《繊細な花》
ある日通りを歩いていると、ケーキのショーウィンドウの奥にある鮮やかな色彩が目に入った。
「薔薇の花…?」
厨房へも繋がる作業台に置くには少し相応しくはない物だなと疑問に思えば、女性の店員が出てきて説明をしてくれた。
「あちらは、ご贈答用の飴細工の薔薇なんですよ。」
何でもあの有名な菓子処で修行をしてきたらしく、この度新商品として売り出す為に製作中なのだという。
赤、白、黄色、ピンク、紫。実際にはあり得ない目の覚めるような青や虹色もある。
これは熟練の技術で作られたものだとひと目見て感心した。
細部に渡り作り込まれたそれは、一見すれば本物の薔薇の花だ。少し触れれば崩れてしまいそうな程薄い花弁のあれは、本当に飴で出来ているのか。
作り手の修行の成果が見て取れる、心打たれる物だった。
咲き誇る薔薇に見入っていれば、
「こちらお土産にどうでしょう?今なら新商品価格でお求めやすくなっておりますよ。」
と、店員が小気味良く売り込んでくる。
そうだな…と思い描くは、僕の帰りを待つ彼女の顔。
いつも笑顔で迎えてくれるけれど、今日はこの薔薇を見て驚き喜ぶ顔が見てみたい。
「では、これとこちらを貰えますか?」
二つの薔薇を指差し、お金を手渡しながら注文をする。
店員はお礼と共にお金を受け取り、奥から新しい飴細工を持ってくるとテキパキとそれらを箱に入れ包装する。
店員の仕事も手際が良いなと感心していると、
「お待たせしました。こちらは常温ですと日持ちがしませんので、お早めにお召し上がりください。」
と、綺麗な包装紙とリボンに包まれた箱を手渡された。
「ああ、ありがとうございます。」
この箱を開けた彼女の笑顔を思い浮かべながら受け取れば、
「…あ!申し訳ありません、少々お待ち下さい!」
そう言って、店員が店の奥に戻っていった。
少しの間待っていると、店員が同じ包装紙の細長い包みを持ってきた。
「こちらお客様へのサービスです。お土産とご一緒にお持ち下さい。」
見ればそこには、一本の赤い薔薇。サービス精神が旺盛過ぎではないか。
「これは!返って申し訳ない。ありがとうございます。」
恐縮のあまり礼を述べれば、店員は答えた。
「いいえ、お客様が初めてあの薔薇を買って下さいましたので。これがお役に立てますように。」
と何やら意味ありげな微笑み付きで。
さて、今日は一段と帰りが楽しみになった。
手には一本の赤い薔薇。そして箱の中には、優しい甘さの赤い薔薇と青い薔薇。
三本の薔薇を携えて、僕は心躍らせながら帰路に就いた。
《1年後》
大好きなあなたに闇に魅入られた者だと疑われたあの時、私は自分が死ぬ可能性もあると覚悟した。
私自身、自分が何者であるか断定出来ない。
その上、この身体の特徴。以前、闇の力に魅せられた人物にあまりにも似た髪と瞳の色。
かの人物が起こした騒動の為に、この世界は一度滅びかけている。
せっかく救ったこの世界を、あなたが見捨てるはずがない。
いえ、見捨ててほしくない。
懐に入れた人には甘くなるけれど、あなたには曲がらぬ正義への信念がある。
それを決して曲げてほしくない。
愛しい大事なあなたの一番大切な部分を守りたいから。
だから、私は満月に誓った。
私が闇の者ならば、あなたに裁かれたい。
その時は、迷う事なくその引き金を引いてほしい。
私の全ては、あなたの物。全てをあなたに委ねます。
そんな誓いを立てた、その1年後。
私は、またあの時と同じように頂へと向かう満月を見ている。
全ては、あの月のように綺麗に丸く収まった。
私の存在は、疑念を受けたものではなかった。
祝福。遥か古の昔よりの想いを紡ぎ、私は今ここに立っている。
ここへ辿り着き、あなたと出会い、あなたを救い、古の想いを受け取った。
そんな気の遠くなるような出来事が凝縮された、それでも尊いこの1年。
あなたはずっと、私を一人の人として扱ってくれた。
私の立場を考えればぞんざいに扱われてもおかしくないのに、ひたすらあなたは優しかった。
やっぱり、あなたは私の知っていたとおりの人だった。
義理堅く、正義に対する折れない信念を持ち、誰よりも優しく暖かい。
あの時、相棒の中から見ていた印象そのままの人だった。
ありがとう。本当の彼に会わせてくれて。
見上げた月に感謝を送れば、背後からかさりと足音が。
振り向けば、そこにはこちらを見ているあなたがいた。
月の光に照らされて、そこだけきらきら眩しく見える。
思わず笑顔で駆け寄れば、あなたは満面の笑みで優しく私の手を取ってくれた。
《子供の頃は》
ふと、昔話がしたくなった。
部屋の整理をしていたら出て来た懐かしい絵本。
机の上に置いていたそれを見て目を輝かせた彼女に、聞かれてもいない幼い頃の話をしてしまった。
今は亡き優しい乳母に教わった色んな遊び、歌、ものの見方、考え方。
本当にあの人からは大事なものばかり貰った。
両親が亡くなり物心付いた頃には兄姉から咎められ責められてばかりいたけれど、あの人のおかげで僕は大事なものを見失わずに生きて来れた。
そんな暖かい思い出をまるで引き出しから取り出しやすくするかのように、僕はぽつりぽつりと明るい思い出だけを彼女に語った。
話が一段落したその時、彼女が僕を見て囁くように聞いた。
「…辛くはなかったのですか?」
その眼差しには、溢れる気遣いと少しの悲しみが乗せられて。
「…いえ。優しい乳母のおかげで苦労はあっても心豊かに生きて来られましたから。」
ほんの少し鼻の奥がツンとしたのを堪え、微笑んでそう答えれば、
「そう…ですか。」
と、まるで彼女の方が今にも泣き出しそうな笑顔で言った。
僕は確かめたかったのかもしれない。
心優しく強いあの人は、僕の心の中で喪われずにいると。
何故だろう。彼女ならきっと話を聞き、心を掬い上げてくれる。そんな気がした。
彼女は、闇に魅入られた者のはずなのに。
そういえば、どうして彼女は幼少期の僕が苦しんでいた事を知っている風なのか?
《日常》
場合によっては事はかなり深刻だ。
初めの感想は、その一言に尽きた。
各地の長達からの陳情を纏め、議会にて議論を重ね、元老院からの承認を得る。
時には、その元老院から無用の圧力が掛かる。その対処にも毎度手を焼く。
それも闇の眷属に蹂躙されたこの国を救う為、と形振り構わず走り抜けてきた。
この数年というもの、日々これの繰り返しだった。
やり甲斐はあれど政敵からの妨害に疲弊を感じ、日々の色が失われつつあった時。
旅の仲間の中にかつていた相棒が現れたと知らせが入った。
しかしそこにいたのは、闇に魅入られし色を持つ少女だった。
薄く灰色を帯びた白銀の髪。紫がかった濃い赤の瞳。
それは、かつての旅路を思い起こさせるに充分なものだった。
このままでは仲間も騙される。
そう考えた僕は、自宅に彼女を住まわせ監視を行うことにした。
平和な日々がまた脅かされるかもしれない。しかし、その時は僕自身が始末を付ける。
更なる緊張が重なる中、監視生活は始まった。
彼女の行動を具に観察する。
仲間と言い争いになった僕を真っ先に庇う。
こちらの書物を読み込み知識の吸収に励む。
知人の両親の死に深く涙する。
満月へ僕に命を預けると誓いを立てる。
会話からは励ましと労りの言葉がするりと出てくる。
話しかければいつもにこやかに微笑む。
あまりの想定外の出来事が立て続き、酷く混乱している。
彼女の人物像が分からなくなってきた。
くるくると変わる彼女の表情からは、邪気は微塵も感じ取れない。
こうして日々を暮らしているうちに、不思議と毎日が穏やかに流れるようになっていた。
今日も、本部の私室で僕の終業を待つ彼女を迎えに行く。
いつものようにドアを開ければ、溢れる満面の笑みを湛えた彼女がそこにいる。
以前とは全く違う、今の僕の色鮮やかな日常。
《好きな色》
どこかのみどりのもりのなか、『ふしぎないきもの』がすんでいました。
『ふしぎないきもの』はキュイキュイなきながら、まいにちもりのあちこちをさんぽしました。
さやさやゆれる、たくさんのみどり。
あちこちにてんてんとさく、ちいさなしろ、あお、ももいろ。
あきがくると、そんなもりもきいろやあかにそまります。
そしてやがてくるまっしろいふゆのため、きのははおちて、やさしいちゃいろのつちにまざります。
『ふしぎないきもの』はいつもこうして、たくさんのいろをみてきました。
どれもきれいでだいすきないろばかりです。
だから『ふしぎないきもの』はあるくのがだいすきでした。
きょうもたくさんあるいたと、『ふしぎないきもの』はいずみのそばでやすんでいました。
そらには、まんまるおつきさま。
いっとうだいすきなきいろをみつめ、『ふしぎないきもの』はおもいました。
もりのそとでみるおつきさまは、どんないろだろう。
そうかんがえると、わくわくがとまらなくなりました。
もりのそとにでてみよう。
たくさん、いろんなところをあるいてみよう。
いろんなところのおつきさまのいろをみるんだ。
わくわくしながら、『ふしぎないきもの』はねむりました。
そしてつぎのひ、『ふしぎないきもの』はもりのそとにでました。
はじめてのせかいは、どんなところかな。
だいすきないろがふえるといいな。
ちいさなからだに、ちょっぴりのふあんとたくさんのワクワクをつめこんで。