古池や
蛙飛び込む
水の音
日本人ならみんな知っているであろう、松尾芭蕉の詠んだ俳句である。
恐らく今回の「寂しさ」というお題に相応しい文章であろう。
短い文で情景を浮かび上がらせて、寂しさという感情を抱かせる。
ここまで無駄がなく完璧な文もそうそう無い。
そしてこの俳句は、もう一つの寂しさを浮かび上がらせる。
そう自分の知識とボキャブラリーの寂しさである!
上の文章、なんか薄っぺらいって思っただろ。
その通りだよ。
この俳句のことを述べようとしても、あまり言葉が出てこないんだ。
別にこのの俳句の完璧さに打ちのめされたわけじゃない。
単純に知識とボキャブラリーが無いんだ。
背景を語ろうしとしても、意味以外の事なんて知らない。
松尾芭蕉のことなんてもっての外。
ていうか、俳句を詠むだけでどうやって生活していたのか、全く見当もつかない
褒めようにも、褒め方も褒め言葉も知らぬときた。
一応物書きなのに恥ずかしい限りだ。
これは人間としての引き出しの寂しさを明るみに出す、恐ろしい俳句だ。
これを読んでいる人も、多分そういう人が多いと思う。
なので巻き添えにした。
スマンが一緒に、自らの引き出しの寂しさに震えてくれ。
八つ当たりばかりも何なので、ネットで調べた時にプログで見つけた、興味深い解釈を紹介したいと思う。
最後に、忘備録も兼ねてここに引用する。
(下の文の下品というのは、当時は蛙は鳴かせるもので、「蛙を鳴かせずに飛び込ませるなんて、なんと下品な」ということらしいです)
“つまりこの句は「生命の無い白黒の世界」からはじまり、さいごは「みずみずしい生命あふれるフルカラーの世界」へと大展開を遂げているのです。
いま説明したように「古池や蛙飛び込む水の音」という俳句は「侘び」「雅」「下品」「寂び」が融合している。当時のひとからすると、一句のなかでさまざまなドラマがおきている。これが松尾芭蕉のすごさです。”
「考え続ける力」著者:石川善樹
12/20/2023, 9:38:33 AM