「37度2分、微熱ね。
明日は学校にはいけそうね」
「うん」
お母さんが、体温計を見ながらホッとしたように呟く。
体調を崩し、学校を休んだ三日目。
お母さんが付きっきりで看病してくれたおかげで、ようやく熱が下がってきた。
「でも油断は禁物よ。
治りかけが一番危ないんだから」
お母さんは、真面目な顔で私に注意を促す
いくらなんでも高校生に言う事ではない、と言いたいところだがお母さんの心配も仕方がない
子供の頃の私は体が弱く、良く熱を出していたからだ。
大きくなって熱を出すことは少なくなったけど、それでも今日みたいに熱を出すことはある。
その度にお母さん、あるいはお父さんが帰ってきて私の看病をしてくれた。
不謹慎だけどもそのことが嬉しかったりする。
仕事で忙しい両親とちゃんとお話しできる数少ない機会だからだ
「無理をしないようにね。
クスリを飲んで、ゆっくりしなさい。
あとは――」
「お母さん、待って」
お母さんがどこかに行ってしまわないように、私はシャツの裾を掴む。
するとお母さんは困ったように笑った。
「あらあら沙都子ったら。
高校生なのに、まだ甘えん坊ね」
私のワガママに、お母さんは嬉しそうな、けれど複雑そうな顔をする。
いつもだったら『仕方ない』と言って傍にいてくれるのに、どうしたのだろう?
「どうしたの?」
「うーん、すごく言いにくいのだけど……」
お母さんは目を逸らしながら言い澱む。
そんなお母さんを見て、私は嫌な予感がした。
「もしかしてお仕事!?
元気になるまでいるって言ってくれたじゃない!
嘘つき!」
私が叫ぶと、お母さんは悲しそうな顔になる。
『言い過ぎた』。
そう思って謝罪の言葉を口にしようとした瞬間であった。
「お友達が来てるわよ」
とお母さんは部屋の入り口を指さす。
私はその瞬間、全身から嫌な汗が噴き出る。
友達が来た?
いつから?
まさか、お母さんに甘えているところを見られてないよね?
『どうか、見られていませんように』と祈りながら、ゆっくりと入り口に目線を向ける。
だが祈りは届かない。
そこにいた友人、百合子はニヤニヤしながら私を見ていた。
その目には悪戯っぽい光が宿っていた。
百合子は、今まで見た事が無いくらい下卑た笑顔で私に近づく。
「沙都子って、甘えん坊なんだね」
火が出そうなくらい顔が熱くなる。
最悪だ!
よりにもよって、一番見られたくないやつに、一番見られたくない所を見られた。
「沙都子って、お母さんっ子だったんだね」
囃し立てるように、私を揶揄う百合子。
普段は私が百合子を揶揄っているのに、これでは逆だ。
「沙都子はいつもクールなのに、意外~」
「それ以上は――」
「あらそうなの?」
私が百合子の口をふさごうとした瞬間、お母さんが割って入る
「この子ってば、いつも甘えてばかりで心配していたの。
でも学校ではしっかりしているのね。
お母さん、安心したわ」
お母さんがこれ以上ないくらい喜んでいる。
私としても、母さんが喜んでくれるのは嬉しい。
けれど百合子のおかげというのは、どうしても承服しかねた。
「百合子さんとおっしゃったかしら?」
「はい!」
「沙都子は元気でやっているのかしら?」
「はい、不必要なまでに」
「不必要に元気なのはあなたでしょ!」
「沙都子、そんなに興奮するとまた熱が上がるよ」
「誰がそうさせているのよ、誰が!」
私はいつものように、百合子にツッコミを入れる。
百合子を相手にして、乱暴な言葉使いをしてしまった。
お母さんは失望してしまったかもしれないと思いながら、おそるおそるお母さんの顔を盗み見る
けれど予想に反し、お母さんはニコニコと、私たちを見ていた。
「沙都子は、友達にはそんな顔をするのね。
仲良くしている子がいて、お母さんは安心したわ」
「お母さん!?」
「これからも、沙都子の事をよろしくね」
「任せて下さい」
親指を立てて、了承する百合子。
そして百合子はお母さんと、楽しそうに歓談を始める。
私はその姿にどうしようもなく怒りを感じた。
私のお母さんだぞ!
「調子に乗るな!」
私は感情のままに、枕を思い切り投げつけるのであった
◇
次の日。
私は学校を休んだ。
昨日興奮しすぎて、熱が上がってしまったのである。
38度1分。
昨日とは違い高熱で、体が辛い
けれど、そこまで悲観的ではなかった
なぜなら、お母さんが仕事の休みを増やしてくれたからだ。
お母さんともっと一緒にいられる。
それがなによりも嬉しかった。
幸せだった。
ただ一点を除いて……
「ねえねえ、百合子さんがお見舞いに来てるわよ?」
「追い返して!」
百合子はその後、熱が下がって学校に行けるまで、毎日お見舞いに来るのであった。
ビルから出て太陽の眩しさに目が眩む。
こうして太陽の下に出たのは何日ぶりだろうか?
最近仕事が忙しく、日の出ている内に出退勤が出来なかった……
しかし今日ようやく、本当にようやく仕事に一区切りがつき、太陽が沈む前に帰ることが出来た
長かった……
この一か月、早出遅帰りは当たり前。
一週間前からは会社に泊まり込む始末。
昨日など、寝る間も惜しんで会議だった。
十分に休めない日々が続き、皆涙ながらに仕事を続けていた……
けれど、それも終わり。
今日の会議で画期的な打開策が出されたからだ。
俺たちの頭を悩ましていた問題を、一気に解決する素晴らしきアイディア。
そのアイディアを聞いて、皆が涙していた。
もちろん俺も泣いた。
これで家に帰れるからだ。
こんなに素晴らしい事は無い。
俺は感激に身を任せながら、太陽の光を全身に浴びる
俺は太陽が嫌いだった。
なんだか陽気になることを強要されているようで、陰キャである自分とは反りが合わないと思っていた。
だがどうだろう?
このすべてを包み込む抱擁を!
俺は太陽の事を勘違いしていたようだ。
太陽が、こんなにも優しい存在だったなんて知らなかった。
また泣きそうになる。
だが泣くのは後
泣くのは、家に帰って布団に包まれてから
太陽の優しさに泣きそうになりながら、家路につくのであった。
◇
次の日の朝。
小鳥たちの歌声と共に、目を覚ました。
そして木がざわめく音を感じながら、体を起こす。
なんて気持ちのいい朝だろうか?
今までの人生で一番開放的な朝だ。
隣には俺にぴったりと体をくっつけて鹿たちが寝ていた。
なんとものどかな風景であった。
鹿?
というか外じゃん。
なんでこんなところに寝ていたのだろう?
昨日の記憶を探ってみるが、家にたどり着いた記憶がない。
どうやら力尽きて、ここで寝てしまったようだ。
11月だというのに寒い思いをしなかったのは、鹿が横で寝てくれていたからだろう。
鹿の意図は分からないが、感謝の気持ちでいっぱいだ。
俺が起きたことに気づいたのか、鹿たちが体を起こし始めた。
鹿たちは、生きている事を確認するように俺を見る。
「ありがとな、おかげで死なずに済んだ」
俺の言葉を理解したのかしていないのか、鹿たちは急に俺に興味が失せたかのように離れ始める。
と思いきや、鹿たちは一か所に集まり、そこで俺をじっと見つめていた
鹿せんべいの無人販売所であった。
「あー、お礼に食わせろって事か」
そうして俺は、持ち合わせの小銭で買えるだけのせんべいを買い、鹿たちにくれてやる。
「しかし、いい天気だなあ……」
すでに高く登っている太陽の下で、俺は無断欠勤の言い訳を考えるのであった。
コンコン。
使われていない教室でスマホをいじっていると、誰かがドアを叩く。
ようやく来たか。
私はそう思いながら、返事をする
「どうぞ」
そう言うと、ノックの主である女子生徒は静かにドアを開けた。
彼女は変装のつもりなのか、サングラスとマスクを付けている。
そんなものを付けなくても誰にも言いふらしたりはしないのだけれど……
まあ本人がそれで安心するなら、私からはなにも言う事は無い。
「例のものは?」
私の事情など知ったことないかのように、彼女は淡々と用件を述べる。
けれど、私も彼女の事情なんて興味はない。
黙って『例の物』を差し出す。
「確認して」
私が促すと、彼女は受け取ったものをその場で広げる。
目の前に広げられたのは、一見何の変哲もないセーター。
しかしよく見ると所々ほつれている。
それどころか、左右の腕の長さも合っていない。
まるで裁縫初心者が作ったかのようなセーターである。
普通だったら失敗作の烙印を押されるセーターだ。
だが彼女はそんな失敗作を見て、満足そうにうなずく
「ありがとう。
これは代金よ」
彼女は代金を払い、大事そうにセーターをカバンに仕舞うと、そそくさと教室から出て行ってしまった。
ここにいるのを見られたくないからだろう。
そんなに警戒するくらいなら、そもそも来なければいいのにと思う。
けれど私は不格好なセーターを渡すことで金品を頂いている。
感謝こそすれ、文句は何もない。
けれど、思う所がないでもない。
だってあのセーターは、きっと彼女の恋人に送られるのだろう。
自分編んだセーターと言って……
そう、セーター制作代理人。
お金を受け取って、『頑張って編みました』感を存分に醸し出すセーターを作る職人なのだ。
そして依頼人は、私のセーターを恋人の元に持っていき、
『頑張って編んでみたの。
その、変になっちゃったけどど着てくれる?』
みたいな、あまーい言葉を吐き、いちゃつくのだ。
あー、やだやだ。
ちなみに綺麗なセーターを依頼してこないのは、『編み物が得意だ』と思われないための保険である。
そんな危険を冒してでも、彼女たちは私からセーターを買う。
一か月後に聖夜が控える恋人たちにとって、今が頑張り時なのだ
私のやっている事を、何も知らない人が聞けば『自分で編め』と言うだろう
私もそういう気持ちは少しだけある。
けど私は軽率にそんな事は言わない。
セーターを編むのは、なかなか根気のいる作業なのだ。
一着を編むのに一か月。
生半可な覚悟では出来ない。
慣れてないのならなおの事。
その一方、私は編み物が大好きで、時間があればいつも編んでいる。
セーターには限らないが、編めるものなら何でも編む。
基本プライドは無いので、たとえ不完全でも何も思わない。
私は、好きなことをしてお金がもらえる。
依頼人は、恋人に健気アピールが出来る。
恋人は、プレゼントをもらって嬉しい。
三者WIN-WINの関係。
みんなが幸せになる、素晴らしいお仕事なのだ。
私は編み物をする。
編んだものを売ってお金にする。
稼いだお金で毛糸を買う。
買った毛糸で編み物をする。
素晴らしい錬金術。
好きなことが、お金になるっていいね!
趣味と実益を両立させた、勝ち組なのだ。
だがすべてを持っている私にも悩みがある。
「セーターを上げれる恋人、欲しいなあ……」
昼休み、至福の時間。
私たちは学校という名の檻に閉じ込められ、勉強に追われている。
そんな窮屈な一日を過ごしている私たちにとって、この時間だけ檻から解放され自由を満喫できる時間なのだ。
と、いう訳で。
昼休みのチャイムが鳴った瞬間、カバンから弁当を取り出して、友人である沙都子の所まで行く。
短い昼時間、楽しく過ごさなきゃ嘘だ。
「あなた、授業中は死んだような顔をしているのに、昼休憩になると息を吹き返すわよね」
沙都子は、机をくっつけてお弁当を広げる私を見て苦笑いをしている。
「当たり前だよ!
勉強なんて、社会に出てから何の役に立たないもの。
何にも面白くない!」
「社会に出た事がないのに偉そうに。
あなたのソレ、ただの言い訳でしょ」
「うぐ。
正論を言う沙都子は嫌いだ」
そんなことは分かってる。
でもいいじゃんか。
昼時間くらい、辛い現実から目を背けてもさ。
私はお母さんが作ってくれたお弁当を食べながら、沙都子とたわいのない会話をする。
そうしてお弁当の中身の大半が私の胃袋に消え、デザートのイチゴだけが残ったとき、沙都子が言った。
「あら、イチゴを残しているわね。
食べないの?」
「好きな物は、最後に食べる派なんだ」
「なら落とさないようにね。
あなた、よく物を落とすから」
「なんだよ、いくら何でもイチゴを落とすわけ――あ」
なんということであろう。
がっしり掴んでいるはずの箸の間から、するりとイチゴが落ちていく。
このまま床に落とせば食べられなくなってしまう。
私はとっさに、下から掬い上げるように左手を出した。
だが、ダメ!!
私の手はイチゴを捉えるが、焦ったためか勢いあまってイチゴは上空へ飛んでいく。
だが私は諦めない。
一度目がダメなら二度目で取ればいいのだ。
私はイチゴを掴まんと、左手をさらに伸ばす
ちょうどいい高さまで、浮き上がったイチゴ。
この高さなら目測を間違えない。
いける!
私はイチゴの捕獲を確信し――
「おっと、ごめんよ」
後ろを通ろうとした男子が、私の座っている椅子にぶつかってしまう。
そのせいで目測を誤り、意図しない形でイチゴは前に押し出される。
そしてイチゴの旅の終着点は――
沙都子の口の中だった。
そして沙都子は私を一瞬見た後、涼しい顔でイチゴを咀嚼する
「あーーーー」
私が抗議の声を上げるもどこ吹く風、沙都子はハンカチを取り出し口の周りを拭いていた。
「ごちそうさま」
「かえせえええ。
私のイチゴをかえせええ」
「そう言われても……
食べてしまった物は返せないわ」
「私を一度見たよね。
確認したよね!
それで食べたよね!?」
「そうね、『きっと面白い反応するだろうな』と思って食べたわ。
でも口に入ったものを出すのはマナー違反よ。
それに他人の口に入ったものを、あなたは食べられるの?」
「そうだけどさあ……」
またしても沙都子の正論責め。
確かに沙都子は悪くないけど、でも納得できないものがある。
「ちくしょう。
イチゴ、楽しみにしてたのに」
「イチゴでそこまで落ち込めるのはあなたぐらいよ」
「でも……」
「仕方ないわねえ」
「!」
沙都子は仕方ないと言いたげな顔で、自分のカバンを漁り始める。
なんだかんだで沙都子は優しいのだ。
きっとお詫びとして、いいものをくれるハズだ。
「あった」
そう言って沙都子が取り出したのは、真っ赤な――
「はい、口紅。
これで我慢しなさい」
「せめて食えるもんを出せ!」
「そんなに都合よくイチゴの代わりになるものなんて、持ってるわけないでしょ?」
そんな感じで特にオチの無い会話を沙都子とする。
いつものように何の変哲もない平和な時間。
今日も騒がしく昼休憩を過ごすのだった
「ふふふ、やっと始められる」
私は誰もいない部屋で、一人高笑いする。
目の前にあるのは、藁人形、五寸釘、そしてハンマー……
私は呪いの三点セットを前にして、喜びを隠すことは出来なかった
私は今日、夫を殺す。
長い結婚生活では色々あった。
時にはいちゃついたり、憎み合うこともあった。
しかし試練を乗り越えるたびに、私たちは絆を深めた。
でもそんな事は関係ない。
夫は絶対にやってはいけないことをした。
私は絶対にそのことを許すことなく、報いを受けなさせないといけない。
自然とハンマーを握る手に力が入る。
「くらえ、プリンの恨み!」
力を込めてハンマーを振り遅下ろす。
部屋に響く、『カーン』という金属音。
そして一瞬の静寂の後、『パリン』と夫の使っているお気に入りの湯呑が真っ二つになる。
コレが割れたという事は、夫に何かがあったという事。
やったわ。
プリンを食べられて早一週間。
ようやく恨みを晴らすことが出来た
あの人が悪いのよ。
私が大事に取っておいたプリンを食べるんだから。
でもこれで終わり。
さて勝利の美酒ならぬ、勝利のプリンでも食べようかしら。
私が勝ち誇っている時、私のスマホが着信を知らせて震える。
着信先の夫の名前を見て、ほくそ笑む
私はスマホを取って、通話ボタンを押す
「もしもし」
『酷いじゃないか』
スマホから聞こえてくるのは、呆れたような夫の声。
いむ、想像通り呪いは降りかかったようだ
「食べ物の恨みは怖いのよ」
『だからといって、呪殺する事は無いじゃないか。
いくら僕が『死んでも生き返る』チートを持っていると言っても、限度があるよ……』
「いいじゃない、減るものじゃないし」
『前もそう言って僕を殺したよね。
どんどん僕の命の価値が減ってきてる』
「そんなことより」
『誤魔化さないで』
「何が起こったのかしら?」
『はあ……
どこからともなく鉄骨が落ちてきて、そのまま潰されたよ。
僕じゃなかったら死んでいたところだ』
「そんなことあるのね」
『今回ばかりは反省してよ。
他の人も巻き込まれそうになったんだから』
「分かった。
次呪うときは連絡するから、人気のない場所に行ってね」
『何も分かってない……
あ、ちょっと待って』
そういうと、夫がスマホから遠くなる。
電話口からは誰かと話している雰囲気だ。
相手は……
女性?
『巻き込まれそうになった人がいる』と言ってたけど、もしかしてその人を助けて惚れられたか!?
なんてこった。
まさか、私の呪いでラブロマンスが始まろうとは!
私が愕然としていると、夫がスマホに戻って来た
『ゴメン、それで話の続きだけど――』
「アナタ、今から呪うから人気ない場所にってね、そこにいる女と一緒に。
浮気は許さないから」