昼休み、至福の時間。
私たちは学校という名の檻に閉じ込められ、勉強に追われている。
そんな窮屈な一日を過ごしている私たちにとって、この時間だけ檻から解放され自由を満喫できる時間なのだ。
と、いう訳で。
昼休みのチャイムが鳴った瞬間、カバンから弁当を取り出して、友人である沙都子の所まで行く。
短い昼時間、楽しく過ごさなきゃ嘘だ。
「あなた、授業中は死んだような顔をしているのに、昼休憩になると息を吹き返すわよね」
沙都子は、机をくっつけてお弁当を広げる私を見て苦笑いをしている。
「当たり前だよ!
勉強なんて、社会に出てから何の役に立たないもの。
何にも面白くない!」
「社会に出た事がないのに偉そうに。
あなたのソレ、ただの言い訳でしょ」
「うぐ。
正論を言う沙都子は嫌いだ」
そんなことは分かってる。
でもいいじゃんか。
昼時間くらい、辛い現実から目を背けてもさ。
私はお母さんが作ってくれたお弁当を食べながら、沙都子とたわいのない会話をする。
そうしてお弁当の中身の大半が私の胃袋に消え、デザートのイチゴだけが残ったとき、沙都子が言った。
「あら、イチゴを残しているわね。
食べないの?」
「好きな物は、最後に食べる派なんだ」
「なら落とさないようにね。
あなた、よく物を落とすから」
「なんだよ、いくら何でもイチゴを落とすわけ――あ」
なんということであろう。
がっしり掴んでいるはずの箸の間から、するりとイチゴが落ちていく。
このまま床に落とせば食べられなくなってしまう。
私はとっさに、下から掬い上げるように左手を出した。
だが、ダメ!!
私の手はイチゴを捉えるが、焦ったためか勢いあまってイチゴは上空へ飛んでいく。
だが私は諦めない。
一度目がダメなら二度目で取ればいいのだ。
私はイチゴを掴まんと、左手をさらに伸ばす
ちょうどいい高さまで、浮き上がったイチゴ。
この高さなら目測を間違えない。
いける!
私はイチゴの捕獲を確信し――
「おっと、ごめんよ」
後ろを通ろうとした男子が、私の座っている椅子にぶつかってしまう。
そのせいで目測を誤り、意図しない形でイチゴは前に押し出される。
そしてイチゴの旅の終着点は――
沙都子の口の中だった。
そして沙都子は私を一瞬見た後、涼しい顔でイチゴを咀嚼する
「あーーーー」
私が抗議の声を上げるもどこ吹く風、沙都子はハンカチを取り出し口の周りを拭いていた。
「ごちそうさま」
「かえせえええ。
私のイチゴをかえせええ」
「そう言われても……
食べてしまった物は返せないわ」
「私を一度見たよね。
確認したよね!
それで食べたよね!?」
「そうね、『きっと面白い反応するだろうな』と思って食べたわ。
でも口に入ったものを出すのはマナー違反よ。
それに他人の口に入ったものを、あなたは食べられるの?」
「そうだけどさあ……」
またしても沙都子の正論責め。
確かに沙都子は悪くないけど、でも納得できないものがある。
「ちくしょう。
イチゴ、楽しみにしてたのに」
「イチゴでそこまで落ち込めるのはあなたぐらいよ」
「でも……」
「仕方ないわねえ」
「!」
沙都子は仕方ないと言いたげな顔で、自分のカバンを漁り始める。
なんだかんだで沙都子は優しいのだ。
きっとお詫びとして、いいものをくれるハズだ。
「あった」
そう言って沙都子が取り出したのは、真っ赤な――
「はい、口紅。
これで我慢しなさい」
「せめて食えるもんを出せ!」
「そんなに都合よくイチゴの代わりになるものなんて、持ってるわけないでしょ?」
そんな感じで特にオチの無い会話を沙都子とする。
いつものように何の変哲もない平和な時間。
今日も騒がしく昼休憩を過ごすのだった
「ふふふ、やっと始められる」
私は誰もいない部屋で、一人高笑いする。
目の前にあるのは、藁人形、五寸釘、そしてハンマー……
私は呪いの三点セットを前にして、喜びを隠すことは出来なかった
私は今日、夫を殺す。
長い結婚生活では色々あった。
時にはいちゃついたり、憎み合うこともあった。
しかし試練を乗り越えるたびに、私たちは絆を深めた。
でもそんな事は関係ない。
夫は絶対にやってはいけないことをした。
私は絶対にそのことを許すことなく、報いを受けなさせないといけない。
自然とハンマーを握る手に力が入る。
「くらえ、プリンの恨み!」
力を込めてハンマーを振り遅下ろす。
部屋に響く、『カーン』という金属音。
そして一瞬の静寂の後、『パリン』と夫の使っているお気に入りの湯呑が真っ二つになる。
コレが割れたという事は、夫に何かがあったという事。
やったわ。
プリンを食べられて早一週間。
ようやく恨みを晴らすことが出来た
あの人が悪いのよ。
私が大事に取っておいたプリンを食べるんだから。
でもこれで終わり。
さて勝利の美酒ならぬ、勝利のプリンでも食べようかしら。
私が勝ち誇っている時、私のスマホが着信を知らせて震える。
着信先の夫の名前を見て、ほくそ笑む
私はスマホを取って、通話ボタンを押す
「もしもし」
『酷いじゃないか』
スマホから聞こえてくるのは、呆れたような夫の声。
いむ、想像通り呪いは降りかかったようだ
「食べ物の恨みは怖いのよ」
『だからといって、呪殺する事は無いじゃないか。
いくら僕が『死んでも生き返る』チートを持っていると言っても、限度があるよ……』
「いいじゃない、減るものじゃないし」
『前もそう言って僕を殺したよね。
どんどん僕の命の価値が減ってきてる』
「そんなことより」
『誤魔化さないで』
「何が起こったのかしら?」
『はあ……
どこからともなく鉄骨が落ちてきて、そのまま潰されたよ。
僕じゃなかったら死んでいたところだ』
「そんなことあるのね」
『今回ばかりは反省してよ。
他の人も巻き込まれそうになったんだから』
「分かった。
次呪うときは連絡するから、人気のない場所に行ってね」
『何も分かってない……
あ、ちょっと待って』
そういうと、夫がスマホから遠くなる。
電話口からは誰かと話している雰囲気だ。
相手は……
女性?
『巻き込まれそうになった人がいる』と言ってたけど、もしかしてその人を助けて惚れられたか!?
なんてこった。
まさか、私の呪いでラブロマンスが始まろうとは!
私が愕然としていると、夫がスマホに戻って来た
『ゴメン、それで話の続きだけど――』
「アナタ、今から呪うから人気ない場所にってね、そこにいる女と一緒に。
浮気は許さないから」
「どうしたらいいの?」
私は迷っていた。
手に持っているのは、さっき拾った財布。
財布を警察に届けるべきか、それとも私の物にしてしまうべきか……
普通だったら考えるまでもなく『交番に届ける』一択。
けれど、私はどうしようもなく迷っていた……
というのも、今の私はお金がない。
オタクグッズを買いそろえたせいで、今日の晩飯にも困っている。
そんな明日も分からぬ私の前に現れたのが、お札でパンパンの財布。
金欠でなくても心が揺れる財布である
これだけのお金があれば……
いけない、いけない。
私は生まれてこの方、清く正しく生きてきた。
これまで警察のお世話になったことは無いし、その予定はない。
だから少しのお金が欲しいために、人生を棒に振るなんて――
チラリ。
何回見てもお札でギッシリ。
手にもお金の重みがズッシリ。
10万――いや30万以上あるよね、これ!!
ああ、喉から出る程欲しいお金。
私の物にしたい。
でもダメよ。
もしそんな事をしたら、警察に捕まっちゃう。
そうなったら、押し活が出来なくなるわ!
ああ、どうしたらいいの!
私は辛い現実を前に選択を迫られる。
そんな時、頭の中で悪魔がささやいた。
「いいじゃん、パクっちゃいな」
悪魔がとろけるような声で、私を誘惑してくる
なんという魅惑的なお誘い。
けれど、私は財布を自分の物にすることにしり込みしていた。
「なんだよ、ビビってのか?」
「はい、そうです。
生来の臆病者なもんで」
「はあああ」
悪魔が呆れたように、ため息をつく
危なかった。
私がビビりじゃなかったら、財布をパクらされていたよ。
そうだよ、悩む必要なんてなかった。
ビビりの私に財布をパクる事なんて出来るはずがない。
これでお心置きなく財布を届け――
「だったらら、一枚だけお札を抜き取って届ければいい」
「え?」
「こんなに札があるんだ、一枚くらいとっても分かりはしない。
分かったところで、アンタが取った証拠もないしな」
「いや、でも」
「これはお互いにとって利益になる話さ。
財布の主は30万無くすところを29万とりもどることができる。
アンタは手間賃で1万もらう。
いい話だろ?」
なんという悪魔の囁き。
これが悪魔の本気か。
ビビりという弱点をいともたやすく突破して来るとは……
でもそっか。
そうだよね。
わざわざ交番まで行くんだから、手間賃くらいは貰ってもバチは当たらないよね?
じゃあ、さっそく一枚だけお札を――
「待ちなさい!」
そんな私の決意を遮るように、私の頭の中で声がする。
「誰?」
「あなたの心に住む天使です!」
なんと天使であったか。
タイミング的に、私が悪魔になびこうとしたのを止めに来たのだろう。
ホッとしたような、がっかりしたような、複雑な気分だ。
「なんだよ、天使。
いいところだから邪魔すんな」
悪魔は邪魔されたのが不愉快だったのか、舌打ちしながら天使に悪態をつく。
「コイツは納得したんだ。
天使の出る幕はない」
「いいえ、私は天使として、この方を導く義務があります。
それに悪魔よ、あなたは間違ってます。
儲けさせようとして、結果損させているではないですか!」
「なんだと!?」
悪魔の顔が、見る見るうちに怒りで赤く染まっていく。
「損な訳あるか!
手間賃を貰って何が悪い。
素直に財布なんて届けたところでお金は手に入らないんだよぉ!」
「入りますよ」
「「え?」」
私と悪魔は、天使の言葉に耳を疑う
「落とした財布を届けられた場合、届けた人は謝礼を受け取る権利があるのです。
これは断る方も多いのですが、裏を返せば受け取っても良いのです。
相場は一割くらいなので、今回は約3万円がノーリスクでもらえますね。
リスクを負って、一万抜き取るだなんてありえません……
悪魔よ、恥を知りなさい」
◆
私はあの後、交番に財布を届けに行った。
交番に到着したとき、ちょうど落とし主もいたので、スムーズに謝礼をもらうことが出来た。
やったぜ。
「ふふふ、臨時収入が三万円。
今日は晩御飯奮発しちゃう!」
私は近くにあったファミレスによって、メニューを見る。
「ふむふむ、お勧めは季節もののパスタと、この店オリジナルのパスタか。
どうしよっかな」
トッピングや味付けに違いがあるらしいが、写真を見る限りどっちもとてもおいしそうだ。
是非とも食べ比べをしてみたいが、さすがに両方は食べられるほど、大食いではない
季節とオリジナル。
どっちがいいだろう?
悩む。
悩んじゃう。
だってどっちもおいしそうなんだもの。
私は天使と悪魔がウォーミングアップをしている気配を感じながらも、言わずにはいられなかった。
「選べない!
こんなにおいしそうなパスタが二つもあるなんて、私、どうしたらいいの?」
「クレア、ドラゴンって宝物を守るんだ」
「へーよかったですねバン様」
俺がそう言うと、妻のクレアは興味が無いのか、まったく感情のこもらない声で答える。
結婚してから何度目か分からないやりとりだが、未だに俺の心をえぐる。
夢に見るからやめて欲しい。
それはともかく。
「もうちょっと真剣に聞いて欲しいんだけど」
「……」
「聞いてください、お願いします」
「仕方ありませんね。
どういう事ですか?」
クレアが、不承不承で聞いてくれる。
俺の話、そんなにつまらない?
「えっと、ドラゴンには宝物を守る習性があるんだ」
「聞いたことあります」
「ダンジョンの最深部にいるのもそのためでな。
宝物を集めやすいし、守るにも都合がいいんだ」
「たしかに、ダンジョンの最深部かその付近でしか見たことありませんね……
不思議でしたが、そう言った理由だったのですね……
話は終わりましたか?」
「俺の妻が酷い」
「興味のない話を振るからです」
「くっ。
だがここまでは前フリだ。
俺たちの子供である龍太について、話したいと思ってな」
そういうと、クレアは自分の腕に抱いている小さなドラゴン――龍太に視線を移す。
龍太は、俺たちが育てているドラゴンの子供だ。
種族は違えど、俺たちの大切な子供である。
幸いにも龍太は俺たちのことを親だと思って懐いているし、俺たちも本当の子供だと思って大切に育てている。
これも一つの家族の形なのだ。
「俺たちと龍太は違う生き物だ。
ちゃんと違いを理解して育てないと、不幸な事故につながりかねない。
だがクレアはドラゴンの習性について知らないだろ。
折を見て、龍太やドラゴンの事を少しずつ話しておこうと思って」
「そういうことでしたら早く言ってください!
ドラゴンには興味はありませんが、龍太に関しては別です!」
クレアが俺に唾を飛ばしながら叫ぶ。
こいつ、龍太が卵から生まれてくるまでは少しも興味を持たなかったくせに……
どこでスイッチが入ったか分からないが、一日中龍太を抱っこしている。
「話を続けましょう。
先ほどの話と龍太、どう関係があるのでしょう?」
「龍太も宝物を守る習性があるって事だ。
今の内に龍太が守る宝物を決めておきたい」
俺は本日の重要な案件を口にする。
だがクレアはいまいち理解できなかったようで、不思議そうな顔をしていた
「それ、やらないとどうなるんですか?」
「勝手に他人の財産を守ろうとしたり、宝を求めてダンジョンに行ってしまうことがある。
あとはその辺の石ころを守ろうとしたりする」
「石ころ?」
「宝物を守るのは、ドラゴンの本能だ。
何がどうしてかは知らないが、その辺にあった綺麗な石を集めて守ろうとするんだ」
「子供の頃、私も綺麗な石を宝物にしていましたが……
なんとも可愛らしい事で……」
「だが迷惑極まりないぞ。
僻地ならともかく人通りの多い道でやられると、討伐するまで流通が止まる。
大騒ぎだよ」
「たまに人里に下りてきたドラゴンって、そういうことなんですね……」
クレアが驚く。
さすがにドラゴンに興味のないクレアでも、こういった生活に直結する話は真剣に聞いてくれるみたいだ。
「なるほど、話は分かりました。
私も、龍太が他の人に迷惑をかけるのは本意ではありません」
「理解してくれて嬉しい」
「でもどうするんですか。
宝物は手に入りにくいから、宝物なのですが……」
「そこは問題ない」
俺は一振りの短剣を取り出す。
「これは俺がこの前ダンジョンで手に入れた短剣だ。
強い火の魔力が宿っていてな、宝物にするには十分な価値のある短剣だ」
「いつのまにそんなものを……」
「これを龍太の宝にする
ほら龍太。これはお前にやろう。
大切にするんだぞ」
俺が短剣を渡すと、龍太は口にくわえる。
すると龍太は嬉しそうに『キュイキュイ』と俺の方を見て鳴く。
まるで『ありがとう』と言っているみたいだ
そんなつもりではなかったが、俺を言われているのと思うと存外嬉しいもんだ。
俺とクレアは、龍太の様子をほほえましく見守る。
その時だった。
近くの茂みから人影が飛び出してきた。
「しまった!」
俺たちは龍太に気に取られて反応が遅れ、人影に龍太が咥えていた短剣を奪い取られる。
人影は少し離れた場所で、奪ったものを吟味していた。
俺は臨戦態勢と取りつつ、人影に正対する。
「ゴブリンか」
人影の正体――それは低級モンスター、ゴブリンであった。
ゴブリンは奪った短剣をうっとりするような目で見つめている。
ドラゴンの宝物は、ゴブリンにとっても価値がある。
どうやら奪う機会を狙っていたらしい
「返しなさい!」
クレアが隣でゴブリンに向かって大声を出す。
するとゴブリンは気分を害されたことに怒ったのか、こちらに向かって威嚇してきた。
「それを大事な物なのです!
すぐに短剣を龍太に――龍太?」
クレアが啖呵を切っている間、龍太はクレアの腕から飛び降りた。
そしてゴブリンの前に出て、威嚇し始める。
「見てくれクレア!
龍太は短剣を奪い返すつもりだ!
ドラゴンの宝物を守る習性が出たぞ。
これで龍太も一人前のドラゴンだ」
「そんなことを言っている場合ですか!」
クレアにゴチンと頭を殴られる。
ちょっと興奮しすぎたようだ。
だが何を心配することがるだろうか?
いくらドラゴンの子供でも、ゴブリンに負けるような事は無い。
小さくてもドラゴンなのだ。
けれど、予想に反し龍太は威嚇するだけで、ゴブリンに攻撃を仕掛ける様子はなかった。
怖がっているふうでもないが、どういう事だろう?
龍太は威嚇するだけで、何もしようとはしなかった。
「奪い返そうとしないな……」
「むしろ、なにかを守るように……
まさか!?」
クレアが何かに気づいたように大声を上げ、涙を流す。
「龍太は、龍太は!
私たちの事を宝物だと思っているんです」
「なんだって!?」
人間が宝物だなんて聞いたことがない。
けれど、言われてみれば守っているようにしか見えなかった。
「そうか龍太は、俺たちの事が大切なんだな」
不意に視界が涙で滲む。
俺たちが龍太の事を大事に思っているように、龍太も俺たちもことを大事に思っていたらしい。
家族なんだから当たり前といえば当たり前の事。
だからと言ってその尊い輝きが鈍くなることは決してない。
心の中で、これ以上に大切にすることを誓う
俺たちが感激の涙を流していると、ゴブリンはチャンスだと思ったのか、龍太に石を投げつけてきた。
「きゃう!」
当たり所が悪かったのか、痛そうな声を上げる龍太。
それを見たクレアは、見る見るうちに顔が険しくなっていく。
そして鬼の睨むクレアを見て、ゴブリンは戦意喪失。
短剣を置いて逃げて行ってしまった
クレアはすぐさま龍太のそばに駆け寄る
「龍太、偉いですよ!
悪い奴を追い払いましたね」
「キャウキャウ」
クレアは龍太を抱き上げ、龍太は嬉しそうにはしゃいでいる
「宝物を与えようだなんて、傲慢すぎたな」
自分のの宝物である二人を見て、俺は少しだけ反省するのであった
カチチ。
使い古したコンロが、音を立てて火を起こす。
俺はその上に、二人分のカップ麺の水を入れたヤカンを置いて、湯を沸かす。
俺は火の上で鎮座するヤカンを見ながら、浮足立つ自分の心を鎮めようとしていた。
自分の部屋だというのに、全く心が落ち着かない。
頭の中を占めているのは、部屋に上げた幼馴染のこと……
ついさっきの事だ。
仕事帰りにコンビニで弁当を買おうとしたら、偶然にも幼馴染と再会したのである。
小学生以来の再会なので、戸惑ったがすぐに打ち解けることが出来た。
けれど、肝心の弁当は売り切れ……
『食べるものが無い』と言う幼馴染を、『ならウチでカップ麺食うか?』と誘ったのだが……
「問題はアイツが女だっていう事なんだよなあ……」
そう、幼馴染の順子は女性。
俺はその場のノリで、女性を部屋に上げてしまったのである。
別に順子がウチに来たことが嫌なのではない。
ただ、俺と順子はいい歳をした社会人。
気軽に互いの部屋を行ったり来たりなんて出来ないのだ。
昔みたいに付き合うには、俺たちは歳を取り過ぎたのだ。
それに誘った目的がカップ麺である。
色気も何もあったモノじゃない。
まあ久しぶりに会った幼馴染に、色気を出すはずも無いのだが……
だが反省は後……
大事なのは今、ここをどうやって無難にやり過ごすかである
俺は打開策を考えるべく、順子の方を横目で見る。
だが順子も順子で、落ち着かない様子でソワソワしていた。
所在なさげに、放置していた漫画を取ったり置いたり……
明かに挙動不審であった。
そんな幼馴染の様子を見て、順子も同じ気持ちなのかと、少しだけホッとする。
だからと言って、何も解決はしていないのだが……
まあいい。
とりあえず今日はカップ麺を食べて帰ってもらおう……
友情を育むのは、今度でもいいはずだ。
今日は出会えた奇跡に感謝しながら、食卓を囲めばいい。
そう思っていた矢先だった。
「あ、これって……」
順子が驚いたような声を上げる。
気になって様子を見てみると、彼女はアロマキャンドルを手に持っていた。
俺が棚に置いて大事に飾っていたアロマキャンドルだ。
それを見た瞬間、俺の顔は日が出そうなほど熱くなる。
このアロマキャンドルは、引っ越す直前に順子と一緒に作ったものだ。
近所のショッピングモールのイベントで製作体験があって、せっかくだからと互いの両親に連れていかれたのである。
今思えば、親が最後の思い出を作らせてくれたのだろう……
ちょっと泣けてきた。
「これって、あの時のアロマキャンドル?」
回想に耽っていた俺は、順子の言葉で現実に引き戻される。
「あ、ああ」
油断していた俺は、気の無い返事しか出来なかった。
そんな挙動不審な俺に気づかず、順子は「まだ持ってたんだね」と呟いていた。
「順子はも持って無いのか?」
そう聞くと、順子は不思議そうな顔をして、
「あたりまえじゃん。
アロマキャンドルは使うものだよ」
と返される。
……正論だった。
……正論なんだが、どこか悲しい気持ちになる。
順子と一緒に作った思い出のアロマキャンドル。
思い出の証として持っていたのだけど、彼女は違ったのだろうか……
俺がメランコリーに浸っていると、順子は何かに気づいたような顔になる
「もしかして私だと思って大事にしてたの?」
図星だった。
図星過ぎてなにも言えなかった。
「え?」
返ってきた反応が思っていたのと違ったのか、順子が驚いた様子を見せる。
「こっちまで恥ずかしくなってきた」
そういうと、順子は両手で口を隠し、なにも言わなくなった
気のせいかほんのり頬も赤い
そして訪れる沈黙……
交差する視線……
聞こえるのは、外から聞こえる車の音だけ……
なんだこれ?
めちゃくちゃ恥ずかしいぞ。
だれか助けてくれ。
この状況を打破できるほど、俺は経験豊富じゃない!
ピーーーーー。
その時、ヤカンの汽笛がけたたましく鳴り響いた。
俺は慌ててコンロの火を止める。
助かった。
あのまま見つめあったらどうなっていたのだろうか……
想像できない。
俺は誤魔化すように、カップ麺にお湯を注ぐ。
けれど動揺しているのか、手が震えてお湯がうまく入らない。
おちつけ、俺!
「お湯を入れたからあと五分で出来るぞ」
「うん、ありがとう」
そして沈黙再び。
……
沈黙が辛い。
「ねえ」
俺がどうしようと悩んでいると、順子が声をかけてきた。
「再会を記念して、このアロマキャンドル使おうよ」
順子は名案とばかりに、胸を張って提案する。
だが俺はすぐには答えられなかった。
順子に再会できたとは言え、今まで大事にしてきたアロマキャンドル。
すぐに使う決心は出来なかった。
「私はもういなくならないよ」
だが俺の心の内を見透かしたのか、順子は俺の答えを待たず言葉を続ける。
「アロマキャンドルは、また作ればいいんだよ!」
そう言って、順子は親指を立てた。
それを見て、俺は決心する。
「分かった。
使おう」
そうだ、俺は何を怖がっているのだろうか。
順子とはもう出会えたのだ。
アロマキャンドルが無くなっても、寂しい思いをする事は無いのだ
「それをくれ」
俺は火を点けるため、順子からアロマキャンドルを受け取る。
だが手に持った瞬間、あることに気づく。
「火をつける道具がねえや」
二人で大笑いした。