「貴方の今日の心模様は――
――曇りのち晴れ。
また、今日は雷予報が出ています。
ご注意ください」
腕にはめたスマートウォッチが、私の『今日の心模様』を予報する。
西暦20XX年、人類は簡易的にではあるがついに未来予知を可能にしたのだ。
予測なので外すことも多いけれど……
そういった科学の英知を、毎朝学校へ出かける前に聞くのが私の日課。
聞いたからと言って何ができるわけではないけれど、心の準備が出来るからだ。
それにしても今日の予報で引っかかることがある。
曇り予報についてではない。
あれは、今日体育の授業で長距離走だから、私の心は曇り模様なのだ。
問題は雷予報。
本当に雷に打たれるわけじゃない。
でもそれぐらいショッキングな事が起きるかも、という予報だ。
たしか、去年の夏ごろ雷予報だったが、海水浴に行ってクラゲに刺された。
最悪の一日だったのを覚えている。
『まあ、いいさ。所詮は予報。
過度に気にしないことが、楽しく生きるコツ』
と、うそぶく私でさえ、雷予報は聞くのも嫌なのだ。
けれど、私は学生、今日も学校に行かねばならぬ。
憂鬱な気持ちのまま、学校に向かう。
ここまでくると、曇りどころか雨模様だ。
だって、マラソンはあるし、雷予報は出たし、ホント学校に行きたくない……
そこでふと、私は名案を思いつく。
行きたくないなら、休めばいいじゃん。
このまま仮病使って休もう。
なんと甘美な響きか。
なに、雷予報が出て休む子は結構多い。
学校側も薄々気づいているけど、雷だからなあと、見て見ぬふりしている。
だから何も問題は無い。
休んでしまえば、雷に気を付けなくてもいい!
走らなくてもいいんだ!
その事実が私の心を晴れ模様にする。
よし、家に戻るか。
とUターンしようとした瞬間の事である。
「大丈夫ですか?」
急に声を掛けれれ、驚いて体が跳ねる。
「さっきから、動かれないので……
体調が悪ければ人を呼びましょうか?」
どうやら考え事をして、じっと動かない私を心配してくれたらしい。
「大丈夫です」
私は条件反射で答える。
もちろん体調は万全だし、もし悪くても自分の家はすぐなので、問題は無い
心配させて悪かったなと、声をかけてくれた人にお礼を言おうとして振り返る。
そこで私は雷に打たれたような衝撃を受ける。
そこにいたのは、私の推しのソウマくんだ。
ソウマくんは、若い世代から絶大な人気を誇る、今を時めくアイドルだ。
お忍びなのか変装をしているが、私の目はごまかせない。
「あの――」
「しー」
もしかしてソウマくんですか?
そう言おうとした私の言葉を、ソウマくんが遮る。
なるほど、確かに『ここにソウマくんがいる』と私が叫べば、人が集まり大騒ぎになると困るのだろう。
私は軽率な行為を反省する。
「実は、お忍びなんです」
ソウマくんは小さな声で囁く。
やはりお忍び!
そして騒ぎになるリスクを冒してまで、私を心配してくれたソウマくんはやはり天使であることを再確認する。
「大丈夫そうなら良かった」
ソウマくんは優しい顔で微笑む。
こんな顔を間近で見られるなんて、今日私は死ぬのか?
予報は何も言ってなかったぞ。
「僕はもう行くね」
そう言って去ろうとするソウマくん。
「待ってください」
「何か?」
思わず引き留めたけど、何も考えてない。
ただただ、ソウマくんともっと一緒にいたいだけだ。
どう考えてもいいわけが思いつかないので、そのまま思った事を口にする。
「……また会えませんか」
図々しいお願いだとは思う。
だけど、人生に一度クラスの幸運!
少し話して、『はい、さよなら』では済ませられない!
しかし肝心のソウマくんは、困り顔だ
しまった、図々しすぎて嫌われたか?
私はそんな不安に駆られるも、ソウマくんは急に真顔になる
「あの、これ内緒なんですけど」
ソウマくんが、私に顔をぐっと近づける。
近い。
顔が近い。
そしてすっと、近所の公園を指さす
「そこの曲がり角にある公園あるでしょう?
実は来週、そこでドラマの撮影があるんです。
お忍びなのも、それの下見でして……
もしよかったら、見に来てください」
ソウマくんは、ニカっと私に笑いかける。
「じゃあ、また来週」
「はい」
そういってソウマくんは去っていった。
今日はなんていい日だろう。
雷予報が出たので身構えていたけれど、とんだサプライズだ。
こういう事もあるんだな。
驚かせやがって。
私の心は晴れ晴れ澄み渡り、学校に向かって通学路をご機嫌に歩いていく。
長距離走?
どんとこい。
ソウマくんと再会の約束をした私は無敵なのだ。
意気揚々と私が歩いていると、スマートウォッチが急に起動した。
「一週間の貴方の心模様は――
――毎日、雲一つない快晴となるでしょう」
やっちまった。
私は手に持ったコーヒーを眺めながら、心中で呟く。
私はコーヒーが嫌いだ。
とくにブラックのやつが……
本当は別の物、たとえば紅茶とかがよかった。
コップを取る際、よそ見しながら取ったからである。
なぜコーヒー以外にも飲み物があるのに、よりにもよってなぜコーヒーなのか?
畜生め。
じゃあ交換してもらえればとなるのだが、それは出来ない。
今この屋敷にいる人間で集まって、重要な会議をしているから。
非常にシリアスな場面であり、とてもじゃないが『飲み物を間違えたから変えて(はーと)』なんて言えるわけない。
私は憂鬱な気分で会議を聞いていた。
「電話は駄目だ。スマホの電波も入らない」
「ここに来るまでの道が土砂崩れで通れなかった」
「車のタイヤがパンクしてる。 しかも全部だ」
お分かりいただけただろうか?
私たちは、いわゆる陸の孤島で孤立しているのだ。
しかも――
「そんな! じゃあ、助けに来るまで人殺しと一緒にいなきゃいけないの?」
「……残念ながら、そういう事になる」
この会話でお察しだろう。
私は、いや私たちはこの屋敷に閉じ込められた。
よりにもよって、人殺しと一緒に……
面々はこの窮地から脱出しようと、討論を繰り広げるが有効な打開策は出ない。
不毛な会議を聞きながら、やっぱり来るんじゃなかったと後悔する。
どうしてもと乞われ渋々来たのだが、こんな事になるとは……
どうしてこうなった……
「貴女は何か案がありますか?」
顔を上げると、イケメンが私を見つめていた。
よく見れば他の面々も私の事を見ている。
会議の面々は美男美女ばかり。
こういう場でなければ、眼福だと言って喜んだのだろうけど、今の私にそんな余裕はない。
「別に何も」
私は感情を込めず答える。
興味は無いから仕方がない。
殺人鬼などどうでもいい。
私の興味はただ一つ、目の前にある嫌いなコーヒーだけ。
「そうですか……」
私のぶっきらぼうな返事に、声をかけたイケメンは悲しそうな顔をする。
ああ、イケメンの悲しむ顔は綺麗なのに、なぜこんなにも気持ちが高ぶらないのか……
やっぱり、来なければよかった。
憂鬱な気持ちの中、もう一度私は持っているコーヒーを見つめる。
私は、今からこれを飲む。
たとえ間違いだとしても、手に持っている以上はこれを飲み干さなければいけない……
そういう運命だ。
私は、運命を呪いながら、意を決し、コップの中のコーヒーをあおる。
案の定、口の中にコーヒーの苦みが広がる。
やっぱり紅茶がよかったなあ。
周りの人間は何事かと私に注目する。
突然、何もしゃべらないヤツがコーヒーを一気飲みし始めたら、そりゃ見る。
私は視線の中、ゆっくりと、後ろのソファーに体を沈める。
ああ、やっぱりコーヒーは嫌いだ。
「あの、大丈夫ですか?」
さすがに心配したのか、イケメンが再び声をかけてくる。
でも。
「……」
私は問いかけに応えない。
そんな気分じゃない。
それに――
「あの」
反応のない事を不思議に思ったのか、私の肩を叩く。
私は返事をする代わりに、座ったまま、ゆっくりと、横に、体を倒す。
イケメンには悪いが仕方がないんだ。
だって、私は――
「うわあああ、死んでる」
――死んだのだから……
「カーーート」
🎬
「瑞樹ちゃん、今日も良かったよ」
「はあ、どうも」
監督にお褒めの言葉に、素っ気ない返事を返す。
「えっと、ゴメンね」
失礼な返答をしたにもかかわらず、申し訳なさそうに謝る監督。
私が不機嫌な理由の一つに監督に原因があるからだ。
「急にキャンセルされちゃってさあ。」
「分かってます」
私は本来、この撮影に参加する予定は無かった。
けれど、予定していた役者がドタキャンしたので、代役の話が私に回ってきたのだ。
本当なら……本当なら久しぶりの休暇を楽しむはずだったのに……
「あの、怒ってる?」
「いいえ」
もちろん嘘だ。
監督から『一生のお願い』とか、『ギャラ倍出す』とか、『あなたにぴったりの役』とか、『おしいい役だから』などのセールストークを受け、嫌々ながらもここに来た。
にもかかわらず、私の役柄は序盤ですぐ死ぬ『いつも不機嫌そうな女性』……
これが私にぴったりってどういう意味だ、コラ。
でも言わない。
なぜなら私は出来る女……
仕事に私情はもちこまないのがモットー。
「分かってます。仕事ですから」
「そんな冷たい事言わないでよ。 瑞樹ちゃんと私の仲でしょ?」
「はい、ただの監督と役者の、ビジネスライクな仲ですよね」
「だめ、怒ってるわ。準備してたお菓子持ってきて。なるはやで!」
監督がスタッフに呼びかけ、すぐに私の目の前にたくさんのお菓子が並べられる。
先ほどまで不機嫌だった私も、さすがに笑顔になってしまう。
目の前にあるのは、テレビでしか見ないような、お高いお菓子たち。
それがたくさんあれば、誰だって喜ぶことだろう。
「仕方ない。コレで許しましょう」
私は早速、そのうちの一つを口に放り込む。
うむ、うまい。
思わず、笑いがこみあげてくるほどのおいしさ!
「あの、瑞樹ちゃん、余計なお世話だけど、一つ言っていいかしら」
その様子を呆れるように見ていた監督が、口を開く
「ふぁに(何)?」
私はお菓子を頬張りながら返事をする。
「そんなにお菓子食べたら太るわよ。 役者は体形管理も仕事よ」
そんなこと言われなくても分かってる。
目の前のお菓子を全部食べれば、きっと太るだろう。
でも、それが何だと言うのか……
お菓子を口に入れるたびに、体中に広がる多幸感。
そして溢れる生きてる幸せ。
たとえ間違いだったとしても、この手が止まることは無い。
とある小学校の、とある教室。
その休憩時間、子供たちは自分の好きなように過ごしていました。
外で遊ぶのが好きで、外でサッカーをする子。
寝るのが好きなのか、机に突っ伏して寝ている子。
友達とおしゃべりするのが好きな子。
そして本を読むのが好きな子。
何の変哲もない休憩時間の風景。
そして休憩時間は元気いっぱいの子供たちも、授業となれば静かになります。
学級崩壊もなく、皆真面目に授業を受ける……
何の変哲もない一般的なクラスでした。
ですが、こんな平和なクラスにも、学校の先生たちが頭を悩ます二人の生徒がいます。
一人目の名前を、鈴木 太郎といいます。
容姿はこれと言った特徴は無く、物静かな印象を受ける、本が好きな子供です。
休憩時間はいつも本を読んでいます。
そして、『読書に集中するあまり、周りの事に気が付かないタイプ』でした。
何も知らない人間からは『大人しくていい子』と見られるこの少年……
実は、学校の行事を当たり前の様に休み、授業態度も悪い、超問題児なのです。
何度言っても反省せず、『あいつはもうだめだ』と先生たちも半ば匙を投げていました。
二人目の名前は、佐々木 雫《しずく》。
太郎とは違い、彼女は校則ギリギリまで制服を改造し、派手な印象を受ける、オシャレが好きな子供です。
休憩時間はいつも、友達とおしゃべりしています。
そして『おしゃべりに夢中になるあまり、周りの事に気が付かないタイプ』でした。
何も知らない人間からは『学校の風紀を乱している』と見られるこの少女……
実は、学校行事を率先して参加し、授業も真面目に受ける、超優等生なのです。
ですが何度いっても服装だけは絶対に改めず、『服装さえ直してくれれば文句は無いのに』と先生たちから嘆かれていました。
正反対で、一見接点のなさそうなこの二人……
物語は、雫が太郎に声をかけるところから始まります。
◆
とある日の昼休憩の時間の事でした。
「ねえ、タロちゃんタロちゃん、何読んでるの?」
「……」
雫は親し気に、太郎に呼びかけます。
ですが、太郎は読んでいる本に集中しており、全く気が付きません。
「おーい、タロちゃんー」
「……」
「ねえってば!」
「……」
呼び続けても太郎は身じろぎ一つしません。
このまま呼びかけても、らちが明かないと考え雫は、太郎の肩を掴み揺さぶりました。
「へ?え?何?」
太郎は驚いて、読んでいた本から顔を上げました。
「やっと気づいた。 何回呼んでも、気づいてくれないもん」
「え?ああ、ごめん」
太郎はよく分かりませんでしたが、とりあえず謝りました。
そして混乱しながらも、状況の把握のために声をかけてきた人間の顔を見ます。
ですがそれが雫だと気づき、太郎はげんなりしました。
というのも太郎は、雫とは出来れば関わり合いになりたくないと思っていました。
雫は容姿こそ太郎の好みでしたが、太郎はギャルが嫌いなのでした。
『ギャルのような陽キャは、自分のような陰キャを馬鹿にしている』と思い込んでいるのです。
太郎は卑屈でした。
「なんで、私の顔を見て嫌そうな顔をするの?」
「別に……」
ただし、太郎にはそれを直接言うほどの度胸はありませんでした。
「それで何の用? 佐々木さん」
「ええー、そんな他人行儀みたいな呼び方をしないで。
雫って呼んでよ、タロちゃん」
「へっ」
太郎はまたも混乱しました。
タロちゃんと呼ばれたこともですが、親しくない女子に名前呼びを要求されるとは夢にも思わなかった(妄想ではあった)からです。
『これがギャルか…… 距離感がおかしい』と、太郎は思いました。
もちろん思うだけで、特に何も言いませんでした。
要求を無視することにしました。
「それで何の用? 佐々木さん」
「雫って言って」
「……」
「雫」
「……雫」
「オッケー」
太郎は屈しました。
太郎は度胸も無ければ根性も無いのです。
「それで何の用? ……雫」
「うん、タロちゃんが何の本を読んでるのかなと思って」
3度目の質問にしてようやく答えが得られたことに、太郎は安堵しました。
太郎は読んでいた本の表紙を見せます。
「ありがとう…… うん、やっぱりこれアニメでやってるやつだよね」
「うん、これが原作」
「おおー」
雫は思わず感動の声を上げました
「小説好きなの?」
「うん」
「カッコいい」
「う、うん」
太郎は急に褒められて、照れてしまいました。
そして『これがオタクに優しいギャル!? 実在したのか』と勝手に感動していました。
太郎の中で、雫への好感度が爆上がりしていきます。
「ねえ、タロちゃん。コレの一巻持ってる?」
「家にあるけど……」
「貸して」
「やだ」
「おねがーい」
「やだ」
雫の渾身のお願い攻撃にも関わらず、太郎は断りました。
太郎は自分のコレクションを他人に触らせたくないタイプのオタクでした。
こんな時にだけ、太郎の意思の強さが発揮されたのでした。
そして太郎は代替案を提示します。
「自分で買えよ」
「無理。 ママからお小遣いもらえないの」
「そのたくさんのアクセサリーとか髪飾りは?」
「コレ? これはお下がりとか、貰いものとか…… お金無いから、貰いものでやりくりしているの」
「ふーん」
太郎は気のない返事で答えます。
正直雫のお小遣い事情には興味が無かったからです。
ですが、心の中に少しだけ同情する気持ちが芽生えていました。
同じ作品を愛するものとして何とかしてやりたいと思ったからです。
雫とは関わりたくない。
だけど、この小説もおもしろいから読んで欲しい。
太郎は心の中で葛藤した末、結論を出しました。
「分かった。 貸してやる」
「ほんと、うれしー」
雫は嬉しさのあまり、その場で飛び跳ねました。
雫の短いスカートがめくれそうになり、思わず太郎は目をそらします。
太郎は紳士なのです。
「一つだけ条件がある」
太郎の言葉に、雫は飛び跳ねるのをやめます。
「もう少し大人しめの格好をしてくれ。スカートも長くして」
「えー可愛いじゃん」
「派手な格好が苦手なんだよ」
「ふーん。まあ、いっか。タロちゃんに嫌われても仕方ないしね」
雫は太郎のお願いを受け入れました。
「あ、そうだ。 せっかくだから、私も言うね。
授業中に本を読むのは駄目だよ。授業はちゃんと受けましょう」
「いや、でも――」
「だめ」
「……」
「持ってきちゃいけないスマホを持ってるの、先生に言うよ」
「う、分かったよ」
太郎は、隠れてゲームをするため、先生に内緒でスマホを持ってきていました。
大事なスマホを没収されてはたまりません。
渋々ながらも雫の要求を飲むことにしたのでした。
こうして二人は、お互いに駄目なところを直すことを約束したのでした。
◆ ◆
その二人の様子を見ていた人物がいました。
香取 翔子という担任の教師です。
翔子は、この問題児二人をなんとか更生しようと頑張っていました。
ですが、頑張りに対してあまり効果が出ていないのが現状でした。
しかし、二人のやり取りを見て、自分が間違っている事に気が付きます。
過度の干渉はかえって反発され、成長の妨げになると……
そして教師があれこれ言わずとも、子供同士の交流で子供たちはお互いを刺激し合い成長すると言うことを……
途中で聞き捨てならないことが聞こえましたが、些事な事。
教師にとって、子供の成長は何よりも喜ぶべきことなのです。
翔子は感動でのあまり、目から雫を――もとい涙を流すのでした。
「おお、成功だ」
目の前の描かれた魔法陣が妖しく輝く。
昨日の晩から寝ずに作り上げたものだが、成功してよかった。
失敗などしようものなら、ベットで寝込むところだった。
徹夜して眠いからね。
そんなことを考えている間にも、魔法陣の光がどんどん強くなっていく。
目が開けてられないほど強くなり、思わず目をつぶる。
そして光が収まった後目を開けると、魔法陣の上に一人の男が立っていた。
その男は男の自分から見ても見問えるほどの美形であった。
文字通り、人間離れした美しさだ。
だが、姿かたちこそ人間だったが、頭に生えている角がその男を人間でないことを表していた。
「問おう、我を呼んだのは貴様か」
目の前にいる悪魔は、低い声で自分に問いかけてきた。
「そうだ」
俺は少しビビりながらも頷く。
ぎこちなかったと思うが、悪魔は満足したらしく話を続ける。
「よかろう。
では貴様の願いを叶えてやる。
だが、その代わり貴様の魂をもらう。
言え、何を望む!」
悪魔は仰々しく宣言する。
ここまでは予想通り。
あとは、前もって決めていた言葉を言うだけだ。
深呼吸して決意を固める。
「何もいらない」
「いいだどう。貴様の願いを叶えて――待て。
貴様何と言った?」
「何もいらないって言った」
悪魔は信じられない、といった表情で俺を見つめる。
「何もいらない……?
ではなぜ我を呼んだ。」
もっともな疑問である。
呼び出した俺には説明責任があるだろう。
「呼びたかっただけだ」
「は?」
悪魔が間抜けな声を出すが、無理もない……
だが、呼び出したのには理由があるのだ。
「実は昨日、悪魔がいるかどうかで娘と喧嘩したんだ。
いつもは俺が引き下がるんだが、黒魔術を信奉する俺としては引くことが出来なくてな……
こうして、悪魔がいるかどうかを証明するために、貴様を呼んだ」
悪魔は何も言わなかった。
驚きすぎて声も出ないらしい。
「と言うことで帰っていいぞ。
あ、その前に写真を……」
パシャとスマホのカメラで写真を撮る。
うむ、見てくれが美男子なだけあって、写真写りがとてもいい。
これなら、娘も悪魔の存在を――
「そんな訳があるか!」
悪魔は我慢できないとと言わんばかりに口を開く。
「我は、魂を代償に願いを叶える誇り高き悪魔だ。
呼んだだけ?
写真を撮るだけだと?
ふざけやがって」
悪魔は俺を殺さんばかりの目つきで俺を睨む。
思わず意味もなく謝りそうになるが、悪魔に屈するわけにはいかない。
「そこをなんとか、帰ってもらえないだろうか」
「黙れ。魂どころか何も得る者が無かったのでは、我も笑いものだ!」
悪魔が睨みつけてきて、思わずたじろぐ。
「貴様を殺して帰るのも簡単だが、我にもプライドがある。
何が何でも願いを叶えて魂を貰う!」
「俺は絶対に願いを言わない。さっさと帰れ!」
「……それが望みか?」
「それはノーカン!」
悪魔と言い争いをしていると、突然部屋の扉がノックされる。
「ねえ、父さん。そろそろ出てきてよ、私が悪かったからさ。ご飯食べよう?」
娘の声だ。
なんとタイミングの悪い。
確かに娘に信じさせるため悪魔を呼んだが、会わせるつもりはない。
娘を危険な目に会わせては父親として失格。
ここは適当に言い含めて追い返そう。
と考えていると、悪魔が妙に静かなことに気が付く。
「ああ、そうか……
別に魂を貰うのは貴様じゃなくてもいいな」
「!」
こいつ、俺じゃなくて娘の魂を!?
何とか阻止しなくては!
だが俺が止める前に、悪魔は行動に移す。
「すまん、見せたいものがあるから入ってきてくれ」
なんと悪魔が俺の声と同じ声で、娘に入るよう促す。
「ちょ――」
「何?」
娘は何も疑うことなく部屋に入ってくる。
そして部屋に入って来た娘は、悪魔を見て目を見開いた。
「あっくんじゃん」
と、悪魔に対して、まるで友達に会ったかのような声を出す。
みれば悪魔も驚いている。
……どういうこと?
驚いている俺と悪魔をよそに、部屋を見回しながらフンフンと頷いていた。
「なるほど、謎は全て解けた」
娘は得意げな顔で推理を披露し始めた。
「あっくんが父さんが協力して、私に悪魔の存在を信じさせようとしたのね。
部屋に魔法陣書いて、色々小物を用意して、あっくんを悪魔に仕立てて……
残念ながら私とあっくんが知り合いだったから、計画は失敗したと……」
儀式用に用意したどくろのイミテーションを手に取りながら、娘は「手の込んだことを」と呆れたように笑う。
「まったく心配して損した。ほら、ご飯が冷めるからリビングに来てね。
あっ、あっくんもついでに食べていきなよ。
先行ってるから」
と、喋るだけ喋って部屋から出ていった。
俺と悪魔の間に、気まずい空気が流れる。
いたたまれない。
「知り合いなの?」
「はい、クラスメイトで、彼女と付き合ってます」
「え、付き合って……」
まだ新情報が出てくるの。
展開に付いて行けない……
悪魔は先ほどまでの勢いはどこへやら、ずいぶんと大人しくなっていた。
「あ、彼女には僕が悪魔だっていう事を黙って下さい。
彼女、悪魔の事信じていないので……
その代わり願いを一つだけ叶えます。
もちろん、魂もらいません」
「別に……」
今の気分で叶えて欲しい願い事なんてない。
しいて言うなら放っておいて欲しい。
だが俺の気も知らず、悪魔は食い下がってくる
「何でも言ってください。
彼女に嫌われないためなら、なんでもします……
あっ、もし足りないなら、願い事3つくらい叶えましょうか?」
「いらないいらない」
これはどうも、何かお願いしない限りは、引き下がらりそうにない。
だけど、なんにも思いつかな――
…あっ
ある、月並みだけど一つだけ。
これを言うのは恥ずかしいけど、でもいつかは言わないといけないことで、なら別に今でもいいだろう。
居住まいを正して、悪魔の目をしっかりと見据える。
「娘を幸せにしてやってくれ、他には何もいらない」
それを聞いた悪魔は一瞬キョトンとした後、
「絶対に叶えて見せます」
そういって満面のの笑みを見せたのであった。
カリカリカリ。
私は一人、無駄に広い部屋で勉強をしていた。
『勉強ではなく、他の用途に使った方がいいのでは? たとえばスポーツとか?』と思わせるほど広い。
ていうか、広すぎて落ち着かない。
この部屋で勉強は無理でしょ……
もちろんこんな大きい部屋、自分の部屋ではない。
お金持ちの友人の沙都子の家にある、たくさんある部屋の一つだ。
勉強嫌いの私が、沙都子のウチで勉強しているのには理由がある。
これは私が、沙都子の物を壊してしまった罰である。
つい先ほど、私が沙都子の部屋にあった皿を割り、『許してほしければ、この部屋で勉強しろ』と閉じ込められたのだ。
なぜ物を物を壊したことの償いが勉強になるなのか……
さっぱり分からないものの、全面的に私が悪い事だけは分かるので、沙都子の言うことに従うだけである。
だって私が割ったあの皿、1000万って言うんだよ。
口答えせず、勉強するのが吉である。
それにしても、こうして机に向かって勉強するのは何年ぶりだろうか?
私は勉強することが、大嫌いなのだ。
罰として、的確に私の嫌な部分を攻めてくる沙都子……
さすが我が親友だぜ。
とはいえ、とはいえだ……
なんとか勉強しないで済む方法は無いもんか?
もし学校の成績が良ければ、沙都子もこんな事を言わなかっただろう。
だって『必要ない』の一言で突っぱねられるもん……
「あーあ、もしも未来が見れるなら、テスト問題を予知していい点とるのに……」
「随分と余裕ね、百合子。 宿題終わった?」
沙都子がいい香りのする紅茶を持って、部屋に入って来た
「休憩にしなさい。根を詰めても効率は悪いからね」
「それ、勉強を強制させる本人が言う事?」
「あなたが勉強しないのが悪いのよ」
「別に私が勉強しなくても関係ないじゃん」
たしかに私は勉強が出来ない。
けれど、私が勉強できないというのは、百合子には全く関係のない事である。
だって私が怒られるだけだもの……
しかし、沙都子は私の言葉を肯定しなかった。
「関係あるのよ……
あなたが宿題忘れたり、テストで悪い点を取ると、先生が私に言いに来るのよ……
百合子が先生の言うことを聞かないから、いつも一緒にいる私に言うのよ」
「ああ、それでか……
先生が小言を言わなくなったぐらいに、沙都子が宿題宿題言いはいじめたのは……」
「先生から申し訳なさそうに百合子の成績の話をされて、代わりに謝る私の気持ちが分かる?
少しでも悪いと思うなら頑張って頂戴」
「やだ。
……いやゴメン、沙都子。
分かったから、勉強頑張るから、そんな怖い顔しないで」
ひええ。
冗談で言ったのに、今までに見たことないくらい怖い顔してた。
とりあえず、当分この件に触れないでおこう。
◆
沙都子が持ってきた紅茶を飲みながら、ガールズトークを楽しむ。
いい感じに盛り上がってきた辺りで、私はあることを切り出す。
「あのさ、さっきから気になったこと聞いていい?」
「どうぞ」
「この部屋の間取り、おかしくない?」
「おかしくないわ」
即座に否定が入る。
え、誤魔化すの!?
「いやいやいやいや。おかしいでしょ。
なにあの部屋の隅っこにある壁で区切られた謎の空間。
あんなの無視する方が無理でしょ」
沙都子は、私が指さした場所を見て、『ああ、そんなものもあったわね』と言いながら紅茶を飲む。
勉強の間、気にしないようにするのが大変だったのに、そんな反応なの!?
「教えるのを忘れてたわ」
「本当に? 忘れてたって相当だよ。 わざと言わなかったんだよね?」
だって工事現場で見る赤いコーンとか、立ち入り禁止って書いてあるんだよ。
気にしない方がおかしい。
「あそこはね、『沙都子ぶっ殺しゾーン』よ」
「なんじゃそりゃ!」
思わず突っ込む。
なにその頭の悪そうな名前の部屋は!
「なんでそんな部屋作った!」
「百合子が勉強をサボったら、『百合子ぶっ殺しゾーン』に連れて行ってぶっ殺すの」
「笑顔で怖いこと言わないで!」
これ本格的に勉強しないとヤバい奴だ。
私がガタガタ震えていると、沙都子は優しい笑みを浮かべた。
「安心して頂戴。 『百合子ぶっ殺しゾーン』は未完成なの」
「そうなの?」
「工事に難航してね。
あれも欲しい、これもやりたいってなったら、思いのほかやることが多くなったのよ。完成率は30パーセントと言ったところかしら」
どんだけ、私をぶっ殺したいのか……
話せば話すほど、事態の深刻さを理解する。
これ冗談抜きで、真面目にやらないといけない……
「沙都子は優しいね。私のためにそこまで考えてくれるなんて」
顔が引きつりながらも、沙都子を持ち上げる発言をする。
沙都子をいい気分にして、なんとか『ぶっ殺すのはやめよう』と思わせないと……
「あら、ありがとう。 私の百合子に対する思い、分かってくれたのかしら?」
「もう十分すぎるほどに……」
「せっかくだから『百合子ぶっ殺しゾーン』を見ていかない?
私が一生懸命考えた、百合子をぶっ殺すためのアイディアが詰まってるの。
疲れたでしょ?」
「大丈夫だよ。それより勉強しないとね」
そんなん見た日には、眠れなくなること請け合いである。
それにしても、勉強嫌いの私が勉強を言い訳に使わせるとは……
沙都子、恐ろしい子……
◆
休憩時間が終わってから、私は勉強に勤しんだ。
おそらく人生で一番勉強を頑張っただろう。
ちらちら視界に入る『百合子ぶっ殺しゾーン』が、恐ろしくてたまらないのだ。
あの部屋に入ったら、私はどうなるのか……
『もしも未来が見えたら』?
そんな仮定は不要である。
なぜなら、どう考えても碌な未来にならない……
私の未来は、私が決める。
あの部屋を使わせることだけは絶対に阻止する。
私は堅く決意したのだった。