明日世界が終わるならって?
そうだな。
俺はいつも通り、ここで煙草を吸っているだろうよ。
たとえ今日終わることになったって、俺はここで煙草を吸うだろう。
なぜなら俺は、いつ世界が終わってもいいように、というのは言いすぎか……
いつも心残りが無いように生きている。
それがハードボイルドってもんさ;。
だから、俺には命を燃やしてでも急ぐことなんて一つも……
「先生、たばこ休憩ながくないですか?」
助手の言葉に現実に引き戻される。
「ハードボイルドと言いたまえ。 探偵業務の一つだよ」
「そんなこと知らないです。 遊ぶくらいなら早く仕事を済ませてください」
「余裕が無いのはいけないね、助手くん。
君も休みたまえ」
「そろそろ怒りますよ」
「はい」
助手がキレそうなので、大人しく自分の机に戻る。
ハードボイルドが完遂できなかったことは心残りだが、仕方あるまい。
椅子に座って、書類のチェックの準備をする。
書類は助手が作ったものをチェックするだけだが、いかんせん文字が苦手な俺にとっては、どんな仕事よりも過酷だ。
これからの苦労を思うと溜息しかでない。
なぜこうなったのか、少しだけ状況を整理しよう。
先週、とんでもなく割のいい仕事が入った。
この依頼だけで、3か月分のもうけである。
しかも、『家で飼っている猫が、外で何をしているのか尾行して欲しい』という楽勝にもほどがある依頼だ。
なにせ、迷い猫の様に捕まえなくてもいいし、人間のように気づかれても近すぎなければ逃げることは無い。
つかず離れずの距離で尾行し、しかもアイスを食べても怒られない。
むしろ申し訳ないくらいだった。
申し訳なさ過ぎて、『もしかした、明日世界終わるんじゃね?』と思ったくらいだ。
しかし、ウマい話には裏がある。
気前よく依頼料を払ってくれるのはいいのだが、事細かな報告書の作成も同時に依頼された。
なんでもアルバムを作りたいのだとか。
この猫、愛されすぎである。
俺もこんな風に愛されてえ。
と、そこまで考えると、視界が暗くなる。
顔を上げると、そこに立っていたのはこわーい顔をした助手だった。
「先生。私言いましたよね。早く仕事してくれって」
「ああ、聞いた」
「先生が面倒だからって放置した報告書の作成、締め切り明日なんですよ、分かってますか?」
「書類は苦手でね」
助手の目がひと際鋭くなる。
言葉間違えたな、コレ。
「いや、申し訳ないとは思ってるんだ。
ただ、俺が報告書を作っても、助手くんみたいに綺麗に作れないんだよ。
君の作る報告書は、本当に芸術的で、心の底から感心しているんだ」
「それは、まあ、そうでしょうとも」
助手が珍しくちょっと照れてる。
俺の嘘偽りない俺の本音に、助手の岩のような心を動かしたらしい。
まじで助手の作る報告書は凄いからな。
文字嫌いの俺にでさえ、普通に読ませるくらいである。
「それはそうとして、放置したのは先生ですよね。
早めに言ってくれれば、こんなに追い込まれることはありませんでした」
「ごめんなさい」
だが、俺は助手に仕事を振るのを忘れて、今突貫工事で報告書を作っている。
「これ終わらないと帰れないんですから、早く手を動かしてください。
終電までには帰りたいんですから、お願いしますよ」
「わかりました」
俺は助手からの催促を受け、震える人差し指でキーボードをたたく。
パソコンに関しては、全くハードボイルドではない俺。
助手までとはいかんでも、いつかカッコよく出来るようになりたいなあ。
それはともかくとして、仕事は一つずつ消化しないとな……
まったく、溜息しか出ない。
「はあ、本当に明日世界が終わらないかなあ……」
「やる気出ませんか?」
俺の独り言に反応する助手。
まさか反応されるとは思わなかったので、言葉に詰っていると、助手が予想外の事を言った。
「やる気出ないなら、やる気が出る情報を教えましょうか?」
「ほう、俺にやる気を出させるだと!?」
助手の挑戦的な提案に思わず笑みがこぼれる。
助手も面白い冗談を言うようになったな。
「へえ、言ってみろ。
俺の書類仕事に対する苦手意識なめんなよ」
「この前の浮気調査の依頼料、明後日に振り込まれます」
「マジ? やる気出たわ」
前言撤回、世界は勝手に終わるな。
俺は世界の終末を回避すべく、意気揚々と仕事に取り掛かるのだった。
GW終盤の五月五日。
成績の悪い自分だけに課せられた学校の課題を済ませ、その憂さ晴らしに親友の沙都子を誘って遊びに繰り出した。
沙都子はお金持ちだが、庶民の遊びに興味津々なので、二つ返事でやってきた。
二人(+沙都子の護衛)で、たくさんの店を冷やかしながら練り歩き、小休止でコンビニに入る。
そこは偶然にも、私が沙都子と初めて会ったコンビニだった。
「沙都子、覚えてる? 私たちはここで出会ったんだよね」
「えっ…… ええ、そうだったわね、百合子」
「……あれ、覚えてない感じ?」
「う、正直あまり覚えていないわ」
クールな沙都子が、珍しく慌てている。
慌てている理由は、私にとって好ましい理由じゃなかったけど。
というか普通にショック。
私が地味にダメージを受けている間も、沙都子は思い出そうと、うーんと首をひねって悩んでいた。
「なんとなく、百合子が泣いていたことは覚えているんだけど……」
「泣いてないし」
全く失礼な。
いい歳した私が泣くわけないでしょ。
「私はよく覚えているよ。初めて会ったとき、沙都子の目がめっちゃ冷たくて、泣きそうになったの」
「やっぱり泣いているじゃない」
「泣く寸前までいったけど、泣いてないから!」
「ほとんど泣いてるじゃないの。 実質泣いているのと同じよ」
「だから泣いてないってば!」
「あの時一緒に、アイスクリームは友情の証って言ったじゃん」
「思い出したわ。 確か百合子がその時、一人で叫んでアイスクリーム落として泣いたのよね?」
「な、泣いてないわい」
沙都子の言葉に、封じられた記憶がよみがえろうとする。
なんだか本当に泣いた気がするが、きっと記憶違いである、うん。
「本当に覚えてないの?
あの時、沙都子が財布落としたこと」
「そうだったわ。 私が財布の入ったカバンを落として、それを百合子が拾ったのよね」
「そうそう」
「それで一割寄越せって、言い出したのよね?」
「……そんなこと、言ったっけなあ……」
「あなたの記憶もだいぶ怪しいわね」
いや、さすがに初対面の人間にそんなこと言わない、はず。
「百合子は覚えてないの?
私からせしめたお金でアイスクリーム買ったでしょ?」
「あっ」
思い出した。
あの時、財布を握り締めてコンビニに行ったら、お金が入ってなくて、どうしようと思ったときに、沙都子の財布を拾ったんだ。
それで一割寄越せって言ったら、沙都子が冷たい目をして、それで私が泣いて――いや泣きそうになったんだっけ。
……何やってんだ、昔の私。
「まあ、あの時の事は感謝しているわ。カバンには連絡用のスマホも入っていたから」
「それは何より……」
「それで、学校で再開して付き纏うようになって、今に至る。
で、合ってるわよね?」
「付き纏うって、人聞きの悪い……」
「その時はそう思ったもの。 実際お金目当てで近づく人間は多いから」
「ふーん、沙都子も苦労してるんだなあ」
お金持ちにはお金持ちで悩みがあるんだろう。
「でも、こうして遊びに付き合ってくれてるってことは、私は『お金目当ての人間』じゃないって思ってるくれてるんだよね」
「そうね。 『お金目当ての人間』では無かったわね」
「なんか毒があるんだけど」
「あら、あなたが今までに壊した、私の家の私物の被害総額…… 知りたい?」
「ノーコメント」
それ以上いったら泣きます。
話を誤魔化そう。
「でもさ、私と出逢ってよかったでしょ」
「あなたと出逢わなかったら、もう少し平和な日常が送れたと思ってるわ」
「ふむ、刺激的な毎日を送れているってことかな」
「あなたのプラス思考は尊敬に値するわね」
沙都子は呆れたようにため息を吐く、と思ったら急に私の目を見る。
「ところで、あなたはどうなの?」
「何が?」
「百合子は私と出逢って良かった?って聞いてるの」
「えっ」
まさか聞かれると思わなかったので、返答に窮する。
「私は言ったわよ。次は百合子の番――」
「あっ、あんまり長居するとお店の人に迷惑だから、早く買い物を済ませよう」
「あっ、待ちなさい」
沙都子の追及を逃れるため、適当なお菓子を持ってレジに向かう。
『沙都子と出逢ってどうか?』だって。
そんなの決まってる。
「あら、お金が足りないみたいね。
しょうがないから私が出してあげる」
ほくそ笑む沙都子が、私の目の前に高額紙幣を出す。
確かに助かったけれど、私は絶対に言わない。
私は沙都子と出逢って、本当に毎日が楽しいと思ってる。
でもさ。
そんなの恥ずかしい事、言えるわけないじゃんか。
「先生、どうですか?」
「問題ありません。完治です」
医者の先生は俺に聴診器を当てながら、断言する。
力強いその言葉に安心する。
医者は専門家として、簡単に『完治』と断言しないだろう。
だからこそ、患者は安心する。
そんな信頼できる先生だが、どうしても聞きたいことがあった。
「とこで気になっていたんですけど……」
「構いませんよ。何度でも聞いて下さい。全てお答えします」
先生はいつものように、ニコニコしている。
何度も聞いた質問なので、うんざりしているだろうに、少しも顔に出さない。
そういうところは結構尊敬している。
……もしかしたら、話したいだけなのかもしれないけれど……
話すとき、イキイキしていたし……
遠慮は不要か。
そう思って思い切って聞いてみる。
「先生って、本当に聴診器で全部わかるんですか」
「はい」
「だって、ただの水虫ですよ?」
「もちろんわかりますよ。
聴診器を当てて耳を澄ますと、全てが聞こえてきます」
「うーん」
いつもの質問、いつとの答え。
だけど、俺の脳みそは『ありえない』と言っている。
俺は頭が硬いのだろうか?
信頼はあるが、そこだけどうしても信じられない。
「やっぱり信じられませんか?」
「ええ、まあ……」
「では使ってみますか?」
「え?」
予想外の提案に動揺してしまう。
「でも迷惑が……」
「構いませんよ
あなたが最後のですからね」
先生の言葉を受けて思案する。
「では少しだけ」
好奇心が勝り、提案を受け入れる。
先生は俺の答えに満足したように笑い、聴診器を渡してきた。
見様見真似で、聴診器を耳に当てる。
「では、足に聴診器の丸い部分当ててください」
先生の指示通り、足に当てる。
だが、何も聞こえなかった。
「先生、何も聞こえないです」
「無理もありません。
彼らの声は小さいですから……
もっと、耳を澄ませてみてください」
『彼らの声』?
訝しながらも耳に神経を集中し、耳を澄ます。
すると確かに、何かの音が聞こえ始めた。
これは……声?
何を言っているか、さらに集中する。
「水虫の奴らは全滅した。
繰り返す、水虫の奴らは全滅した。
直ちに傷んだ皮膚の修復に当たれ」
聞こえてきた物に驚き、思わず先生の顔を見る。
「聞こえましたか?」
俺は無言で首を縦にふる。
「私はその声を聞いて、治療の方針を決めているんですよ」
「なるほど。疑ってすいませんでした」
「いえ、気にしてませんから」
先生は、相変わらずニコリと笑う。
どういう原理かは分からないが、実際に体験した事は否定できない。
世の中、不思議な事があるもんだ。
「そうだ、せっかくなので他の部分も聞いて下さい」
「そうですね。次の機会があるかはわかりませんし」
先生の言葉につられ、調子に乗って体の色んな部位に丸い部分を当てる。
そして耳を澄ますと……
「こちら肺、タバコによって既にボロボロです。救援を」
「こちら肝臓。酒を送るのは止めてくれ。酷使されてもう限界だ。休養をくれ」
「免疫薄いよ、なにやってんの。
え、寝不足?なら寝かせろ」
「こちら脳。駄目です。ずっと眠気を出しているのに寝ません。絶望的です」
聞こえてきた体の悲鳴に、耳を疑う。
「聞こえましたか?」
自分はその質問に黙って頷く。
先生はニコニコしていたが、妙に迫力があった。
「それはまごうことなき、あなたの『体の悲鳴』です」
「はい」
「確かに水虫は完治しました」
「はい」
「ですが他の部分は駄目です」
「はい」
「相談内容は水虫の治療なので、他が悪くてもアレコレあなたに指図する権限はありません」
「はい」
先生は相変わらず笑顔のまま……
だが、その笑顔が怖い。
「そして私はあなたに『体の悲鳴』を聞かせました。
言いたいことは分かりますね」
「はい」
「よろしい。その聴診器は差し上げますので、ご活用ください。
ああ、聴診器のお金は取りませんから、安心して下さいね」
「はい」
先生の言葉に頷きながら、自分の体の事を考えていた。
俺の体はそんなに追い込まれていた事を全く知らなかった……
彼らの悲鳴が今も耳に残っている。
これからは体をいたわり、もっと体の声に耳を澄まそう。
聴診器を握りしめながら、生活習慣の改善を誓うのであった。
私の名はセバスチャン。
この家で働く、しがない老執事でございます。
もともと旦那様に仕えていたのですが、今は沙都子お嬢様にお仕えしています。
お嬢様がお生まれになった際、旦那様から教育係と世話係を任命されたのです。
それ以来、教育や食事の用意はもちろんのこと、お嬢様のお客様の対応も、私の仕事でございます。
今日も、ご友人の百合子様が遊びに来られたので、紅茶を出しておりました。
既に出していたティーカップを下げ、新しい紅茶を机の上に置きます。
「では私はこれで失礼します」
「ありがとう、セバスチャン」
「ありがとうね、セバスさん」
恭しく礼をして、部屋から退室します。
下げたティーカップを持って、廊下を歩きます。
考えるのは、ご友人の百合子様のこと。
沙都子お嬢様は、選ばれし人間です。
世界有数の大富豪の元に生まれ、それに相応しい人間になるよう教育を施されました。
人の上に立つための教育です。
ですが、それ故に孤独でした。
選ばれし人間であるがゆえに、対等でいられる友人がいなかったのです。
そんなお嬢様にもご友人ができました。
百合子様は一般家庭で生まれ育ったお方……
生まれの違いから恐縮する人間が多い中、百合子様だけは全く物怖じせずお嬢様に接します。
多少物を壊す悪癖があるのですが、問題ありません。
物は壊しても、また買えば良いのです。
しかし沙都子お嬢様の笑顔だけは、お金では買うことは出来ません。
笑う事がほとんど無かったお嬢様が、百合子様と話す時、ああも豊かな感情表現をされるとは思いもしませんでした。
本当に良い友人をお持ちになりました。
歳のせいか、涙腺がゆるく――
「おっと」
感傷に気を取られ、足元の注意もゆるくなっていたようです。
小さな段差に躓き、手に持っていたカップを落としてしまいました。
当然落としてしまったカップは、床に落ちてパリンと音を立てて割れてします。
「年は取りたくないものですね」
誰もいないからでしょう。
つい、独り言が漏れてしまいました。
私がこの家に仕えてから40年、まだ現役だと思ってましたが、そろそろ引退も考えねばならないのかもしれません。
持っていたハンカチを取り出し、破片を拾おうとした、まさにその時でした。
「あっ」
そこにいたのは、沙都子お嬢様の友人、百合子様でした。
「すいません、トイレに行きたかったんですけど……」
彼女は見てはいけないものを見たような顔で、気まずそうに私を見て――
いたのも一瞬のこと、すぐにイタズラを思いついた子どものように悪い顔となりました。
「ねえ、セバスさん。この事が沙都子に知られたら困るよね」
なんということでしょう。
百合子様は、私を脅すつもりのようです。
正直おどろきました
百合子様は、そんな事をするような方には見えなかったからです。
いよいよ人を見る目すら衰えたか?
本気で引退を考えようとした、その時でした。
「悪いんだけどさ、私の割った花瓶も一緒に隠してくれない?」
前言撤回、意外でも何でもありませんでした。
今日も、百合子様はまた物を壊されたようです。
そして、百合子様は、どうやら割ってしまったカップを私が隠すと思ったようです。
私は仕事中の不注意で壊しただけなので、報告書を出すだけなのですが……
百合子様もまだ学生なので、もしかしたらその辺りのルールを知らないのかもしれません。
しかしそれを考える前に、聞かないといけないことがあります。
「……百合子様、また壊されたんですか?」
「その、違くて、きれいな花だと思ってたら、転んじゃって、あはは」
相変わらず子どものような言い訳をするお方です。
それにしても、百合子様は遊びに来るたびに何かを壊していらっしゃいますが、他人ながら将来が心配です。
「セバスさんなら沙都子にバレないように隠せるでしょ?
私が隠してもすぐ見つけるんだよね。
なのでセバスさんに一生のお願い、バレないように隠して!」
私が何も言わないことを肯定取ったのか、百合子様は色々と残念なことを話し始めます。
なんだか、沙都子お嬢様の教育に悪い気がしてきました。
「セバスさんが割った事も、沙都子には秘密にするからさ。私が花瓶割ったことも内緒で。
二人だけの秘密ってやつです」
まさか秘密の共有を提案されるとは……
私が思っている以上に面白いお方のようです。
しかし――
「申し訳ありません、百合子様。
それはお約束できません。
私は、沙都子お嬢様に隠し事は出来ないのです」
「セバスさんもバレちゃうのか……」
私は『主従関係として嘘をつけない』と言ったつもりなのですが、百合子様は『沙都子お嬢様に見破られるから駄目』と受けとったようです。
勘違いされているみたいなのですが、訂正するほどのことでもないので黙っておきます。
「うーん、じゃあさ。
沙都子に絶対にバレないような隠し場所って無い?
こっそり教えて」
百合子様は、あくまでも隠し通すつもりのようです。
ですが――
「百合子様、隠す必要はありません」
「セバスさん、やっぱり隠してくれるの?」
「いいえ、違います」
私は百合子様の言葉をしっかり否定します。
その上で、百合子様の後ろを見ます。
私の目線に、百合子様は何かに気づいたのか、急にビクビクしだしました。
「そっか、セバスさんが忙しいなら仕方がない。
私はもう行くね」
「あら百合子、ウチの執事とのお話は終わったの?」
百合子様の体がビクッと跳ねます。
そして恐怖に引きつった顔で、恐る恐る振り返ります。
「あ、沙都子じゃん。どうしたの?」
「ええ、私もトイレに行きたくなって」
「そっか、じゃあ一緒に行こう」
「ええ、トイレに行くまでにお喋りしましょう。
セバスチャンと何を話していたのとか、何を秘密にするのだとか。
二人だけの秘密のお喋りをしましょう」
「ひえええ、バレてる。助けてセバスさん」
百合子様は、沙都子お嬢様に引きずられるようにトイレに向かわれました。
さすがに自業自得だと思うのですが、あまり他人事にも思えなくなってきました。
沙都子お嬢様と相談し、百合子様にメイド教育を施すべきなのかもしれません。
そうすれば、物に対する力加減を覚えて、物を壊さなくなるかもしれません。
かつての私のように。
私も昔、物を壊してはあんな風に旦那様様に怒られたことが懐かしい。
沙都子お嬢様と百合子様の様子を見て、しみじみ思うのでした。
「優しくしないで」
思わず口をついて出た言葉に、やっちまったと後悔する。
そんな事言うつもりはなかった。
けれど後悔先に立たず、過去は変えられない。
気まずい雰囲気のまま、彼の顔を伺う。
案の定、言われた彼は驚いて固まっていた。
無理もない。
そんなことを言われるだなんて、夢にも思わなかっただろうから……
「忘れたの? 私はあなたを裏切ったのよ……
優しくされる資格なんてない」
さらに彼を突き放すようなお言葉を吐き捨てる。
きっと彼は、幻滅するだろう。
「そんな事言わないでくれ」
だが意外にも彼は、私の言葉を否定した。
「確かに、貴女は僕を裏切った……
でも聞いたよ。僕のためなんだろ」
「母さんに聞いたの? 喋らないでって言ったのに……」
「僕が無理やり聞き出したんだ。 責めないでやってくれ」
申し訳無さそうな顔をする彼。
なんでそんな顔をするのだろう。
私が悪いというのに……
「それで?」
私は努めて感情を顔に出さないように、彼に語りかける。
「仮にあなたの為だったとしても、裏切ったのは事実……
裏切り者に、一体何の内容なのかしら」
彼を傷つける言葉しか言えない私に、うんざりしてしまう。
なぜ私は、こんな言葉しか言えないのだろうか?
しかし、彼は私の悪意ある言葉に意にも介さず、私の目をまっすぐ見つめる
後ろめたさに、思わず目をそらす。
「貴女に伝えことがあるんだ」
「へえ、何かしら?」
どうせなら酷い言葉を言ってくれればいいのに……
けれど彼は、そんな事は言わないだろう。
「僕と結婚してください」
愛の言葉とともに、彼は私に手を伸ばす。
その手を取りたい衝動に駆られるも、私はその手を取らない。
取ってはいけない。
「私、また裏切るわ」
「裏切らないよ」
「私は醜いの。あなたにはもっとふさわしい人がいるわ」
彼に背を向けて、拒絶の意思を示す。
彼から見れば、ひどい女に見えるはず。
心が痛むが、これは必要なことなのだ。
「そんなことない」
けれど、酷い仕打ちをしたにもかかわらず、彼は私を後ろから優しく抱きしめてくれる。
そんな資格、私にはないのに……
「優しくしないで……」
私は消え入りそうな声でつぶやくのだった。
「カーーーーーット」
🎬
「ごめんね、セリフとちっちゃって」
私は、相手役の俳優に頭を下げる。
本来あのシーンは、『優しくしないで』というのは最後だけ……
私は台本のセリフを間違ってしまい、おおいに彼に迷惑をかけてしまった。
もしかしたら許してもらえないかもしれない。
「大丈夫です。気にしてません」
けれど、彼は笑顔で私の謝罪を受け入れてくれた。
そのことに、心の底から安堵する。
「確かにびっくりしましたけどね。でも撮影がうまく行ったから結果オーライですよ」
「監督は『いい絵が撮れた』って大喜びだったわ」
「はい。それに僕も楽しかったです」
いたずらが成功した子供みたいに彼は笑い、私もつられて笑ってしまう。
「ああ、確かにアドリブうまかったわね。思わず飲み込まれそうになったわ」
「お褒めに預かり光栄です」
うむ、撮影の時の彼は、非常にイキイキしていた。
もしかしたら、私みたいにアドリブで有名な俳優になるかもしれない。
将来有望だ。
「ああ、そういえば」
と思い出したように、彼は私を見つめてくる。
「外、雨降ってますけど傘持ってます?」
「えっ」
天気予報は晴れだったはずでは?
傘なんか持ってきてない。
となると、近くでタクシーを捕まえて帰るしかない。
でも予想外の出費に頭が痛くなってくる。
「やっぱり、持ってきてないみたいですね」
私の考えていることはお見通しらしい。
「傘、貸しますよ?
折り畳み傘があるんです」
「そんな、悪いわよ」
「安心してください。2本あるんです」
「うーん、じゃあお言葉に甘えて」
私は差し出された折り畳み傘を受け取る。
これで濡れずに済みそうだ
「借りが出来ちゃったわね……」
「気にしないでください。
キレイな人には優しくするのが趣味なんです」
そう言って、彼は私にイケメンスマイルを向ける。
ちょっとトキメイてしまう。
そんな優しくしないで。
そんなに優しくされたら私、惚れちゃうじゃない。