猫宮さと

Open App
8/18/2024, 2:46:39 AM

《いつまでも捨てられないもの》

3年前に闇の眷属に蹂躙された帝都だけど、軍の施設は利用価値が高いからかその被害を受けずにそのまま残っている。
ここは、そんな帝国軍の中にある一般兵向けのエリア。
あちらこちらで、制服を着た人達がバタバタと動き回る。
手に持つのは、箒に塵取り、バケツに雑巾、モップにはたきに大きな袋。

何でもここの建物内に害虫…いわゆる黒光りするアノ虫が大量発生したらしく、今は大掛かりな駆除作戦に行く前の大掃除の途中なのだそう。
ここには、彼と一緒に責任者と害虫駆除に必要な期間と予算の話し合いの為。
今はその話し合いが終わって、一般兵の宿舎に入っている。
無関係の私がなぜ一緒にいるのか。それは、

「いい機会ですから、一般兵の生活ぶりを見学してみませんか?」

と誘われたから。
…少し前に、私が兵士さんに手紙で呼び出されてホイホイ応じちゃったのに関係してるのかな?
あの時は話のほぼ出だしで彼が来たから、何の用事か結局分からなかったけど。

廊下を歩く兵士達が、彼を見ると立ち止まって敬礼する。
彼が労いの言葉を返し、私は軽く会釈をする。
通りがてら、廊下に出されている不要物や掃除中の部屋のいくつかを軽く検分する。
一部の兵士さんは、私と彼の顔を交互に見て青ざめている。
その様子に、

「あの、これ私がいてもいいものなのですか?」

と聞けば、彼は

「女性に見られても問題無いくらいまで綺麗になれば、害虫騒ぎも収まるでしょうから。」

と。厳しいご意見、ありがとうございます。
兵士の皆様方にはご心労お掛けしますが、ご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。

そして各部屋を見て回る。

ある部屋は。

「大量の薄汚れた肌着。」
「洗濯が億劫だったのでしょうか?」
「各自の洗濯の徹底を指示。」

彼は、手にしたメモに気付いた事を書き留めていく。

次の部屋は。

「袋詰めされたキノコ。」
「うわ、凄い。どこに生えていたのか…」
「…考えたくもないですね。」

寝具の天日干しを徹底、と彼のメモ書き。

そしてその次は。

扉の入口をバッチリ塞ぐくらいに、大量に積まれた本。

「! これは見ないように!」
彼の手に、急に両目を塞がれた。

「あ! ああ、なるほど。そういう本なんですね!」
突然触れられた驚きにどもりながら答えると、

「無理して平静を装わなくてもいいですから。」
と。平静を失ってるのは本のせいじゃないんですけど!

まあある意味お約束の展開を経て、また次の部屋に向かうと、一人の兵士が直方体の金物の箱を手に悩んでいた。

「お疲れさまです。どうしましたか?」
彼が声を掛けると、

「お疲れ様です! あの、冷蔵庫の奥にあったこれなのですけれど。」
と、敬礼をした兵士が、手にした包みを差し出してきた。

「かなり以前の物なので捨てるべきなのでしょうけど、異常も見られないし変な臭いもしないので、怖いもの見たさで食べてみたくなっていまして。」

「ふむ、これですか。」
と、彼は片手の平で支えられるくらいの箱を開けて中身を観察する。
箱の中身は、しっかりと油紙で包まれた、箱にピッタリと合うサイズの物だった。
私も覗かせてもらったけれど、微かに鼻を擽る洋酒の香り以外は感じない。包みを見る限り、カビとかもなさそうだけど。

「これの中身は何ですか?」

と、彼が当然の疑問を口にした。
それに、兵士が返事のお手本のような快活さで答えた。

「はい! 20年前のフルーツケーキです!」

「はあっ?!」

目を見開いて仰天した彼の声が、宿舎中に響き渡る。
まあ、普通はそうか。
でも…。

「…貴女は驚かないのですか?」

半ば呆れた様子の目で、彼は私に聞いてきた。

「はい。下拵えと保存状態がよければ100年以上は持ちますから。」

こちらの情報ではないけれど、私はそれを知っているから。

「軍用食の研究に使えると思いますよ?」

まっすぐに彼の目を見て答えると、彼は呆れていた目をきょとんとさせて、薄く口を開いて固まった。
ほんの少し眉間に寄せられた眉を見るに、今は入ってきた情報の整理をしてるところなんだろうな。

しばらくその様子を見つめていると、一瞬意識を私に向けた彼が、メモにペンを走らせていた。

「…そのフルーツケーキは、今すぐ軍の研究課に提出してきて下さい。」

そう言って、彼は自分のサインを入れたメモを兵士に手渡した。

「はい! 承知いたしました!」

その指示に従いフルーツケーキを急いで提出に走った兵士の背中を見ながら、彼は独り言ちた。

「…何でしょうか。なぜ不要物をいつまでも捨てられないものなのでしょうかね。」

うん。
真面目で規則正しくて、強い彼がその疑問を抱くのはよく分かる。
なので、私は自分の考えを口にしてみた。

「もちろん性格もあるのが大前提ですけど、精神的な疲労が溜まると捨てるかどうかの選択が既に辛いものになるのかな、と。」

これも、私が『持っている』知識。
それを聞いた彼は、驚きながらも思案を深めている目で私を見つめてきた。
その後、ふっと一つ息を吐いてまたメモを書いた。

「…兵士の精神状態に更に気を配るよう配慮しないといけませんね。」

よかった。
せっかく連れてきてもらったんだもの。この害虫騒ぎも、有意義なものになるといいな。
私は何かにホッとして、顔を緩ませた。

兵士の皆様、お疲れさまです。
これからも頑張ってくださいね。

8/17/2024, 3:16:20 AM

《誇らしさ》

邪神を倒した時。彼は、胸を張ってはいなかった。
自国の皇帝の暴挙により起こった、他国への侵略行為に対しての今後の処理。
闇の眷属に蹂躙され、荒れてしまった自国の復興。
祝いの席にいてなお、彼は傷付いた他者への配慮とそれに対する責任の重さをただひたすらに噛み締めていた。

それでも自ら荒れた地へ赴き、厭うことなく力仕事も行って、民への信頼を築いていったよう。
民に混ざって額に汗して働いていた彼は、それは明るい笑顔だった。

そして、3年後。
彼はそうして民からの信頼を得たからか、国政に就き帝国をまとめ上げていた。

自分は指導者になる自信はない。
以前そう言ってはいたけれど、野望は持たずひたすら国民に対して真摯な彼は、本当に良き方向に国を導いていたようで。

相棒の中からではなく初めてこの目で直接見た帝国は、まだ復興が進まない箇所もあるけれど、それでも人々の笑顔で溢れていた。
皇帝に支配された結果持ち上げられた者の驕りの笑いではなく、全ての人達の安心から来る幸せの微笑み。
黄金色の街並みから生まれる人の営みが生む煙は呼吸のようで、そこに穏やかな生活がある事を示していた。
それは、彼の導きがたくさんの人の心を救ったという確実な成果で。
気が付いた時、嬉しさで胸が一杯になって泣きたくなった。
ああ、彼は3年もの間、こんなに頑張っていたんだなって。

そして今、私は彼の隣で街を見ている。
夕焼けの光を浴びて輝く、黄金色の街並み。優しい風にそよぐ、営みの炎が生む煙。
切り揃えた髪を風に靡かせながら、彼は背筋を伸ばして街並みを見つめている。
日の光で赤く染まった彼の表情は柔らかく、眼差しは慈愛に溢れている。
その姿は彼自身も気付いていない誇らしさが滲み出ていて、本当に美しくて。
私は燃えるような赤い光とともに、その美しさを瞳に焼き付けた。

8/15/2024, 1:16:17 PM

《夜の海》

雲一つない、晴れた空。
そこにあるのは太陽ではなく、大きな白い月。
宵闇に包まれた穏やかな海は、空と同じ闇に染まりながらも、月の光を受けて昼間よりも一層輝いて見える。

わだつみ、三股の矛、老人、網…。
色々な姿を知っているけれど、ここの海は母の姿が相応しい。
掌に乗るようなものから建物のように大きな生き物、未だ生まれぬ目に見えぬものもいる。
全ての命が生まれ、そして還る場所。それが、この海。

目を閉じると、寄せては返す優しい波の音。
微かに湿った風に混ざる潮の香りを胸に満たすと、不意に泣きたくなってくる。
たくさんの事を、思い出して。

私は、森の宵闇の中で月の光を受ける泉に大きな縁がある。
だから、私の還る場所は、きっとこの海ではない。
それでも静かな波の音を聞くと、不思議な懐かしさに胸が痛くなる。

目を開き、ひとつ足を踏み出す。さくり、と足を伝わる砂の感触。
さく、さく、と足を進めていくと、そこは波の辿り着くところ。
靴を脱いで、さらに足を進める。
昼間と違い、少しひんやりとした濡れた砂。
ざあ…と足に潮水が被る。
昼の太陽に火照った足を冷ました波は、足元の砂と一緒に、月に煌めく沖へと還った。

もし、ずっと彼の隣に立てたなら、この砂のように私も一緒に還れるかな。
遠い未来に彼が必ず還る、この海の懐に。

8/14/2024, 10:44:44 PM

《自転車に乗って》

私は今、彼の漕ぐ自転車の後部に乗り、下り坂で思い切り風を切りながら。

『…………ひっ!』

……声にならない悲鳴を上げています。


事の始まりは、帝都の過去の技術を改めて見聞し体験しようという研究の一環。
輸送機器の中でも少人数用乗物担当の人達が、今普通に使われている宙に浮かんで走るタイプの乗物以前の物を復刻させてみようという事で、資料に残されていた自転車を数台作り上げたそう。
エンジンが付いていないとは言っても乗り物なので、当然正確に作ることが求められる。そこはさすが帝都の技術者。完璧だった。

ここまでなら、おお凄い、の一言ですむんだけど。
その担当の人達が嬉しそうに彼の元へやってきて、

「二人乗りも含めて安全性のテストは済んでおりますので、是非お試し下さい!」

なんて嬉しそうに試作品を持って来たのが、私の運の尽き。

機械文明が一番発達してる帝都で生まれ育った彼は、人力で動く乗り物にはさほど縁がなかった。
帝都は彼が生まれる直前くらいに機械技術の頂点を極め、乗り物はただの電動ならともかく地面から10センチほど浮いて走るタイプが主流。
比べて他国は逆に機械がほぼ導入されていないから、大使として赴任していた時はリヤカーなどの単純な作りの車両は見ていた彼。
そのせいか、人力の自転車という試作品に興味津津で。

「なるほど、ここがハンドル部分で、これを握るとブレーキが働くわけですね。」

などと技術担当の人達から説明を受けながら、彼は走行練習を熱心にしていた。
最初のうちこそバランス取りや速度の調整に苦心していたけれど、そこはさすが軍人として戦ってきた人。
持ち前の体幹のよさもあって、15分も経てばスイスイと乗りこなすようになっていた。

その時の様子は、まさに喜色満面。
幼い頃から家族に虐げられて、軍人として育てられてきたからかな。
大掛かりな軍用機や飛空船に仕事などで乗る機会はあっても、純粋に乗り物に乗って楽しむことはなかったんだろうな。
普段は真面目で堅実な彼が、時折スピードを上げたりしながら、笑い声さえ聞こえてくるくらい楽しそうで。

大人になってからでも、彼がこんな風に無邪気に楽しめて本当によかった。

私も嬉しくて頬を緩ませながら様子を見ていたら。

「そうだ。僕が漕ぎますから、後ろに乗ってみませんか?」

と、それはもう無邪気な笑顔で。

これを断れる私ではありません。ええ。
気が付けば即座に快諾し、スカートを巻き込まないようにしながら彼の座る座席の後ろに腰掛けておりました。

「ちゃんと掴まっていてくださいね。」

と言われたので、軽く彼の腰に手を回す。
う、初めてでドキドキする。

「では、行きますよ。」

そう言った彼は、ペダルに掛けた足に体重を乗せゆったりと発車した。

ふわ、と体重が移動する。
あわてて前に自分の体重を移動させる。
緩い上り坂もあるからか、ゆったりと走っていく車体。
緩やかに揺れる彼の背中。
少しだけ彼の背中を掠めた頬が、熱くなる。
身体の横をすり抜ける風が、少しずつ速くなっていく。
ドキドキしながらも重心の移動に気を付けていると、前から弾むような声が掛かった。

「バランスとか大丈夫ですか?」

ああ、凄く楽しそう。幸せだな。そう噛み締めながら、

「はい、大丈夫です!」

と答えたら、ふふ、と笑い声。

「ああ、ここから下り坂ですね。少し速度が上がりますのでしっかり掴まっていてください。」

え? はい?
坂道?

前が見えていない私は気が付かなかった。
今までは、緩やかだけど確かに上り坂だった。
上った先には、当然下り坂があるわけで。

彼は座席に腰を落ち着けると、ペダルから足を離した。

ここで、一つ。
私、実は絶叫マシン系が大の苦手でして。
そんな物があるわけがないこの環境。今までそんな話に私が触れているはずもなく。

重力に任せて下っていく、二人乗りの自転車。

そして冒頭のとおり、私は声なき悲鳴を上げることに。


い…いやーー!!
ちょ、ちょっと! ホント速過ぎるスピード落としてーー!!

多分、時速としては30キロ行ってるかどうか。
それでも、怖いものは怖いのよダメなのよ!!

恐怖に煽られて、無我夢中で彼の背中に力一杯しがみつく。
急に力を入れたからか、その背中からびくりと動きが伝わってきた。
何で驚いてるの。驚いてるのこっちだから!
ちょっと今はごめん必死過ぎて構っていられない!

坂道を下る速度と重力に耐えかねて、強く目を瞑って彼の背中にしがみつき続ける。
何も考えられなくなった頃、気が付けば乗っていた自転車はその動きを止めていた。

座りながら、とりあえず地面に足を着く。
自転車を漕いでいるのは私ではないにも関わらず、私の息はもう絶え絶えで。
心臓は、これ以上ないほどバクバク跳ねている。
言葉を悪く言えば、跳ね散らかすという表現がしっくり来るくらい。
こんな精神に来る思いは、どれくらいぶりだろう…。

私がそのままの体勢で呆然としていると、彼が申し訳なさげに話しかけてくる。

「あー…すみません。調子に乗り過ぎてしまいました。大丈夫でしたか?」

さすがに、ちょっとこれは。

「…あんまりだいじょばないです…。」

いつもは慎重に行動する貴方が!

子供か!
ジェンダー恐れず言わせてもらいます!
初めての乗り物を前にすると!
男は皆!
子供になるのか!

目を瞑ったまましがみついた腕に力を込めると、寄りかかったところと回した手からドクンドクンと早くて強い音が。
あれ? そういえば私がしがみついてたのは…?

目を開いて冷静になると、自分の行動のとんでもなさに仰天した。
慌てて身体を起こし彼から手を離そうとしたけれど、それは大きな手に包みこまれて叶わなかった。

「…本当にすみませんでした…。」

その囁くような声音は、しょんぼりしたから?
それとも…。

「…いいです…。」

どちらにしても、こう答えるしかなかった。
あなたには話せていないけれど、あなたの辛い過去も知っているから。
こんな行動も、いいです、と。

8/13/2024, 10:36:23 PM

《心の健康》

ある休みの昼下がり。
私と彼は、喫茶店でこの時期限定の白桃のタルトを食べていた。

サクサクに焼かれたショートクラスト生地の上に甘さ控え目のカスタードクリーム。そこにぷるっぷるに実った白桃が隙間なく乗せられて、艶出しのゼリーが塗られた上にはちょこんとミントの葉。
きつね色、黄色、薄ピンク、緑色と、目に入る色だけでも美味しそうなそれは、一口頬張ると新鮮なバターと小麦粉のサクッとした食感に卵とミルクの風味豊かな蕩けるクリーム、ジューシーな桃の爽やかな果汁と香りが口中に広がって。

おいしーい!

最高に幸せな気分でタルトを噛みしめる。
二人でこんな美味しい物が味わえるとか、もう幸せ過ぎる。
そのままちらりと目の前に座る彼を見れば、彼はリラックスした様子でアイスブラックティーを飲んでいる。
よかった。私が食べたいと言ったからここに来たから、私だけが楽しんでいたらどうしようかと思ったけれど、少なくとも寛いでくれているみたい。

ホッとしたところで、ふと思った事を口にした。
もちろん、タルトを飲み込んでから。

「あの、以前一人の時はどんな風にお休みを過ごしてたんですか?」

私は、セットで頼んだアイスオレンジティーを口に含んだ。バターと卵の風味に、オレンジの酸味と紅茶の仄かな苦みがよく合う。白桃の甘みも際立たせてくれる。

彼は口にしていたアイスティーをテーブルに置いて視線を下に向け、しばし考える。
スラリとしたラインの顎に、長い指を軽く握った手を添える。その拍子に、顔の横で切り揃えられた髪がサラリと揺れる。ほんの少しだけ開いている唇も形が綺麗で。

「そうですね。溜まった書類の整理や周辺諸国のマナーや文化の勉強、後は鈍らないように自宅で出来る基礎訓練といったところでしょうか。」

あ、あれ?
私、確かに今お休みについて聞いたよね?

「えっと…お休み、ですか?」

念の為聞き直すと、視線を私の方に向けられ、しれっとした様子で即答される。

「はい。慣れない国政を任せられた事もあったので、余暇も時間を上手に使おうと励んでましたね。」


休 み と は 一 体 。


うん。貴方を甘く見てました。
ある程度予想はしてたけれど、これは完全なるワーカーホリック。
私は、遠い目で虚空を見つめた。

それでなくとも真面目な彼は、幼い頃から家族に疎まれてた事もあって、休むのが習慣付いていないのかもしれない。気が休まらない環境で育つと、暗い思考に陥らないように色々詰め込みがちになるんだよね。
だから貴方の使う技には、無意識で鬱屈を晴らさんばかりの殴打の連続とかあったのよね。
分かってた。分かってたつもりだったけど。

ん?
じゃあ、今は?

以前もそんな風に休みも時間目一杯使っていたのに、今みたいに私の都合に時間使って大丈夫なの?
ストレス発散、出来てるの?

今更ながら気が付いた状況に、血の気が引く。
まさかこの分は今日の睡眠時間を削って、なんて状況じゃないよね?
ストレスも酷い事になってしまうかも。

私は、オレンジティーをことりとテーブルに置く。
申し訳なくて、視線をそのグラスの氷から外せなかった。

「ごめんなさい、もしかして足りない時間を割かせてしまいましたか…?」

正直、疲れている。もっと有意義に時間を使いたい。
頭に浮かんだ返ってくるであろう答えに怯えながら、聞いてみた。

すると、テーブルの向こうから溜め息が聞こえてきた。
私は、びくりと肩に力が入った。

「謝ることはありませんよ。最近はむしろ、時間が余っているくらいですから。」

「はえ?」

驚いて、勢いで顔を上げる。返事を噛んでしまった。恥ずかしい。
グラスの氷を見つめていた視線を彼に向ければ、くつくつと笑う彼の明るい表情。

「以前に比べて上手く気分転換が出来ているのか、最近はやたらと仕事が捗るんですよ。」

そう言って、彼は自分のフォークから白桃のタルトを一口含んだ。
端が上がった唇の中からは、サクサクとリズミカルな音が。
そして、こくりと動く喉仏。

「うん、美味しい。貴女の食べている顔から美味しいだろうとは思っていましたが。」

ふわりと微笑む彼の、ストレートな感想。
うわ、さっきの食べてる時の顔、そんな風に見られてたの?
なんかそう言われちゃうと、凄く恥ずかしいんですけど。

「ですから、むしろ色々な所に誘って僕の世界を広げてください。貴女と出掛けるのは、存外心地好い。」

返ってきたのは、予想外に嬉し過ぎる言葉に心に刺さる笑顔だった。
私、ほんの少しでも貴方の助けになってたんだ。

考えていた結果と真逆の感情で埋め尽くされて全く思考の回らなくなった頭では、声も出す事が出来ない。それなのに、頬の熱は一瞬で全身に回る。
熱を誤魔化すために冷たいオレンジティーのグラスを手に取って、私は必死に何度も頷いた。

Next