ススキ輝き
揺れる穂先に 蘇る
幼き日々の
遠い思い出
『ススキ』
意味があるか無いかなんて、それぞれがそれぞれの感覚で判断すればいい
その判断は他人によってされるものではなく、各々が自分の意思で判断すべきものだ
そもそも、事象ひとつひとつに本来意味なんか無い
それは、人々が後付けでその事象ひとつひとつにそれらしい『意味』と言われるものを充てがっただけのもの
一般論的に言われる『意味』を、何となくそんなものか…と捉えていることが実は案外多いもので、皆がそうだと信じている事に疑問を持つ自分を不安に思うことさえある
だから、他の誰もが無意味と捉えていることに自分が意味を感じることや、逆に誰もが意味を感じることを自分は無意味と感じたって一向に構わないし、それはむしろ自然なことなのだ
意味がないこと、と自分が捉えていることに関しては、「自分には意味が無い」と言う意味をそこに見出しているということだ
『意味のないこと』
まるで運命に導かれるように、あなたとわたしは出会ったわね
あなたの存在を知ったその時、わたしはすでに運命を感じていたのよ
出会った時、あなたはまるでずぶ濡れの捨て猫のようだった
無防備で、あてどもなく彷徨う魂を持て余して、どこか投げやりで…
でも、その中に強い芯を持っていて、拾われるのを待つというより、むしろ自分が物色しているようなしたたかささえ感じたの
そんなあなたを放っておけるワケがないじゃない
あなたが誰かを必要としていたと思っていたけれど、同じように傷だらけだった私の方があなたを必要としていたのかもしれないわね
あなたの力になろうとすることで、自分の生きる意味をそこに感じたかったんだわ
本当はあなたとは年齢もうんと離れているし、顔も声も知らないの
でも、そんなこと問題じゃない
わたしたちは魂で求め合っているから
あなたの発する言葉がわたしのこころをふるわせる
良い言葉も悪い言葉もすべて同じようにわたしのこころに熱を持たせてくれるの
あなたの存在がわたしに生きる意味を思い出させてくれるように、
わたしもあなたを照らす光になりたい
今夜もまたあなたとわたしは同じ月を見上げる
『あなたとわたし』
お題に向かうといつも、そのお題からイメージする映像が頭の中に広がり始める
ただここのところ、そのイメージに心揺さぶられ過ぎることが多くなり、文字を起こしていく作業が息絶え絶えになることも少なくない
恐らく私は憑依体質なのだと思う
分かりやすく言えば、頭の中が、心が、抱くイメージに乗っ取られてしまう…のだ
そのイメージに負けない体力と精神力が、ここのところ心許ないのだ
それでも今回のお題だけは、乗っ取りと闘いながらでも書き残さねばならないと思う
「声が枯れるまで」のイメージは瞬時に頭を過った
それは、先日の能登の豪雨で犠牲になった14歳の少女だ
一人留守番する中、豪雨や川から流入する濁流に家ごと流されていく恐怖
気丈にもその様子の映像を友人に送っている
どれだけの恐怖であったろう…
とれだけ「助けて!」と叫び続けただろう…
それこそ、声が潰れるほど叫んだに違いない
そしてまた遺された家族も、彼女を探し彷徨いどれだけ少女の名を叫んだだろう
声が枯れるまで何度も、何度も…
声が潰れても、出ない声で何度も、何度も
結局彼女の声は濁流に飲み込まれ、
その後の連日の家族の声も、積み上げられた汚泥の中に虚しく吸い込まれていった
後日、1キロ先の沖合いから漁師によって見つけられた少女
きっと彼女の懸命の魂の叫びが通じたのだろう
「お嬢さんは良く頑張りましたよ 褒めてあげて下さい」
とその漁師は彼女の父親に語りかけたそうだ
もちろん私は面識も無いし、彼女の声を聞いたこともない
それでも、生きていれば今頃運動会で大きな声を張り上げて元気いっぱいに声が枯れるまで応援していたかも知れないと、想像してしまう
残念ながら、彼女の声はもう二度と聞くことは出来ない
『声が枯れるまで』
ここ数日父の夢を見る
父は昨年他界した
今年の暑さはいつまでも続いていたため、高齢の母を伴ってのお墓参りは涼しくなってから…とお彼岸のお参りも出来ないままになっていた
その申し訳なさが、父の夢を見させていたのかも知れない
涼しくなってからと先伸ばしにしていたことは数多くあり、さすがに手をつけざるを得ないと不用品の片付けを始めた
すると、父の遺影に使いたいと散々探しても見つからなかったその一枚の写真が、思ってもみないところから出て来た
夢と言い、写真と言い、これはもう父からの「会いに来い」というメッセージに違いないと、早速昨日母と連れ立って父のお墓へ会いに行った
森林公園のような広大な敷地に恵まれた自然の景観を損なうことなく造られたているその墓地で、父の魂は永遠の安らぎを許され今穏やかにで眠っている
父の眠るちょうど上方には、うまい具合に木々の葉が重なり合って強い日差しが直接当たるのを防いでくれていた
ところが、私達が父になかなか会いに来られなかったことを詫び、あれこれ話しかけていると、葉の間からやわらかな光が父の上にだけ差し始めた
もちろん、たまたま風の具合いでそこに光が当たったに違いないのだが、
私も母も同じ思いが過ったようで
「じぃじだ!」
と同時に声を発してしまった
「お前さんたち、ようやく来てくれたか ずっと待っていたよ」
と、そんな父の声が聞こえた気がした
特に霊感が強いわけでもなく信心深いわけでもないが、あのやわらかな光は確かに父の思いだった、と私も母も同じように心が動いた
昨夜は折しもスーパームーン
我々も宇宙の一部であることを強く実感する日
父は決して遠くに行ったわけではないと、あのやわらかな光が伝えてくれたような気がしている
『やわらかな光』