涙の理由
これまでの想い出も。
今日というこの日も。
この瞬間さえも。
何時までも忘れないよ。
俺はそう言って、
微笑んでみせた。
いつもみたいに、
『さよなら』の代わりに、
口吻を交わして。
またね、と言い掛けた時。
不意に溢れた君の涙を、
俺は、拭えかったんだ。
その涙の理由が。
俺には、分からなくて。
分かりたくなくて。
何時かはこんな日が来ると、
感じてはいたけれど。
時が過ぎてしまえば。
どんなに鮮やかな想いも。
どんなに大切な思い出も。
黄昏の空に溶ける様に、
やがて消えてしまうのだから。
君は、そう言いながら、
泣き顔のまま微笑んだ。
涙の理由。
聞かせてよ。
俺はその言葉を飲み込んだ。
涙の理由。
そう、それはきっと。
蜂蜜色と薄浅葱。
ココロオドル
今日は朝から雨模様。
下ろしたての靴は、
すっかり泥だらけ。
お昼のサンドイッチは、
苦手なレタスがたっぷり。
コーヒーを溢して、
ワイシャツには茶色のシミ。
窓の外は、相変わらずの雨。
中々進まない仕事を前に、
溜息ばかりが増えていく。
帰り道。廊下で見かけた、
憧れの先輩の後姿。
手の届かない憧れの背中を、
ただ、黙って見詰める。
ふと、先輩が振り返り。
先輩の瞳が、
俺を捉えたんだ。
憧れの人と目が合った。
只、それだけで。
ココロオドル。
束の間の休息
生きるために罪を重ね、
人を傷付け、傷付けられ、
他人の屍を踏み越え、
卑怯にも、生きてきて。
傷だらけの身体、
血に塗れた手、
穢れきった魂。
こんなにも醜い、私。
そんな絶望の中で、
出逢った貴方は、
私が触れてはならない、
希望に煌めく橄欖石のよう。
もし、貴方が、
この醜く汚れきった、
世の中に疲れ果て、
身体を休める時は、
私が貴方を護りましょう。
私の腕が、貴方にとって、
束の間の休息の場所でも。
それで構わないのです。
貴方が、少しでも私を、
必要としてくれるなら、
私は幸せなのですから。
力を込めて
誰も居ない部屋。
薄明かりの中、
私は私に問い問い掛ける。
「何故、貴様は生きるのか?」
答えの見つからない問い。
冷たい風が心を凍らせる。
嘗て、大切な人と共に、
死地へと向かい、
絶望の闇を切り裂き、
背中を護り合った。
護るべき人を、
絶望から救い出し、
震えていた身体を、
強く抱き締めた。
だが、今やその想い出は、
遠い過去の幻影。
過ぎ去った日々が、胸を締め付け、
使命の鎖が私に重く伸し掛る。
命の重みに押し潰され、
生きる価値さえ見失う。
力を込めて、
絡み付く未練の鎖を断ち切る。
そして、静かに悪夢の中へ、
静かに静かに、沈んでいく。
…それでも。
愛しい君だけは、幸せである事を、
そっと願いながら。
過ぎた日を想う
透明な空気の中。
想い出の中の、
貴方の面影を追い求め、
孤独に震えていました。
何時帰るとも知れぬ貴方を、
私は独りきりの部屋で待ちながら、
過ぎた日々の記憶に、
揺蕩っていました。
貴方と見つめた空の色は、
心の奥に鮮やかに残り、
波音に乗せて、
静かに蘇ります。
でも。私は。
貴方が居ない孤独に、
耐えられなかったのです。
想い出の場所は、崩れ去り、
あの日の温もりは、
幻影となりました。
過ぎた日を想う事に、
疲れ切った私は。
何時からか、貴方を裏切り、
堕落した悪魔に成り果てました。
私は温もりを求めて、
貴方ではない、
他の人の腕で眠り、
仮初めの愛の言葉を交わしました。
私には、もう。
大切な貴方を想う資格も、
過ぎた日を想う資格も、
ありません。
さようなら。
誰よりも愛しい、
想い出の…貴方。