G14

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 私の名はセバスチャン。
 この家で働く、しがない老執事でございます。
 もともと旦那様に仕えていたのですが、今は沙都子お嬢様にお仕えしています。
 お嬢様がお生まれになった際、旦那様から教育係と世話係を任命されたのです。

 それ以来、教育や食事の用意はもちろんのこと、お嬢様のお客様の対応も、私の仕事でございます。
 
 今日も、ご友人の百合子様が遊びに来られたので、紅茶を出しておりました。
 既に出していたティーカップを下げ、新しい紅茶を机の上に置きます。
「では私はこれで失礼します」
「ありがとう、セバスチャン」
「ありがとうね、セバスさん」
 恭しく礼をして、部屋から退室します。

 下げたティーカップを持って、廊下を歩きます。
 考えるのは、ご友人の百合子様のこと。

 沙都子お嬢様は、選ばれし人間です。
 世界有数の大富豪の元に生まれ、それに相応しい人間になるよう教育を施されました。
 人の上に立つための教育です。
 ですが、それ故に孤独でした。
 選ばれし人間であるがゆえに、対等でいられる友人がいなかったのです。
 
 そんなお嬢様にもご友人ができました。
 百合子様は一般家庭で生まれ育ったお方……
 生まれの違いから恐縮する人間が多い中、百合子様だけは全く物怖じせずお嬢様に接します。
 多少物を壊す悪癖があるのですが、問題ありません。

 物は壊しても、また買えば良いのです。
 しかし沙都子お嬢様の笑顔だけは、お金では買うことは出来ません。
 笑う事がほとんど無かったお嬢様が、百合子様と話す時、ああも豊かな感情表現をされるとは思いもしませんでした。
 本当に良い友人をお持ちになりました。
 歳のせいか、涙腺がゆるく――

「おっと」
 感傷に気を取られ、足元の注意もゆるくなっていたようです。
 小さな段差に躓き、手に持っていたカップを落としてしまいました。
 当然落としてしまったカップは、床に落ちてパリンと音を立てて割れてします。

「年は取りたくないものですね」
 誰もいないからでしょう。
 つい、独り言が漏れてしまいました。
 私がこの家に仕えてから40年、まだ現役だと思ってましたが、そろそろ引退も考えねばならないのかもしれません。
 持っていたハンカチを取り出し、破片を拾おうとした、まさにその時でした。

「あっ」
 そこにいたのは、沙都子お嬢様の友人、百合子様でした。
「すいません、トイレに行きたかったんですけど……」
 彼女は見てはいけないものを見たような顔で、気まずそうに私を見て――
 いたのも一瞬のこと、すぐにイタズラを思いついた子どものように悪い顔となりました。

「ねえ、セバスさん。この事が沙都子に知られたら困るよね」
 なんということでしょう。
 百合子様は、私を脅すつもりのようです。

 正直おどろきました
 百合子様は、そんな事をするような方には見えなかったからです。
 いよいよ人を見る目すら衰えたか?
 本気で引退を考えようとした、その時でした。

「悪いんだけどさ、私の割った花瓶も一緒に隠してくれない?」
 前言撤回、意外でも何でもありませんでした。
 今日も、百合子様はまた物を壊されたようです。

 そして、百合子様は、どうやら割ってしまったカップを私が隠すと思ったようです。
 私は仕事中の不注意で壊しただけなので、報告書を出すだけなのですが……
 百合子様もまだ学生なので、もしかしたらその辺りのルールを知らないのかもしれません。

 しかしそれを考える前に、聞かないといけないことがあります。
「……百合子様、また壊されたんですか?」
「その、違くて、きれいな花だと思ってたら、転んじゃって、あはは」
 相変わらず子どものような言い訳をするお方です。
 それにしても、百合子様は遊びに来るたびに何かを壊していらっしゃいますが、他人ながら将来が心配です。
 
「セバスさんなら沙都子にバレないように隠せるでしょ?
 私が隠してもすぐ見つけるんだよね。
 なのでセバスさんに一生のお願い、バレないように隠して!」
 私が何も言わないことを肯定取ったのか、百合子様は色々と残念なことを話し始めます。
 なんだか、沙都子お嬢様の教育に悪い気がしてきました。

「セバスさんが割った事も、沙都子には秘密にするからさ。私が花瓶割ったことも内緒で。
 二人だけの秘密ってやつです」
 まさか秘密の共有を提案されるとは……
 私が思っている以上に面白いお方のようです。
 しかし――

「申し訳ありません、百合子様。
 それはお約束できません。
 私は、沙都子お嬢様に隠し事は出来ないのです」
「セバスさんもバレちゃうのか……」
 私は『主従関係として嘘をつけない』と言ったつもりなのですが、百合子様は『沙都子お嬢様に見破られるから駄目』と受けとったようです。
 勘違いされているみたいなのですが、訂正するほどのことでもないので黙っておきます。

「うーん、じゃあさ。
 沙都子に絶対にバレないような隠し場所って無い?
 こっそり教えて」
 百合子様は、あくまでも隠し通すつもりのようです。
 ですが――
「百合子様、隠す必要はありません」
「セバスさん、やっぱり隠してくれるの?」
「いいえ、違います」
 私は百合子様の言葉をしっかり否定します。
 その上で、百合子様の後ろを見ます。

 私の目線に、百合子様は何かに気づいたのか、急にビクビクしだしました。
「そっか、セバスさんが忙しいなら仕方がない。
 私はもう行くね」
「あら百合子、ウチの執事とのお話は終わったの?」

 百合子様の体がビクッと跳ねます。
 そして恐怖に引きつった顔で、恐る恐る振り返ります。
「あ、沙都子じゃん。どうしたの?」
「ええ、私もトイレに行きたくなって」
「そっか、じゃあ一緒に行こう」
「ええ、トイレに行くまでにお喋りしましょう。
 セバスチャンと何を話していたのとか、何を秘密にするのだとか。
 二人だけの秘密のお喋りをしましょう」
「ひえええ、バレてる。助けてセバスさん」
 百合子様は、沙都子お嬢様に引きずられるようにトイレに向かわれました。

 さすがに自業自得だと思うのですが、あまり他人事にも思えなくなってきました。
 沙都子お嬢様と相談し、百合子様にメイド教育を施すべきなのかもしれません。
 そうすれば、物に対する力加減を覚えて、物を壊さなくなるかもしれません。
 かつての私のように。

 私も昔、物を壊してはあんな風に旦那様様に怒られたことが懐かしい。
 沙都子お嬢様と百合子様の様子を見て、しみじみ思うのでした。

5/4/2024, 12:41:05 PM