真昼の小学校の前を通った時、どうやら徒競走の練習をしていたようで、あの音楽が聞こえてきた。
笛が鳴る。日傘越しの、そのまたフェンス越しに、数多の紅白帽たちが一箇所に集まるのが見えた。目がチカチカして、思わず目を逸らし歩を進めた。
いや、本当のところ、勝ったら天国、負けたら地獄、そんな無邪気さが集まった光景があまりにも眩しくて、思わず目を逸らしたかっただけなのかもしれなかった。
雨天の夜は空を見上げても暗闇があるばかりで、月も星も無くて、目に映る色も何も無い。
残念に思って下を向くと、街灯のあかりが濡れたアスファルトに反射して、アスファルトの上に真っ白な天の川を作っていた。車が通ったとき、アスファルトに反射したブレーキランプは赤い流れ星のようだった。
ボタボタと傘に落ちる雨音を聴きながら、この夜が続いても良い、と思った。
「起立、気をつけ、礼!」
「さようなら!!」
「はい、さよなら〜 今週末は冷え込むみたいだから、みんな暖かくして過ごすんだよ〜」
その週末は、例年より随分と早く、そして随分と多くの雪が降った。雪だるまを作って遊んだ。月曜日になったら、先生と一緒に雪合戦をするんだとワクワクした。
週が明けて、先生は来なかった。しばらく、ずっと、来なかった。1ヶ月後に回ってきた回覧板の中のプリントには先生によく似た人の白黒写真が貼ってあって、この辺りの地図に『異例の大雪、スリップ事故多発』という文が添えられていた。
あの日の帰りの挨拶にさようならではなく「またね」と言っていれば、先生と雪合戦できていただろうか。
小学生の頃に母とクラフト教室で作った貝殻のフォトフレームに入れるポストカードを変えようと思い、美術館に向かった。
みたい展示があるとか、年間パスポートの元を取りたいとかではなく、貝殻のフォトフレームのために美術館に行くのはわたしにとっては珍しいことではない。
貝殻のフォトフレームには今はゴーギャンのタヒチの女を入れている。次は何のポストカードにしようか。クールベの波なんかどうだろう。うざったい残暑にぴったりの色合いだ。
つらくなった時、わたしは決まって友人の遺した手紙を読む。友人がこの世界にさよならを言う前に遺してくれた言葉は、いつもわたしを救ってくれた。
「いつでも待ってるから。今までありがとう。」
ひとによっては嫌な言葉だと思うかもしれないが、いつでも帰れる場所があると思うと安心できる。
たくさんの土産話をするために、なんとか日々の生活を済ませてゆく。
そんなことを考えているうちに朝日は昇りきり、庭に棲みついた野良猫にまたねを告げ、今日もまた足を踏み出す。