新年
夜は、心を弱くします。
月の影が闇を生み出す様に、
過去の苦痛が囁き、
その闇に囚われぬよう、
心を強く抱き締めます。
寒い冬の夜。
悪魔の影が忍び寄り、
私を縛ろうとする度、
優しい声色で、
私に語りかけてくれる、
貴方の声と温もりだけが、
私を救う光なのです。
夜、貴方に護られながら、
眠りの淵へと揺蕩い、
朝、貴方の温かな声に、
揺り起こされると、
新しい一日が始まります。
夜が明ければ、
また、次の日がやって来る、
それは、変わらない、
繰り返される人々の営みの理。
だけど、
何故か、今日だけは、
特別な光が差し込むようです。
新しい年がやってきた、と。
皆が楽しげに、
耳に馴染まない、
挨拶を交わします。
「新年、
明けましておめでとうございます。」
一月一日。
他の日と何が違うのか、
私にはよく分かりません。
でも、貴方が微笑んで、
「今年も宜しくね。」と、
私に優しく囁いた、その瞬間。
新年という、堅苦しそうな代物も、
貴方が側に居てくれれば、
私の胸の奥が、暖かくなると、
気付いたのです。
ならば。
…この新年というものも、
悪くないのかも知れない、と。
私は、貴方に微笑み返すのです。
良いお年を
寒風に背を押される様に、
忙しなく行き交う、街の人々。
私も、そのパーツの欠片として、
凍てつく冬空の下を急ぎます。
愛しい貴方の魂は、
あの日、突然、
悪意に、連れ去られました。
どこを彷徨い歩いているのか、
どんな景色を見ているのか、
分からなかった、貴方。
ただ只管に、帰りを願い、
待つことしか、できませんでした。
「良いお年を」と、
当たり前の言葉さえ、
貴方には届けられなくて。
でも、今は。
貴方が隣にいてくれて、
私の拙い言葉に微笑み、
そっと頷いてくれるのです。
喧騒が収まり、広がる静寂。
夜の冷たさに包まれながら、
またひとつ、年が終わります。
どうか、良いお年を。
そして、また来年も、
私は貴方と共に有りましょう。
…この先も、ずっとずっと。
1年間を振り返る
迫る年の瀬。
刃の様に冷たい風が、
もうすぐ新しい年を、
連れて来る。
薄灰色の寒空に、
酷く寂しく佇む、
葉を落とした木々を眺め、
1年間を振り返る。
春、夏、秋、冬…。
俺の1年を彩ったのは、
君の優しい微笑み。
陽だまりのように温かくて。
でも。
幻のように儚くて。
君の微笑みが、俺のものだったら。
そんな、叶わない願いを、
心の奥底に押し隠して、
今年もまた、俺は、
君に背中を向けたんだ。
正月、バレンタインデー、
花見、七夕、夏祭り、
ハロウィン、クリスマス。
そして…君と俺の誕生日。
特別な日は、いくつもあった。
けれど、俺は一度も、
君への想いを、
言葉に出来なかったんだ。
長い間、胸の奥に沈んでいる、
この気持ちは、
言葉にするには、
余りに重くて。
来年こそは。
君の横顔に隠された、
本当の心を知りたい。
俺の、君への想いを、
知って欲しい。
残り僅かなカレンダーを見つめ、
きっと、来年も出来はしない目標を、
俺は、ポツリと呟いた。
みかん
テーブルの上に、
綺麗な紙箱が置かれていた。
ふと漂う、
みかんとチョコレートの甘い香り。
手を伸ばすけれど、
箱の蓋は重たくて。
その瞬間、浮かんだのは…
お前の、笑顔。
その笑顔が、酷く眩しくて。
指先が、一瞬止まったんだ。
箱の中には、
夕焼け色の輪切りが並んでた。
甘くて、ほろ苦い、
少しお洒落な、オランジェット。
半分だけチョコレートに覆われた、
オランジェットは、
何処か、お前に似てたんだ。
真面目だけど、何処か気取ってて、
少し意地悪な、お前の態度みたいで。
夕焼け色をそっと摘んで、
口に運ぶ。
オレンジは、酸っぱくて。
チョコレートは、ほろ苦くて。
だけど、凄く甘くて。
胸の奥が、きゅっと痛んだんだ。
いつもすぐ傍にいるのに、
お前は、全然気が付かないんだ。
ボクが抱えてる、
甘くて苦い、この想いに。
ふと、みかんの香りが、
鼻先を掠めた。
ボクは思わず、
宝石の様なオレンジ色から、
逃げたくなって、箱を閉じた。
きっと、
この甘さも、ほろ苦さも。
全部、全部…
お前のせいなんだ…って。
胸の痛みを誤魔化すように、
ボクは一人、呟くんだ。
冬休み
寒空の下で、
街は何時になく、忙しなくて、
行き交う人々の影さえ、
早足になる。
子供たちの声が通りに響く、
年末の帰り道。
家族の温もりに胸を踊らせる、
そんな光景は、
遠い世界の物語のようだ。
幼い俺には、
そんな夢は無く。
冬休みの静寂だけが
冷たく広がっていた。
金もなく、家族の愛もなく。
空腹と寒さに耐えながら
暖炉の火もない冷たい部屋で、
独り、膝を抱えていた。
孤独だけが、俺の隣に居た。
年末年始の飾りを纏った、
何処か華やかな明かりが、
俺の影を長くする。
賑わう街が見せるのは、
得られなかった過去の幻影。
だから俺は、
年が暮れようと、年が変わろうと、
変わらぬ日々の中に、
身と心を沈める。
遠くから聴こえてくる、
楽しげな声に、耳を塞ぎ、
年が暮れようと、明けようと、
機械仕掛けの人形の様に、
ただ、静かに働き続ける。
冬の風が吹き抜け、
哀しげな虎落笛が鳴る。
孤独の中、冷たい静寂が揺蕩う。
冷たく止まった時の中、
砕け散った、硝子細工の時計の様に、
俺は、自分だけの時を生きる。