眠りにつく前に
今日から3泊4日で雪山登山を計画している。朝から大きなリュックサックを背負って登山駅で彼を待つ。
「おはよう。久しぶりの雪山登山だから気をつけて行こう。」
彼と合流して登山道を入り登山開始だ。
始めは木々の生い茂るなだらかな道を歩いて行く。標高が上がるにつれて木の生えない森林限界となり、雪も増え雪山登山らしくなってきた。今日の予定は尾根を越えた先にある山小屋だ。山小屋までに険しい山道が続き、今日最後の難関となる。
「はぁ。はぁ。」
「もう少しで山小屋だから頑張ろう。」
彼の後ろをひたすら付いて行く。山小屋の影が見えてきた時、彼がバランスを崩し、細い山道から転げ落ちる。手を伸ばすが間に合わず、彼がズルズルと斜面を滑って行く。
慌てて、後を追い、5〜6メートル下がったところで彼が止まった。幸い雪がクッションとなり、大きな怪我ないように見たが、ここから、全身を打っているであろう彼を抱えてさっきの道まで戻ることは不可能に思えた。
「大丈夫?起き上がれる。」
「足は大丈夫だよ。でも寒いなぁ。雪が降ってきただろう。」
「え?雪は降っていないよ。」
どうしょう。混乱しているの。
「とにかく起きて。歩きましょう。」
彼を支え起き上がる手助けをするが、足に力が入らないのか立ち上がれず、「寒い。寒い」を繰り返すばかりだ。
そして、その言葉も徐々に少なくなり彼は動かなくなった。
「目を開けて!ねぇ!目を開けて。」
「誰かー。助けて〜。助けて下さいー」
「おーい。誰かいるのかー」
私たちが落ちた山道の方から声がした。
上を見上げて助けを求めるために大声を上げた。山道から降りて助けに来てくれたのは、山小屋のご主人とスタッフの方だった。予約してある私たちが時間になっても到着しないため探しにきてくれなのだ。
彼は救助ヘリで麓の病院へ搬送されたが、頭を打っていたため目を覚まさない。
あれから3ヶ月。
あなたが最後に見た景色は雪と泣き顔の私だったはず。そんなの悲しすぎる。
あなたが眠りに着く前にもっともっと話しがしたかった。こんな形で眠ってしまったあなた。早く目を覚まして。
そして、私の名前を呼んでほしい。
永遠に
皆様は亡くなられた後の世界をご存知でしょうか。人間誰しも悪行を犯せば地獄に行くことが決っております。
死ねば無となり、消えて行くから関係ない。それは都合が良すぎるというもの。自分が犯したことは自分で責任を取らなければならない。死んでからも同じこと。
さて、地獄の話しに戻りますが、地獄は全部で8つあり、その中で、もっとも大罪を犯した者は地獄の一番下層にある阿鼻地獄に落ちて行くのです。阿鼻地獄は落ち切るまでに2000年を要する深さにあり、四方八方からの永遠に続く、火炎に包まれ無限地獄と呼ばれています。
世の中、地獄の沙汰も金次第なんてこともありますが、地獄に行かないためには、日頃から良い行いをする。それでは無理です。人間が人に優しくするのは当たり前のこと。かと言って傍若無人に振る舞えば、地獄行きは決定。天国に行くのはなかなか難しそうです。
あ。勘違いしないで下さい。私は、宗教のたぐいではありません。私は阿鼻地獄で皆様を待っている鬼です。
阿鼻地獄は皆様にとっては良い所ではありませんが、我々鬼にとっては職場。
快適な職場となるように皆様に阿鼻地獄のことを少しでも理解していただきたく、はせ参じた次第です。
では、阿鼻地獄にお越しいただくことを、心よりお待ちしております。
理想郷
ここにお嫁に来て50年近くが過ぎたが、ここで生活できて本当に良かったと思っている。後悔なんてない。
夫と私は年が10才近く離れている。お見合い結婚で知り合い、この山間の小さな集落に嫁いできた。夫は年が離れていることもあり、大きな声さえ上げたことのない働き者の優しい人だった。町の工場に勤めていたが、庭でシャクナゲの花を育てるのが、趣味だった。
シャクナゲは赤、白、黄ピンクの色とりどりの大きな花が特徴だ。この大きな花房を作るためには、花が咲終わったあとに枯れた花を全て摘む必要があり、非常に手間がかかる。花を増やすにしても挿し木で増やすため、人の手が必要だ。それでも夫はシャクナゲを好み、毎年綺麗なシャクナゲを庭に咲かせた。
シャクナゲが庭一杯になるころには、友達や親戚、集落の人たちが花見にくるようになり、この庭ははシャクナゲ見にくる人たちの笑顔が絶えない場所となっていた。
そんな夫も2年前に病でなくなった。
病院で夫は家に帰りたがり、シャクナゲのことばかりを気にかけていた。
「皆が笑顔になれるあの庭は俺にとって理想郷だ。早く帰って手入れをしめやらないとな。シャクナゲが可愛そうだ。」
夫の最後の言葉だ。
懐かしく思うこと
実家を離れて都会で1人暮らしを始めて1年とちょっとが経つ。自炊も減り、1人で外食に行くことに恥ずかしさも抵抗もなくなっていた。
前は1人でレストランやカフェに入るとソワソワしてしまい、慌てて注文し、慌てて食事をするそんな外食だった。もちろん味わうなんてできるはずもなく、かえってストレスを感じる程だったが、最近は1人でもゆっくり味わって食事ができるようになった。私も他の客も自分たち以外には興味がないことに気づいてしまったからだ。
美味しく食事ができればなんでもいい。そんな感じだ
アパートに帰ってもあとは寝るだけで済むし今では外食の方が断然に楽だ。
そんな私のアパートに半年に1回くらいのペースで、実家から段ボール箱が届く。
送ってくるのは母だ。1人暮らしの娘を心配して送ってくるのだが、箱の中身は米、味噌、醤油、砂糖、塩、ティシュペーパーにキャベツ、玉ねぎ、じゃがいも、洗濯洗剤、などなど日用品ばかりだ。自炊を辞めた私にとってはちょっとだけ、本当にちょっとだけ置く場所なくて邪魔だと思うことがある。
ピンポ〜ン。
玄関のインターホンが鳴り、母の段ボール箱を抱えた配達員が立っていた。段ボール箱を受け取り、箱を開けるとやはり日用品。
はぁ~。
ため息がでる。
ん?
段ボール箱の奥にいつもは見ない紙袋と母の手紙が入れてあった。手紙をを開けると母の丸みをおびた文字が目に飛び込んてきた。
元気にしていますか。
こちらは、みんな元気です。ところで、納屋の掃除をしていたら昔に使っていたミシンが出てきたのでお弁当風呂敷を作ってみたした。お昼ご飯の時にでも使ってちようだい。体に気をつけて。
母より
お弁当風呂敷って。自炊もしないのに何を言っいるのか。弁当風呂敷を広げてみると正方形の布の端がほつれないように真っ直ぐ綺麗に縫われていた。確かに母は昔、ミシンでいろいろなものを使っていた。スカートや巾着、通学用のバック、運動靴入れ
何でも作れてすごい母だと自慢していた。
その母がただ布の端を縫っただけの風呂敷を送って来たのだ。
母の弁当風呂敷を見ていると小さい頃のことが懐かしく思い出され、知らず知らずのうちに涙が溢れてきた。
明日、家にかえろう。
母のご飯が久しぶりに食べたい。
もう一つの物語
歩く。歩く。歩かなければならない。こんな乾燥した大地にいつまでもいたら干からびてしまう。足元はサラサラとした砂で、足を一歩出すごとに砂が崩れて足に力を入れることができない。
力の入らない足で進んでも推進力は得られず、多くの距離を稼げないでいた。
砂漠を歩く俺たちに太陽は容赦なく強い熱を注ぎ、喉の渇き、体の渇きを徐々に感じてくる。水筒の水もあと僅かとなり、ますます焦りが湧いてきていた。
水の確保が急務だ。砂漠の中で生き残るためには水は必ず必要となる。GPSでオアシスを探すと2キロ程先に水辺があるのが確認できた。重い足を引きずり砂の上を歩く。1キロ程歩いたところで、行く先に大きな穴が見える。
蟻地獄だ。
ここのアリは人間ほどの大きさで、蟻地獄は全長で5メートル程だ。落ちたらひとたまりもない。
慎重に蟻地獄の際を歩いて行く。ふと見れば、蟻地獄の底にウスバカゲロウの幼虫が顔を出していた。アイツもでかい。人間をもエサとしてしまうほどだ。
こんなところで虫のエサになる気はない。ゆっくり、ゆっくり歩いて行く。
急に強い風が吹き俺たちは風に煽られバランスを崩す。
「お、落ちる。」
ぎゃあ〜。
真っ暗な空間に見覚えのある模様の天井が見えた。また同じ夢を見た。砂漠を歩いて行き、穴に落ちる夢。妙にリアルで暑さや足に当る砂の感じが生々しい。ここ何日も同じ夢を見る。体中に汗をかき、寝苦しさに耐えかねて起き上がる。水を飲みにキッチンに向かうため、部屋の扉を開けると砂漠だった。砂漠の向こうには蟻地獄が見える。また落ちるのか。
1つは現実。
もう一つの物語は夢。
どちらが現実でどちらが夢なのかわからない。どちらも現実でどちらも夢。夢は幻し、うつつと言うが、夢なら早く覚めてくれ。もう繰り返すのは耐えられない。