古池や
蛙飛び込む
水の音
日本人ならみんな知っているであろう、松尾芭蕉の詠んだ俳句である。
恐らく今回の「寂しさ」というお題に相応しい文章であろう。
短い文で情景を浮かび上がらせて、寂しさという感情を抱かせる。
ここまで無駄がなく完璧な文もそうそう無い。
そしてこの俳句は、もう一つの寂しさを浮かび上がらせる。
そう自分の知識とボキャブラリーの寂しさである!
上の文章、なんか薄っぺらいって思っただろ。
その通りだよ。
この俳句のことを述べようとしても、あまり言葉が出てこないんだ。
別にこのの俳句の完璧さに打ちのめされたわけじゃない。
単純に知識とボキャブラリーが無いんだ。
背景を語ろうしとしても、意味以外の事なんて知らない。
松尾芭蕉のことなんてもっての外。
ていうか、俳句を詠むだけでどうやって生活していたのか、全く見当もつかない
褒めようにも、褒め方も褒め言葉も知らぬときた。
一応物書きなのに恥ずかしい限りだ。
これは人間としての引き出しの寂しさを明るみに出す、恐ろしい俳句だ。
これを読んでいる人も、多分そういう人が多いと思う。
なので巻き添えにした。
スマンが一緒に、自らの引き出しの寂しさに震えてくれ。
八つ当たりばかりも何なので、ネットで調べた時にプログで見つけた、興味深い解釈を紹介したいと思う。
最後に、忘備録も兼ねてここに引用する。
(下の文の下品というのは、当時は蛙は鳴かせるもので、「蛙を鳴かせずに飛び込ませるなんて、なんと下品な」ということらしいです)
“つまりこの句は「生命の無い白黒の世界」からはじまり、さいごは「みずみずしい生命あふれるフルカラーの世界」へと大展開を遂げているのです。
いま説明したように「古池や蛙飛び込む水の音」という俳句は「侘び」「雅」「下品」「寂び」が融合している。当時のひとからすると、一句のなかでさまざまなドラマがおきている。これが松尾芭蕉のすごさです。”
「考え続ける力」著者:石川善樹
「冬は一緒にいましょう」
「急に何?」
妻が唐突によく分からないことを言い出す。
妻とは半年前に結婚したばかりだが、こんな脈絡も無いことを言うのは初めてだった。
「説明してくれるか」
「はい、結婚してからは私が責任を持って家計を預かってまいりました。
締めるべきは締め、緩めるべきは緩め、質の高い生活を維持できていると思います」
「ああ、お前が手綱を握ってくれるおかげで、かなり助かってるよ」
実際俺は金勘定が苦手なので、かなりありがたい。
「それで何かあったのか?」
「はい。これまでは順調に貯蓄もでき、旅行に行くこともできました。
ですが、ついにヤツがやってきました」
「ヤツ?」
「冬将軍です」
「冬将軍…」
思わず言葉を繰り返す。
「ヤツがやってきたことで、暖房代で光熱費が高くなる季節が来てしまいました。
油断すると一気に家計は火の車です」
「なるほど。言いたいことが分かった。節約だな」
「はい。ですが必要以上の節約は厳禁です。
この寒い中、お金をを惜しんで暖房を使わないというのは文字通り自殺行為。
そこで暖房は使うが、二人一緒にいる事で効率よく温まり光熱費を節約する、という方針で行きたいと思います」
「そこで冬は一緒に、という話になるのか」
妻はコクリと頷く。
「分かった。お前がそこまで言うならそうしよう。
他には何かあるか?」
「特に理由がない限り他の部屋に行かず、極力リビングにいること。
こうすることで温める部屋が一つになり、節約になります」
「なるほど。だが寝るときは寝室に行かないのか?」
「リビングに布団を敷いて寝ましょう。寝室を使うと余分に暖房代がかかります」
「それもそうだな」
「ありがとうございます」
俺が納得したことに、妻は満足した様子だ。
「言い忘れていましたが布団は一つです」
「えっ、リビングには2人分敷く広さはあるぞ」
「布団を一緒にする事で、効率よく暖が取れて、しかも幸せになれます。
節約と私の幸せのため、ご協力お願いします。
冬の間はずっと一緒ですからね」
コクリ、コクリと船をこぐ。
今私は無性に眠りたい。
体育の授業の後の、暖房で温められた教室。
昼ご飯を食べて、昼寝をするにはよい時だ。
でも私は眠ることが出来ない。
原因は目の前で喋っている友人だ。
さっきから話したいことがあるのか、一方的に喋っている。
それはいい。
私だって一方的に話すことがある。
でも私の意識が飛ぶたびに、肩を揺すって起こすのだけはいただけない。
かけがえの無い友人の話の話だ。
姿勢を正して聞いてあげたいのだが、いかんせん眠たい
しかも話がループしていて、まるでお経を聞いている気分になる。
興味を惹かれないから、余計に眠くなる。
「聞いてる?」って聞くけど、なんで今の私が聞いていると思うのか?
眠るなと言うが、無理な話だ。
私達の年頃は食欲と睡眠欲が何よりも優先される。
ああ、また話がループした。
友人のとりとめのない話が、子守唄のように聞こえ眠気を加速させる。
その話のオチどこだよ。
早く終わらせてくれ。
息子が風邪を引いた。
昨日雪が降るほど寒い中、長時間外に出ていたのが原因なのだが、理由を聞いても「うるさい」としか答えない。
息子は理由を言わないが、大方察しはつく。
息子が友人とよくやってる勝負とやらに関係があるのだろう。
私達家族は年内に海外に引っ越す。
もう時間がない彼らは最後の勝負と称して、それを寒い屋外でやった。
そんなところだ。
高校生になって少しは大人っぽくなってきたと思ったが、まだまだ子供のようだ。
昔ならいざ知らず、今の時代に今生の別れはあるまいに。
いや、あの年頃は今生きている瞬間が全てなんだろう。
いやあ、若いっていいねぇ。
と、おかゆが出来たので、息子の部屋に持って行く。
ノックすると返事があったので部屋に入る。
眠たそうな息子におかゆを渡すと「ありがとう」と言われる。
ありがとう。
何年ぶりかに聞いた言葉だ。
思春期で、何かにつけてうるさいとしか言わない息子がありがとうを言うとは!
体調でも悪いのか?
と疑問に思ったが、そういえば今風邪をひいているのだった。
極力表情を変えないようにして、息子の顔を覗き込む。
いつも眉間にシワを寄せてカリカリしている息子も、今ばかりは穏やかな表情をしている。
風邪をひいたことで、怒る気力がないのだ。
そうやって穏やかな顔をすれば、可愛いのになあ。
というのは親のヒイキだろうか?
食べ終わって、皿を「ん」と言って渡してくる。
至福の時間は終わりらしい。
皿を受け取って、部屋を出る。
熱も下がってきたから、一眠りすれば元気になるだろう。
風邪が治ったら、あの可愛い顔を見られなくなってしまうだろう。
残念なことだ。
息子よ。
もう一度その可愛い顔を見たいから、また風邪をひいておくれ。
なんてね。
かじかむ手を擦りながら、白い空を見上げる。
雪はまだ降らなようだ。
俺は雪が舞う町の写真を撮るため、ここでその機会を待っている。
この地域は雪が降っても一瞬で止んでしまうので、シャッターチャンスを逃さないよう、ここで待っている。
長丁場なのを覚悟して、かなり着込んできたのだが、予想以上の寒さだ。
刺すような寒さに身を震わせながら、雪を待つ。
心の中の弱い家に自分が帰ろうと言うが、その度に頬を叩いて気合を入れ直す。
ここで妥協なんて出来ない理由があるのだ。
その理由とは、俺と友人との勝負だ。
どっちがキレイな写真を撮るかの写真勝負。
友人とは幼馴染で、何かにつけて勝負して遊んでいた。
その時の気分で勝負内容を決めていた。
写真勝負だって今回が初めてだ。
そして最後の勝負でもある。
友人はもうすぐ引っ越すのだ。
海外に…
海外に行ってしまえば、二度と勝負は出来ない。
年内に引っ越すので、これがタイミング的に最後の勝負になる。
今までの勝負は、毎回真面目にやってきたわけじゃない。
フザケたり手を抜いたりした事もある。
その度に怒られたが、向こうもたまにサボるのでお互い様だ。
でも今回は手を抜いたりはしない。
アイツと俺の最後の勝負が、最後の思い出が、いいかげんなものなんて、絶対に嫌だ。
だからこそ、俺は妥協しない。
予報ではそろそろ降るはずなのだが、まだ降らない。
雪はまだかと空を見上げると、少し遠くの方に黒い雲が見える。
あれが雪を降らせる雲かもしれない。
俺はスマホを取り出して、カメラを起動する。
雪が降る瞬間を逃さないように、空の様子に集中する。
恐ろしく寒かった空気も、今では全く気にならない。
黒い雲が少しずつ近づくのに比例して、遠くの景色が白くなっていく。
もう少しで、ここにも雪が降る。
チャンスを逃さないよう、じっと雪を待つ。