプロポーズをキャンセルされ、破局を迎える可能性は高い。
「それだけは避けなければ」
決して彼に悟られてはいけない。
私は、この秘密を墓場まで持っていくことに決めた。
ブーブー。
まさにその時、スマホが震える。
画面には、彼からのLINEの通知。
まるでタイミングを見計らったかのように来たメッセージを、ビクビクしながら読んでみる。
『おはよう』
送られてきたのは、恒例の朝の挨拶。
なんだ、気にしすぎだったみたいだ。
私はホッと一息ついて、ベットに倒れ込んだ。
ブーブー。
私が返事をする前に、彼がさらにメッセージを送って来る。
いつもは私が返事するまで、新しいメッセージを送ってこないのにどうしたのだろう。
私はスマホを取ってメッセージを確認する。
『結婚したら、お互い秘密は無しにしようね』
ノォォォォォォ!
私、今まさに秘密を抱えております!
そして絶対に明かさないと決意しました。
なのに『秘密をなしにしよう』って?
本当に見ているんじゃないの?
私は、これに対してどう答えればいいのか?
秘密を抱えて彼を裏切るか、それとも秘密を明かして彼に失望されるか……
究極の選択だ。
私は頭を抱えてうずくまる。
♪~ ♪~
その時、スマホから着信を知らせる音楽が流れる。
彼からだ。
やはり秘密に気づいて……
もう諦めよう。
彼は何もかもお見通しだ
私は悲痛な気持ちのまま、通話ボタンをタップする。
「もしもし、やっぱり声が聞きたくなって――」
「ごめんなさいぃぃ」
「えっ、何事!?」
「うわあああん!」
「お、落ち着いて。
ほら深呼吸!」
突然謝罪を始める私に、なにも分からず困惑する彼。
そして事情を把握した彼は大笑いし、後日改めて『永遠の花束』をプレゼントしてくれた。
その後無事に籍を入れ、結婚生活は10年20年と、平穏に過ごすことが出来た。
『永遠の花束』はご利益があったらしい。
永遠は伊達ではなかった
ただ、あの事は彼にとってツボだったらしく、しょっちゅう揶揄われることになった。
なお、その時貰った『永遠の花束』は、ドライフラワーにして今も居間に飾ってある。
12.『バイバイ』『隠された手紙』『優しくしないで』
昔々、あるところにカンベイという男がいました。
この男、他人の秘密を暴くのが三度の飯より大好きというとんでもない人間でした。
誰もが知られたくない秘密の一つや二つ持っています。
たとえば好きな人が誰だとか、陰で悪口を言っていたとか、物を壊したのを内緒にしているだとか、へそくりの場所はどこだとか、性癖をばらしたりだとか……
ですがカンベエはデリカシーも遠慮もなくそれらを暴き立て、周りの人間に吹聴するのです。
そんな性格ですから友人などおらず、誰も近づこうとはしませんでした。
それで落ち込むなら可愛げもあるのですが、まったく気にした様子がない。
それどころか、さらに趣味にまい進する始末。
まことにはた迷惑な男でございました。
ですがそんなカンベイにも味方が一人いました。
母親です。
カンベエの母親は『人様に迷惑をかけるのは今だけ』『本当は他人を思いやれる良い子』とカンベエを信じ、庇っていました。
ですが親の心子知らず。
自らの行いを反省するどころか、さらに秘密を暴きたてます。
その度に母は注意しますが、カンベイは気にせずに過ごしていました。
そんな日常を送っていたある日の事
母親がいつものように仕事に出かけた時、彼は母親の秘密を暴こうとタンスを探り始めました。
普段から母親の私物を漁るのは日課なのですが、今日は特に気合が入っておりました。
これと言って特別なことは無かったのですが、彼の秘密に対する嗅覚が『何かある』と告げています。
他人の秘密に関する事に限り、彼のカンは名探偵張りに冴えているのです。
秘密を探し始めてから約五分、引き出しの裏に手紙を発見します。
ただの手紙ならいざ知らず、隠された手紙はカンベエの大好物!
彼はたいそう喜び、逡巡することもなく手紙を読み始めます。
『 カンベエへ。
お母さんです。
あなたへ伝えたいことがあって手紙を書きました。
直接言うのは憚られたので、こうして文を書いています。
この手紙はタンスに隠していますが、あなたならきっと見つける事でしょう。
カンベイは小さな頃から他人の秘密を暴くことが大好きでしたね。
お母さんの秘密を暴いたこともありました。
その時は叱りましたが、本当はお母さんは怒っていないのです。
あの病弱で生死を彷徨ったカンベエが、こうして親を困らせる程元気になったこと、とても感動しました。
ですがお母さんとて人の子。
秘密を暴かれることが好きではありません。
暴かれるたびに厳重に隠すのですが、あなたはそれら全てを見つけ出しましたね。
お母さんはその度にあなたの成長に驚かされました。
この子は将来きっと大物になる。
今でこそ秘密を暴いて言いふらすことにしか関心がないが、きっと天下を騒がせる傑物になるであろうとお母さんは確信しました。
ですが他の方にとっては違ったようです。
ご近所様から毎日のように『優しくしないでもっと叱れ!』と言われました。
そのたびに『あの子は分かってくれる』『もう少し待って』と言い返しました。
ですが他人に迷惑をかけているのは事実。
事あるごとにあなたを叱りましたが、まったく気にしていませんでしたね。
きっと甘やかし過ぎたのでしょう。
ご近所様の言う通り、もっと厳しくしていればと思わずにはいられません。
ですが、あなたの行いは私の不徳の致すところ。
あなたの責任ではありません。
それは親の責任です
そして、お母さんは親として責任を取らねばなりません。
お母さんはこれから川に身を投げます。
カンベイは、お母さんの死を持って生まれ変わってください。
お母さんが死ねば、ご近所様の目もいくらか同情的になるはずです。
そしてあなたが死ぬ気で変われば、ご近所様も力を貸してくれるはずです。
バイバイ、カンベエ。
幸せになって下さい。
大好きです。
母より』
カンベイは手紙を握り締め、その場に崩れ落ちます。
手紙で知らされた母の死と覚悟に、カンベエは嗚咽を漏らします。
確かにカンベエは秘密を暴くことが大好きです。
そして秘密を他人に言いふらす度に、母親に叱られましたが少しも気にかけませんでした。
次はだれの秘密を暴くのかという事に頭がいっぱいだったからです。
しかしそのことが母を追い詰めていたことに少しも気づけませんでした。
なぜ母親の言うことを真剣に聞かなかったのか……
カンベエは自分の愚かさに嘆き、自責の念に駆られます
その時でした。
家の入口から、誰かが入ってくる気配がしたのです。
カンベイは驚いて振り向くと、さらに驚きました。
そこにいたのは、死んだはずのカンベイの母だったからです。
「母さん!
川に身を投げたのでは!?」
「そのつもりだったんだけどねぇ。
やっぱり最後に話をしてからじゃないと、死んでも死にきれないと思って……
安心してカンベエ、あなたの顔を見たら安心したわ。
もう出ていくわね」
「待って!!」
カンベエは、ふたたび出ていこうとする母を引き留めます。
「お母さんは死ぬことない!」
「でもご近所様に……」
「大丈夫、僕は反省した。
もう二度と馬鹿なことはしないよ」
「お母さんの思った通り。
やっぱりカンベエは優しい子ね」
母は目元をぬぐい、慈しみの目でカンベイを見ます。
「だからね、お母さん。
ずっと一緒にいてよ」
「あら、甘えんぼね。
まだまだ子供みたい」
「そうなんだ。
僕にはお母さんが必要だよ」
「分かったわ。
カンベイがそこまで言うなら死ぬことを止めるわ。
「うん、他の人の秘密を暴かないようにするよ」
カンベイがそう言うと、母は目をパチクリとしばたかせました。
「何を言っているのカンベエ。
秘密を暴くのは良いのよ!」
「え、でも……」
「あらまあ、その様子じゃ分かってないみたいね。
これじゃ死んでも死にきれない。
もう一度言うわ、よく聞きなさい」
カンベイの母は居住まいを正し、まっすぐにカンベイを見つめます
「私たちは代々盗みで生計をたてる盗賊の家系。
情報を集めて忍び込むことはあっても、それを言いふらすことはありません。
もし我慢できなくなったらお母さんに言うのよ。
それを聞いて、お母さんが他人の家に忍び込むから」
「ねえ知ってる?」
「……」
「知らない君にいいお知らせだ」
「……」
「ほら、聞きたいでしょ?」
「……」
8月中旬、汗が滝の様に出てくる真夏日。
強い日差しを避けるように日陰で休んでいると、ちゃらい男が声をかけてきた。
ナンパのつもりなのか、手を変え品を変えこちらの気を引こうとさっきから話しかけてくる。
率直に言ってタイプでないので全く相手にしていないのだが、そんなことお構いなしに話しかけて来る。
取り付く島もない事が分かりそうなのに、何が彼をここまで駆り立てるのか?
もう長い事無視をしているのに、少しも諦める気配がない。
『もういっそ相手にしたほうが楽なのでは?』という考えが頭を過るが、相手をしてしまってはコイツの思うつぼ。
私は心を無にして、無視をする。
「人生は旅に例えられることがある」
突然男が何やら哲学的なことを言い出してきた。
無視を決意したばかりなのに、少しだけ興味が湧いてきた
何を言うつもりなのだろう?
私は少しだけ悩み、興味ないフリをしつつ彼の言葉に耳を傾けることにした。
「それは長い長い旅で、辛くて苦しくて、目的地は分からない。
そんな旅だ」
詩的でなんの中身のない言葉。
いい風に言って含蓄のあるように見せかけて人をけむに巻く、そんな言葉だ。
薄っぺらく中身のない言葉に、いつもの私は悪態交じりに反論するのだが今回ばかりはそんな気が起きなかった。
それは、男が至極真面目に話しているからだろう……
私の体に、男の言葉の一つ一つが沁み込んでいく
「君が苦しんでいたことは知っている」
『なんで知っている?』
問いただそうとして、思わず振り返るもそこにあるのは虚空だけ。
男がいたはずなのに、どこに行ったのだろうか?
「こんなところにいてはいけないよ。
君はまだ旅の途中だろう?」
どこからともなく声が聞こえてくる。
声はとても近くから聞こえるが、男の姿はどこにもない
「さあ、足を踏み出すんだ」
なんて無責任な言葉……
足を踏み出すのが、どんなに勇気のいる事か知らないのだろうか……
でも男の言う通り。
男の言葉に従うのは癪だが、ここにいても何も始まらない。
私は勇気を出し、一歩足を踏み出して――
□
「痛っ!」
足に激痛が走る。
唐突な出来事に、涙をながしながら悶える。
自分の身に何が起こった!?
私は何が何だか分からないまま、目を開ける。
すると見覚えのない天井が視界に入った。
……どこだ、ここ?
自分の部屋じゃない……
「気が付かれましたか?」
私が動揺していると、横から声をかけられる。
声の方を向くと、そのには白い服を着た女性がいた。
看護師だった。
「私の言葉が分かりますか?」
看護師の言葉にうなずくと、彼女は嬉しそうにほほ笑む。
「気が付いてよかった。
あなたは事故に遭って一か月意識不明だったんです」
「え!?」
そう言われても何も思い出せない。
ドラマで見た記憶の混濁だろか?
へえー、本当にあるんだ……
それにしても、自分のことながらまったく緊張感が無いのが少し笑える。
「先生を読んできますから、少し待ってくださいね」
看護師は私の返事を待たないまま、遠くへと走っていく。
忙しい事だ。
まあ私のせいか……
とりあえず、医者が来るまでの間に状況の整理をしよう。
記憶に無いのだが、看護師が言うには私は車に撥ねられたらしい。
おそらくだが、理由は私の注意不足。
一番新しい記憶は、大学に落ちた時の事。
合否確認の帰り、絶望の淵にいた事だけは覚えている。
そんな状態だったから、多分安全確認なんてしてなかったのだろう。
本当に車の運転手にには悪い事をした。
後で謝っておこう。
それにしても不思議な夢だ。
もしあの時足を動かそうと思わなければ、一生目覚めなかったかもしれない。
今だ解明されてない人体の神秘が、夢を通じてSOSを受け取ったのだろうか?
と、非現実的な事を考えて、不合格の事実から現実逃避する
とその時、『学業成就』と書かれた赤いお守りが視界に入る。
そこに置いてあるだけのお守りが、なんだか『私が助けました』と言っているような気がする。
もしかして神様が助けてくれた?
あのチャラ男は神様で、頑張っても報われなかった私を助けてくれたのだろうか?
「なーんてね」
私はオカルト系は信じないのだ。
たしかにお守りは持っていたが、ただの気休め、本当に効果があるとは思ってない
だいたいそんな力があったら、私を合格させろっちゅうねん!
とその時、お守りの下に何か紙が置いてあることに気づく。
手を伸ばすと、なんとか紙を取り書いてある内容を読み思わず顔がにやける。
『繰り上げ合格』
合格者に辞退者が出て、私まで枠が待って来たことがと書かれている。
これで晴れて私も大学生の仲間入りという事だ。
「いい知らせってこれかあ」
そりゃあのチャラ男がなんとしても伝えたがるはずだ。
私は少しだけ笑って、小さな声で『ありがとう』と呟くのだった。
10.『わあ!』『小さな勇気』『帽子かぶって』
「わあ!
すごく沢山の人間がいる」
視界を覆い尽くすほどの人混みをみて、少年は感嘆の言葉を漏らす。
そして通りに並ぶたくさんの店。
彼にとって目の前の光景はとても刺激的で、どれほど眺めても飽きないように思えた。
都会の喧騒に圧倒されながらも、彼の心は興奮でいっぱいだった。
まるで典型的な『都会に初めて出てきた田舎者』仕草であったが、実際に初めて都会に出てきたので仕方がない。
彼は今日初めて、都会にやってきたのだ。
彼の名前は、キタロウ。
生まれた時から自然と共に育った、純朴な少年である。
一見どこにでもいそうな少年だが、彼には秘密があった。
彼の頭には禍々しい角があるのだ。
そう、彼の正体は鬼……
先祖は桃太郎と死闘を繰り広げた鬼で、彼はその末裔なのだ。
とはいえ、今は人間中心の社会。
彼は無用なトラブルを避けるため、角を隠すように帽子をかぶっていた。
鬼ということがバレて、退治されてはたまらないからである。
親に聞かされる桃太郎の話は、彼に人間に恐怖心を抱くには十分であった
しかし鬼の彼が、なぜ人間の集まる都会にいるのか?
それは、ぎっくり腰で動けなくなった父の代わりに、仕事をしにやって来たためである。
キタロウの父は責任感から『絶対に休めない』と這ってでも行こうとするが、腰が砕けては何もできない。
それで代わりに誰が行くのかと話になった時に、手を挙げたのがキタロウだった。
代役とはいえ、仕事をするとなれば都会に行く事になる。
年相応に好奇心旺盛な彼は、都会に行くための方便として立候補したのだ。
だがキタロウは若い。
『荷が重いのでは?』と周囲は心配するが、他にやりたさそうな者もいない。
誰もいないならばと、キタロウに代役が回ってきたのである。
一通り観光し、キタロウがやってきたのは待ち合わせの場所『BAR 鬼が島』。
人間社会に溶け込んだ鬼たちが集まる酒屋だ。
蹴れど同族とはいえ、知らない相手。
キタロウは少し緊張していた
だが、いつまでもドアの前に立っているわけにはいかない
彼は小さな勇気を振り絞り、ゆっくりとドアを開ける。
カランカランとドアのベルが鳴り、店内にいた数人の客たちから視線が集まる。
「坊主、ここは子供に来るところじゃねえぞ」
客の一人から威圧感のある声が浴びせ掛けられる。
キタロウは気圧されそうになるが、気を取り直して言い返す。
「子供じゃありません
父の代わりにきたキタロウです」
「ああ、アイツの代役か……」
「やっと来たか」
「これでなんとかなりそうだな」
キタロウが名乗ると、店内にいた客たちが、各々に話始める。
そして客たちは、キタロウを品定めするように眺め始めた
「だが体が細いな。
代役は務まるのか?」
リーダーらしき鬼が、不安そうに言葉を漏らす。
それを聞いてキタロウは、姿勢を正して大きく声を出す。
「大丈夫です!
出来ます!」
キタロウは自分の誠意を見せるため、精いっぱい元気に答える。
だがリーダーの鬼は、その言葉を聞いても困ったような顔をするだけだった。
「意気込みは評価するが、いかんせんこの仕事は見た目が大事だ。
お前のような細い体では務まらないよ」
「そこをなんとか!」
「そうは言ってもな……」
リーダーの鬼が、考え込むように腕を組む。
キタロウが周囲を見渡すと、他の鬼も同じように不安そうな顔をしていた。
「だか1月も終わる。
これから代役を探すのは無理だ」
「となると、コイツでなんとかするしか無いのか」
「仕方ない。
誰か、肉ジュバンを買ってこい。
なんとかなるだろ」
「え、それでなんとかなるんですか?」
「本物の筋肉がいいに越したことはないがな。
とりあえずそれっぽければいい」
「はあ」
キタロウはイマイチ納得できなかったが、場が収りそうなので黙っていることにした。
「ところで何をするんでしょうか?」
「なんだ、聞いてないのか?」
「ええ、急ぎできたもので」
嘘である。
家族の気が変わって止められる前に、準備もそこそこに家を出たのだ。
いったいどんな仕事を仰せつけられるのか……
キタロウは、ゴクリとツバを飲む。
「お前の仕事は、『節分の鬼』だ」
「節分の……鬼……?
『鬼は外』の?」
「ああ、その鬼だ。
人間どもに混じって、豆をぶつけられて来い。
俺らで行きたいんだが、豆アレルギーでな。
豆アレルギーが無いお前たちに頼んでいるってわけだ」
「待ってください。
人間の所へ行くんですか!?」
退治されてしまいますよ、とキタロウは言外に叫ぶ。
「安心しろ。
一昔前はともかく、現代はTPOさえ弁えればトラブルはない。
人間と仲良くなって、一緒に遊びに行けばいいさ」