小さい頃から頑張ることが好きだった
頑張っている自分が好きだった
頑張れば頑張っただけ、結果がついてきた
親も私が頑張る子だと思っていた
頑張って欲しいと願っていた
頑張っただけ上を目指せる子だと信じていた
大人になってもひたすら頑張った
頑張れない自分が嫌だった
ところが
いつからか、頑張っても頑張っただけの成果が出ないようになっていた
頑張りたくても頑張れない日が続くようになった
頑張れない自分は、自分でなかった
頑張れない自分は、もう必要なかった
ある日突然、私は壊れた
長い月日が流れた
時が私を癒してくれた
私の中に心地よい風が通るようになった
そして、
私は今心を解き放ち
風に身を任せて生きている
『風に身をまかせ』
「マジ、やべぇ 腹減った」
ここのところまともに食事にありつけていない
バイトも掛け持ちでやっているが、あちこちに返済すると手元には僅かしか残らない
家賃は当然払えず、アパートはとっくの昔に引き払った
友達の家を転々とし続けてきたが、最近は露骨に嫌な顔をされる
ただ風呂、ただメシなんだから、そりゃ当然だ
食事を抜いてでもスマホは何とか使い続けたかったが、それももう限界だった
何とか命を繋がなくてはと、無料で利用出来るパソコン目当てに今日は図書館に来ている
効率良くお金になる仕事…
「こんな俺でも流石に魂は売れないもんなぁ…」
と、閲覧を進めると
『あなたの時間と好奇心が役に立ちます』
『是非お力をお貸しください』
という見出しに目が留まった
時間が…という文句は良く見るが、そこに好奇心とあるところに、好奇心が湧いた
詳しく読んでみると、要は「記憶を売る」のだそうだ
まったく意味不明だったが、拘束時間は約半日
報酬は50万円とある
「これ、メチャクチャやばいヤツか」
と諦めかけたが、主催者を見ると
「未來健康研究所」とあり、場所は某有名国立大付属の病院となっている
「あぁ、治験かぁ」
治験なら学生時代に1度経験があった
貧乏学生だったから背に腹はかえられぬと参加したのだ
「試しに話だけでも聞いてみるか…」
掲載されていた住所は、その大学病院の敷地内にある離れにあり、古びたレンガ造りの建物はおよそ未來のことを研究している所には見えなかったが、半信半疑で中へ入ると一転そこは別世界だった
まるで宇宙人でもいるのでは?と思うほどありとあらゆる最新の医療器具が集結しているようで、その真ん中にはテレビで観たことのある手術用巨大ロボットが鎮座していた
「外の造りはカモフラージュだったのか!」と
思わず呟いた
受付には感じの良い女性が座っており、安堵した
ロボットが出てきたら、帰ろうかと思ったかも知れない
しかし、やはりそこは研究所
極めて機械的に説明が済み、まだ事情が良く飲み込めていない頭に質問が求められた
説明はだいたいこんな感じだ
「ここは人の記憶に関する脳の研究をするところであり、新薬の開発を目指していて
今開発中の薬に『記憶を消す』作用があるかどうかを試している」らしい
「その薬を服用して8時間後に脳にある刺激を与えて記憶の作用を検査する」というのだ
痛くも痒くもなく、ただ薬を飲み、ただ寝ているだけ
もし、成功すれば(記憶が消えれば)報酬は50万円、失敗してもお車代と食費が出るらしい
『記憶が消える』のは恐ろしいが、せいぜい数年分くらいらしいし、どうせ覚えておきたい楽しい記憶なんて最近ひとつも無かったから、むしろ消したいくらいだった
ダメでも食事にはありつける
正直、物事を深く考える集中力もエネルギーも俺には残っていなかった
迷うという思考も働かなかった
とにかくまともな食事がしたかった
すでに軽く震え始めていた指でペンをつまみ、どうにかサインした
渡された薬は、見た目普通のカプセルが数種類
それから軽い栄養剤と良く眠れる薬の入った点滴が腕に刺された
目が覚めると、そこは見たこともない病院の一室のようだった
分かっているのは空腹なことだけ
ぼんやりした頭で辺りを見回していると、白衣を着た男が部屋に入って来て聞いた
「気分はいかがですか?ここがどこだか分かりますか?
何故ここにいるか、分かりますか?」
はっ?俺は事故にでも遭ったのか?
その男も初めて会うし、こんな機械ばかりの部屋も知らない
「長い時間お疲れ様でした
大変参考になりました
御協力ありがとうございました
これはお約束の報酬です」
と、少し厚みのある封筒を渡された
一体何が何だか…
説明も無しかよ
ここはどこだよ?俺は何してんだよ?
『失われた時間』
子供は、特に幼い時期の子供は見たまま物事を見る
それが大人になるに連れ、見たいように物事を見るようになる
そこには見栄やら、意地やら、虚飾やら様々なフィルターがかかり、色の付いた心のレンズなどを通して見るようになり、自分に都合良く見ているにもかかわらず次第にその錯覚さえわからなくなり、本当にそう見えているかのように思い込んでしまう
子供の言うことにドキッ!とするのがその証拠だ
子供は見たままを言葉にするから、その本質をズバッと突かれて、ハッ!とするのだ
今更子供の頃に戻りたいとは思わないが、
せめて感性は子供のままでいられたら、忖度せずにいられたら、
それはある意味残酷な世界ではあるけれど、
ありのままの自分を受け入れてもっと楽に生きていかれるような気がする
子供のままの感性でいられたら、
自分の愚かさも素直に受け入れられるのだろうに
少なくとも今よりは…
『子供のままで』
産まれて間もない、顔を真っ赤にして全身の力の限りに泣く赤ちゃんを見てタイトルを付けるとしたら、私は迷わず『愛を、叫ぶ』とするだろう
まさに「愛の塊」である赤ちゃん
泣くことでしか自分の意思を伝えられない
泣くことは生きることそのものなのだ
生きるために母の愛を懸命に乞う
「私を愛して」と懸命に泣いて乞う
その「愛の塊」の叫びに母の愛がほとばしり、乳を出す
まだ見えぬ目で、その母を見つめ、母の乳と共にその愛でお腹と心を満たす
母もまた、その愛おしさに愛を育むのだ
あのけたたましいほどの『愛の叫び』は
一人では何も出来ない赤ちゃんに神が授けた最強の武器なのだろう
あの赤ちゃんの『愛を、叫ぶ』姿ほど強い愛の叫びを私は知らない
『愛を、叫ぶ。』
ある日会社の近くの交差点で信号待ちをしていると、肩にモンシロチョウが留まった
「へぇ~、こんな都会の真ん中にも蝶なんて飛んでるんだ!」
とちょっと嬉しくなった
無下に払いのけるのも可哀想な気がして、そのまま肩に留まらせておいた
次の日もまた次の日も肩にモンシロチョウが留まった
「この辺は生息地なのか?いつも同じ昼休みの時間だから腹空かしているのかもな」
と辺りを見回したが他に蝶の姿は見当たらず
、肩に留まるのも何故か僕の肩だった
丁度1週間目の頃には、蝶が肩に留まるのを心待にするようになっていた
ところが、翌日からパタリと姿を見せなくなった
少し残念な気もしたが、他所へ移動したのだろうと考えながらいつものカフェへ寄った
そこは昼休みの時間帯はいつも混雑していて、レジの列も長くなっている
視線を感じて振り返ると、隣の列の後ろの方から知らない女性がとても親しげににっこりと微笑みかけている
「あれっ?顔見知りだったっけ?」
人の顔を覚えるのが不得手な僕は、きっとクライアントの一人だろうと、慌てて頭を下げた
ようやく席を見つけてコーヒーをひと口啜ったタイミングで、先程の女性が
「ここ、ご一緒させて頂いても?」
と、柔らかいとても心地の良い声で尋ねてきた
「どうぞ、どうぞ」
と、少し動揺しながらも彼女を促した
何か話かけなければと
「お近くなんですか?」
と、取りあえずありきたりな質問をした
「ええ、この辺には良く来ています」
「じゃあ、今までもどこかですれ違っていたかも知れませんね!」
「私は毎日貴方とあの信号でお会いしていましたよ」
とその女性はいたずらっぽく笑った
それが彼女との歴史の始まりだった
『モンシロチョウ』