私の名はセバスチャン。
この家で働く、しがない老執事でございます。
もともと旦那様に仕えていたのですが、今は沙都子お嬢様にお仕えしています。
お嬢様がお生まれになった際、旦那様から教育係と世話係を任命されたのです。
それ以来、教育や食事の用意はもちろんのこと、お嬢様のお客様の対応も、私の仕事でございます。
今日も、ご友人の百合子様が遊びに来られたので、紅茶を出しておりました。
既に出していたティーカップを下げ、新しい紅茶を机の上に置きます。
「では私はこれで失礼します」
「ありがとう、セバスチャン」
「ありがとうね、セバスさん」
恭しく礼をして、部屋から退室します。
下げたティーカップを持って、廊下を歩きます。
考えるのは、ご友人の百合子様のこと。
沙都子お嬢様は、選ばれし人間です。
世界有数の大富豪の元に生まれ、それに相応しい人間になるよう教育を施されました。
人の上に立つための教育です。
ですが、それ故に孤独でした。
選ばれし人間であるがゆえに、対等でいられる友人がいなかったのです。
そんなお嬢様にもご友人ができました。
百合子様は一般家庭で生まれ育ったお方……
生まれの違いから恐縮する人間が多い中、百合子様だけは全く物怖じせずお嬢様に接します。
多少物を壊す悪癖があるのですが、問題ありません。
物は壊しても、また買えば良いのです。
しかし沙都子お嬢様の笑顔だけは、お金では買うことは出来ません。
笑う事がほとんど無かったお嬢様が、百合子様と話す時、ああも豊かな感情表現をされるとは思いもしませんでした。
本当に良い友人をお持ちになりました。
歳のせいか、涙腺がゆるく――
「おっと」
感傷に気を取られ、足元の注意もゆるくなっていたようです。
小さな段差に躓き、手に持っていたカップを落としてしまいました。
当然落としてしまったカップは、床に落ちてパリンと音を立てて割れてします。
「年は取りたくないものですね」
誰もいないからでしょう。
つい、独り言が漏れてしまいました。
私がこの家に仕えてから40年、まだ現役だと思ってましたが、そろそろ引退も考えねばならないのかもしれません。
持っていたハンカチを取り出し、破片を拾おうとした、まさにその時でした。
「あっ」
そこにいたのは、沙都子お嬢様の友人、百合子様でした。
「すいません、トイレに行きたかったんですけど……」
彼女は見てはいけないものを見たような顔で、気まずそうに私を見て――
いたのも一瞬のこと、すぐにイタズラを思いついた子どものように悪い顔となりました。
「ねえ、セバスさん。この事が沙都子に知られたら困るよね」
なんということでしょう。
百合子様は、私を脅すつもりのようです。
正直おどろきました
百合子様は、そんな事をするような方には見えなかったからです。
いよいよ人を見る目すら衰えたか?
本気で引退を考えようとした、その時でした。
「悪いんだけどさ、私の割った花瓶も一緒に隠してくれない?」
前言撤回、意外でも何でもありませんでした。
今日も、百合子様はまた物を壊されたようです。
そして、百合子様は、どうやら割ってしまったカップを私が隠すと思ったようです。
私は仕事中の不注意で壊しただけなので、報告書を出すだけなのですが……
百合子様もまだ学生なので、もしかしたらその辺りのルールを知らないのかもしれません。
しかしそれを考える前に、聞かないといけないことがあります。
「……百合子様、また壊されたんですか?」
「その、違くて、きれいな花だと思ってたら、転んじゃって、あはは」
相変わらず子どものような言い訳をするお方です。
それにしても、百合子様は遊びに来るたびに何かを壊していらっしゃいますが、他人ながら将来が心配です。
「セバスさんなら沙都子にバレないように隠せるでしょ?
私が隠してもすぐ見つけるんだよね。
なのでセバスさんに一生のお願い、バレないように隠して!」
私が何も言わないことを肯定取ったのか、百合子様は色々と残念なことを話し始めます。
なんだか、沙都子お嬢様の教育に悪い気がしてきました。
「セバスさんが割った事も、沙都子には秘密にするからさ。私が花瓶割ったことも内緒で。
二人だけの秘密ってやつです」
まさか秘密の共有を提案されるとは……
私が思っている以上に面白いお方のようです。
しかし――
「申し訳ありません、百合子様。
それはお約束できません。
私は、沙都子お嬢様に隠し事は出来ないのです」
「セバスさんもバレちゃうのか……」
私は『主従関係として嘘をつけない』と言ったつもりなのですが、百合子様は『沙都子お嬢様に見破られるから駄目』と受けとったようです。
勘違いされているみたいなのですが、訂正するほどのことでもないので黙っておきます。
「うーん、じゃあさ。
沙都子に絶対にバレないような隠し場所って無い?
こっそり教えて」
百合子様は、あくまでも隠し通すつもりのようです。
ですが――
「百合子様、隠す必要はありません」
「セバスさん、やっぱり隠してくれるの?」
「いいえ、違います」
私は百合子様の言葉をしっかり否定します。
その上で、百合子様の後ろを見ます。
私の目線に、百合子様は何かに気づいたのか、急にビクビクしだしました。
「そっか、セバスさんが忙しいなら仕方がない。
私はもう行くね」
「あら百合子、ウチの執事とのお話は終わったの?」
百合子様の体がビクッと跳ねます。
そして恐怖に引きつった顔で、恐る恐る振り返ります。
「あ、沙都子じゃん。どうしたの?」
「ええ、私もトイレに行きたくなって」
「そっか、じゃあ一緒に行こう」
「ええ、トイレに行くまでにお喋りしましょう。
セバスチャンと何を話していたのとか、何を秘密にするのだとか。
二人だけの秘密のお喋りをしましょう」
「ひえええ、バレてる。助けてセバスさん」
百合子様は、沙都子お嬢様に引きずられるようにトイレに向かわれました。
さすがに自業自得だと思うのですが、あまり他人事にも思えなくなってきました。
沙都子お嬢様と相談し、百合子様にメイド教育を施すべきなのかもしれません。
そうすれば、物に対する力加減を覚えて、物を壊さなくなるかもしれません。
かつての私のように。
私も昔、物を壊してはあんな風に旦那様様に怒られたことが懐かしい。
沙都子お嬢様と百合子様の様子を見て、しみじみ思うのでした。
「優しくしないで」
思わず口をついて出た言葉に、やっちまったと後悔する。
そんな事言うつもりはなかった。
けれど後悔先に立たず、過去は変えられない。
気まずい雰囲気のまま、彼の顔を伺う。
案の定、言われた彼は驚いて固まっていた。
無理もない。
そんなことを言われるだなんて、夢にも思わなかっただろうから……
「忘れたの? 私はあなたを裏切ったのよ……
優しくされる資格なんてない」
さらに彼を突き放すようなお言葉を吐き捨てる。
きっと彼は、幻滅するだろう。
「そんな事言わないでくれ」
だが意外にも彼は、私の言葉を否定した。
「確かに、貴女は僕を裏切った……
でも聞いたよ。僕のためなんだろ」
「母さんに聞いたの? 喋らないでって言ったのに……」
「僕が無理やり聞き出したんだ。 責めないでやってくれ」
申し訳無さそうな顔をする彼。
なんでそんな顔をするのだろう。
私が悪いというのに……
「それで?」
私は努めて感情を顔に出さないように、彼に語りかける。
「仮にあなたの為だったとしても、裏切ったのは事実……
裏切り者に、一体何の内容なのかしら」
彼を傷つける言葉しか言えない私に、うんざりしてしまう。
なぜ私は、こんな言葉しか言えないのだろうか?
しかし、彼は私の悪意ある言葉に意にも介さず、私の目をまっすぐ見つめる
後ろめたさに、思わず目をそらす。
「貴女に伝えことがあるんだ」
「へえ、何かしら?」
どうせなら酷い言葉を言ってくれればいいのに……
けれど彼は、そんな事は言わないだろう。
「僕と結婚してください」
愛の言葉とともに、彼は私に手を伸ばす。
その手を取りたい衝動に駆られるも、私はその手を取らない。
取ってはいけない。
「私、また裏切るわ」
「裏切らないよ」
「私は醜いの。あなたにはもっとふさわしい人がいるわ」
彼に背を向けて、拒絶の意思を示す。
彼から見れば、ひどい女に見えるはず。
心が痛むが、これは必要なことなのだ。
「そんなことない」
けれど、酷い仕打ちをしたにもかかわらず、彼は私を後ろから優しく抱きしめてくれる。
そんな資格、私にはないのに……
「優しくしないで……」
私は消え入りそうな声でつぶやくのだった。
「カーーーーーット」
🎬
「ごめんね、セリフとちっちゃって」
私は、相手役の俳優に頭を下げる。
本来あのシーンは、『優しくしないで』というのは最後だけ……
私は台本のセリフを間違ってしまい、おおいに彼に迷惑をかけてしまった。
もしかしたら許してもらえないかもしれない。
「大丈夫です。気にしてません」
けれど、彼は笑顔で私の謝罪を受け入れてくれた。
そのことに、心の底から安堵する。
「確かにびっくりしましたけどね。でも撮影がうまく行ったから結果オーライですよ」
「監督は『いい絵が撮れた』って大喜びだったわ」
「はい。それに僕も楽しかったです」
いたずらが成功した子供みたいに彼は笑い、私もつられて笑ってしまう。
「ああ、確かにアドリブうまかったわね。思わず飲み込まれそうになったわ」
「お褒めに預かり光栄です」
うむ、撮影の時の彼は、非常にイキイキしていた。
もしかしたら、私みたいにアドリブで有名な俳優になるかもしれない。
将来有望だ。
「ああ、そういえば」
と思い出したように、彼は私を見つめてくる。
「外、雨降ってますけど傘持ってます?」
「えっ」
天気予報は晴れだったはずでは?
傘なんか持ってきてない。
となると、近くでタクシーを捕まえて帰るしかない。
でも予想外の出費に頭が痛くなってくる。
「やっぱり、持ってきてないみたいですね」
私の考えていることはお見通しらしい。
「傘、貸しますよ?
折り畳み傘があるんです」
「そんな、悪いわよ」
「安心してください。2本あるんです」
「うーん、じゃあお言葉に甘えて」
私は差し出された折り畳み傘を受け取る。
これで濡れずに済みそうだ
「借りが出来ちゃったわね……」
「気にしないでください。
キレイな人には優しくするのが趣味なんです」
そう言って、彼は私にイケメンスマイルを向ける。
ちょっとトキメイてしまう。
そんな優しくしないで。
そんなに優しくされたら私、惚れちゃうじゃない。
私の目の前には、たくさんの服が並んでいる。
フリフリのたくさんついた、ドレスと見間違うかのようなカラフルな服の数々。
これは全て、私のために用意されたもの。
こんなに服を持っているなんて、まるでお金持ちのよう。
でも残念なことに、この服は私の物じゃないし、私もお金持ちでもない。
この服は親友の沙都子のもので、お金持ちなのも沙都子なのだ。
ではなぜこれらの服は、私のために用意されたのか?
「百合子、こっちの服を着てみて」
「分かった」
沙都子が、私に服を着せるためである。
沙都子はお金持ちの令嬢なんだけど、なんでも服のデザイナーになりたいらしい。
働かなくても生きていけるのに、働きたいなんて変わっている。
とはいえだ、いつも世話になっている親友の夢、ぜひとも叶って欲しい。
だから私は沙都子のために、服のモデルを買って出たのだ。
決して、沙都子の私物を壊したお詫びとかじゃない。
決して!
「じゃあ、こっちも」
「了解!」
「……」
まさに夢に向かって一直線といった沙都子だったが、その顔は暗い。
何かあったのだろうか?
「どうしたの、沙都子? 調子悪いの?」
「……あのさ、これ言っていいのか分からないんだけど」
「珍しいね、沙都子が言い澱むの」
「さすがの百合子も落ち込むと思うから……」
「そんなに!?」
聞くのが怖い。
でも聞かないと今晩眠れなくなってしまう。
深呼吸して覚悟を決め、沙都子に向き直る。
「大丈夫!心配しないで言って」
「それなら」
沙都子は気まずそうに、私を見る。
「百合子、太った?
前に測ったサイズで作った服が入らないわ」
「失礼な!成長期だよ!……多分」
沙都子の言う通り、ちょっとしょげる。
確かに最近食べてばかりだけど、太るわけないじゃん。
……体重計が怖いなあ。
「はあ、今日は駄目ね。全部作り直し」
「ゴメンね私の発育がいいばかりに」
「そうね」
おや、冗談のつもりだったのに、ツッコミが返ってこない。
どうしたことか?
本当に元気がないようだ。
やっぱり、沙都子のお気入りのマグカップ割ったのがいけなかったんだろうか
沙都子の誕生日に百均で買ったカップだったけど、大事にしてたからなあ。
……待てよ、割とぞんざいに扱っていたような気もする。
割る前からヒビ入ってたし、やっぱり違う理由だな
聞くか。
「ねえ、沙都子。 なにか悩みあるの?」
「ええ、デザインのことでね」
「相談に乗るよ」
「でも百合子はデザイン分からないでしょ」
「そうだけどさ、素人ゆえの着眼点もあるかもだよ」
私の言葉に、『ふむ』と言って考え込む沙都子。
「そうね。地味だな、と思って」
「地味とはなんじゃい」
「違うわよ。服の方が地味だなと思って」
「……ああ、そういうことね」
でもすでに派手だとは思うけどね。
フリフリたくさんついてるし。
でもきっとそういう話じゃないんだろう。
沙都子は不安なんだ。
だから、服にフリフリを過剰につける。
今までの作った服に違いを持たせたくて……
多分沙都子はスランプなんだ。
でもそれならば話は早い。
「じゃあさ、いつもと違う服を作ってみたらどう?」
「というと?」
「沙都子は可愛い系ばっかり作るから、カッコいい系を作ろうよ」
「それ、あなたが着たくないだけでしょ」
やっぱりバレたか。
沙都子はたまにカッコいい系も作るけど、圧倒的に可愛い系の服を作るんだよね
「まあ、正直に言えばね。
けど、いつもと違うものを作れば、違う視点が得られる――
らしいよ」
「『らしい』ね」
沙都子は呆れたように、ため息をつく。
「私、何か変なこと言った?」
「いいえ、百合子にしては有益な情報だわ。
可愛い系は好きだけど、たしかに拘り過ぎてたかも」
「うん、じゃあカッコいい系を――」
「セクシー系を作るわね」
「ズコー」
思わずずっこける。
「あら、あなたそんなリアクションも出来たのね」
おかしそうに笑う沙都子。
私も人生でそんなリアクション取るとは、夢にも思わなかったよ。
不本意だけど、元気出てよかったことにしよう。
「助かったわ、百合子。 いいものが出来そう」
「え?」
そう言うや否や、沙都子ははさみを取り出し、服を切り刻み始める。
足元には切った服の布で、カラフルな模様が出来ていた。
「待って待って、捨てるくらいならちょうだい。パジャマにするからさ」
「捨てないわよ。というか、コレ外出用の服よ」
「さすがにそれを着て外に出る度胸は無い」
フリフリつけるなって言ってるのに、どんどん増えるんだもんなあ。
「まあ、いいわ。今切ったのはね、捨てるためじゃなくて、スリットを入れるためよ」
沙都子は、持っていた服を私に見せつける。
その服は、胸元がぱっくりと開いていた。
「沙都子、セクシー系って、雰囲気セクシーじゃなくて、エロ方面でのセクシー?
これ『童貞を殺す服』ってやつでしょ、私は知っているんだ。」
「変な造語を作らない。まあ言いたいことは分かるわ」
造語じゃないんだけど……
私が文句を言う間にも、沙都子は他の服にもスリットを入れていく。
「ちょっと、セクシー系は私には早すぎると思うんですよね」
「大丈夫よ、こうしてスリットを入れたおかげで、服に余裕が出来たわ」
「さすがに切り込み入れ過ぎでは」
大胆に入れられた切込みで、動くのは楽であろう。
けど普通に下着が見える。
これは別の意味で外を歩けない。
おまわりさんの目線を集めてしまう。
「仕方がないわ、初めてだもの。
でもここまで違うものを作れば、たしかに何か見えてきそうだわ。
さあ、百合子、着るのよ」
こうして私の出過ぎた助言のせいで、私が着せられる服にセクシー系が加わることになった
着たくはないのに、沙都子に借りが多すぎるせいで断れない。
セクシー系の服は、童貞を殺す前に、私を(羞恥心で)殺してみせるのだった。
「君は楽園を超えた楽園――楽々園を知っているか?」
「あっ、出張から帰って来たんすね、お帰りなさい」
「……ただいま」
渾身のギャグをサラッと躱された。
うそだろ、これを言いたくて急いで戻って来たのに……
「なんか元気ないすね? 出張の疲れが?」
「お前のせいだよ」
文句を言うも首をかしげる後輩。
とぼけているのか、本当に気づいていないのか……
だが、しばらく考えても分からなかったようだ。
「残念ながら、何のことだか……」
「さっき、俺がいったギャグをスルーしたろ?」
「ギャグ?」
またも首をかしげる後輩……
くそ生意気な。
昔は可愛かったのに……
「会って最初に言った言葉! 聞いてなかったか!」
「ああ、いつもの変な独り言ですか……」
ギャグとして認識されていないだと!?
というか『いつも』って……
俺、タダのヤバい人じゃん。
「すいません、よく聞いてなかったので、もう一度お願いします」
もう一度ギャグを言えだと……
コイツ、どこまで俺を辱めれば気が済むんだ。
「いいだろう、今回は会心の出来だぞ、驚くなよ」
「はあ、期待してませんけど…… どうぞ」
「君は楽園を超えた楽園――楽々園を知っているか?」
「お疲れした」
「待てや」
逃げようとする後輩の方を、ガシッと力強く掴む。
逃がさねえからな。
「待ってください、先輩。 言い訳を!」
「いいだろう」
「どこがおもしろいんですか?」
「貴様ぁ」
「変わり身の術!」
殴ろうと咄嗟に拳を上げるが、シャツを身代わりにして逃げられる。
こいつ、ニンジャだったのか?
「楽園と楽園で、楽々園だろうが!」
「笑いのツボわかんないす」
くそ、この面白さが分からないとは。
仕事以外にも、笑いを教える必要があるようだ。
「ところで、なんで楽々園? 出張で何かあったんすか?」
「ああ、出張先の近くにその名前の駅があったんだ」
「へー、変わった名前っすね」
「少しは興味持てよ」
「と言われても…… 行ったことない土地なんで」
反応が薄い。
先輩の話はちゃんと聞けと言いたいが、それを言うとパワハラになるからな。
……さっきの暴力は、行使されてないのでノーカン。
「先輩の出張先って、たしか…… 広島でしたっけ」
「ああ。宮島にわりかし近いところだ」
「で?」
「『で?』とは?」
「いや、どんな感じかなと。 楽園要素ありました?」
「……」
「どういう意味の沈黙すか?」
「電車で通り過ぎただけだから分からん」
「話を振っといてそれっすか!?」
後輩は蔑むような目を俺を見てくる。
やめろ、そんな目で見るな。
「だが由来は知ってるんだぞ」
「『楽々園』の?」
「そう!」
少し興味が出てきたのか、後輩は俺の顔をじっと見た。
少しいい気分になりながら、由来を語る。
「昔――1936年のことだが、当時の私鉄が、旅客の誘致で遊園地が作ったそうだ。
遊園地のキャッチコピーは『電車で楽々行ける遊園地』。
それにちなんで『楽々園』となったそうだ」
「遊園地を!? 客寄せで!? 時代が違う……」
ちょっと後輩がびっくりしてる。
そうだろうな。
俺も驚いた。
「今もあるんすか?」
「いや、1971年に閉園した。
それなりに人は来たようだが、時代の流れだな。
今はショッピングモールがあるそうだ。
ちなみに町名も『楽々園』に変わった」
「へー、一つの駅にも歴史ありっすね……
とこで異常に詳しいすね。
行ってもないのに」
「wikipediaに書いてあった」
(作者注:上の解説はwikipediaを参照しました)
「感心して損したっす」
後輩はこれ見よがしにため息を零す。
やっぱ殴るべきか。
「それにしても諸行無常すね」
「だな」
一つの駅の記事から、歴史の盛者必衰を見るとは思いもしなかった。
「当時は楽園だったんすかねえ」
「こればっかりは当時の人間に聞かないとな」
「そうすね……」
後輩は神妙にうなずく。
「で?」
と思ったら、急に真面目な顔になる。
「『で?』とは」
「仕事が終わったら行ましょう、俺たちの楽園に」
と言いながら、後輩は何かを飲むしぐさをする。
「先輩のおごりで」
後輩はニヤリと笑う。
「金がない」
「知ってるんすよ。 出張手当、出たすよね」
「ち、把握していたか……
だが、ノリの悪い奴と飲んでもな」
「宮島には行ったんでしょ? 俺、その話が聞きたいす」
「……おまえ、そんなに宮島に興味あるの?」
「うす!」
後輩は元気よく、頷く。
本当に興味あるかは知らないが、そこまで言うなら仕方がない。
「よっしゃ、おごってやる。
そして教えてやるよ」
そして知るといい。
宮島は鹿の楽園だと言うことを!
後輩の驚く顔が楽しみだ。
ハロー。
私、須藤霧子。
どこにでもいる、今が一番大事な女子高生!
そんな私には秘密がある。
それは私は転生者であると言う事。
今朝の事なんだけど、ここが『パンと少女とファンタジー』というゲームの世界だと気づいたの。
別にそれだけだったら喜ぶんだけど、このゲームはバグゲーとして有名なの……
今朝だって遅刻しそうだったから、パンを咥えて転校生とぶつかって、その衝撃で吹き飛ぶという『ぶつかりバグ』が発生。
そして、そのまま教室の自分の席に着席したってわけ。
意味が分からない?
そうね、私もよく分からないわ。
バグに意味を求めてはいけない。
そして私の心中は憂鬱だった。
だって、このゲームには他にもたくさんのバグがあるからだ。
これからの学校生活どうなっちゃうのー(ガチ泣き)
◆
「よし、みんな揃ったなな、じゃあホームルームを始める」
私が勢いよく着席すると同時に、担任の号令でホームルームが始まる。
私のダイナミックな着席に誰も驚かない。
それもそのはず、この世界ではこんな事は日常茶飯事。
せいぜい『今日は災難だったねw』と友達に笑われるくらい。
なので、何事も無いようにHRは進行する。
「連絡事項の前に、転校生の紹介だ」
転校生の紹介!
このゲームのジャンルは乙女ゲー。
なので、『パンを咥えた少女が少年とぶつかった』ならば、『ぶつかった少年が転校してくる』のは自明!
だが残念ながら、ここはバグゲーの世界。
転校生はやってこない。
というのも『ぶつかりバグ』のとき、当たり判定の処理をミスって、私と同じように飛んでいったの。
世界のかなたに……
なので彼は学校に来ることは出来ないわ。
ないんだけど、転校イベント自体は発生するのよ……
代役を立てて……
そこまでやるなら本人をワープさせろよ思うけど、そうはならないのはこのゲーム。
しかも代役の人選がとんでもないの。
『ぶつかりバグ』が発端のこのイベントは頭が痛くなる展開になる。
だから正直もう帰りたいんだけど、椅子に根が生えたように動けない。
これがゲームの強制力?
バグゲーのくせに、そこだけは律義なことしやがって!
「入ってくれ」
私が逃げたがっていることも知らず、先生は転校生(?)を呼ぶ。
そこに入って来たのは――
「フハーハハハ、我は魔王。 下等な生物どもよ、我にひれ伏せ」
魔王であった。
意味が分からない?
大丈夫、このバグに遭遇したプレイヤー全員が首を傾げたから。
あまりにも突拍子もない展開に、『隠しルートでは?』と疑った人もいて、ゲームを解析したらしいのんだけど、純粋なバグと判明。
どうバグったら、こうなるんだろうね?
本来のイベントでは、主人公の私は『朝は気づかなかったけど、よく見ればイケメン』の彼にトゥンクするはずだったのだけど……
「ククク、ハーハッハ」
私を待っていたのは、百年の恋すら冷める展開だった。
転校生は、私のストライクゾーンのど真ん中だっただけに残念で仕方がない。
バグさえ起こらなければ、ロマンスが始まったのに……
バグさえ起こらなければ!
あとなんか、風に乗ってバラの香りもするね。
転校生が登場したときのバラのエフェクト、こういう意味だったのかと感心する。
なんで窓を閉めきった室内に風が吹くかは、考えても意味がない。
だってバグゲーだから。
「じゃあ、自己紹介を」
「思いあがるな、人間ども。 貴様らに名乗る名は無い」
「はい、ありがとう」
そこ流しちゃダメでしょう、先生。
クラスメイトも騒いでいるけど、『厨二病、初めて見た』といったもの。
まあ、突然『魔王だ』と言っても誰も信じんわな。
私が世の中の不条理を嘆いている時、突然魔王が私の顔を凝視する。
「須藤霧子、貴様を殺す!」
親の仇でも見つけたように睨みつける魔王。
「なんだ、須藤。知り合いか?」
「いいえ、初対面です」
前世ではゲームの中で殺し殺される仲でしたが、今世では初対面です。
ちなみにこのセリフ、ゲーム終盤の熱い展開の時の物。
間違っても、何も始まってない今に吐くセリフではない。
「ならちょうどいい。 須藤の隣の席が空いてる。 そこに座れ」
先生、冷静過ぎやしませんか?
彼、私を殺すと言ってるんですよ?
生徒の生命の危機ですよ?
嘘でもいいから、『生徒は俺が守る』って言ってくださいよ。
私が心の中で文句を言っている間も、魔王は私を睨みながら、ゆっくりと指定された席に移動する。
だが不思議なことに、空いているはずのその席はもう座っている人間がいる。
誰かって?
転校生です。
なんで座っているかと言えば、『それは転校生のための席だから』という他にあるまい。
ちなみにワープとかではないです。
最初からここに座っていて、今でもぶつかった転校生は飛んでいるし、なんなら『ぶつかりバグ』が無くてもここにいる。
何が言いたいかと言うと、この世界に転校生は二人いるってわけ。
別に伏線とか設定とかはない。
純粋な(略)
開発チームは。本当にテストプレイしたのだろうか?
という訳で、魔王は指定された席を素通り。
そのまま、教室の扉の前まで移動する。
「貴様の顔、覚えたぞ」
捨て台詞を吐き、教室から去っていく魔王。
頭が痛いイベントも、これで終わり。
だが残念ながらこれは序の口。
他にも頭痛が痛くなるイベントが目白押し。
私の物語は始まったばかりだ……
ふと窓の外を見れば、世界を一周したのか、今も吹っ飛んでいる転校生が見えた
はあ、私も風に乗ってどこかに行きたいな……
辛い現実を前に、私は妄想するしかないのだった