どこからか飛ばされてきた赤いリボンの麦わら帽子が、穏やかな海に浮いている。
持ち主は、今頃悲しんでいるだろうか。
それとも、気がついていないだろうか。
誰かの夏の思い出が詰まったそれは、浅瀬に辿り着いた。すっかり緩んでしまった赤いリボンをカモメがつかみ、夏の青空をより鮮やかにして遠くへ消えた。
やがて浅瀬を赤いワンピースの少女が訪れた。彼女の泣き声が、波の音にのまれて消えていった。
車窓から、光る家々を眺めていた。
いや、それは半分嘘で、わたしの視線の先にあったのは車窓に反射した車内の人々の俯きだった。
彼らは誰かのために働き、誰かのために帰る。誰のために。何のために。
誰かのためになるのなら最終電車で帰宅することも厭わない。わたしには、その覚悟を持つ余裕はあるのだろうか。
光る家々は次第に減り、月曜日の夜が更けてゆく。
過去に興味はない。
タイムマシンが使えたらいつに行くか、というのは小学校の卒業文集での定番ネタだ。
日に焼けた卒業文集を手に取り、ページをめくる。
『好きな子に告白し直したい!』
『生きている恐竜を見たい』
『おじいちゃんにまた会いたい』
どうにも、過去が多いように思う。
皆、未来には興味がないのだろうか。それとも、未来があることを無意識に確信しているのだろうか。
『宇宙の終わりを知りたい』
小さく書かれたわたしの字は拙かった。
最後にわたしの名前を読んだのは、誰だっただろうか。いつだっただろうか。
半年前に母が送ってくれた葉書の宛名を見ながら、わたしが誰であるかを久方ぶりに認識した。夏至が近づいたら、また母は手紙を寄越してくれるだろうか。
母からの葉書が途絶えたら、わたしは何になるのだろうか。
ふと顔を上げると、"ペルシア産の猫の如く黄を含める淡灰色に漆の如き斑入りの皮膚を有している" 野良猫がこちらを見ていた。
昨日は納豆ご飯を食べ、白いTシャツにジーンズを履き、部屋の窓から海を眺めた。
では、おとといは、1週間前は、1ヶ月前は、1年前は…
鮮明に覚えている。
昨日と同じように生きていた。
わたしには、遠い記憶など無い。
近い記憶を惰性で繰り返しているだけだから。
生ぬるい海風を感じながら、わたしはまた冷蔵庫のドアに手をかける。中には納豆と卵があった。