そして、…またここへ
日々の忙しさにかまけてその存在さえ忘れていたこのアプリ
昨日久しぶりの投稿をした
以前は夢中で次々と投稿していた頃を思い出し、良くもあんな事を書けたものだ…とまるで他人事のような遠い昔のような不思議な気持ちになった
心に何か迷いがある時、私はこれまでも文章を書くことでその迷いを客観的に眺める冷静さが心に戻り、救われて来た気がする
今明確な迷いがある自覚は無いけれど、体が栄養を欲するように心が書くことを求めているのかも知れない
またここで、気まぐれに気の向くままに書いてみようか…と思う
よろしくお願いします
『そして、』
使い慣れた料理の道具たち
着心地の良いお気に入りの普段着の数々
長年使い続ける中から選びに選んだ私を美しく変身させてくれる優秀なメイク道具たち…
庭を彩り季節の移ろいを教えてくれる可愛い花々
会えば挨拶を交わし合う昔馴染みのご近所さん…
テレビから流れてくる心を揺さぶる頑張る人々の笑顔や泣き顔
音楽プレイヤーから流れる耳に心地良いサウンド…
挙げ出したらキリのない幸せの欠片たち
これらが私の心を動かすのは、おそらくそこに「小さな愛」が宿るから
私の毎日はそんな「小さな愛」に溢れている
『tiny love』
雪よ降れ
どんどん降れ
私の心にとめどなく降り積もれ
いつしか心の奥底に折り重なるように鎮座してしまった忘れ去りたい記憶の数々を、
跡形もなく覆い隠しておくれ
そして清らかに平らかに
心を鎮めておくれ
雪よ降れ
しんしんと降れ
私そのものを風景の一部にしてしまっておくれ
「雪を待つ」
ススキ輝き
揺れる穂先に 蘇る
幼き日々の
遠い思い出
『ススキ』
意味があるか無いかなんて、それぞれがそれぞれの感覚で判断すればいい
その判断は他人によってされるものではなく、各々が自分の意思で判断すべきものだ
そもそも、事象ひとつひとつに本来意味なんか無い
それは、人々が後付けでその事象ひとつひとつにそれらしい『意味』と言われるものを充てがっただけのもの
一般論的に言われる『意味』を、何となくそんなものか…と捉えていることが実は案外多いもので、皆がそうだと信じている事に疑問を持つ自分を不安に思うことさえある
だから、他の誰もが無意味と捉えていることに自分が意味を感じることや、逆に誰もが意味を感じることを自分は無意味と感じたって一向に構わないし、それはむしろ自然なことなのだ
意味がないこと、と自分が捉えていることに関しては、「自分には意味が無い」と言う意味をそこに見出しているということだ
『意味のないこと』