猫宮さと

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《夜の海》

雲一つない、晴れた空。
そこにあるのは太陽ではなく、大きな白い月。
宵闇に包まれた穏やかな海は、空と同じ闇に染まりながらも、月の光を受けて昼間よりも一層輝いて見える。

わだつみ、三股の矛、老人、網…。
色々な姿を知っているけれど、ここの海は母の姿が相応しい。
掌に乗るようなものから建物のように大きな生き物、未だ生まれぬ目に見えぬものもいる。
全ての命が生まれ、そして還る場所。それが、この海。

目を閉じると、寄せては返す優しい波の音。
微かに湿った風に混ざる潮の香りを胸に満たすと、不意に泣きたくなってくる。
たくさんの事を、思い出して。

私は、森の宵闇の中で月の光を受ける泉に大きな縁がある。
だから、私の還る場所は、きっとこの海ではない。
それでも静かな波の音を聞くと、不思議な懐かしさに胸が痛くなる。

目を開き、ひとつ足を踏み出す。さくり、と足を伝わる砂の感触。
さく、さく、と足を進めていくと、そこは波の辿り着くところ。
靴を脱いで、さらに足を進める。
昼間と違い、少しひんやりとした濡れた砂。
ざあ…と足に潮水が被る。
昼の太陽に火照った足を冷ました波は、足元の砂と一緒に、月に煌めく沖へと還った。

もし、ずっと彼の隣に立てたなら、この砂のように私も一緒に還れるかな。
遠い未来に彼が必ず還る、この海の懐に。

8/15/2024, 1:16:17 PM