天国と地獄
『まさに天国? その甘さは天使の囁き! クリームパアアアン』
VS
『地獄を味わえ! 脅威の辛さ! カレーパアアアン』
私は、パン屋入り口の前に置いてある、新商品紹介ののぼりを見くらべる。
パン屋はこの商品にかなりの自信があるようで、これでもかと新商品をアピールしていた。
そしてそれは功を奏していると言えるだろう
かくいう私も、これを食べたくてこのパン屋にやってきたから。
私は、自分が大の甘党だという自負がある。
なのでスイーツハンターである私は、常に話題のスイーツを探している。
このクリームパンも、日課のネット探索で見つけたものだ。
しかし不思議なことに、クリームパンはカレーパンと必ずセットで紹介されていた。
水と油の様に正反対の二つのパンが、である。
しかもどちらも大絶賛であった。
特に辛党がクリームパンを、甘党がカレーパンを褒めちぎるのは異常事態。
私は辛い物に興味が無かったのだが、他の人の評判を見ている内に、完全にカレーパンを食べたくなったのだった。
しかし、私も学生の身……
お小遣い事情は心許ない上、新作のゲームを買いたかったため、来月のお小遣いを前借りまでしている……
なので両方食べようものなら、来月はひもじい思いをすることになる。
ではどうしたらいいか?
ぜいたくな悩みだが、私には秘策がある。
それは――
「沙都子、どっちもおいしそうだよ。
別々に買って、半分こしよ」
『友達の財布を当てにする』である。
『お金が無いなら、友達のお金を使えばいいじゃない』by私。
それに沙都子は世界有数のお金持ち。
莫大なお小遣いをもらっているだろうから、私の心は痛まない。
けど正直、これは賭けだ。
沙都子は、これよりおいしい物なんて食べ慣れているはず……
こんなネタに極振りしたような食べ物に興味を持つか?
私は沙都子の様子を伺う。
「いいわよ」
「いいじゃん、一緒に食べようよ――えっ?」
自分の耳を疑う。
てっきり渋ると思ったのだが、まさか了承するとは……
どんな気まぐれだろうか?
「百合子も半分なんて、けち臭いこと言わないで、たくさん買いましょう。
もちろん私のおごりでいいわ」
まさかのおごり発言。
たくさん食べれる上、パン代が浮く。
友達にするならやはりお金持ちだな。
なんて言うと思ったか。
「沙都子、何か企んでる?」
そうなのだ。
沙都子が気前の良さを発揮するのは、たいてい私に悪戯を仕掛けるときである。
悪い予感しかない。
「何も企んでないわ。
大切な友人の百合子を困らせるような事、するはずがないじゃない」
しらを切る沙都子。
普段『大切な友達』なんて言わないくせに。
これは怪しい。
「それともおごりは嫌?」
「それは……?」
だが『おごり』という魅惑の言葉に心を揺さぶられる。
沙都子はイタズラこそするが、嘘をつくタイプではない。
奢ると言った以上、奢ってくれるだろう。
けれど、沙都子の『たくさん買ってあげる』という気前の発言はかなり不気味である。
私は財布の中身と、罠の可能性、クリームパンとカレーパンへの興味。
私は全ての要素を考慮し、一つの答えを導き出す。
「沙都子、奢って」
「分かったわ。買ってくるから、席取っといて
「分かった」
沙都子の悪だくみ?
そん時はその時だ。
私は沙都子の悪意に負けず、一つでも多くのパンを食べる所存である。
◆
「ほら、買って来たわよ」
「あ、ありがとう」
取った席に買ったパンを持ってくる沙都子。
だがそのパンの量が尋常ではない。
「クリームパン20個、カレーパン20個よ。
足りなかったらまた買ってくるわ」
多過ぎである。
たくさんとは言ったが、とてもじゃないが食べきれる数じゃない。
パンはかなり小さめだが、これはさすがに無理だ。
「沙都子、食べきれないし、いくつか返品しようよ」
「うーん、確かにそうね。
次から気を付けるわ」
「いや、食べきれないって」
「残りは使用人にお土産に持って帰るわ」
「……さいですか」
どうやら私の進言は聞くつもりはないらしい。
まあ、捨てるのではなく、最終的に誰かの口に入るから良しとしよう。
それでは実食。
「「いただきます」」
まずはクリームパンを食べることにする。
天使のささやきとは如何ほどか?
口に入れた瞬間、パンの甘い香りが口の中に広がる。
そして噛めば、中のクリームが口の中に溢れ出す。
あまーーーーーーーい。
これほど甘いクリームは初めてだ。
そして後味もいい。
当たりだ、また食べに来ることにしよう。
「あら、なかなかね」
沙都子はというと、これほどうまいクリームパンを表情を変えずに食べて――いや、口がほころんでいる。
どうやら気に入ったようだ。
さて次はカレーパンだ。
地獄の辛さとはどういう物だろうか?
見た目は普通のカレーパンなのだが、食べるの怖いな。
やっぱやめるか
「あら百合子。手が止まってるわ。
食べさせてあげる」
「もがあ」
私が怖気づいていると、沙都子がここぞとばかりに、私の口にカレーパンをねじ込む。
こいつ人の心が無いんか!
パンを口の中に入れた瞬間、カレーの香辛料の香りが口の中に広がる。
噛めば中のカレーが、からぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁ。
いや、辛い。
辛すぎる。
発火しそうなほど体が熱くなる。
辛い辛い辛い辛い辛い辛い辛い辛い―――ウマい。
辛さの果てにうまさがあった。
さっきの辛さが、最初から無かったかのような後味の良さ。
そして今日も生き残ったという実感がわいて、安心する。
こんなのもあるんだな……
くせになりそう。
また食べにこよう。
ああ、でも次はティシュがいる。
辛さのあまり鼻水が出た。
「あら、まあ、なかなか、ね」
見れば沙都子がカレーパンを食べていた。
何でもない風を装っているが、顔が真っ赤だ。
それでも食べきった後は満足したような顔をしている。
「なかなか良かったね」
「そうね」
「では口直しにクリームパンを」
あまーーーーーーーい。
クリームパンの甘さにホッとする
やはり自分は甘党だと実感する。
カレーパンも良かったが、何度も食べる物じゃないな。
「あら百合子、今口の中甘いでしょ。
口直しにどうぞ」
「もがあ」
カレーパン再び。
「からぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁ」
「他のお客さんに迷惑でしょ」
「ほれは、ふりこが(それは百合子が)」
口に入れられたカレーパンを、嚙んで飲み込む。
良かった生きてる。
「辛かった? じゃあ口直しに」
あまーーーーーーーい。
「甘い? じゃあ口直しに」
からぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁ。
「辛い? じゃあ口直しに」
あまーーーーーーーい。
「甘い? じゃあ口直しに」
からぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁ。
「辛い? じゃあ口直しに」
あまーーーーーーーい。
「甘い? じゃあ口直しに」
から……あま?
からぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁ。
交互に体験する甘さと辛さ。
ふり幅がすごすぎて味覚がおかしくなる。
おのれ沙都子、これが狙いか!
でもこれ以上は無理です!
常に口の中にパンがあって喋れないので、腕で大きく×をつくる。
「ちっ」
沙都子の舌打ちが聞こえた。
でも、さすがにこれ以上は無理と判断したのか、パンではなく水を差しだしてくる。
た、助かった。
「ところで百合子。
奢ったおれいとして一つ質問いいかしら」
「……何?」
「天国と地獄を体験して、今どんな気分?」
「……そうだね」
私は、、お腹をさすりながら答える。
「地獄かな。
食べすぎてお腹痛い」
『月に願いを』
「キャー」
草木すら眠る夜の時間、悲鳴が響き渡る。
しかし不幸なことに、ここは灯りが月しかない寂れたシャッター街。
もはや、人が住んでいるかどうかすら怪しく、誰も助けに来ないと思われた。
だが、上げられた悲鳴に颯爽と現れる人影があった。
「乙女の悲鳴は聞き逃さない。
ガクランムーン、ただいま参上。
月に代わってお願いよ」
悲鳴を聞いて駆けつけた人影――ガンランムーンが口上を述べる。
ガクランムーンは歳は40半ばほどの男性で、名前の由来になっているであろう学ランを着ていた。
しかしサイズが合っていないのか、学ランは男の体格に対して非常に小さく、見る者をドン引きさせる格好であった。
だがガクランムーンは、そんなことなど些事だと言わんばかりに、地面に座り込んでいる人物に笑いかける。
「お嬢さん、私が来たからにはもう安心です。
あなたを困らせる悪い奴は、お願いしてどこかに行ってもらいます。
その後、一緒に月に願いをかけませんか――
おや?、お嬢さんはどこに?」
「すまんが悲鳴を上げたのは俺だ」
声を発したのは女性ではなく、男であった。
そしてその男は、しりもちをついてガクランムーンを見上げていた。
風貌も、子供が泣くほどの強面で、どちらかといえば犯罪者顔であった。
「いえ、さっきの声はどう聞いても女性でしたよ」
ガクランムーンは、訝しみながら男性を見る
状況的に男の言うことに間違いはなさそうだったが、どうしても目の前の男が上げた悲鳴だとは信じられなかったのだ。
「だからスマンって。
俺、悲鳴を上げる時やたら甲高くなるんだよ。
虫が大の苦手でな、くっつかれて叫んじまった」
「虫ねえ」
ガクランムーンは、つまらなさそうに大きくため息をつく。
「ま、いいでしょう。
困っている女性がいなかったことをヨシとしましょう……
ではサラバ」
「ちょっと待て」
「なんです?
私は、忙しいんです」
ガクランムーンは、不愉快そうに男を見る。
「助けてくれよ」
「あなた男でしょう。
虫くらい一人でなんとかしてください」
「虫嫌いなんだよ」
「私も嫌いです」
「一緒に月に願いごとしてやるから!」
「それ、女性限定なんですよね」
「最低だな、お前。
くそ、自分でやるしかないか」
男は目をつむって、虫を払いのける。
見えてないので、払っている場所は見当違いであったが、最終的に振り払うことが出来た。
「終わりましたね、サラ―」
「待て!」
「……なんです?」
ガクランムーンは、またしても男に呼び止められる。
何度も呼び止められたガクランムーンの顔には怒りが滲んでいた。
「さっきは虫でそれどころじゃなかったが、お前にどうしても言いたいことがある」
「……はあ、さっさと言ってください。
私、忙しいんですよ」
渋々といった風に、ガクラン仮面は男に体を向ける。
「確認だが、お前、最近ここらへんに出没するガクランムーンで間違いないな?」
「そうです、最初に名乗ったでしょう」
「そうか」
男は、ガクランムーンの言葉にうなずき、大きく息を吸う。
「何が『ガクランムーン』だよ、この野郎!
『セーラームーン』のパクリじゃなねぇか!」」
「パクリじゃない、インスピレーション!」
「その結果がパンパンの学ランか、出直せ!」
「学生時代に着てた思い出の学ランなんですよ」
「卒業したら着ないんだよ!」
「心はあの頃のままだからセーフ」
「きもい」
「ぐは」
ガクランムーンは、シンプルだが辛辣な男の言葉にダメージを受け、ゆっくりと膝をつく。
恰好から想像つかないが、ガクランムーンは繊細なのだ。
「あなた、言っていい事と悪い事があるの知らないんですか?」
「お前みたいな変質者は言われて当然だろ。
そんな格好で恥ずかしくないのか?」
「慣れたら意外とそうでもないんですよね」
「嘘だろ……」
今度は男が呆れから溜息を吐く。
それを見たガクランムーンは、いらただしそうに吐き捨てる。
「そ、そういうあなたこそいつまで座っているんですか?
恥ずかしくないんですか」
「腰が抜けたんだよ。 助けてくれ」
「嫌ですよ!」
「あとな、さっき気づいたんだが、お前臭うぞ。
風呂入ってるか?」
「もう嫌だ」
ガクランムーンは絶叫する。
「これ以上ここにいられるか!」
ガクランムーンは、男の悪口から逃げるため、踵を返す。
「ほう、逃げるか……
俺の悪口から逃げられるかもしれないが……
他のやつから逃げられるかな?」
その言葉を合図に、物陰からたくさんの人間が出てくる。
全員警察官だった。
警察官たちは、逃げ道をふさぐように近づいてくる。
「警察!? ば、ばかな、著作権は問題ないはずだぞ」
「違うわ! やっぱりお前もパクリだと思ってんじゃねえか!」
男――私服警察官は思わずツッコむ
その後我に返った男は、コホンと咳払いしガクランムーンに自身の罪を告げる。
「お前、助けた女性に付きまとったろ。
セクハラで被害届け出てるぞ」
「すいません、反省します。
警察だけは勘弁を!」
「だめだ。
そればっかりは、月に願い事しても通らんよ」
「雨、やまないなあ……」
コンビニの中、外を見てひとり呟く。
学校から帰る途中、腹が急に痛くなったので、トイレを借りようとコンビニに入ったのだが、トイレから出てビックリ、外は土砂降りであった。
俺はため息を吐きながら、スマホを取り出し、天気予報を見る。
予報によれば、30分くらいで止むらしい。
季節外れの夕立のようだ。
だけど一つ問題がある。
傘を持ってないのだ。
最近の天気は晴れ続きで完全に油断し、折りたたみ傘すら用意していない。
傘を買って帰るべきか、このまま雨宿りするか……
懐事情が厳しい事もあり、なかなか悩ましい問題だ。
と窓の外を見ていると、向こうから走ってくる人影が見えた。
スカートなので女子校生のようだ。
彼女は、カバンを傘代わりにして走ってくる。
だが雨の勢いが強いということもあり、遠目からでもびしょぬれだった。
彼女も災難な事だ。
それにしても、あの女子校生、どこかで見たような……
クラスの女子だろうか?
そんな取り留めのない事を考えている間に、彼女はコンビニの入り口までやってくる。
「セーフ」
入ってくるなり、見当違いなことを叫ぶ女子校生。
『どこがセーフだ』
どう見てもアウトでなので思わずツッコみそうになるが、寸でのところで言葉が止まる。
なぜならコンビニに走り込んできたのは、妹の百合子だったのだ。
愛すべき、可愛い妹である。
だが、この場で百合子と出くわしたくなかった。
見つかったら面倒なことになるので、店の奥に逃げ込む。
もし百合子に見つかればどうなるか……
百合子は『お兄ちゃん大好きっこ』だ。
きっと抱き着いてくるだろう。
びしょびしょのままで……
そして俺も濡れる。
誰も幸せにならない。
一応、誤解の無いように言うが、自分は自他ともに認めるシスコンだ。
普段なら抱き着かれるののは、なんの問題ない。
むしろ抱き着いてこなければ、こちらから抱き着く所存である。
誤解無きように。
だが、いくらんでもびしょぬれの百合子に抱き着くわけにはいかない。
自分の愛はそんなものだったのかと少しショックを受けるが、緊急事態だと自身に言い聞かせる。
そんな葛藤をしつつ、百合子の動向を見守る。
はたから見れば不審者だろうが、背に腹は抱えられないのだ。
運よく濡れることが無かったので、抱き着かれるのは御免こうむりたい。
百合子が歩くたび、『グショ、グショ』と水音がする。
靴の中までビショビショのようだ。
音を聞くだけでも気持ち悪くなってくるのに、当の百合子は全く全く気にせず、お菓子の陳列棚を眺めていた。
……この前太ったと言って騒いでいたのに、また食うのか?
まあ、それは本人の勝手か。
「新作新作、チョコレート。 甘いぞ甘いぞ、チョコレート♪」
突然お菓子の前で、謎の歌を歌い始める妹。
周りの客も、何事かと妹を見ている。
他人の振りをしているとはいえ、ちょっと恥ずかしいな、これ。
妹を陰から観察していると、急に百合子が顔を上げた。
「あ……」
と間抜けな声を出して、こちらに目線を向ける。
気づかれたか?
「トイレ、トイレ」
トイレだったらしい。
俺に気づくことなく、トイレに入っていく妹。
どうやら、少しの間猶予ができたようだ。
百合子がトイレに行っている間、スマホを取り出し、もう一度天気予報を見る。
まだ雨は止まないのか?
スマホを素早く操作し、もう一度天気予報を見る。
天気予報を見れば、あと40分くらい……
え、長くなってる……
正直これ以上この場にいることはできない。
さすがにこれ以上誤魔化すのも厳しい。
こうなっては仕方がない。
予定外の出費だが、傘を買うことにしよう。
俺は入口の横に置いてある傘を手に取り、レジの列に並ぶ。
が、突然背中がぐっしょりと濡れる、嫌な感触を感じる。
ゆっくりと振り返ると、そこには百合子がいた。
「お兄ちゃん、おっす」
「……おっす、お前トイレどうした?」
「へ、見てたの? 今使用中だった」
「そっか……
でも、さすがに濡れたままで抱き着いてほしくなかったかな」
「ゴメン、お兄ちゃん見たら抑えきれなくなって……」
「ははは。 百合子らしい」
俺はなんとか愛想笑いをする。
今笑えてるよね、俺。
百合子は俺の持った傘に目線を向ける。
「傘買うんだ?」
「ああ」
「じゃあ、相合傘しようよ」
「そうだな」
多分相合傘で密着すると、また濡れることになるだろう。
だけど、俺は濡れてしまった……
もうどうにでもなれだ。
「お会計どうぞ」
レジの店員から声を掛けられる。
「じゃあ、兄ちゃんは傘買うから入口で待っててくれ」
「分かった」
そう言いながら百合子は、レジ横に置いてあるチロルチョコを、俺の前に置く。
「これもお願いします」
用事は済んだとばかりに離れる百合子。
相変わらずの手癖の悪さである。
店員は困ったような顔でこちらを見ていた。
俺にはいつもの事だが、店員にとってはトラブルみたいなものだろう。
「えっと、どうしますか?」
一緒に買うのか?と聞いている店員。
ならば答えは決まっている。
「買います」
会計を済ませて入り口に向かうと、百合子はスマホを見ていた。
百合子は俺に気づいて顔を上げる。
「雨やむの一時間後だって。
お兄ちゃんがいて助かったよ」
「そうか、ほら」
「ありがとう」
チロルチョコを渡すと、百合子は嬉しそうに笑う。
この笑顔を見れば、背中が濡らしたかいもあったと思う。
……濡れないに越したことは無いけどな。
「じゃあ、帰るか」
「うん」
降り止まない雨の中、俺たちは仲良く相合傘で帰る。
百合子は隣で『あめふり』の鼻歌を歌いながら、ご機嫌に歩くのだった。
『あの頃の私へ』
高校へ進学する際、長く伸ばした髪をバッサリ切った。
誰も知り合いのいない高校へ心機一転、高校デビューというやつだ。
知り合いなんていないから、本当は髪を切る必要なんてないんだけど、こういうのは気持ちが大事だからね。
『あの頃の私よ、さようなら』みたいな……
マア、ある種の儀式だ。
中学校時代の私は、いつも教室の隅で一人うじうじていた典型的な陰キャだった。
高校生になった私は違う。
誰とでも話が出来る陽キャに、華麗にクラスチェンジ。
目指せ友達百人。
のはずだったのに、友達百人どころか、一人も出来ず。
もともと話すことが苦手だった私に、ちょっと気合を入れたくらいで、話がうまくなるわけがない。
コミュ障の私には、どだい陽キャは無理な話だったのだ……
今日も一人寂しく、お弁当タイム。
陽の気に満ちた教室を出て、校舎の隅にあるベンチを目指す。
今から行く場所は、この時間ちょうど影になって日が当たらず、風通しも良くて居心地がいいのだ。
それに他の場所からは見えにくいことも高評価。
こういう陰気臭い場所を好むのは、やはり私が陰キャだからか?
ちょっと憂鬱になりつつ、行く途中の自販機でお茶を買う。
そして意気揚々とベンチに向かえば、なんと先客がいた。
お互い、予想しなかった出会いに、お見合い状態になる。
どちらも硬直し、何も言わない時間が過ぎる。
なんて言うべきか考え居ると、先客の彼女が口を開く。
「そこ座って下さい」
「あ、ありがとう」
彼女の勧めるまま、私はベンチの反対側の端に座る。
出鼻を挫かれたが、やることは変わらない。
あとは飯を食うだけである。
風が優しく頬を撫でる。
今日はもう一人いるが、やはりここはいい場所だ。
弁当を食べる前に、自販機で買ったお茶を口にする。
予定外の会話で喉乾いたんだよね。
くう、冷えたお茶が身に染みていく。
「あの……」
お茶を飲んでいると、声を掛けられる。
私はお茶を口に含んでいるので、顔を向けるだけにする。
「上村さんだよね」
「!」
なんで私の名前を?
知り合いか?
一瞬クラスメイトかと思ったが、見覚えが無い。
クラスメイトの名前は一致していないが、これだけは断言できる。
ネクタイの色を見る限り、同学年であるみたいだが……
「私、中島です」
中島、中島……
駄目だ。
全く思い出せない。
自分の事を、一方的に知られていることに、少し恐怖を感じる。
この子、いったい何者?
「上村さんに前から聞きたいことがあって」
私が悩んでいる間も、中島さんの話は続く。
ほとんど初対面だと思うけど、そんな相手に聞きたい事ってなんだろう
私は動揺する心を落ち着かせるため、もう一度お茶を口に含む。
「なんで髪切ったの?」
「ブフッ」
あまりにも予想外の質問に、私は口に含んでいたお茶を噴き出す。
入学前の私を知ってる!?
この子いったい何者?
「上村さん、髪長かったよね。 肩まで伸ばしてた」
「うん……」
「似合ってたのに、なんで切ったの」
「えっと、飽きたから、かな」
さすがに高校デビューとは言えぬ。
詮索されたくないので、こちらからも質問する。
「えっと、ゴメン、中島さん。
どこかで会った?
全く思い出せないんだけど……」
と私が聞くと、中島さんの顔が赤くなっていく。
やっぱ忘れられてたらショックだよなあ。
「ゴメンね、私記憶力悪くて」
「えっと、違うの。
話すのがこれが初めてだから、知らなくても仕方ないの」
「どういう事?」
「私、上村さんのファンで……」
「ファン?」
ファンだって。
私にファンがいたとは初耳だ。
「中学校の時、上村さんの体育の時の姿を見て、カッコいいなあって思てって」
『中学の時』というからには同中か。
それにしても、体育の授業ね。
私は自慢じゃないが、運動神経は良い。
体育の授業では、割と頼りにされていた。
クラブにも入ろうかと思ったけど断念した。
コミュ障の私に、チームプレイが出来るとは思えなかったのだ。
「体育の時の上村さん、本当にカッコよくて。
他の運動部の子と、対等に渡り合って、みんなでカッコいいって噂してましたもん。
多分私以外にもファン居ますよ」
なん、だと。
恥ずかしさと嬉しさがごちゃ混ぜになった感情を抱く。
てっきり私の事を、体育の時に調子に乗るオタク野郎と思っているとばかり。
あの頃の自分に教えてあげたい。
そうすれば陽キャの仲間入り――は無理だな、うん。
「それでですね。 卓球やりませんか?」
「え、なんで?」
話の流れを無視して、いきなりぶっこんで来た。
なんでそうなる?
「私、卓球部なの」
「ああ、それで……」
なるほど、私の運動神経を見込んで勧誘か……
普通なら『めんどくさい』で断るのだけど。さっき褒められてしまったので、結構まんざらでもない。
「でも私素人だよ。大丈夫なの?」
「大丈夫。 部員は私も含め、高校からの人間しかいないからね」
「……それ、別の意味で大丈夫なの?」
まあ、経験者がいないなら、練習もきつくなく、楽しくやれるかもしれない。
それに友達百人計画は、まだ完全に諦めたわけではないのだ。
「うん、分かった。いいよ」
「それでね。 私とペアを組みませんか?」
「いやいやいや」
この子、ファンって言ってたけど、距離の詰め方えぐいな。
もしやがガチ勢というやつか
「あの、卓球のこと知らんけど、もう少し様子を見て決めるもんでは?」
「大丈夫、みんな下手すぎて誰と組んでも一緒なの」
「とんでもないトコだな……」
早まったかなと、少し後悔する。
「そんな感じなので、上村さんならすぐレギュラーですよ」
「分かったよ。
ま、楽しくやるさ」
◆
そんな安請け合いをした後、私たちはペアを組み、練習を積みかさね、そしてインターハイで優勝しました。
高校を卒業した後も、大学に入った後も卓球で大活躍……
今ではプロの卓球の選手になりました。
もしあの頃の私へ言っても、絶対に信じないんだろうな。
今でも夢じゃないかと疑ってるもん。
本当、人生って分からんね。
『逃れられない』
「トドメだ」
俺は持っていた剣で、魔王の心臓を貫く。
致命傷だ。
だが――
「ククク」
死の縁にあるというのに、魔王は不敵に笑っていた。
「何がおかしい」
「我も魔王。 簡単には死なん……」
「まさか!」
「お前に呪いをかけた。
やがて『死の運命』が貴様の元にやってくるだろう」
「『死の運命』?」
「貴様は、『死の運命』からは逃れられない」
「どういう意味だ」
「……」
その言葉を最後に、魔王は何も話さなくなった。
どうやらこと切れたようだ。
折れは魔王から剣を引き抜き、街へと向かう
死の運命からは逃れられない。
帰りの道中、魔王の言葉がいつまでも、頭の中でこだましていた
◆
魔王城を後にして、街に帰還する。
目についた兵士に、俺が魔王を討伐したことを話すと、報告を聞いた兵士は、慌てて兵舎へ走っていた。
あとは、勝手にやってくれるだろう。
報告も済んだので、酒を飲むことにした。
テーブルに座り、注文した酒を待つ間、魔王の言葉を考える。
『死の運命』とは言っていたが、今のところ体には異常がない。
ただの嫌がらせなのか?
だがもし、『死の運命』とやらが本当だったら?
俺はその運命から逃れられるのだろうか?
そう思ったところで、背中に突然悪寒が走る。
『来る』
理屈ではなく、本能で感じる。
俺は気配のした、酒場の入り口を凝視する。
すると、入り口の扉は大きく開かれた。
そこにいたのは、姿こそ人間だが強い死の気配を纏った存在――まさに『死の運命』であった。
『死の気配』は、酒場の入り口から、まっすぐ俺を見る。
俺は視線を感じ、心の底から恐怖を感じる。
対峙して分かる。
アレには勝てない。
魔王より強いからではない。
単純に、俺を死に追いやるためだけの現象なのだ。
それ以外には何もできないがゆえに、俺からは太刀打ちできない。
そういうものだ。
短い間にらみ合って、ついに『死の運命』が口を開いた。
「勇者は貴様か」
『死の運命』は俺を睨みつける。
「人違いだ」
無駄だろうが否定してみる。
時間稼ぎにしかならないだろうが、逃げきれるだろうか?
頭の中で逃げる段取りを考えていたが、意外な乱入者によって中断される
「勇者はいるか?」
入って来たのは、街の兵士だった。
『死の運命』も意表を突かれたようで、黙って事態の推移を見ている。
「ああ、いるぞ。 なんの用だ」
俺は答えながらも、起死回生のアイディアを思いつく。
そうだ、この兵士たちに『死の運命』の相手をしてもらおう。
素晴らしい計画は、
しかし兵士によって崩される。
「勇者ケン、貴様を処刑する」
「は?」
酒場に兵士がなだれ込んでくる。
裏口からも、兵士が入ってきた。
どうやら逃がすつもりはないらしい。
「処刑? どういう意味だ」
「ふん、しらばっくれおって。
魔王を討伐したなど嘘であろう?」
「何?」
「魔王と結託し、王国を支配するつもりであろう。
だが、その野望は露に消えると知れ」
「なるほど、話は読めた」
どうやらここで俺を亡き者とし、魔王討伐の手柄を独り占め、といったところだろう。
いかにも小物が考えそうなことだ。
魔王に勝てない軍が、魔王に勝った勇者に勝てると、本気で思っているのだろうか?
だが、さすがに分が悪いと言わざるを得ない。
この酒場は机など障害物も多く、関係のない一般客も多い。
俺は勇者という立場上一般人には手を出せないが、向こうはここにいる人間の被害など気にしないだろう。
いざとなれば皆殺しにして、全て俺が殺したことにするくらいはしそうだ。
やりづらい事は間違いない。
そして有利な条件のもと、数で押し切る……
姑息だが、悪くない作戦だ。
さてどうするか……
頭の中で打開策を考える。
「大人しく殺されるなら、苦しませずに死なせてやる。
だが抵抗するときは――」
「ちょっと待て」
兵士の言葉に、待ったをかける者がいた。
『死の運命』である。
「そいつの命は俺がもらう。 部外者はすっこんでろ」
「何を言って……
さては勇者の仲間だな、一緒に殺して――」
リーダー格の男は最後まで言葉が言うことなく、吹っ飛ばされる。
「聞いてなかったか? 『俺が』勇者を殺す」
予想外の事態に、その場にいた全員が呆気にとられる。
そしてようやく事態の異常さに気づいた別の兵士が声を上げる。
「殺せ、皆殺――」
だがその兵士も、最後まで言葉を言うことなく吹き飛ばされる。
「埒が明かんな。
おい勇者、手を貸せ」
「何?」
「お前を殺すのには、こいつらが邪魔だ」
「……お前は、俺の死の望んでいるのではないか?」
俺の質問に『死の運命』は鼻で笑う。
「何を言っている。貴様を殺すのは俺だ」
「なるほど、シンプルでいい」
『死の運命』の言葉に思わず笑みがこぼれる。
「貴様ら、王国に楯突――」
俺の近くで吠える兵士を殴り飛ばす。
「いいだろう、お前の提案に乗る。全部後回しだ」
俺の返答に『死の運命』はニヤリとした。
「ではとっとと雑魚を片づけるとしよう」
「腕がなるぜ」
自分を殺そうって言う相手に、背中を預けることになるとは。
運命とは奇妙なものである。
そうして俺たちは、襲いかかってくる兵士たちをどんどん叩き伏せるのであった。
◆
「片付いたか」
「そうだな」
見渡す限り、兵士は全て寝転がっている。
一般人に怪我人がいるようにも見えない。
机やいすは壊されてしまったが、そこは軍に弁償してもらうことにしよう。
しかし、本題はここから。
本当は逃げ出したかったのだが、数が予想以上に多くそれどころではなかった。
今からでも全力で逃げるべきか?
だが、それの懸念は、ほかならぬ『死の運命』によって杞憂となる。
「ふむ、今日は興が乗らんな。 帰るとしよう」
「は?」
何言ってるんだコイツ。
俺を殺しに来たんじゃないのか?
『死の運命』は俺の心を見透かしたように言葉を続ける。
「今の貴様は万全ではあるまい。
魔王とこの雑魚どもの連戦。疲弊していることだろう」
「そうだが……
だから、なんだ?」
「貴様の力が回復したときにまた来る。
全力の貴様を倒さねば意味が無いからな」
『死の運命』は酒場の入り口に向かい、そして酒場の入り口まで進んだところで、こちらに振り返った。
「だが覚えておけ。 貴様は『死の運命』から逃れられないとな」
そうい言い残し酒場の外へ出ていった。
『死の運命』の気配も遠ざかっていく。
安堵のあまり、その場にへたり込む。
助かった、のか……
しかし、アイツはまた来ると言った。
普通に考えればそれまでの命……
だが俺は死ぬつもりはない。
たとえ卑怯と言われようと、ありとあらゆる手段を使って生き残ってやる。
逃れられぬ運命?
それがどうした?
「逃げて見せるよ。 運命に抗うのが人間だからな」