「優しくしないで」
思わず口をついて出た言葉に、やっちまったと後悔する。
そんな事言うつもりはなかった。
けれど後悔先に立たず、過去は変えられない。
気まずい雰囲気のまま、彼の顔を伺う。
案の定、言われた彼は驚いて固まっていた。
無理もない。
そんなことを言われるだなんて、夢にも思わなかっただろうから……
「忘れたの? 私はあなたを裏切ったのよ……
優しくされる資格なんてない」
さらに彼を突き放すようなお言葉を吐き捨てる。
きっと彼は、幻滅するだろう。
「そんな事言わないでくれ」
だが意外にも彼は、私の言葉を否定した。
「確かに、貴女は僕を裏切った……
でも聞いたよ。僕のためなんだろ」
「母さんに聞いたの? 喋らないでって言ったのに……」
「僕が無理やり聞き出したんだ。 責めないでやってくれ」
申し訳無さそうな顔をする彼。
なんでそんな顔をするのだろう。
私が悪いというのに……
「それで?」
私は努めて感情を顔に出さないように、彼に語りかける。
「仮にあなたの為だったとしても、裏切ったのは事実……
裏切り者に、一体何の内容なのかしら」
彼を傷つける言葉しか言えない私に、うんざりしてしまう。
なぜ私は、こんな言葉しか言えないのだろうか?
しかし、彼は私の悪意ある言葉に意にも介さず、私の目をまっすぐ見つめる
後ろめたさに、思わず目をそらす。
「貴女に伝えことがあるんだ」
「へえ、何かしら?」
どうせなら酷い言葉を言ってくれればいいのに……
けれど彼は、そんな事は言わないだろう。
「僕と結婚してください」
愛の言葉とともに、彼は私に手を伸ばす。
その手を取りたい衝動に駆られるも、私はその手を取らない。
取ってはいけない。
「私、また裏切るわ」
「裏切らないよ」
「私は醜いの。あなたにはもっとふさわしい人がいるわ」
彼に背を向けて、拒絶の意思を示す。
彼から見れば、ひどい女に見えるはず。
心が痛むが、これは必要なことなのだ。
「そんなことない」
けれど、酷い仕打ちをしたにもかかわらず、彼は私を後ろから優しく抱きしめてくれる。
そんな資格、私にはないのに……
「優しくしないで……」
私は消え入りそうな声でつぶやくのだった。
「カーーーーーット」
🎬
「ごめんね、セリフとちっちゃって」
私は、相手役の俳優に頭を下げる。
本来あのシーンは、『優しくしないで』というのは最後だけ……
私は台本のセリフを間違ってしまい、おおいに彼に迷惑をかけてしまった。
もしかしたら許してもらえないかもしれない。
「大丈夫です。気にしてません」
けれど、彼は笑顔で私の謝罪を受け入れてくれた。
そのことに、心の底から安堵する。
「確かにびっくりしましたけどね。でも撮影がうまく行ったから結果オーライですよ」
「監督は『いい絵が撮れた』って大喜びだったわ」
「はい。それに僕も楽しかったです」
いたずらが成功した子供みたいに彼は笑い、私もつられて笑ってしまう。
「ああ、確かにアドリブうまかったわね。思わず飲み込まれそうになったわ」
「お褒めに預かり光栄です」
うむ、撮影の時の彼は、非常にイキイキしていた。
もしかしたら、私みたいにアドリブで有名な俳優になるかもしれない。
将来有望だ。
「ああ、そういえば」
と思い出したように、彼は私を見つめてくる。
「外、雨降ってますけど傘持ってます?」
「えっ」
天気予報は晴れだったはずでは?
傘なんか持ってきてない。
となると、近くでタクシーを捕まえて帰るしかない。
でも予想外の出費に頭が痛くなってくる。
「やっぱり、持ってきてないみたいですね」
私の考えていることはお見通しらしい。
「傘、貸しますよ?
折り畳み傘があるんです」
「そんな、悪いわよ」
「安心してください。2本あるんです」
「うーん、じゃあお言葉に甘えて」
私は差し出された折り畳み傘を受け取る。
これで濡れずに済みそうだ
「借りが出来ちゃったわね……」
「気にしないでください。
キレイな人には優しくするのが趣味なんです」
そう言って、彼は私にイケメンスマイルを向ける。
ちょっとトキメイてしまう。
そんな優しくしないで。
そんなに優しくされたら私、惚れちゃうじゃない。
5/3/2024, 1:06:23 PM