私の名はセバスチャン。
この家で働く、しがない老執事でございます。
もともと旦那様に仕えていたのですが、今は沙都子お嬢様にお仕えしています。
お嬢様がお生まれになった際、旦那様から教育係と世話係を任命されたのです。
それ以来、教育や食事の用意はもちろんのこと、お嬢様のお客様の対応も、私の仕事でございます。
今日も、ご友人の百合子様が遊びに来られたので、紅茶を出しておりました。
既に出していたティーカップを下げ、新しい紅茶を机の上に置きます。
「では私はこれで失礼します」
「ありがとう、セバスチャン」
「ありがとうね、セバスさん」
恭しく礼をして、部屋から退室します。
下げたティーカップを持って、廊下を歩きます。
考えるのは、ご友人の百合子様のこと。
沙都子お嬢様は、選ばれし人間です。
世界有数の大富豪の元に生まれ、それに相応しい人間になるよう教育を施されました。
人の上に立つための教育です。
ですが、それ故に孤独でした。
選ばれし人間であるがゆえに、対等でいられる友人がいなかったのです。
そんなお嬢様にもご友人ができました。
百合子様は一般家庭で生まれ育ったお方……
生まれの違いから恐縮する人間が多い中、百合子様だけは全く物怖じせずお嬢様に接します。
多少物を壊す悪癖があるのですが、問題ありません。
物は壊しても、また買えば良いのです。
しかし沙都子お嬢様の笑顔だけは、お金では買うことは出来ません。
笑う事がほとんど無かったお嬢様が、百合子様と話す時、ああも豊かな感情表現をされるとは思いもしませんでした。
本当に良い友人をお持ちになりました。
歳のせいか、涙腺がゆるく――
「おっと」
感傷に気を取られ、足元の注意もゆるくなっていたようです。
小さな段差に躓き、手に持っていたカップを落としてしまいました。
当然落としてしまったカップは、床に落ちてパリンと音を立てて割れてします。
「年は取りたくないものですね」
誰もいないからでしょう。
つい、独り言が漏れてしまいました。
私がこの家に仕えてから40年、まだ現役だと思ってましたが、そろそろ引退も考えねばならないのかもしれません。
持っていたハンカチを取り出し、破片を拾おうとした、まさにその時でした。
「あっ」
そこにいたのは、沙都子お嬢様の友人、百合子様でした。
「すいません、トイレに行きたかったんですけど……」
彼女は見てはいけないものを見たような顔で、気まずそうに私を見て――
いたのも一瞬のこと、すぐにイタズラを思いついた子どものように悪い顔となりました。
「ねえ、セバスさん。この事が沙都子に知られたら困るよね」
なんということでしょう。
百合子様は、私を脅すつもりのようです。
正直おどろきました
百合子様は、そんな事をするような方には見えなかったからです。
いよいよ人を見る目すら衰えたか?
本気で引退を考えようとした、その時でした。
「悪いんだけどさ、私の割った花瓶も一緒に隠してくれない?」
前言撤回、意外でも何でもありませんでした。
今日も、百合子様はまた物を壊されたようです。
そして、百合子様は、どうやら割ってしまったカップを私が隠すと思ったようです。
私は仕事中の不注意で壊しただけなので、報告書を出すだけなのですが……
百合子様もまだ学生なので、もしかしたらその辺りのルールを知らないのかもしれません。
しかしそれを考える前に、聞かないといけないことがあります。
「……百合子様、また壊されたんですか?」
「その、違くて、きれいな花だと思ってたら、転んじゃって、あはは」
相変わらず子どものような言い訳をするお方です。
それにしても、百合子様は遊びに来るたびに何かを壊していらっしゃいますが、他人ながら将来が心配です。
「セバスさんなら沙都子にバレないように隠せるでしょ?
私が隠してもすぐ見つけるんだよね。
なのでセバスさんに一生のお願い、バレないように隠して!」
私が何も言わないことを肯定取ったのか、百合子様は色々と残念なことを話し始めます。
なんだか、沙都子お嬢様の教育に悪い気がしてきました。
「セバスさんが割った事も、沙都子には秘密にするからさ。私が花瓶割ったことも内緒で。
二人だけの秘密ってやつです」
まさか秘密の共有を提案されるとは……
私が思っている以上に面白いお方のようです。
しかし――
「申し訳ありません、百合子様。
それはお約束できません。
私は、沙都子お嬢様に隠し事は出来ないのです」
「セバスさんもバレちゃうのか……」
私は『主従関係として嘘をつけない』と言ったつもりなのですが、百合子様は『沙都子お嬢様に見破られるから駄目』と受けとったようです。
勘違いされているみたいなのですが、訂正するほどのことでもないので黙っておきます。
「うーん、じゃあさ。
沙都子に絶対にバレないような隠し場所って無い?
こっそり教えて」
百合子様は、あくまでも隠し通すつもりのようです。
ですが――
「百合子様、隠す必要はありません」
「セバスさん、やっぱり隠してくれるの?」
「いいえ、違います」
私は百合子様の言葉をしっかり否定します。
その上で、百合子様の後ろを見ます。
私の目線に、百合子様は何かに気づいたのか、急にビクビクしだしました。
「そっか、セバスさんが忙しいなら仕方がない。
私はもう行くね」
「あら百合子、ウチの執事とのお話は終わったの?」
百合子様の体がビクッと跳ねます。
そして恐怖に引きつった顔で、恐る恐る振り返ります。
「あ、沙都子じゃん。どうしたの?」
「ええ、私もトイレに行きたくなって」
「そっか、じゃあ一緒に行こう」
「ええ、トイレに行くまでにお喋りしましょう。
セバスチャンと何を話していたのとか、何を秘密にするのだとか。
二人だけの秘密のお喋りをしましょう」
「ひえええ、バレてる。助けてセバスさん」
百合子様は、沙都子お嬢様に引きずられるようにトイレに向かわれました。
さすがに自業自得だと思うのですが、あまり他人事にも思えなくなってきました。
沙都子お嬢様と相談し、百合子様にメイド教育を施すべきなのかもしれません。
そうすれば、物に対する力加減を覚えて、物を壊さなくなるかもしれません。
かつての私のように。
私も昔、物を壊してはあんな風に旦那様様に怒られたことが懐かしい。
沙都子お嬢様と百合子様の様子を見て、しみじみ思うのでした。
5/4/2024, 12:41:05 PM