《やさしさなんて》
やさしさなんて、全ては偽善だと思う。
木の葉がかさりと風に揺れ、木々の隙間から温かな木漏れ日が差し込む中。
一人の少女は手持無沙汰に寝転んでいた。
体に刺さらないように柔らかく整えられた下草さえも、どうにも居心地が悪い。
まるで、世界が自分を赤子のように優しく包んでいるように思えた。
自分の母親は、この国の女王だ。
それもかなり独裁者で、気に入らなれば直ぐに首を刎ねる。
だから、だろうか。
この国の人間は、みんな。私にとても優しい。いつもニコニコとして、私が困っていたら、いや困る前に全ての困難を片付けてしまう。
……手持無沙汰だ。
私って、いったいなんのために生きてるんだろう。
だから、私はやさしさが嫌いだ。
やさしさなんて、なくなってしまえばいいと思う。
寝転んだ身体をうつ伏せにし、隠れて泣いた。
誰かの前で泣くことは許されてない。だって犯人探しがはじまって、誰かが勝手に死ぬのだ。やさしさによって。
私は一人で泣くことも叶わない。
……やさしさなんて、嫌いだ。
もう、こんな世界なんて、滅んじゃえばいい。
いっそ、死んで終わらせてしまおうか、いやそれだと私の死後に誰が悪かったかで誰かが死ぬことになる、それはダメだな……。
ふいに、ふわりと身体が浮いた。
「悪いな、嬢ちゃん。誘拐させて貰うぜ」
そんな声がして、視界がまっ白に覆われる。恐らく全身を布の袋か何かに包まれたのだ。
「俺に優しさを期待しないでくれ、俺はアンタの母親に両親の首を刎ねられたヤツでね……アンタに優しくしようなんて気持ちはこれっぽっちも持ってないから」
その言葉に胸がときめいた。
胸の鼓動が激しくなり、頬が熱く感じる。見えない状態で良かった。そう思う。
これが、これから二人で世界を巡って、笑ったり泣いたりする。
おっさんと小さな私の物語の始まりだった。
《夢じゃない》
予知夢、というものがある。
夢の中でみたものが現実になることだ。
私はいつの頃からだったかは記憶にないが、それを見続けていた。
まるで、現実と見間違うような夢、というのがあるだろう。
たとえば、学校に行って一日を終え、そして目が覚めてはじめて夢だと気がつくのだ。
毎日、毎日。私は明日の夢を見る。
それの事に私は疲れきっていた。
だが、ふと、視点を変えてみたのだ。
夢の中ならば、何をしても良いのでは?
現実で失敗すると取り返しのつかない事も、夢の中なら覚めれば元通りだ。
だから、私は夢の中で色々やった。
テストの内容を覚えたり、話したことのないクラスメートに話しかけてみたり、……好きな人に告白してみたり。
夢と現実の区別はシンプルだ。
2回目で無ければ、それは全て夢なのだ。
だから、だからこそ。
……相手に対して殺意が芽生えるような事を言われたとき、私は思ってしまったのだ。
これは1回目だ。こんなことは無かった。じゃあ、夢だ。
――じゃあ、殺してしまっても良いのでは??
そう、私は殺した。
だが、聞いてほしい。私は殺したいと思って殺した訳ではない。殺しても此処は夢の中だと思って、殺したのだ。
ねぇ、刑事さん。私の言っている意味が分かりますよね? ここは夢の中なんですよ。だってこんな事は一回目なんだから。
そういう私に対して、目の前の刑事は呆れたように肩をすくめた。
――ここは、現実ですよ。
――嘘だ。
夢じゃないなら、夢じゃないというなら、私はいったい……。
……だって、一回目じゃないか。
《心の羅針盤》
昔から要領が良かった。何事もそつなくこなした。特に秀でて優秀だった訳ではないが、大抵のことは基本より上をとれた。
自分が優秀だと自覚していた。
やる気のない冷めた眼差しで、何事にも熱中出来ず、ふらふらと普通に生きて行くのだろうと。
そう思っていた。あの子から、あの言葉を聞くまでは……。
夏の昼下がり、青い空と強い太陽の日差しがある。
あの子が苦悶の声をあげる。
あの子は幼馴染だ。いつも一生懸命で、努力家で、ちょっと空回りしたりする、お馬鹿だけど、可愛い子。仲間外れや一人の子を見つけたら、必ず声をかけて一緒にやろうよ!って声をかける子だ。
そんな彼女が言った。
くそー! 羅針盤ってなんだよ!? 方位磁針と何が違うんだよ!?
って。自分は笑った。いつも通りで微笑ましかった。
自分が、方位磁針は基本的な方位を知る事しか出来ないけど、羅針盤は方位磁針を組み込んだ航海や測量に使う道具で船なんかで使うんだよ。
するとあの子は言った。
それって持ち歩ける?
自分は首を傾げつつ、こう答えた。
うーん、船に取り付けるものだし、たぶん難しいんじゃないかな。
じゃあ、方位磁針の方がいいな。持ち歩けないの不便だし。
そう、あの子は言ったのだ。
そして、羅針盤の利点と書かれたプリントに、『方位磁針の方が持ち歩けて良いと思います』とどうどうと書いていた。
自分はなんだか、それを見て笑ってしまった。どこか肩がすく思いだった。
もしも、あの子と自分を方位磁針と羅針盤に分けるなら、間違いなくあの子は方位磁針で、自分は羅針盤だろう。
方位磁針であるあの子は、目的地が無くとも二本の足で東西南北を歩いて色々と探索したり発見したりして、自分だけの目的を見つける事が出来る。
自分は逆だ。あの子より色々な事が出来るのに、目的地がわからないと、どこに行けばいいのか分からず動けない。重いしでかいし気軽に動けない。能力の無駄遣い。押し入れに入ったいつ使うか分からない骨董品の壺や気分で買ったが使っていない釣具のようなものだろう。
いや、だった、だろう。
なんだか気分が良い。窓を見る。
澄んだ青空がどこまでも続いているように見えるし、なんだか風がからっとしていて、どこまでも飛んでいけるような気がした。
帰り、どこか寄ってアイスでも食べない?
そう聞いた自分に、あの子は満面の笑みで嬉しそうに大きく頷いた。
自分の『心の羅針盤』は、よくやく目的地を手に入れた。
それは『君を笑顔にする』こと。
こんな簡単な事も分からなかったなんて、自分って思ったより馬鹿だったんだなと、くすりとひそかに笑った。
【またね】
ああ、また駄目だった。そう思うのは何度目か。
万華鏡、というものを知っているだろうか。
三面の向かい合わせた鏡に囲まれ、その中を数多の色鮮やかな細工物が転がり、一種の一時しか得られぬ芸術、永遠には留めおけない芸術。
しかし、そのどの姿も美しく。されど、あのときに見た美しさをもう一度と願っても、なかなか実現されることは難しい。だが、どうして諦める事が出来ようか。一度手に入れたことがあるということは、得るのが不可能ではないと分かっているのだから。
今日もまた、自分は万華鏡を転がす。
『またね、消しゴムが無くなってたの』と、彼女はそう言った。
その後、彼女は『装飾された新しい消しゴムが机に置かれてたわ!』と喜んだ。
『またね、あの子に悪口を言われたの』と、彼女はそう言った。
その後、彼女は『あの子、お引っ越しするんだって!』と喜んだ。
『またね、お母さんに叱られたの』と、彼女はそう言った。
その後、彼女は『お母さん、死んじゃった』と悲しんだ。
なぜ?
居なくなって嬉しくないの? と聞いたら、真っ青な顔で首を振られた。
ふうん。また、間違えたかぁ。難しいなぁ。
『もしかして、あなたの仕業なの?』と彼女が聞くから。
『うん、そうだよ』というと、たくさん怒られた。
『なんで、こんなことするの!』と彼女が聞くから。
『だって、愛しているんだもの』と言った。
『あなたなんて嫌い!! 二度と顔を見せないで!!』
と、彼女がそう言った。
『うん、分かった』
と――彼女の首を絞めた。
息絶えた躯の前で、冷たくなりつつある体の前で、また否定された愛しい者の前で、何度目か分からない光景の前で、ただ彼女の頬を撫でた。
『来世でも一緒になろうね』ってそう言ってたのになぁ。
忘れてもいいのかもしれない。約束は時効かもしれない。
それでも、一度見た、万華鏡の美しさを、知ってしまっていたから。
――愛しているのに、こんなにも距離が遠い。
『またね』
自分はそう言って、己の首を刃物で掻き切った。
『次はあの子も覚えていますように』
もしくは……。
『次の自分は約束を忘れていますように』
《泡になりたい》
苦労が水の泡になる、とはよく聞くものだが、私の苦労は水の泡にはならなかった。
――だから、私が泡になるのだ。
水中から見上げる海面は、いつもキラキラとしていた。
波を揺蕩う光の反射で、又は夜空に散りばめたれた宝石のような星が輝くため。
だけど、あとにも先にも、私はあんな美しい光景は見たことが無かった。
まるで星の輝きを金糸に練り混んだような、それを一斉に海面にばら撒いて、キラキラと光り輝く黄金の天の川だった。
だから、私はそれに触れたいと思って……彼と出会う。
砂浜の上、金髪の彼が私に助けられたお礼を言った。
私は首を傾げながら、頷いた。ずっと一人で暮らしてきた私には、その感情はまだ難しかったから、
何度か会ううちに、どんどんと心が引き込まれて行くことに気づく。
笑ったときに口元に出来るえくぼ。どんなに手入れしても一房ぴょこんと立ち上がるアホ毛。まるで夕日を詰め込んだような美しい赤い瞳。そして、愛しい人の事を語るときの甘い囁き。
好きな人だと、幼馴染だと、領主の娘だと、初恋なんだと……色々と聞いた。だから、知ったときには遅すぎだ。
好きだなんて、これが恋だなんて、伝える気にはならなかった、なれなかった。
どんな病も治す『海の宝石』があれば、幼馴染で領主の娘である初恋の好きな人の病が治せるのだと。
泳げないカナヅチの自分はそのために、この海に来て探して居るのだと。
彼がそう言っていた。どこか寂しそうな目だった。途方にくれているような、諦めてしまっているような……目の前に宝物があるのに、自分には手に入らないと分かってしまったような、そんな顔。
それがどれだけ辛いのか、私はよく知ってる。だって、私もそうだ。
だからこそ、だからこそだ。
私は彼に『海の宝石』を差し出した。
いいの? と聞く彼に、いいの。と答えた。
ありがとうと本当に嬉しそうに涙を流す彼に、私は後ろで固く握った拳を隠しながら、ニッコリと意識して微笑を浮かべた口元で言った。
どんな彼女とお幸せに、と。
彼は、もちろんと、照れくそうに頬を染めながら大きく頷いた。
そんな事できないよ、君も居てくれないと。なんて言葉はやっぱり吐いてはくれなかった。
……当たり前だけど。最期だから、ちょっとは期待した、しても良いだろう、これぐらいは。
涙は出ない、出さない。それが、なけなしの私の矜持だったから。
その後、彼は海を離れて、渡り鳥から二人が結婚した事を教えて貰った。
あぁ、良かったと。あぁ、寂しい。が一緒になって襲ってくる。
もうよろしいですか? と声がした。
深い深海色の暗いローブを被って、深緑のわかめみたいな髪で顔を覆い尽くした、海の魔法使いだった。
私は、いいですよ。と言った。
取引をしたのだ。『海の宝石』を手に入れる代わりに、私が泡になることを。
惚れ薬なら髪の毛で済んだのに。そう悲しそうに口を曲げる海の魔法使いに、くすりと笑った。
それでは私の苦労が水の泡だわ。
だって、私が好きになったのは、好きな人のために足掻く、彼だったから。
私の苦労は水の泡にはならなかった。
――だから、私が泡になるのだ。
こんな清々しい気持ちで、泡になりたいと思った人魚は私が初めてでしょうね。
そう言った私に、海の魔法使いは苦々しく、そりゃそうだ。と肩を竦める。
そうしている間にも、私の下半身は泡となって消えていく。
ありがとう、と。私は最期に言えただろうか。
だから、私は知らない。
僕だって、貴女をずっと愛して居たんですよ、と泡をかき集めながら、咽び泣く者の姿を。
泡になりたい。
そう言って、自分の姿を泡に変えてしまったのを。