あなたへの贈り物
私は、嘗て。
絶望の底にいました。
人の悪意に貶められ、
身も心も傷つき、
生きる希望さえ、
見失っていました。
そんな私に、
一筋の光を教えてくれた、
誰よりも大切な、貴方。
しかし。
貴方の瞳は、
いつも深い苦悩と絶望に、
深く染められていました。
この醜く残酷な世の中で、
生きていくには、
貴方は余りにも、
優し過ぎたのです。
大切な貴方に、
私は最後の贈り物をします。
それは冷たくも美しい、
銀色のナイフ。
哀しく微笑む貴方に、
銀色の刃が翻り、
赤色が迸ります。
貴方を、そして、私を。
朱が染めていきます。
これで、貴方は永遠に、
苦しみから、解放されるのです。
私の最期の、
貴方への贈り物。
それは、
貴方を苦しみから救う、
優しい…永遠の痛み。
羅針盤
混沌の渦に佇む俺は、
迷いの闇を彷徨う。
まるで、くるくると廻る、
壊れた羅針盤の針のように。
東には、偏見が蔓る。
心まで切り刻む刃の様な、
歪んだ言葉が、渦巻き、
魂の色を単色に染め上げ、
他者を枠に押し込める。
北には、絶望が広がる。
人の温もりさえも、
氷の天秤で裁き、
吹き荒れる吹雪は、
身も心も氷柱に変える。
南には、飢渇が蔓延る。
慈しみの雫も消え、
情け容赦ない太陽は、
希望という命の水さえ奪い、
乾いた大地だけが果て無く続く。
西には、孤独が固まる。
古からの記憶は、
心の砦の扉を、固く閉ざし、
他者の足音を拒み、
深い静寂の闇に沈める。
くるくると廻る、
羅針盤の針。
何処を指したとしても、
希望という光なんて、
見つかりはしないんだ。
錆びた羅針盤を握り締め、
俺は、夜空を見上げる。
永遠の道標、北極星。
いつも、憧れだった君。
俺は迷いながらも、
歩き始める。
君の光に導かれるように。
壊れた羅針盤しか、
持たない俺には、
君こそが、永遠の光だから。
明日に向かって歩く、でも
俺は、
明日に向かって歩く。
でも。
ここに貴方はいない。
今は亡き貴方の背中を、
必死に追いかけていた日々が、
まだ胸の奥で熱く疼くんだ。
分かってる。
貴方は、俺の執着なんか、
きっと望んでいないって。
だけど貴方は、
俺にとって憧れだった。
未来を示してくれる、
眩しいほどの、
道標だったんだ。
俺は独り、泣く。
貴方がこの世の何処にもいない、
その現実が、冷たく迫る夜に。
それでも俺は、
明日に向かって歩く。
貴方を忘れたわけじゃない。
貴方が生きた証は、
確かにここにある。
俺の胸の奥で、
今も力強く息づいている。
だから、俺は歩く。
真っ暗な闇の中、
貴方の想いを抱いて。
ただひとりの君へ
私は…愚かだ。
悪意と憎悪に満ちた、
この世で生きるには、
私は、余りにも弱かった。
そんな私を、
穢れなき瞳をした彼は、
愛の名の元に、
救おうとしてくれた。
彼の手には、
冷たく光る刃が、
握られている。
あの銀色の輝きが、
私をこの苦悩から、
解放してくれるのだろう。
「私も共に逝きます。
これで、貴方は、
この世の苦悩から解放され、
…永遠に私だけのもの。」
そう告げる彼は、
哀しくも美しく、
微笑んでいた。
その微笑みを信じて、
私は彼に身を委ねる。
この世に残した、
ただひとりの君へ、
最期の言葉を残しながら。
………
―私が愛した
ただひとりの君へ。
どうか。
こんな惨めで愚かな、
私のことなど忘れて、
幸せに暮らして欲しい。
君がいつまでも、
幸福であるように。
遠い彼の世から、
ずっと祈っている。
手のひらの宇宙
初めて会ったとき、
君は、その瞳に怯えた影を宿し、
私を見上げていた。
身も心も深い傷を負い、
愛する事も、信じる事も、
自分自身さえ見失っていた。
だが、私には分かっていた。
君はとても大切な存在で、
愛されるべき存在で。
本当は誰よりも、
煌めく光を持っている事を。
だから私は、
君を護りたいと願った。
君がその輝きを、
取り戻せるように、
両の手のひらで、
君をそっと包み込んだ。
小さな手のひらに広がる、
無限の宇宙。
誰よりも愛おしく想える君。
私の大切な…星の煌めき。
君は美しく、そして、
本当に…強い。
いつか君は、
この手のひらから、
飛び立つだろう。
もっと広く大きな世界へ。
私の手のひらには、
収まりきらない程、
君は、強く大きく、
そして美しく輝く。
それでいいんだ。
私はただ、君の輝きを信じ、
そっと背を押す。
汚れきった私は。
醜く汚れた、この地上から、
この小さな宇宙を、
いつまでも、
見守っているから。
…………
風のいたずら
冬晴れの昼下がり。
窓から紛れ込むのは、
冷たくて、
それでいて、どこか優しい、
雪解けの風。
机の上の日記帳は、
一片の風に煽られ、
微かな音を立てて、
過去のページへと巡る。
冬の風のいたずらが、
微かな記憶の扉を開き、
少し前の俺を蘇らせる。
そこに綴られた、
届かない思い。
思いを告げられない、
もどかしい恋心。
胸の内から湧く想いは、
言い訳ばかりで、
綴られた言の葉達が、
君に届くことは、
ないんだろう。
目を閉じれば浮かぶのは、
憧れの君の、優しい笑顔。
遠く、追いつけない背中。
冬の風はまだ冷たいから。
また俺は、俺に言い訳をする。
口から溢れるのは、
小さな溜息。
風のいたずらに、
疼く心を抱えて、
俺は、君への想いを、
閉じ込めるように、
そっと日記を閉じた。