私の名前は須藤霧子、『刹那に生きる』がモットーの女子校生!
けれど私には、誰も知らない秘密があるの。
それは――
私が転生者だっていう事!
前世でブラックに勤め、働きすぎて死んでしまった私……
でも神の奇跡か、悪魔の悪戯か、ともかく私は第二の人生が始まったの!
よーし、前世で人生を謳歌できなかった分、今回は全力で楽しむぞー!
って言いたいんだけど、そうは問屋が卸さない。
転生先の世界は、生まれ変わる前によくプレイしていたゲームの世界。
でもこのゲームと言うのがとんでもない曲者なのよ!
プレイした人間が『ストーリー、ゲーム性、キャラクターの全てが一級品』と称えるこのゲーム。
一見『神ゲー』と思いそうだけど、とんでもないわ!
このゲームは、プレイした人間が口を揃えて『クソゲー』と答える特級呪物なの!
その理由とは何か?
とにかくバグが多いのよ
『犬も歩けば棒にあたる』よろしく、『プレイをしたらバグる』のが、このゲーム。
当然この世界に転生した私も、毎日のようにバグに遭遇しているわ。
しかも現在進行形で……
今朝、朝食でパンを食べていた時の事。
突然視界が真っ暗になって、過去の出来事が流れ始めたの。
通称『走馬灯バグ』。
これまでの出来事が走馬灯のように、回想されるバグよ。
死にかけてもないのにね。
プレーヤーたちの間では有名なバグで、いきなり起こるし、流れている間は操作不能という恐ろしいバグ。
しかもこのゲームバトル要素もあるんだけど、バトルの都合などお構いなしにバグるので、そのままタコ殴りにされる。
ラスボスの時にやられたことは、今でも許してない。
そして、この『走馬灯バグ』は、これでも大人しい方という事実。
場合によってはラズボスの魔王が転校して来るとかあるのよね……
ていうか、この前転校してきたわ
このゲームの恐ろしさが分かっていただけたかしら?
と愚痴ったところで、何も状況は好転しない。
私の視界は、走馬灯で埋め尽くされたまま。
今は母親におむつを変えられているシーンよ。
……誰得だよ!
これでは学校に行けた物じゃない。
前世では、馬鹿なバグの数々にガハハと笑ったものだけど、実際自分の身に降りかかると全く笑えないわね。
はあ、仕方ない。
母親に言って学校を休ませてもらおう
「お母さん、今日はバグったので休みます」
『了解』
お判りいただけただろうか?
このバカみたいな会話を、お母さんが何も疑問に思ってないことを……
『始めに混沌ありき』
『そしてバグが生まれた』
それがこの世界の神話。
それほど当たり前のようにバグが存在し、この世界はバグに満ちている。
バグに迷惑を掛けられているのは私に対してだけではなく、この世界に住む住民も同じ。
だから世界にはバグに対する理解があり、制度や保証、補填も充実しているわ
それが良い事なのかは分からないけど……
ともかく今日は休み。
私は自分の部屋に(お母さんの手を借りて)戻る。
このまま漫画を読むぜ!
と言いたいところだけど、あいにく視界が塞がれている。
つまり、寝る以外にすることが無い……
私は手探りでベットに行き、そのまま寝転がる。
眠れない頭で考えるのは、前世の事。
どうやら『走馬灯バグ』には、過ぎた日を思い返す効果もあるようね。
私は、前世で好きでもない労働に身を費やしていた。
労働はクソと不満に嘆いていたあの日々……
働けど働けど生活は楽にならず、かなり自暴自棄の日々。
けれど、あの世界にバグは無かった。
道理が通って、サプライズもない平和な世界。
なんて素晴らしい世界だったことか……
ホント、バグ起こらない世界が懐かしいわ。
待てよ。
前の世界では、こうして休むことはあったかしら?
少なくとも社会人になってからは一度もないわね。
というか取らせてもらえなかった。
対してこの世界では、バグによる休暇は社会全体が推奨している。
申請されたらそのまま通す、『認めない』という発想すらない
それを知ったときはいたく感激したものだわ
この世界、前の世界なんて足元にも及ばないわ!
碌でもない過去を懐かしく思うなんて、私らしくもない。
どうやらバグによって、感情にも小さなバグがあったみたいね。
通りでおかしいと思ったわ
だって私は『刹那に生きる』がモットーの女子高生!
私は過ぎた日を感傷に思う事は無い!
「ねえ、そこのアナタ――」
秋の夜道には気を付けなさい。
人気のない道なら特に。
「私と一緒に踊りませんか――」
もし声を掛けられることがあれば、すぐに逃げなさい。
決して応じてはいけません。
「死ぬまで!」
応じたが最後、死ぬまで踊らされてしまうのだから……
◇
「ねえ、ケイコ。
趣旨分かってる?」
「分かってるよ、マサト。
今年のハロウィンに相応しい怖い話でしょ」
「分かってない!
ハロウィンだよ、肝試しじゃないんだよ」
ケイコはキョトンとした顔をする。
ケイコの天然振りはよく知っていたつもりだが、まさかここまでとは思いもしなかった。
彼女なりに真剣なのだろうが、ここで怖い話は
「確認するよ、ケイコ。
『今年のハロウィンに参加するから、なんかいい感じのアドバイスが欲しい』って、僕言ったよね?」
「うん、だから話したでしょ、恐い話」
「ここからどうやって、仮装につなげるんだよ……」
「ドレス着てみる?」
「聞いた僕がバカだった」
高校進学して初めてやって来た東京の街。
友達のいない自分を変えようと、僕はハロウィンの参加を決めた。
けれど陰キャの僕が、いきなりハロウィンデビューは厳しい。
そこでケイコに助力を仰いだのだけど、相談相手を間違えたようだ。
このままでは、ハロウィンという舞台にすら立てない。
どうしたものか……
「じゃあ、一緒に踊るのはどうですか?」
「こだわるね」
「これで、皆の視線を集める事間違いなしですよ」
「そら、道の往来で踊っている奴がいたらねえ。
でも僕が聞きたいのはそういう事じゃない」
俺はケイコの提案を拒否する。
仮装の話しをしてるのに、なんで踊りの話になるかな?
「なんか冷めてますね。
ハロウィンが嫌いなんですか?」
「うーん、嫌いと言うか苦手かな。
元々宗教系のイベントなのに、騒ぎすぎと思っている
被害妄想だとは思うけど、なんだか踊らされている気がしてさあ」
「別にいいじゃないですか。
『同じバカなら踊るバカ』って言うでしょ」
「そこまで割り切るには、勇気が足りない」
「意気地なしめ」
「そこまで言う?」
まったくケイコの強引さには呆れてしまう。
そんなに踊りたいなら一人で踊ればいいのに。
とはいえ、ケイコには感謝している。
ケイコほどいい奴は、僕は知らない。
さっき会ったばかりの他人だっていうのに、どうしてこんなに親身になってくれるのか……
感謝してもしきれない
「そうだ、一度ここで踊りませんか?
練習すれば、本番で踊れるかも」
「おい、引っ張るなよ」
「ほらほら、立って。
恥ずかしがらずに踊りましょうよ。
死ぬまで」
「もう少し、あなたと一緒にいたかったわ」
ベットの上の妻は、独り言のように呟く。
医者の余命宣告はとうに過ぎ、いつ死んでもおかしくない状態の妻。
それでもここまで持ちこたえたのは、言葉の通り儂と一緒にいたかったからなのだろう。
妻は、今年で100歳の大台に乗った。
誕生日に『めざぜ200歳』とうそぶいていた彼女だが、歳には勝てなかったらしい。
今年の例年にない猛暑で体調を崩してしまい、そのままベットから起き上がれなくなってしまった。
妻は長くない。
その事実が、儂にとってどうしようもなく辛かった。
「ねえ、あなた」
「疲れているだろう?
無理せず休みなさい」
「ごめんなさい。
でもこれが最後だと思うから、きちんとお話しさせて」
「……なんだい?」
妻の最後のお願い。
叫びたくなるのを堪えて、自分は頷く。
それを見た妻は、安心したように微笑んだ。
「私、あなたと巡り合えて、本当に幸せだったわ」
「儂もさ」
「嬉しい……
来世でも、また一緒になってくれる?」
「いいよ」
生まれ変わりと言うのは信じていない。
そんな都合のいい話なんて無いと思っているからだ。
けれど、それを指摘するほど儂は野暮じゃないし、妻が信じるなら儂も信じる。
夫婦はそういうものだと思っている。
「ふふふ、アナタって本当に私の事が好きね」
「お前ほどじゃないさ」
「でも一つ心配なことがあるの」
「心配?」
妻の口から出た言葉に、意表を突かれる。
妻は、筋金入りの楽観主義者。
結婚して以来、なにかに心配しているところを見たことがない。
一体何が気になるというのだろうか?
「もしかして儂の愛を疑っているのかい?」
「疑っていないわよ。
ただ来世でもし巡り会えても、お互い気づかないかもしれないと思ったの……
姿かたちが違うでしょうからね」
「それもそうだな」
「だから合言葉を決めましょう」
合言葉、二人だけの秘密の暗号。
ロマンチックで妻らしい考えだ。
「いいよ。
何にする?」
「私が『巡り合えたら』って言うから、あなたは『好き好き大好き愛してる』って言ってね」
「……なんて?」
「あなた、プロポーズで言ってくれたじゃない。
忘れたの?」
「忘れたかったな……
一つ目の言葉と関係ないし、他の言葉にしない?」
「ふふふ、駄目よ。
関係ないから、『合言葉』として機能するんじゃない。
それに、他の事は忘れてもこの言葉だけは忘れそうにないですからね」
「忘れて欲しい……」
まさか、この歳になって黒歴史を掘り返されるとは……
さすが妻、最後までやってくれるな!
「ではあなた、私は先に行きますね」
「ああ、儂もすぐ行くからな。
ゆっくりするといいさ」
「楽しみにしてますね」
そして妻は二度と目を覚まさなかった。
それから一年後、儂は孫に見守られながらあの世へと旅立ったのだった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
そして儂は生まれ変わった
都合のいい事に、記憶を持ったままでだ。
けれど生まれ変わった先は、元いた世界ではなく、ゲームの世界。
これはきっと『異世界転生』とやらだろう。
孫と一緒に、こういったアニメをよく見たので知っている。
そして生まれ変わったことで、心身共に若返った。
一人称も『儂』から『僕』へと変わり、自分が新しい生を受けたことを実感する。
それでも僕の心の片隅にあるのは、妻の事。
妻は来ているのだろうか?
『来世でまた会おう』と誓い合ったものの、どこで待ち合わせするか決めたわけではない。
時代すら違っている可能性がある
でも関係ない
また会うと約束したのだから。
もう少し大きくなったら旅に出よう。
きっとどこかで待っているだろうから。
「なあ、聞いたか?」
隣の家に住む、噂好きの幼馴染が話しかけてきた。
どこから仕入れるのか、遠くの地方の噂も仕入れてくる。
妻の情報が手に入るかもしれないので、仲良くしているのだ
「ウチの国のお姫様なんだが、結婚相手を募集しているらしい」
「それ、この国で知らない人間はいないよ」
「話はここから、お姫様が結婚相手に条件を付けたんだ。
それをクリアできるなら一般庶民でも婚約出来るってさ」
「それは初耳だなあ。
で、その条件って?」
「姫様の誕生日祭の日、一般に向かってお目通りがあるだろ。
その時一人ずつ前に出て、『巡り合えたら』に続く言葉を言えたら婚約だってさ」
この謎かけ、妻だ。
転生先で、お姫様なんてアタリを引くのも、妻らしいっちゃ妻らしい。
誕生祭という、誰もが注目するイベントで行動を起こすのも理に適っている。
だが一つだけ問題がある。
『好き好き大好き愛してる』
これを公衆の面前の前で叫べと!?
あの歯の浮いたセリフは、妻と二人きりだったから言えたのだ。
ギャラリーがいたら、絶対に言わなかったセリフ。
やぱり撤回させるべきだった!
けれど後悔してももう遅い。
それっぽいセリフでお茶を濁そうかとも思ったが、きっと妻はそれを許さないだろう。
次があるとも限らないから、出ないという選択肢は絶対にない。
逃げ場がないとはまさにこの事。
もはやコレを言う以外に道はない。
こうして僕は、憂鬱な気分で妻との運命の出会いに望むのであった
さあ、4年に一度のオリンピック、ドジョウ掴みの決勝戦。
果たして世界一ドジョウ掴みがうまいのは誰なのか?
それを決める試合が、これから始まります。
早速選手が入場してきました。
先に入って来たのは――日本代表の柳下選手。
『シャイニングフィンガー』の異名を持つ、恐ろしく早いドジョウ掴みが持ち味です。
日本は十年前の優勝以来、いい成績を残せてません。
不作の十年を超えた希望の星です!
ですが!
ここに!
柳下選手がやってきました!
奇跡をもう一度。
日本中の期待を背負って、今エントリーです。
対戦相手は、ツカミ王国代表、ド・ジョー。
彼の持ち味は、一度掴んだドジョウは決して逃さない『ブラックホール』の持ち主。
日本の優勝は――いえ、他の国々の優勝は彼の手によって阻まれました。
10年間、チャンピオンの座を保持し続けた、不動の王!
『ブラックホール』ド・ジョー、今エントリー!
入場した両者は、ドジョウの泳ぐ水槽を挟み、礼をします。
『シャイニングフィンガー』と『ブラックホール』。
今、光と闇の戦いが始まります。
果たしてどちらに勝利のドジョウは微笑むのか……
審判が今、『開始』のコールをしました!
おっと、開始直後にもかかわらず、両者はすでにドジョウを掴んでいます!
私でなければ見逃していましたね。
コレが決勝戦のレベル。
これは波乱の予感です。
二人は掴んだドジョウをバケツに入れ、再び水槽に腕を入れました。
そしてドジョウを掴み――いえ、掴んでおりません。
一体どういう事でしょう!?
両選手、ドジョウを掴めないようです。
掴まれまいとドジョウ、逃げ回ります。
これまでの戦いで、毎回百匹以上捕まえている彼が苦戦しているー!
異常事態!
これは異常事態です!
会場も騒然としています!
まさか、これは……
理論だけは提唱されていた、『ドジョウ進化論』!!
『選手と同様に、ドジョウもレベルアップするのだ』という机上の空論。
私は信じていませんでしたが、どうやら本当だったようです。
ドジョウたちは生存競争を潜り抜け、誰にも掴まれない術を身に着けたようです
両選手に焦りが見えます。
無理もありません、
ドジョウを掴むどころか、触れることすら出来ないのですから……
両選手が手こずっている間も、制限時間は刻一刻と過ぎています
今、柳下選手がドジョウを掴もうとして――
ああっと失敗!
ドジョウはスルリと逃げていきました
かすりもしません。
これは痛い。
失敗のダメージは意外と大きいですからね
引きずらないといいのですが……
そして両選手がカウントを増やせないまま、時間は過ぎていきます。
制限時間あと30秒!
もう時間がありません。
もしかしたら大会初、ドジョウの一人勝ち――いえ、一匹勝ちもあり得ます。
どうなってしまうのかー!
おっと柳下選手、目を瞑っています。
どうやら精神統一をしているようです
確かに、闇雲にやっても逆効果ですからね
心を落ち着けるのは正解です
ですがもう時間は無い……
吉とでるか凶と出るか
今、残り十秒のブザーが鳴ります!
柳下選手、目を開け水槽に手を入れました。
そして――おお、掴みました!
そして試合終了のブザー。
優勝は柳下選手で――
待ってください。
審判が柳下選手のドジョウを見ています
まさか、これは……
審判の判定出ました。
ウナギです!
柳下選手の掴んだものは、ドジョウではなくウナギです!
ペナルティで一匹減点。
とうことは、柳下選手0匹、ド・ジョー選手1匹。
ド・ジョー選手の優勝だ。
日本、またしても優勝逃す!
奇跡はありません!
二匹目のドジョウはいませんでした!
◇
「これが『二匹目のドジョウ』のエピソードよ。
また一つ賢くなったね」
「へー(ドジョウとウナギ間違えたくらいで、ホラを吹かなくても……)」
~とある姉弟の会話~
この街には、『たそがれ屋』という飲み屋がある。
夕暮れという短い時間に、たそがれている人だけが入れる、幻の飲み屋だ。
そこを訪れた人は、静かに酒を飲む。
人生には困難の連続だ。
困難に直面したとき、人は立ち向かい、あるいは逃げたりする。
だが時として何もできず、たそがれるしかない時もある。
そんな時に打ってつけなのが、『たそがれ屋』。
ここに来た人は、この店で静かに過ごして心の傷を癒すのだ。
そして今日もまた一人、『たそがれ』を纏った客がやってくるのだった。
◇
「大将、やってるかい?」
そういって暖簾をくぐるのは、タケ。
この『たそがれ屋』の常連だ
「ははは、タケさん、また来たのかい?」
台の向こうで、大将が苦笑いをする。
無理もない。
この『たそがれ屋』の常連ということは、タケには多くの苦難がを経験したという事なのだから。
「それで今日はどうしたんだい?
また彼女にフラれたかい?」
「そうなんだよ。
大好きだったのに……
くそ、いつものくれよ」
「ほどほどにね」
そう言って、大将は熱燗を出す。
タケは失恋したとき、いつも熱燗を頼むのだ。
「それで何があったんですかい?
お話聞きますよ」
大将はタケに話を促す。
店の性質上、客の愚痴を聞くのも仕事のうち。
話すことで、心の傷が癒えることもあるのだ。
しかし、タケは首を振った。
「いや、今日は大将の話を聞きたい」
「私の、ですか?」
大将は驚いて目を見開く。
愚痴を聞いたことはあっても、聞かれることは無かったからだ。
「いいんですか、タケさん?
お話聞かなくても……」
「いいんだ。
今日はそんな気分なんだ」
「しかし……」
「何でもいいんだ。
もっと大将の事を知りたい」
「はは、情熱的ですねえ……」
大将は腕を組んで考え始めた。
一分ほどの沈黙のあと、大将は口を開く。
「そうですね……
では私がこの店を開いた話でもしましょうか」
「お、いいね
誕生秘話ってやつだ」
「私の若い頃、三十歳くらいのことです。
大きな会社に勤めていたのですが、サラリーマンに嫌気がさしましてね。
親戚の伝手を借りて、店を開くことにしたんですよ」
「へえー大胆だなア。
俺は、そんな勇気はないよ」
「いいえ、蛮勇です。
その証拠に妻に愛想をつかれてしまいました」
「え、大将結婚していたの?」
「昔の話です」
そう言うと、大将は持っていたグラスの水を入れて飲み干す。
まるで覚悟を決めたように……
「若さで気が大きくなっていたのでしょう。
ですが妻は、そんな私を置いて家に帰ってしまいました。
10歳になる子供を連れてね」
「大将……」
「妻は正しかった。
案の定と言うべきか、始めてからも赤字続き。
すぐに資金は尽きました
引くわけにもいかないが、このままでもいけない。
だから、他の店と違いを出すことにしました」
「それが『たそがれ』?」
「はい、目論見は当たり大繁盛です。
喜んでいいか分かりませんがね」
大将は、そこで言葉を区切り、上を向く。
大切な記憶を思い出すかのように……
「そしてある程度余裕も出来たとき、私はある決心をしました。
かつても家族にまた会おうと……」
「大将……」
「今でも覚えています。
あの時も今日みたいに真っ赤に染まった夕暮れ時、私は妻の実家に赴きました。
玄関のベルをを鳴らすと、出てきたのは大きくなった息子でした。
ですが……」
「……」
「息子が私を見て『何しに来た』と……」
「それはお辛いでしょう」
「はい、私は酷いショックを受けました。
もちろん、仕事にかまけて今まで会わなかった私が悪いのですけどね。
私はそのまま逃げだしてしまいました」
大将はコップを起きて外を見る。
熱が入ったのか、大将の顔は少し汗ばんでいた。
「これで私の話は終わりです。
おや、もう外が暗いですね。
長く話し過ぎたようです」
「本当だ。
早く帰らないと電車に遅れる」
「今日は奢りでいいですよ。
私の話に付き合ってくれたお礼です」
「そんな悪いよ。
俺から話を振ったのに。
払うよ」
「どうぞ、今日の所はお帰り下さい」
「……大将、なんか怪しくない?」
「そんなことありませんよ」
「おい!
いつまでまたせるんだ!」
タケと大将が押し問答していると、突然店の奥から男の子が出てくる。
年恰好は10歳くらい、顔はどことなく大将に似ていた。
「飯の時間だぞ、早く来い!」
タケは、大将の顔をまっすぐ見る。
大将は、今まで見たことがないくらい焦っていた。
なかば答えを確信しつつも、タケは大将に尋ねる。
「誰です、彼?」
「私の息子です。
実はこの店、妻の実家のものでして」