「たとえ冬が来ようとも、私は決して屈しない!
世界が氷に閉ざされようと、私は決して絶望しないだろう。
なぜなら私には心強い味方がいるからだ!
終わらない冬は無い!」
「そーね」
私がカッコよく叫んでいると、コタツに入っている友人の沙都子がゆるーく同意する。
ツッコミ前提の発言だったので、ツッコミが無いとどうにもおさまりが悪い。
いつも切れ味鋭いツッコミをくれる沙都子も、今日は期待できそうになかった
なぜなら毒舌ツッコミガール沙都子は、今はただのコタツムリと化していたからだ。
……コタツ恐るべし。
「百合子、アンタも遊んでないでコタツに入りなさい」
「うす」
というわけで、今日はコタツに入ってお送りします。
私こと百合子は、いつものように友人の沙都子の部屋に遊びに来ていた。
普段はきらびやかな洋風の部屋だが、冬が始まってコタツが設置され、なんちゃって和風になっていた。
そして設置されているコタツも、いいものを使っているのかとても暖かい。
正直、コタツに良い悪いがあるのかは知らないけれど。
「ヤバいね、コタツ。
まさにブラックホール!
一生ここで暮らそうかな」
「いつもより数割増しでテンション高いわね、百合子……
でも仕方ないわ。
だってコタツだもの」
私のおふざけにも、優しく対応してくれる沙都子。
普段の沙都子からは想像できない聖人振り!
調子狂うなあ……
「そういえば、今日どうするの?」
「どうするとは?」
「泊まってく?」
「まさか沙都子にお泊りを誘われるとは……」
私が泊まりたいと言ったら全力で阻止してくるというのに、なにこの変わりよう……
ちょっと怖い。
一周回って、このコタツは呪われているのかもしれない
「き、今日は遠慮するよ。
着替え持ってきてないし」
「そうなの、残念ね……」
沙都子は食い下がることなく納得する
本当は、いつでも泊まれるようにカバンの中にはお泊りセットが入っている。
けれど調子がおかしい沙都子と一緒にいると、私まで調子を崩しそうになるので遠慮することにした。
次の機会という事で。
「まあいいや、沙都子。
ゲームしていい?」
「どうぞ、お好きになさい」
私は沙都子の許可を得て、ゲームの準備をする。
『友人の家に遊びに来てまで、することじゃないだろ』と言われるが、仕方が無いのだ。
たって、私の家にはPS5がないんだもの。
沙都子も、熱心にゲームをする人間ではないので、私が主な使用者である。
ではさっそく――あれ?
「PS5の電源が入らない……
もしかして壊した?」
「心外ね。
あんたじゃあるまいし、壊さないわよ」
「じゃあなんで?」
「PS5の電源コードを抜いてるからよ」
「えええーー!」
衝撃の事実に、私は絶叫する。
コタツに入りながら、ぬくぬくゲームをしようと思っていたのに……
計算外だ!
「何で抜いたの!?」
「コタツを設置するときに、コンセントが足りなくてね。
仕方ないからPS5の線を抜いたわけ」
「なんてことを!
ゲームできないじゃんか!」
「まったく世話の焼ける……
そこにスマホの充電用の線に繋いでいる電源タップがあるでしょ。
少しの間ならアレをつかっていいわ」
沙都子の目線の先に、電源タップが置いてある。
なるほど、あれを使えばいいのか。
今日の沙都子はひたすら優しい。
「ありがとう、沙都子。
じゃあ、差し変えてきて」
「嫌よ」
「なんで!?」
「何でと言われても……
私、コタツ出たくないの」
「私も出たくないよ!」
「それでもいいわよ。
私ゲームしないし」
「くっ」
痛いところを突かれ、私は押し黙る。
優しいとはいえ、今日の沙都子はコタツムリ。
コタツからは出るはずがなかった。
コタツに出ずに電源タップを使う方法を考えて考えて……
いろいろ考えた末、自分で取りに行くことにした。
結論はいつだってつまらないものだ……
「ふうう、寒い寒い」
コタツをでて、腕をさすりながら電源タップの元へと向かう
エアコンが利いているので寒くはないけど、気分というやつだ
私は手早く電源コードを差し替える。
悩んだ分、無駄に時間を浪費してしまった。
さっさとゲームをしよう。
「さあて、ゲームをする、か、な……」
自分がコタツの元位置に戻ろうとしたところ、先客がいた。
沙都子の飼い猫、ラリーだった。
「ラリー!
そこは私の場所だよ!」
私はラリーに抗議するが、彼はどこ吹く風。
『ここは私の場所ですが?』と言った顔で私を見る。
私は知っている。
あの顔のラリーは、てこでも動かない
持って動かそうにも、急に重くなる憎いやつ
飼い主に似て、ワガママなやつだ。
コタツの中で丸くなっていればいいものを!
ここで対応しても時間を取られるだけ。
仕方が無いので、別の所からコタツに入ることにした。
ベストポジションを取られたのは痛いが仕方がない。
私は別の側面に移動する
けれどここにも猫がいた。
この猫も『ここは私の場所ですが?』という顔をしている。
なんだか嫌な予感がした私は、残りの場所を覗いてみる。
しかし、そこにも例の顔をした猫がいた。
「どんだけ猫がいるねん!」
思わず叫ぶ。
でもそんな事は知らんと、猫たちはこたつの側で毛づくろい
沙都子も沙都子で、相変わらずコタツムリ。
この状況が示すのはたった一つの事実。
「コタツから追い出された」
なんてこった。
今日の沙都子は優しいというのに、沙都子の飼い猫は優しくないらしい。
無理矢理引きはがすか?
ダメだ。
経験上、こうなった猫は本当に動かない。
それに引きはがせたとしても、新しい猫が来るだけだろう……
「かくなる上は……」
私はコタツに入らないまま、ゲームをすることにした。
これ以上、時間を浪費できないという判断である
沙都子はコタツが一番らしいが、私はゲームが一番なのだ。
コタツなんて、家に帰ればいくらでも入れるのだ。
コタツの中から出ようとしない沙都子。
コタツの側で丸くなる猫たち。
そしてコタツの外でゲームする私……
私たちの奇妙な冬は、こうして始まったのだった。
僕の名前は、杉下 健太。
二人しかいないゲーム研究部に所属しているんだ。
内訳は、誰もが認める絶世の美少女である部長と、何の変哲もない僕の二人だ。
活動内容はゲームの研究――ではなくゲームばかりしている実に退廃的なクラブだ。
もちろんゲームばかりしている部活に、予算を出す学校は無い。
なので、遊ぶ合間に適当にでっち上げ、レポートをネットに発表するなどして誤魔化している。
なぜかそれがネットで受けて、一部の界隈で有名になってしまったのだが……
まあ、そんな感じで楽しくやっていた。
にもかかわらず、ウチには部員が二人しかいない。
たまにあるレポート制作を除けば、天国のような環境なのになぜなのか?
それは、現部長に原因がある。
この部活は古くから『部の中で一番ゲームがうまい奴が部長』という、体育系も吃驚のしきたりがある。
で、前部長が引退した際に、現部長が勝ち残り就任したわけだが……
けれど、他者を圧倒するほどのゲーマーは、得てして変人である。
現部長も例外じゃない。
さらに部長は変人の多いゲーマーの中でも、特に変人の部類。
『作業ゲー』と呼ばれる、多くの人が苦痛と感じるゲームが大好きなのだ。
部長に就任してからは、部員たちに作業ゲーを押し付けるようになった。
それに嫌気が差した部員たちは、一人また一人と辞めていった……
前部長も『クソゲーが好き』という、とんでもない変人であったが、『自分は変人である』ことを分かっているタイプの変人であったので、そんなトラブルは皆無。
それに対し、現部長は自分を『普通よりゲームが好きな、どこにでもいる少女』と固く信じているので、善意で『作業ゲー』を周囲に押し付け、部活を崩壊させてしまった。
そんな流れで、部長以外には僕だけが残っただけなのだが……
僕が研究部を辞めずに、残っているのには理由がある
実は僕、部長の事が好きである。
研究部に入ったのも、お近づきになりたいからで、今回の事件も『二人っきりになれば、いいムードになるかも』という下心で残っている。
もっとも、部長はゲームバカなので、そんなムードになった事は無いけど……
話が長くなったけど、僕がゲーム部に所属しているのはそう言ったわけ。
そして今日も、研究部の部室にやって来た。
『部長と仲を深められるといいな』という微かな希望を胸に、僕は部室の扉を開ける
「こんにちは」
僕は挨拶しながら部室に入って、すぐゲームをしている部長の姿を認める。
僕が来たのは気づいているのだろうが、返事が無い。
明確に無視されたのだが、いつもの事なので気にしてない。
なぜならゲームに忙しい部長は、挨拶を返さないのだ。
僕はカバンを机の上に置いて、部長の隣に座る。
「何やっているんですか?」
「……見たら……分かるでしょ……テトリス……だよ」
部長はモニターから目線を外さず、質問に答えてくれる。
たしかに部長の言う通り、テトリスには違いない。
けれど、テトリスとは思えない光景が広がっていた。
ブロックが異常な速度で落ちて積まれていき、そして積まれていたブロックが異常な速さで消えていく。
はたから見て、一体に何が起こっているのか分からなかった。
テトリスはスコアが上がるごとに落ちる速度が上がると聞いたことがある。
けれど、目に見えないほど早くなるのは、始めて見た。
そしてそれに対応する人間も始めて見た。
……もしかしたら部長は人間ではないのかもしれない。
そう思うと、急に部長が恐ろしいもののような存在に見えてきた。
とそこである事を思い出す。
そういえば、昨日も部長はテトリスをやっていた。
僕が帰ろうと誘った時も『いいところだから、先に帰ってくれ』と言われたのだが……
気のせいか、昨日いた時の位置と変わってない気がする。
ゲーマーは、ときには徹夜することもあるが、もしや……
「部長、もしやと思いますが、昨日は寝ましたか?」
「……たくさん……寝たよ……」
嘘だ。
部長の目の下には、濃いクマが出来ていた。
このゲーム狂、間違いなく徹夜である。
「寝ましょう!」
「……だめ……いいところ……だから……」
「中断しましょう!」
「……だめ……勢いが……なくなる……」
「この前、徹夜ではやらないって約束してくれましたよね」
「……でも…手いいところ……だったから……」
うん、知ってた。
僕が少し諭したくらいで、この人が寝るわけがないんだ。
多分、これ以上言葉を掛けても、部長は態度を変えることはないだろう
という訳で実力行使である。
僕は椅子から立ち上がって、ゲーム機へと近づく。
ゲームの電源をシャットダウンして、むりやりゲームを止めさせるんだ。
言っても聞かないのだから、強硬な手段に出るしかない。
僕のその意図に気づいたのか、部長が怒気をはらんだ声で僕を怒鳴る
「……杉下くん!
……何をする……つもりなの!」
僕は振り返って、部長をまっすぐ見る。
「ゲームの電源を切ります。
言っても聞いてくれなさそうなので」
「言ってるでしょ!
今いいところなの!
勢いがあるの!
だから――」
「切りますね」
「待ってあと五分待って五分で終わるからここまで続いたのは初めてなの奇跡なのいいところなのだからもう少しやらせてこの奇跡を終わらせないで――」
「ダメです」
「あっ」
はい、強制終了。
これでゲーム終わり、良い子は寝る時間だ。
部長はショックのあまり、その場に立ち尽くす
僕だっていいところで中断される辛さは分かる。
けれど徹夜はしないって約束を破ったのは部長の方なんだ。
僕は悪くない。
僕が責任転嫁している間も、部長は未だにモニターを見つめていた。
なにも言わず、動かず数刻……
やりすぎたかと思い始めた時のことだった。
部長はゆっくりとその場に崩れ、床に倒れる
「部長!
気をしっかり!」
僕は倒れている部長を抱き起す。
ちょっといい匂いがする……
ってそんな場合じゃない。
僕は部長の容態を見る。
ピクリともしない
さすがに刺激が強すぎたのか、死んでしまったのかもしれない。
普通の人間はそんなことないけど、部長だったらありえる……
そんな感じでパニクっていると、部長から寝息が聞こえ始めた。
なんだ、寝ているだけか……
びっくりした……
僕は起こさないように(起きないと思うけど)、静かにソファーに運び横たわらせる。
それにしても寝顔は可愛いな。
さっきまで鬼気迫る表情でテトリスをやっていたが、絶対にこっちのほうがいい。
なんども寝落ちした部長を見た僕が言うのだから間違いがない。
けどちょっと憂鬱なのが、部長が起きた後の事。
絶対に責められるよね、コレ……
だって自己新記録を邪魔したもの……
今までいろいろあったけど、今回こそ絶交を申し付けられるかもしれない。
この楽しい関係を終わらせないでいられるよう、言い訳を考えないといけないな。
僕は部長の可愛い寝顔を見ながらそう思うのだった
小さい頃、両親から苺の苗を貰った。
「愛情込めて育てれば、うんとおいしい苺が出来るよ。
自分の子供だと思って可愛がると良い」
その言葉を真に受けた私は、その日から我が子の様に愛情をたくさん込めて育てた。
ある時は園芸の本を読んで実践し、ある時は声をかけるのがいいと聞いて毎日声掛けをした。
水やりを忘れたり、病気になったり……
たくさんの困難にあいながらも、なんとか枯らすことなく世話をした。
そして一年後、愛情をかけた甲斐があり、苺は大きく育った。
……私の背丈ほどに……
◇
「大きく育ちすぎじゃない?」
私は思わず呻く。
「成長期だからよ」
そう答えるのは、目の前にいる苺の木――イチコと名付けた巨大な苺だ。
「それにしてもイチコが話せるようになるとはね……」
「ママが毎日話しかけてくれたもの。
言葉くらい話せるようになるわ」
「そう言うもん?」
納得できないが、実際になっているのでそう思うしかない。
「ところでママ、お腹空いたから肥料をちょうだい」
「ダメよ、イチコ。
今朝あげたばっかりでしょ」
「成長期だから、すぐお腹がすくの」
「ダメ、太ってしまうわ」
「大丈夫よ、栄養は全部苺に行くもの」
「そう言うもん?」
納得できない(2回目)が、実際たくさん苺を付けるのでそうなのかもしれない。
「とにかく、肥料は駄目です!」
「いいじゃん、ケチ!」
「だーめ」
「苺食べていいから!」
「取引には応じません!」
「……実はとびっきり大きくて甘い苺を作ろうと思っていてね」
「仕方ないなあ」
イチコに肥料をやるべく、ジョウロに水と肥料を入れる
我ながらイチコに甘い。
少しワガママに育て過ぎた気がするが、仕方がない
だってイチコ、可愛いし。
苺も食べさせてくれるし、WIN-WINだ!
これからもたくさん可愛がってあげよう
そんな風に、私はそたくさんの肥料をイチコにあげた。
イチコと話しながら苺を食べる
幸せな時間だった
けれど、私は愛情というものを勘違いしていた。
甘やかすだけで、叱らないという事が何を意味するのか、その時の私は知らなかった。
肥料をあげ続けて一年後。
イチコは暴走した。
◇
「肥料寄越せえぇぇぇぇ」
イチコが肥料を求め、街で暴れていた。
ビルくらいの大きさになったイチコは、私のあげる肥料では足りなくなったのだ
最初は虫、次に鳥や小動物を捕獲していたのだが、それでも足りずついに街に繰り出した。
今でこそ人間には被害が出ていないが、それも時間の問題。
早く止めなくちゃいけない。
「イチコ」
私は暴れているイチコに呼びかける。
すると、暴れていたのが嘘のようにイチコは大人しくなった
警察や軍隊でも手が出せないほど暴れまわるイチコだが、私だけは手を出さない。
「ママ、そこをどいて。
私、お腹減ってるの。
今は我慢できるけど、そのうち我慢できなくなる」
イチコは辛そう叫ぶ。
その様子に、私の胸はぎゅっと苦しくなる
「お願いママ、すぐにここを離れて。
でないと――」
「イチコ、ここで終わらせよう」
私は持っていたジョウロをイチコに見せる。
特別強力な除草剤が入ったジョウロだ。
直接与えないと効果がないが、計算上イチコを枯らせることが出来るんだそうだ。
そのため、イチコに攻撃されない私が、ここまでやって来た。
イチコを枯らすために。
「……ママ、私を枯らすの?」
「ゴメンね。
イチコが辛そうな所、もう見てられないの」
「ママ……」
私は一歩一歩イチコに近づく。
イチコが癇癪を起すかと思ったけど、私が近づいてもイチコは何もせずただそこに佇んでいた。
「イチコ、ごめんね」
「謝らないで、ママ。
私が悪いのよ。
たくさん肥料を要求した私が……」
「ううん、私が悪いの。
私、愛情を勘違いしてた。
イチコの願いを全部叶えることが愛情だと思っていたけど、適度に怒るのも必要だったの。
私、ママ失格ね」
私はイチコの根元まで来た。
あとは除草剤をかけるのみ。
だって言うのに、私の手は少しも動かなかった。
「やっぱり出来ないよ。
イチコは私の子だもん」
「ママ……」
目が涙で溢れる。
イチコがここで死ぬのは間違っている。
だって悪いのは私だもの。
「ねえ、イチコ、他に方法があるはずだよ。
一緒に探そう」
「ママ、ありがとう。
私を信じてくれて……」
「当たり前だよ!」
「でも甘いわ」
イチコは葉っぱをまるで手のように動かし、私からジョウロを奪う。
「これでママは、私を殺すことは出来なくなったわね」
「イチコ、どういうつもり!?」
「ごめんなさい、ママ。
私たちは一緒に生きられないの」
「イチコ!」
「さよなら」
そう言って、イチコは大きな葉っぱを振りかぶる。
私はそれを見て、『これは罰なんだ』と思った。
イチコをちゃんと育てられなかった悪いママに対する罰。
甘んじて受け入れよう。
私は死を覚悟し、心の中で静かに受け入れた。
だけど、何も起こらなった。
その代わり、イチコは自分自身に除草剤を浴びせかけた。
私はイチコの突然の行動に何もできず、見ているだけだった
「イチコ、なんでこんな事を!」
「だってママ、私の事好きでしょ。
絶対殺せないと思ったもの」
除草剤が効いたのか、イチコは見る見るウチに萎れて小さくなっていく。
私より小さくなるのには時間はかからなかった。
「でも自分でやることないじゃない!
私がやるべきだったの!
私が!」
「いっぱい愛してくれてあありがとう」
「イチコ、しっかりして
ママの肥料、おしかった――」
「イチコ!」
私はイチコに呼びかける。
でも返事はなかった。
イチコは死んでしまったのだ。
私が悲しみに打ちひしがれ、大声で泣きそうになった、その時だった。
「おぎゃあ、あおぎゃあ」
唐突に赤ん坊の泣き声が聞こえる。
「赤ん坊?」
避難は済んでいるから、赤ん坊がいるはずがない。
幻聴かと思ったが、泣き止む事は無かった
ぼやけた視界であたりを見渡すと、どうやら泣き声はイチコの後ろから聞こえているようだった。
私は涙を拭いて、イチコの後ろに回る。
そこにいたのは――
「小っちゃいイチコ!」
枯れたイチコから、一本のツタが伸びていた。
ツルの先に小さな苺の苗が葉を広げており、そこから泣き声は聞こえていた。
そういえば、と苺の本で書いてあったことを思い出す。
苺は、ランナーというツタを伸ばし、その先に自分のクローンをつくるのだと。
つまり、この小さな苺はもう一人のイチコなのだ。
その小さなイチコを見て、目からまた涙が溢れ出す。
「今度は間違えないから」
私はそっと、小さな赤ん坊を手で包み込んだ。
◇
一年後。
「はい、肥料」
「ありがとう、ママ」
私は今、イチコの遺したクローンを育てていた。
名前は、ニコ。
私の新しい子供だ。
「ママ、もっと肥料が欲しいわ」
「ダメよ。
大きくなりすぎてしまうもの」
「前の『私』みたいに?」
「そう」
「じゃあ仕方ないね、ママを困らせたくないし」
私はイチコの時の様に、言われるがまま肥料を上げることはしなくなった。
ニコが肥料を求めても、なんども『程々が一番』と説得した。
その甲斐あって、最近ではニコが理解を示してくれるようになってきた。
甘やかしてもいい時は甘やかし、叱る時は叱る。
イチコの時は出来なかったことが、今では出来るようになった。
完璧なママには遠いけれど、私頑張るね
「前から気になってたこと聞いていい?」
「なあに、ママ」
「私があげる肥料は特別美味しいって言うけど本当?
イチコも言ってたけど、他の人があげる時より喜ぶよね?」
「え、ママ分かんないの!?」
「そんなに驚くような事?」
「そうだよ、常識だよ!」
まさか喋る苺に『常識』を言われるとは……
ママって驚きがいっぱいだ。
「そっか常識か……
でもママは知らないから教えてくれる?」
「もちろん!」
ニコは嬉しそうに教えてくれた。
「ママの愛情が入っているからだよ。
愛情は最高のスパイスって言うでしょ」
「37度2分、微熱ね。
明日は学校にはいけそうね」
「うん」
お母さんが、体温計を見ながらホッとしたように呟く。
体調を崩し、学校を休んだ三日目。
お母さんが付きっきりで看病してくれたおかげで、ようやく熱が下がってきた。
「でも油断は禁物よ。
治りかけが一番危ないんだから」
お母さんは、真面目な顔で私に注意を促す
いくらなんでも高校生に言う事ではない、と言いたいところだがお母さんの心配も仕方がない
子供の頃の私は体が弱く、良く熱を出していたからだ。
大きくなって熱を出すことは少なくなったけど、それでも今日みたいに熱を出すことはある。
その度にお母さん、あるいはお父さんが帰ってきて私の看病をしてくれた。
不謹慎だけどもそのことが嬉しかったりする。
仕事で忙しい両親とちゃんとお話しできる数少ない機会だからだ
「無理をしないようにね。
クスリを飲んで、ゆっくりしなさい。
あとは――」
「お母さん、待って」
お母さんがどこかに行ってしまわないように、私はシャツの裾を掴む。
するとお母さんは困ったように笑った。
「あらあら沙都子ったら。
高校生なのに、まだ甘えん坊ね」
私のワガママに、お母さんは嬉しそうな、けれど複雑そうな顔をする。
いつもだったら『仕方ない』と言って傍にいてくれるのに、どうしたのだろう?
「どうしたの?」
「うーん、すごく言いにくいのだけど……」
お母さんは目を逸らしながら言い澱む。
そんなお母さんを見て、私は嫌な予感がした。
「もしかしてお仕事!?
元気になるまでいるって言ってくれたじゃない!
嘘つき!」
私が叫ぶと、お母さんは悲しそうな顔になる。
『言い過ぎた』。
そう思って謝罪の言葉を口にしようとした瞬間であった。
「お友達が来てるわよ」
とお母さんは部屋の入り口を指さす。
私はその瞬間、全身から嫌な汗が噴き出る。
友達が来た?
いつから?
まさか、お母さんに甘えているところを見られてないよね?
『どうか、見られていませんように』と祈りながら、ゆっくりと入り口に目線を向ける。
だが祈りは届かない。
そこにいた友人、百合子はニヤニヤしながら私を見ていた。
その目には悪戯っぽい光が宿っていた。
百合子は、今まで見た事が無いくらい下卑た笑顔で私に近づく。
「沙都子って、甘えん坊なんだね」
火が出そうなくらい顔が熱くなる。
最悪だ!
よりにもよって、一番見られたくないやつに、一番見られたくない所を見られた。
「沙都子って、お母さんっ子だったんだね」
囃し立てるように、私を揶揄う百合子。
普段は私が百合子を揶揄っているのに、これでは逆だ。
「沙都子はいつもクールなのに、意外~」
「それ以上は――」
「あらそうなの?」
私が百合子の口をふさごうとした瞬間、お母さんが割って入る
「この子ってば、いつも甘えてばかりで心配していたの。
でも学校ではしっかりしているのね。
お母さん、安心したわ」
お母さんがこれ以上ないくらい喜んでいる。
私としても、母さんが喜んでくれるのは嬉しい。
けれど百合子のおかげというのは、どうしても承服しかねた。
「百合子さんとおっしゃったかしら?」
「はい!」
「沙都子は元気でやっているのかしら?」
「はい、不必要なまでに」
「不必要に元気なのはあなたでしょ!」
「沙都子、そんなに興奮するとまた熱が上がるよ」
「誰がそうさせているのよ、誰が!」
私はいつものように、百合子にツッコミを入れる。
百合子を相手にして、乱暴な言葉使いをしてしまった。
お母さんは失望してしまったかもしれないと思いながら、おそるおそるお母さんの顔を盗み見る
けれど予想に反し、お母さんはニコニコと、私たちを見ていた。
「沙都子は、友達にはそんな顔をするのね。
仲良くしている子がいて、お母さんは安心したわ」
「お母さん!?」
「これからも、沙都子の事をよろしくね」
「任せて下さい」
親指を立てて、了承する百合子。
そして百合子はお母さんと、楽しそうに歓談を始める。
私はその姿にどうしようもなく怒りを感じた。
私のお母さんだぞ!
「調子に乗るな!」
私は感情のままに、枕を思い切り投げつけるのであった
◇
次の日。
私は学校を休んだ。
昨日興奮しすぎて、熱が上がってしまったのである。
38度1分。
昨日とは違い高熱で、体が辛い
けれど、そこまで悲観的ではなかった
なぜなら、お母さんが仕事の休みを増やしてくれたからだ。
お母さんともっと一緒にいられる。
それがなによりも嬉しかった。
幸せだった。
ただ一点を除いて……
「ねえねえ、百合子さんがお見舞いに来てるわよ?」
「追い返して!」
百合子はその後、熱が下がって学校に行けるまで、毎日お見舞いに来るのであった。
ビルから出て太陽の眩しさに目が眩む。
こうして太陽の下に出たのは何日ぶりだろうか?
最近仕事が忙しく、日の出ている内に出退勤が出来なかった……
しかし今日ようやく、本当にようやく仕事に一区切りがつき、太陽が沈む前に帰ることが出来た
長かった……
この一か月、早出遅帰りは当たり前。
一週間前からは会社に泊まり込む始末。
昨日など、寝る間も惜しんで会議だった。
十分に休めない日々が続き、皆涙ながらに仕事を続けていた……
けれど、それも終わり。
今日の会議で画期的な打開策が出されたからだ。
俺たちの頭を悩ましていた問題を、一気に解決する素晴らしきアイディア。
そのアイディアを聞いて、皆が涙していた。
もちろん俺も泣いた。
これで家に帰れるからだ。
こんなに素晴らしい事は無い。
俺は感激に身を任せながら、太陽の光を全身に浴びる
俺は太陽が嫌いだった。
なんだか陽気になることを強要されているようで、陰キャである自分とは反りが合わないと思っていた。
だがどうだろう?
このすべてを包み込む抱擁を!
俺は太陽の事を勘違いしていたようだ。
太陽が、こんなにも優しい存在だったなんて知らなかった。
また泣きそうになる。
だが泣くのは後
泣くのは、家に帰って布団に包まれてから
太陽の優しさに泣きそうになりながら、家路につくのであった。
◇
次の日の朝。
小鳥たちの歌声と共に、目を覚ました。
そして木がざわめく音を感じながら、体を起こす。
なんて気持ちのいい朝だろうか?
今までの人生で一番開放的な朝だ。
隣には俺にぴったりと体をくっつけて鹿たちが寝ていた。
なんとものどかな風景であった。
鹿?
というか外じゃん。
なんでこんなところに寝ていたのだろう?
昨日の記憶を探ってみるが、家にたどり着いた記憶がない。
どうやら力尽きて、ここで寝てしまったようだ。
11月だというのに寒い思いをしなかったのは、鹿が横で寝てくれていたからだろう。
鹿の意図は分からないが、感謝の気持ちでいっぱいだ。
俺が起きたことに気づいたのか、鹿たちが体を起こし始めた。
鹿たちは、生きている事を確認するように俺を見る。
「ありがとな、おかげで死なずに済んだ」
俺の言葉を理解したのかしていないのか、鹿たちは急に俺に興味が失せたかのように離れ始める。
と思いきや、鹿たちは一か所に集まり、そこで俺をじっと見つめていた
鹿せんべいの無人販売所であった。
「あー、お礼に食わせろって事か」
そうして俺は、持ち合わせの小銭で買えるだけのせんべいを買い、鹿たちにくれてやる。
「しかし、いい天気だなあ……」
すでに高く登っている太陽の下で、俺は無断欠勤の言い訳を考えるのであった。