「ううう、拓哉ぁ」
「泣かないで、咲夜。
ほら、ティシュで鼻チーン」
「ありがとう、佳子ちゃん……
ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛」
咲夜は、私が差し出したティッシュを受け取り、思いっきり鼻をかむ。
ちょっと汚いなあと思いつつも、そんなことはおくびにも出さない。
さすがに泣いている友人に、追い打ちをかけるような真似はしない。
朝からずっと泣いている咲夜を見かねて、私は彼女を慰めていた。
もともと些細なことで一喜一憂する子だったので、いきなり泣き始めるのは日常茶飯事、最初は放置するつもりだった。
だが今回は様子が違い大泣きしている……
これはただ事ではないと思い、私は慰めつつ事情を聞くことにしたのだ。
クラスのみんなも気になったのか聞き耳を立てている。
教室にはいつもの喧騒は無く、静寂が支配していた。
「少しは落ち着いた?」
「うん」
「何かあったか、言ってみ?」
聞いてはみるが、大方の予想はつく。
きっと、仲のいい彼氏と喧嘩でもしたんだろう。
普段の振る舞いからは想像できないが、それくらいしか咲夜が大泣きする理由が思いつかない。
咲夜は、別のクラスの拓哉君と、付き合っている。
苗字は知らない。
いつも咲夜が『拓哉』としか言わないし、特に話したことも無いので『拓哉君』と呼ぶしかないのである。
咲夜と拓哉君はとても仲が良く、休憩時間はウチか拓哉君のクラスでイチャイチャしている。
もはや日常風景なのだが、そんな二人が今日に限って一緒にいないのだ。
喧嘩以外の何があろう。
けれど二人の熱愛ぶりは、クラスメイトにはいいように思われてない
だってクラスには、恋人がいないヤツが多数派だ。
TPOを弁えろと思っている奴は、一人や二人ではないだろう……
かく言う私もその一人だ。
だが咲夜は、私の大切な友人なのだ。
ちょっとムカついているからと言って、泣いている友人を見捨てる理由にはならない。
決して、落ち込んでいる咲夜を間近で見て、『ざまあ』とか思っているわけではない。
決して!
「えっとね、グス、今朝拓哉がラインで、グス」
「うんうん」
咲夜は一通り泣き喚いた後、咲夜はポツリポツリとしゃべり始めた。
泣きながらなので話すスピードは遅いが、急かすことなく相槌を打つ。
ゆっくりと話す咲夜の言葉に、耳を傾ける。
「風邪ひいたって」
「そうなんだ」
取り合わなければ良かった。
本心からそう思った。
そして先ほどまで静かだった教室が、いつもの喧騒を取り戻す。
咲夜の言葉にみんなの興味は失せたようだ。
彼氏と喧嘩して泣いているのなら、いくらか同情の余地もある。
けれど、彼氏が風邪ひいただけで、泣くってどいういうこった?
私にも風邪をひいたら泣いてくれる恋人が欲しい。
「拓哉が風邪ひいちゃって……」
「うん」
「今日は会えないの」
「そっか」
『一日我慢すればいいじゃん』
喉まで出かかった言葉をなんとか飲み込んだ自分を褒めてやりたい。
だってさ、いくら離れたくないからって、普通泣くか……?
子供じゃないんだぞ。
「拓哉と最後に会った日、あんなに元気そうだったのに、なんで……」
「うんうん……うん?」
最後に会った日?
しばらく会ってないのか……
いや拓哉君は、昨日来てたはず。
咲夜と拓哉君がいちゃつくのを見て、舌打ちしたのを覚えてる。
なんでしばらく会ってないかのように言うんだ?
「拓哉君って昨日来てたよね?」
「うん、昨日の時は元気だった」
「じゃあ、なんでしばらく会ってないみたいな言い方を?」
「拓哉と私は、ずっと一緒じゃないといけないの!」
ああ、駄目だ。
恋は人を馬鹿にすると聞いたことあるが、これはとびっきりに馬鹿だ。
一日千秋を体現する人間に会えるとは思いもしなかった
もういい。
もう終わりにしたい。
私は頑張ったよ。
これ以上咲夜に付き合っていると、なんか出てきちゃいけない感情が出てきそう。
咲夜のために、私のために一刻も早く離れたい
しかしどうやって離れるものか……
さすがに泣いている人間を放って離れるというのは、いかにも外聞が悪い。
私が悩んでいると、咲夜のスマホから着信音が鳴り響く。
「あ、モシモシ。
拓哉どうしたの?
うん、声が聞けてよかった」
電話の相手は拓哉君らしい。
拓哉君も、咲夜同様寂しくなって電話をかけてきたのだろうか……
……拓哉君は、咲夜に比べて比較的まともだと思っていたんだけどな。
風邪で心が弱っているという事にしておこう。
「泣いてないよ。
君と最後に会った日の思い出があるからね」
さっきまで泣いてたんじゃん。
号泣だったじゃん。
というか思い出って大げさすぎる。
ツッコミが追い付かない。
そう思っていた時の事だ。
「エエッ」
咲夜の声に、意識が戻される。
「うん、うん」
咲夜の声が深刻さを増す。
何かあったのだろうか?
「うん、分かった。
お大事に」
「どうしたの?」
最近はめっきり見なくなった真剣な顔の咲夜を見て、悪い予感を感じる。
「拓哉、風邪じゃなくてコロナだって」
思ってたより深刻だった。
「えっ、大丈夫なの?」
「今のところ、ほとんど無症状だから大丈夫みたい」
「そっか」
ほっと一安心する。
話したことが無いのとはいえ、知っている人間が病気になるというのは心に来るものがある。
だが、ホッとしたのも束の間、私はあることに気づいた。
症状が無いとはいえ、コロナは数日自宅待機しないといけない。
つまり、単純計算で拓哉君は一週間は来ないだろう。
ということは……
「ウワーン」
咲夜がさっき以上の声で泣き叫ぶ。
騒がしかった教室も、突然の咲夜の鳴き声に騒然となる。
楽しくお喋りしていたクラスメイトも、何が起こったのかとこちらを見る。
「拓哉と1週間会えないよ」
咲夜の言葉を聞いたクラスメイト達は全てを察した。
そしてみんなこう思っただろう。
『こ、これが一週間続くのか』と……
その後も咲夜は泣き続け、授業も咲夜がすすり泣くせいで集中できなかった。
結局、先生の判断でドクターストップ。
学校公認で早退することになった。
だが私たちの心は重い……
今日はどうにかなったが、明日からはどうなるのか……
そんな私たちが抱く気持ちは一つだけ。
拓哉君、私たちは君の事を何も知らないけれど、君と最後に会った日が、とても懐かしいです。
(意訳:マジで早く帰ってきて)
『繊細な花』
「メアリー、花の世話なんてしてないで一緒に遊ぼうぜ」
「クリス坊ちゃん、危ないので急に抱き着かないでください」
この家の主人のご子息、クリス坊ちゃんが、勢いよく私に飛び付いてきます。
坊ちゃんはやんちゃ盛りなので、こうして飛び付かれるのもしばしば……
私はクリス坊ちゃんの世話係に任命されているのですが、元気の有り余っている坊ちゃんの世話は大変です。
そして、これは他人に言えない事なのですが、私は坊ちゃんの事を異性として意識しています。
なので、こうして抱き着かれてしまうと、私の心臓に悪いのですが……
「離れてください、坊ちゃん。
今は休憩時間なのです。
遊ぶのは後で、いくらでも――」
「何してんの?」
坊ちゃんが、私の言葉を無視して私の手元を覗き込みます。
本当に自由なお方です。
「花の世話?
メアリーも好きだよな」
「やってみますか?」
「別にいいよ、興味ないし。
それに花を育てて何になるのさ。
食えるわけでもないのに」
「そんな事おっしゃられないでください。
咲くとそれはもうきれいなんですよ」
「そんなのより、食えるもののほうがいいよ」
坊ちゃんは、あからさまに不満そうな表情をします。
坊ちゃんの年頃では、花の世話より食べる方がいいのでしょう。
それは仕方が無いのですが、自分の趣味を理解してもらえないのは、とても悲しく感じます。
「ねえ、メアリー……
それ楽しい?
わざわざ荒れた花壇を整備してまでやるような事?」
「少しずつ大きくなっていくのを見るのが趣味なんです」
「俺だって少しずつ成長している」
変なところで張り合ってくる坊ちゃん。
思わず吹き出してしまいました。
「メアリー、笑うなよ。
まあいいや、『そんなのより』遊びに行こうぜ。
花なんて放っといても育つって」
「坊ちゃん、それは聞き捨てなりません。
花は繊細なんです」
『そんなのより』……
なんだか趣味を馬鹿にされたような気がして、私は思わず反論します。
私はメイドです。
坊ちゃんの言うことに反抗せず従っていれば、それでいいのかもしれません。
ですが、それでも言うべきことがあります。
なぜなら私はクリス坊ちゃんの世話係。
私の仕事は、坊ちゃんがどこに出しても恥ずかしくない立派な紳士に育て上げる事……
将来他人の趣味を馬鹿にする人間にならないように、ここで言わなければいけません。
たとえ後でメイド長から怒られても、です。
「確かに、坊ちゃんの言う通り、世話などしなくても育ちます……
ですがお世話することは、無駄ではありません。
『健康に』『綺麗に』『大きく』育てるには人の手が必要不可欠なのです。
葉っぱを食べる虫や、枯らしてしまう病気がありますからね。
毎日調子を見て、異常の早期発見を心がけ、悪い物から遠ざける。
そして栄養管理、日当たりも考慮に入れ、不要な枝は剪定を――」
「分かった、分かったから。
俺が悪かったから、それ以上は言わなくてもいい。
説教は嫌いなんだ」
坊ちゃんはしょんぼりします。
坊ちゃんの切なげな姿を見て、思わず撫でたくなってしまいますが、我慢我慢。
ケジメは大事なのです。
しかし、何かしらのフォローが必要でしょう。
あ、いい事を思いつきました。
「坊ちゃん、いい機会ですから何か育ててみませんか?」
「俺の話聞いてた?
俺は花より食べる方がいい」
「では食べれるものを育てましょう。
イチゴなどどうですか?
坊ちゃんはイチゴが好きでしょう?」
「イチゴ……」
坊ちゃんの目が、一瞬見開かれたのを、私は見逃しませんでした。
反応は良好のようです。
「あーでも、やったことないし……」
「ご安心ください、坊ちゃん。
私が一緒についております」
「でも俺忙しいし……」
心が動かされているものの。決めかねている様子。
あと一押しが必要ですね。
「坊ちゃん、自分で育てたイチゴは坊ちゃんの物です。
独り占めできますよ」
「やる」
坊ちゃんは即座に決断します。
決断力があるのは、良い事です。
もちろん食欲に
「では庭師から余っているイチゴの苗が無いか聞いてまいります。
それを育てましょう」
「俺も見に行く。
自分で育てるやつだ。
育てるやつは、自分で決めたい」
「分かりました。
では一緒に」
そうして庭師の元へ赴く私たち。
そこで坊ちゃんは、一時間くらい悩み、自分の苗を決めたのでした。
🍓
数日後
「メアリー見てくれよ、イチゴの花が咲いたぞ。。
これがイチゴになるんだな。
こうしてみると意外と綺麗なモンだ」
坊ちゃんは、イチゴの花を見て嬉しそうに笑っています。
イチゴの花は素朴な白い花ですが、気に入っていただけたようです。
「うーん、俺のイチゴを食べる悪い虫はいないよな……」
「坊ちゃん、そんなに見つめなくても、虫に食べられたらすぐに分かりますよ」
「ダメだ、メアリー。
少しの油断が、取り返しのつかない失敗につながることもある。
ちゃんと虫とか病気が無いか見ておかないと……
イチゴは繊細だからな」
「いえ、イチゴは割と丈夫な花でして……
なんならすぐ数も増えますし……」
「花は繊細だって言ったの、メアリーだぞ。
俺はもう少しイチゴの様子を見る。
メアリーは先に遊んでいていいぞ」
「いえ、私は坊ちゃんの世話係です。
お側にいます」
「そうか。
じゃあ聞きたいことがあるんだけど、これって――」
坊ちゃんは、私に色々な事を聞いてきます。
どうやら目論見通り、園芸に興味を持ってもらえたようです。
本人的には『イチゴを食べるため』だけなのでしょうが、そこからズブズブ沈んでいくのです。
そういう物です。
私もそうでした。
たとえ長続きしなくても、園芸の経験があれば、少なくとも園芸が趣味の人間を馬鹿にすることは無いでしょう。
小さなことですが、立派な紳士になるということは、小さな事の積み重ねです。
こうして少しずつお世話をして、ゆくゆくは誰もが認める社交界の紳士に……
そして大人になった坊ちゃんを食べ(意味深)……
逆に食べられて(意味深)……
私の妄想が膨らんでいきます。
身分の違うため許されぬ恋ですが、妄想するだけなら問題ないはず。
下品な笑みが出そうになりますが、集中して営業スマイルを貼り付けます。
一度鏡で見たことあるのですが、アレはとても人に見せられません。
そんな私の内心も知らず、目の前で笑う坊ちゃん
この多感で繊細な花は、どう育つのでしょうか……
私はこれからも、坊ちゃんから目が離せそうにありませんでした。
1
『人魚の肉を食べると不死身になれる』
人魚にはそんな伝説が日本各地に残っている。
俺は伝説に聞く人魚を捕まえるため、とある海岸にやって来た。
この海岸では、人魚の目撃情報が多数あるのだ。
捕まえる目的はもちろん、食べて不死身になるため。
俺には不死身になりたい理由がある。
俺はこれまで会社に人生を捧げた。
入社から定年まで45年。
何も疑いもせず、会社のために身を粉にして働いた。
だが定年の身になって、初めて思ったのだ。
『仕事だけの俺の人生、一体何だったのか』と……
俺は怖くなった。
若い頃、年相応にやりたいことがたくさんあった。
けれど『今はまだ我慢の時』と仕事に没頭して、いつのまにかやりたい事が合った事すら忘れてしまった。
だが、実行に移そうにも、そんな体力はどこにもない。
だから、俺は人生をやり直すため、人魚を食べることにした。
不死身になれば、体力が無くとも時間をかけることが出来る。
俺は、人魚を食べて不死身となり、やりたかったことに挑戦すると決めた。
だが相手は伝説の人魚だ。
捕まえるのには長丁場となるだろう。
入念な準備と食料を用意し、海岸へ張り込んだ。
俺が死ぬのが先か、人魚を捕まえるのが先か……
と思っていたのだが、一日目であっさり捕まえることが出来た。
あまりの簡単さに、伝説は嘘ではないかと思い始めた。
こんなに簡単に不死身になれるわけがない。
だが食べた途端、体が見る見る若返った。
また久しく感じていなかった、とてつもない気力が、自分の中に生まれたことを感じる。
正直眉唾だったのだが、伝説は本当だったらしい。
「よし、これで不死身だ。
やりたいことやりまくるぜ」
仕事に夢中で出来なかったあれやこれや……
不死身になった今、俺には時間が無限にある。
俺の人生は、ここから始まるのだ。
2
一年後。
飽きた。
飽きてしまった。
不死身に飽きてしまった。
不死身になった後、『やりたい事』がたくさんあった。
だがいざ不死身になって、有り余る時間を手に入れた瞬間、『やりたい事』に魅力を感じなくなってしまったのだ。
とはいえ、時間がある。
しかたなく幾つかをやってみたものの、『こんなもんか……』以外の感想が出てこず、何も面白くなかった。
こんなものかとゲンナリして、それっきり何もせず怠惰に過ごした。
そうしてほとんど『やりたい事』をやらず一年が過ぎてしまった。
こんなはずではなかった。
俺は不死身になって、バラ色の人生を送るはずだったのに、なぜこんなことになってしまったのか。
俺にもう『やりたい事』はない。
これからの人生、一体どうすれば……
「はあ、不死身もういらねえな。
返品出来ねえかな……」
「飽きるの早くありません?」
俺の飽き性に苦言を呈するものがいた。
食べた人魚の幽霊である。
もちろん俺を食べた恨みを持つ悪霊なのだが、別に害は無いので放置している。
だが今俺は暇でしょうがなかったので、話に乗ることにした。
「はっ、魚風情が分かってないな。
こういうのは、いつでも出来ないから面白いんだよ」
「そういう物ですかね?」
「そういう物だ」
会話が途切れる。
お互いに会話を続ける意思が無いのだから仕方がない。
このままふて寝しようとしたとき、人魚のやつが爆弾発言をした。
「そうだ、あなたに伝えたいことがあったんです」
「伝えたい事……?」
「あなたの様に、人魚の肉を食べて不死身になった人間たちのデスゲームが始まります」
「デスゲーム!?
聞いてないぞ。
なんで言わなかった」
「会話をしようとしなかったじゃないですか」
「確かにそうだが……」
痛いところを突かれ、少しバツが悪くなる。
もうちょっと会話すればよかったな。
「それで?
なんでデスゲームしようとするんだ?」
「暇つぶしらしいです」
人魚の他人事のような発言に、俺は首を傾げる。
「暇つぶし『らしい』?
『らしい』ってなんだ?」
「あなた方の様に不死身になった方が、『何か面白い事をやる』といってデスゲームを始めるようです」
「どこで聞いたんだ?」
「悪霊ネットワークです。
我々がここに集まり、情報交換しているんです」
「なんだそれ……
だが興味あるな」
「悪霊ネットワークに入りたいなら、非業の死を遂げる必要があります」
「そっちじゃねえ、デスゲームの方だ」
面白い事=デスゲームというのは、少々意見したいところがある。
だがデスゲームというのは、とても興味を惹かれる。
「あんたを食ってからというもの、多少の傷はすぐ直るようになった。
普通だったら死ぬような傷も、一日で治る……
そんな奴らが集まって殺し合いっていうのは、なかなか面白そうだ」
「血の気が多いですね」
「若くなったからか、気持ちも若い時のまんまだな」
「まあ、気に入ったのなら何より。
私も、貴方が無残に殺されるところを見るのが楽しみです。
ああ、私は何もしませんし、出来ませんのでそのつもりで」
「はっ、頼まれても手出しさせねえよ。
ククッ、不死身同士の殺し合い。
楽しみだぜ」
3
一年後。
「おい、デスゲームとやらはまだか」
俺は人魚の幽霊に向かって怒鳴り散らす。
「いったいいつまで待たせる気だ」
「その内、始まるそうです」
「『その内』っていつだよ?」
俺が怒り心頭で、幽霊を睨みつけるも、奴はどこ吹く風だった。
「私には何とも。
主催者の方が、その内やるって言ってただけなので」
「ふざけんな、暇で死にそうだ。
どうなっている?」
「そう言われましても……
主催者がその内としか言わないので」
「そいつ、やる気なくなったとかじゃないよな」
「分かりません。
まあ、気長に待ちましょうや。
我々には時間がいくらでもあるんですから」
『子供の頃は』
「婆ちゃん、遊びに来たよ」
「百合子かい?
相変わらず騒がしい子だねぇ」
私は親に連れられて、久しぶりに婆ちゃんの家に遊び来た。
縁側で気持ちよさそうに日向ぼっこしていた婆ちゃんは、一瞬だけ私に顔を向けた後、すぐに別の方を向く。
久しぶりに孫が遊びに来たいうのに、冷たい態度をとる婆ちゃん……
私は知ってる。
婆ちゃんは、私が来た事をとても嬉しく思っている事を。
婆ちゃんは、とても自分に正直で、本当に興味が無ければ振り向きもしない。
だから挨拶を返す、というのはそれだけで親愛の表現なのだ。
その証拠に婆ちゃんの『しっぽ』は、嬉しそうにゆっくりと左右に揺れている。
そう、婆ちゃんは人間ではない。
長生きして猫又となり、言葉が話せるようになった猫、それが婆ちゃん。
ただ、人間の言葉が話せるようになっただけで、他の所は何も変わりは無い。
昔話の様に尻尾が二つに別れてている訳でも、不思議な力が使えるわけでもない。
ただ人間の言葉を話すことが出来る、不思議な猫なのだ。
そして、『婆ちゃん』と言っても別に血のつながりがあるわけじゃない。
私はちゃんと人間の婆ちゃんがいる(こっちは『ババ』と呼んでいる)
私のお父さんが生まれる前、ジジとババがこの家に引っ越して来た時に、当たり前のように居たらしい。
最初は言葉を話せることに驚いたらしいけど、『おもしろそう』だから一緒に住むことにしたそうだ
……ジジとババは心臓に毛でも生えてんのか?
それはともかく、私はジジとババの家に遊びに来るたびに、こうして婆ちゃんとお話しているのだ。
「婆ちゃんも相変わらず、物ぐさだよね。
孫が遊びに来たんだから、もう少し歓迎してくれても良くない?
具体的にはお小遣いちょうだい」
「生意気言うようになったね、百合子。
子供の頃はあんなに可愛かったのに、どうしてこんなに擦れちまったのかね」
「婆ちゃん、それは違う。
私は今でも可愛いよ」
「……本当になんでこんな子になったんだろうね。
母親の教育が悪いのだろうかね。
ちょっと言っておかないと……」
「婆ちゃん、それ悪い姑ムーブだからやめな。
まあ、どうせ面倒臭くなって、言わないんだろうけどね」
婆ちゃんはバツが悪そうに、顔を洗い始める。
図星だったらしい。
「子供の頃と言えば……
婆ちゃんの子供の頃ってどんな感じだったの?」
「そうさね……
あたしの子供の頃は、そりゃもう可愛い可愛いと言われて、あっちこっちに引っ張りだこだったよ。
江戸一番の美猫と言われたもんさ」
「えー、婆ちゃんいくつなのさ。
江戸ってかなり昔の話だよ。
えっと……」
私はスマホを取り出し、東京の歴史をパパっと調べる。
「1868年に東京に改名だから……
うそ、最低でも150年生きてるの!?」
「もうそんなに経ったのかい?
15年くらいの話だと思うんだけど……」
「婆ちゃん、それ私が生まれた年だよ」
「そうだったかの」
にゃおと、婆ちゃんはおかしそうに笑う。
婆ちゃんにとって、時間の長さはあまり気にならないみたいだ。
まあずっと寝てるしね。
婆ちゃんは、おもむろに立ち上がって背筋を伸ばした後、私の膝の上に歩いてきて座る。
私が遊びに来た時、婆ちゃんはいつも膝の上に座る。
婆ちゃんにとって、私の膝の上は特等席なのだ。
そして私が、膝の上の婆ちゃんを優しくなでると、婆ちゃんは喉をゴロゴロ鳴らし始めた。
「こうして見ると、婆ちゃんってちっちゃいよね」
「なんだい、急に……
猫の大きさはこんなもんだろう?」
「そうじゃなくって……
ほら、私が子供の頃、婆ちゃんが膝の上に座ったとき、狭そうにしてたから」
「ああ、確かに今のほうが座りやすいね。
人間の成長の早いこと。
まあ、あんたは体ばっかり大きくなって、中身は子供のままだけども」
「中身だけじゃなくて、体も子供になりたいなあ。
子供の頃は可愛いだけ言ってもらえるのに、最近は勉強しろって怒られるんだ」
私の言葉に、婆ちゃんは器用に溜息を吐く。
猫ってため息を吐くんだ。
「百合子、あんたもいい加減に大人になりな。
あたしは心配でしょうがないよ」
「婆ちゃんは子供の頃に戻りたくないの?」
「戻りたくないね。
だって百合子に『婆ちゃん』って呼んでもらえなくなるからね」
私には卓也という恋人がいる。
初めて出逢った時に運命を感じ、私から告白して、それ以来ずっと一緒にいる。
拓哉と一緒にいるのは、私にとってもはや日常の一部。
拓哉がいないなんて考えられない。
でも私たちはまだ学生だから、別々の家に住んでいる……
だから高校を卒業したら卒業したら、同じ大学に通って、大学近くのアパートに一緒に住むんだ……
そして大学卒業後は結婚……
なんて幸せな未来予想図。
けれど私には最近悩みがある。
もしかしたら、一緒にいれなくなるような、重大な悩みだ。
それは『拓哉が最近冷たい』という事。
最初は気のせいだと思ったが、何度デートに誘っても煮え切らないのだ。
もしやと思い友人に聞いてみたけど、拓哉には他の女がいるような気配はない。
そうなると認めたくはないけど、一つだけ可能性がある。
……倦怠期だ。
私と拓哉に限ってそんな事は無いと思っていた……
けれど、実際そうなったのだから由々しき事態だ。
これを放置すれば、待つのは破局だろう。
妄想にも関わらず、私は頭をガツンと殴られた衝撃を受ける
拓哉がいない未来なんて想像できない
いなくなったら生きていけない。
最悪の未来を避けるため、私自ら動かねば
ではどうするか?
昔の人は言った。
『押してダメなら引いてみよ』と。
つまり、私が拓哉に素っ気ない態度を撮るという事……
――無理だな。
一瞬で不可能と判断する。
たとえ嘘でも、拓哉の事を嫌いになんてなれるはずがない。
多分無理やりにでもやろうものなら、そのままストレスで倒れてしまう事だろう。
そうなると出来ることは……
『押してダメなら、もっと押してみよう』。
それしかない。
ちょうど授業終了のチャイムが鳴った。
隣のクラスにいる拓哉の所に走り出す。
この重大な問題は、一刻も早く解決しなければいけない。
私は拓哉のいる教室に着くや否や、拓哉を呼ぶ。
「拓哉!!!」
すると一斉にクラスにいた人間が、私の方を見て――嫌そうな顔をする。
なんで嫌そうな顔をするのか、小一時間ほど問い詰めたくなる。
しかし優先順位を間違えてはいけない。
今大切なのは拓哉に会う事だ。
「咲夜、どうした?」
教室の中から、私に気づいた拓哉が出てくる。
その顔を見て、幸せな気分になり――そして首を振る。
今日は拓哉の顔を見に来たわけではない。
もっと重要な用事があるのだ。
「拓哉、これからデートしよう」
「今から?」
「今から!」
これまでの熱い想いを思い出してもらうには、デートしかない。
しかし、拓哉は嫌そうな顔をした。
その時私は気づいた。
もう、拓哉の心に、私はいないんだと……
そう思った時、私の目から涙がこぼれる。
「ちょっと待て咲夜。
なんで泣いているんだ」
「グス、だって拓哉、私の事が嫌いに――」
「ならないから、誤解だから!」
「じゃあ、なんで?」
「何でって……
まだ授業が残ってるから……かな」
「あー」
ああ、授業ね。
そういえばまだ学校終わってなかった。
「じゃあ、学校終わったらデートしてくれる?」
「分かった。
一緒に帰ろう」
「本当!?
やった」
私は嬉しさのあまり、拓哉に抱き着く。
「おい、咲夜。
みんなが見てる」
「学校が終わるまで拓哉をチャージする」
「いや、それは……
はあ、授業が始まるまでに帰れよ」
そう言って拓哉は、大人しく抱き着かれてくれる。
私は何を怖がっていたのだろうか?
拓哉はこんなにも優しいのに。
もし嫌いならこんな事をさせてくれるわけがない。
倦怠期というのは私の気のせいみたいだ。
これからもずっと一緒にいられることが何よりも嬉しい。
私が安心して拓哉分を補充していると、クラスの話し声が聞こえる。
「またあの二人やってる」
「お熱い事で」
「ホント、飽きないのかね」
「俺たちは飽きたぞ」
「ここまで来ると逆に気にならないな」
「二人がイチャイチャするのは、もはやこのクラスの日常風景だな」