手放す勇気
私はずっと、
後悔に雁字搦めになっていた。
彼奴の気持ちも考えず、
酷い言葉を投げ付け、
私から彼奴との、
絆を断ち切った。
なのに、私は、
戻る事の出来ない、
過去ばかり振り返り、
未来に向けて、
歩き出す事が出来ずにいた。
人の悪意に傷付けられ、
身も心もボロボロだった君に、
手を差し伸べたのも、
他人を信じられずに、
独りきりで生きる君が、
何処か私に似ていたから。
だったのかも知れない。
そんな、自分勝手な私を、
君は信じ、慕ってくれた。
純粋で美しい瞳で、
私に微笑んでくれた。
君が居たから、
私は生きようと思えた。
君が居たから、
ここまで、頑張れた。
だが。
私の心の奥底には、
あの日、道を違えた、
彼奴の面影が、
ずっと焼き付いたままだ。
眠れぬ夜に、独り。
声にならない声で、
彼奴の名を呼ぶ。
そんなことは、
私には赦される筈がないのに。
私には、彼奴と過去を、
手放す勇気が無かったんだ。
月のない夜だった。
君は銀色の刃を手に、
彼奴への未練に苦しむ、
私の前に立った。
そして、綺麗に微笑んだ。
私の胸に、
君の手にした刃が、
吸い込まれた。
「もう、苦しまなくていいのです。
これで、後悔から解き放たれ、
貴方は、永遠に、
私のものになるのですから。」
そう語る、君の口調は、
余りにも穏やかで、
君の笑顔は、
余りに無邪気で。
私は、この時初めて、
君の想いを悟った。
暗転する視界。
消えていく痛覚。
弱くなる拍動。
だが、不思議と安らかだった。
過去を手放す勇気のない、
私の代わりに、
私の未練を断ち切ってくれて、
ありがとう。
これで…。
漸く、君と一緒に、
未来に歩き出せるね。
光輝け、暗闇で
冷たい闇が街を覆う深夜、
お前は、夜陰に紛れ、
私の部屋を訪れる。
ただ。お前の口付けと温もりを、
受け止めるだけ。
嘗てお前を傷付けた私には、
お前を求める資格など、
有りはしないのだから。
お前の温もりに抱かれて、
心の奥の想いが疼き出す。
それを必死に押し隠し、
お前が告げる愛の言葉に、
気付かない振りをする。
まるで、
過去に紡いだ絆など、
忘れたかのように。
溢れそうになる想いを、
懸命に、飲み込む。
そして、
熱を帯びたお前の瞳を、
避けるように顔を背け、
お前に告げる。
『光輝け、暗闇で』
…と。
夢を描けないと言うのなら、
せめて、この暗闇の中で、
私の事など、忘れて、
輝いて欲しい。
このままでは、
お前は、未来に向かって、
歩き出せないだろう。
過去に囚われ、
後悔に藻掻き苦しむのは、
私だけで、充分だ。
なのに、お前は、
何度も私を抱くんだ。
私の言葉には答えず、
熱く湿り気を帯びた口唇で、
私に何度も口付ける。
そんなお前の温もりの中で、
私は未練との狭間で藻掻く。
私には、拒めない。
だが、求められない。
お前と愛し合った過去も。
お前と戯れるだけの今も。
お前と共にいる未来も。
私には…。
お前と共に居る未来なんて、
赦される筈がないのだから。
酸素
私はずっと闇の中にいました。
残酷な人間に、
傷付けられ、捨てられ。
そして、忘れられ。
一人きりで生きてきました。
そんな私を見つけてくれた、
私に手を差し伸べてくれた、
貴方は、私の光。
私の全てとなったのです。
きっと。
貴方は酸素。
いずれ貴方は、
自身を燃やし尽くし、
消えてしまうでしょう。
そして。
私にとって、貴方は酸素。
貴方が居なければ、
苦しんで、苦しんで、
死んでしまうのです。
だから。
貴方を私のものにします。
誰にも奪われないように。
私だけのものにする為に。
そして…。
貴方が、貴方自身を、
燃やし尽くしてしまわないように。
ほら。
貴方から流れ出る命は、
こんなにも鮮やかな赤。
酸素を運搬する赤血球の朱色。
酸素を燃やす燃える炎の紅色。
…貴方の生命の赤色。
それは…。
全て私のもの。
私だけの貴方。
そして。
私は貴方のもの。
だから、
私も貴方の元へ……。
だって。
貴方が傍に居なければ、
私は苦しくて、
死んでしまうのですから。
記憶の海
残酷な人の悪意に晒され、
罵詈雑言の刃に斬り付けられ、
世間から爪弾きにされ。
私の存在さえ赦してはくれず。
そんな社会で、
必死に生きているのは、
貴方にもう一度会いたいから。
懐かしい想い出の風景の中。
微笑む貴方は、
今の貴方より少しだけ幼くて。
そっと手を伸ばせば、
届きそうなのに。
貴方は私の憧れで、
迷い旅の中の道標。
なのに。
記憶の海に揺蕩う貴方は、
触れる事が叶わなくて。
それでも。
悪意と憎悪渦巻く世間から、
逃げ出すように、
心だけ、記憶の海に浮かべば、
愛おしい貴方が傍に居てくれる、
そんな気がして。
私は少しだけ、
救われる気がするのです。
俺はずっと、
闇の中を彷徨っている。
それは、覚める事のない悪夢。
絶望と憎悪が吹き荒ぶ嵐。
そんな中で、
必死に藻掻いているのは、
君にもう一度会いたいから。
懐かしい想い出の風景の中。
泣きじゃくる君は、
まだまだ、幼かった頃の君。
そっと頭を撫でてあげた、
優しくて温かい記憶。
君は俺の宝物で、
暗闇の中の一筋の光。
なのに。
記憶の海に揺蕩う君を、
抱き締める事は出来ない。
それでも。
終わりのない悪夢の中で、
藻掻き、縋るように、
心だけ、記憶の海に浮かべば、
愛おしい君が隣で笑っている、
そんな気がして。
俺はちょっとだけ、
救われる気がしたんだ。