はじめまして
月のない夜、
まるで綺羅星の様な、
貴方を想います。
心を闇に囚われ、
灰色の世の中で藻掻き、
意思を殺して生きてきました。
なのに。
貴方の微笑みを、
はじめて見た、あの日、
世界に色が宿ってしまったのです。
「はじめまして」
あの日の言葉が、
いまだに胸を締め付けます。
只の挨拶には、
意味などなかったのに。
ですが、私には。
それが始まりだったのです。
貴方を見つめるたびに、
この痛みを伴う想いが、
静かに私を蝕んでゆきます。
貴方の幸せを、願うほどに、
私は透明になってゆくのです。
穢れ切った私には、
貴方を幸せにはできません。
それが、只の臆病だと笑われても。
この手にあるものが、
余りにも、頼りなくて。
だから、何も言えません。
何も言いません。
貴方を知らなければ、
こんなにも息苦しくなることは、
なかったのでしょうか。
それでも。
貴方に出逢えたこの痛みさえ、
貴方との想い出だからと、
私は、拒めないのです。
「はじめまして」
貴方に出逢った日の私に、
ひとつ、伝えられるのなら。
そのまま、目を伏せて、
振り返らずに歩きなさい、
そう、教えてあげたいのです。
またね!
今夜も儚げな三日月が、
何も言わずに傍にいた。
黙って、ただそこにいてくれる。
想い出の中の彼に、
少しだけ、似ている気がした。
焚き火のような、温もり。
ただ、それが欲しかっただけ。
きっと君も、
そうだったんだよね?
心の隙間に、
偽物の夜を流し込んで。
似たもの同士で、
恋人の真似事をしてた。
だけど。
君の目の奥にいたのは、
私じゃなくて、別の人。
名前しか知らない、
君の――本当の恋人。
君から微笑みを
返されるたび、
胸の奥がチクリと軋むけど。
それに気付かないふりをしてた。
君は「またね」って、
笑ってくれたけど。
それは、帰る場所のある人の言葉。
君とは違って、
どんなに戻りたくても、
私にはもう、
帰る場所なんてないんだから。
夜が深くなるたびに、
君の声は遠ざかっていく。
それが、やけに優しくて。
腹が立つほど、悲しかった。
君と私は偽物だったけど、
君のいないこの静けさだけは、
本物だったんだ。
きっと、君は
愛しい恋人の手を握って、
忘れていくんだろう。
この部屋の匂いも、
お互いの哀しみも、
私の温もりも――全部。
それでも私は、
言ってみせるから。
「またね!」って。
まるで、君のふりをして。
春風とともに
春風とともに、
花の香りが遠く揺れる。
忘れた筈の声が、
耳の奥に、微かに滲む。
瞼を閉じれば、
まだ、あの指先の温もりが、
この手に残っていて。
朧げな輪郭は崩れてゆくのに、
どうして、痛みだけは、
消えてくれないんだろう。
今、傍にある優しさは、
余りにも澄んでいて、
まるで咎の様に、胸を刺す。
覚えたばかりの温もりが、
心の空虚に触れる度に、
君の影が、静かに微笑む。
そう。
この腕にあるのは、寂しさの形。
忘れようと抱き締める度に、
君の名が、
心の奥に落ちていくんだ。
君が、誰かと手を取り、
見知らぬ春の光の中で、
幸せそうに笑っている姿を、
想像するだけで、
崩れてしまいそうになる。
それでも私は、
『私』を演じている。
幸せの仮面を纏い、
作られた微笑みを口元に浮かべ、
今日も、優しい春の陽を、
拒めずにいる。
春風とともに、
君の名を呼ぶことも叶わず、
この想いだけが、
春霞の空に、滲んでゆくんだ。
涙
ぽつりと涙が落ちる。
それは、何かを失う音。
涙は静かに、頬を伝い、
誰にも気付かれずに、
夜の底へと還ってゆきます。
貴方が笑い掛けてくれた日を、
まだ、覚えています。
余りにも、優しくて。
でも、とても脆くて。
だから。
欲しくなってしまったのです。
貴方の全てを。
呼吸も、声も、
血の温もりさえも。
愚かなことだとは、
知っていました。
ですが。
赦されたいとは、
思いませんでした。
ただ、
共に終わるために、
過去に奪われないように、
この手を汚したのです。
貴方にとって私は、
特別な存在になれないから。
誰にも奪われないよう、
貴方の心ごと、
閉じ込めるしかなかったのです。
貴方の瞳が閉じたとき、
漸く、私は貴方と、
ひとつになれた気がしました。
貴方の最期の震えが、
私の鼓動になり、
涙が流れる音となり、
静かに、溶け合ってゆきました。
私は今もここにいます。
眠らず、泣かず、
ただ、消えゆく、
その温もりだけを抱いて。
凍りゆく夜の中で、
貴方の名を心に刻みます。
ぽつりと涙が落ちる。
それは、何もかも失う音。
小さな幸せ
貴方は、突然、
俺達を置き去りにして、
逝ってしまった。
俺は、憎んだ。
貴方の命を奪った輩を。
貴方を一人にした仲間を。
貴方を救えなかった医者を。
でも、本当は、分かってる。
貴方を奪ったのは、
人の力では抗えない、
この世界の理…自然の力。
誰も悪くなんか、ない。
そして。
本当に憎らしいのは、
それを認められない、
醜くて、弱い、俺自身。
それなのに、
他人に責任をなすりつけて、
貴方の居ない悲しみを、
誤魔化してるんだ。
貴方が旅立ってしまって、
ぽっかり空いた心の穴を、
埋めるように、
貴方の想い出の欠片を、
探して。集めて。
そして、抱き締める。
貴方の名残に触れる度、
懐かしい声が、
すぐ傍に聞こえる気がする。
だから、俺は。
想い出の中の貴方の背を、
今も、必死に追い掛ける。
それが、唯一、
俺に遺された、
…小さな幸せ。