あの頃の私へ
幼い頃から、まるで家畜の様に扱われ、
人としての生活も送れず、
いつも暑さ寒さや、飢えに苦しみ、
同じ立場の人間が死んでいくのを、
ただ見ていることしか、出来なくて…。
そんな、将来に希望も持てない生活の中。
夜、鉄格子の嵌った窓越しに見える、
満ち欠けする月だけが、
私の心の支えでした。
そんな、牢獄の様な場所から逃げても、
外の世界は、とても冷たくて。
人の悪意を避ける様に、
人里離れた山奥に隠れ住んで。
他人なんて、誰も信用なんて出来ない。
独りで生きるしかないんだと、
泥水を啜り、草の根を齧って生きていて。
夜、穴だらけの荒屋の天井から見える、
満ち欠けする月だけが、
私の生きる証でした。
世の中は理不尽だらけで、
多くの他人は私に悪意を向けますが、
それでも。
こんな私を愛してくれる人もいる事を、
私は漸く、知ったのです。
だから。
そんなに怖がらなくても、
存外、大丈夫ですよ、と。
他人に対して怯えきった、あの頃の私へ、
伝えてあげたいと、
大切な人と、温かい部屋の窓から、
月を見る度に思うのです。
逃れられない
オレはオレを罰する。
握り拳で自分の顔を殴り付ける。
口一杯に血の味が広がった。
お母さん、御免なさい。
もう、赦して。
今は亡き母親に、
オレは何度も謝罪を繰り返す。
オレはオレを罰する。
鞭で自分の背中を打つ。
背中は腫れ上がり、血が滲んだ。
幾ら自分で自分を罰しても、
記憶の中の母親は、
オレを責め続ける。
…お前が悪い、と。
痛みで意識が遠くなっていく。
このまま、死んでしまえば、
楽なんじゃないか、なんて。
冷たい床に倒れ込んだまま、
一人で嗤ってる、オレがいる。
だって。
生きてる限り、母親の影から、
逃れられない、から。
また明日
私の隣で、君は静かに眠ってる。
恋人と会えない寂しさを、
私で埋める事が出来るなら、と。
罪悪感も倫理観も全て無視して、
私は君を抱き締めた。
…君が寂しそうだったから。
君には、そう告げたけど、
私は、君を言い訳にしたんだ。
本当は。
君と仮初の恋に落ちることで、
昔の恋人への未練から、
逃げたかっただけ。
そんな君と二人で過ごす夜は、
悲しくも、温かくて、
何かを求めるように私に縋る君は、
切なくも、愛おしくて。
でも、君が本当に愛しているのは、
私じゃなくて、恋人なんだって。
こんな事、最初から分かってたのに、
その事が、酷く苦しくて。
君にこの台詞を告げる事ができるのは、
もしかしたら、
今夜が最後かもしれない。
そんな寂しさを、押し隠して、
隣で眠る君に、私はそっと囁く。
…おやすみ、また明日。
透明
恋人に会えないのが寂しくて。
その心の隙間を埋めるように、
貴方を求めました。
こんな私を、貴方は温めてくれました。
貴方が私の恋人だったらいいのに、と、
そんな自分勝手な事を思って、
藻掻く様に、貴方に手を伸ばしました。
そんな私の怯えて震える手を、
貴方は、優しく握って下さいました。
余りに不道徳な、二人の時間。
密やかな口付けの間を、
『愛している』という言葉が、
零れて、落ちていきました。
貴方の心の中に、私ではない、
別の誰かがいるのは、分かってました。
だけど、私は。
何も気付かない振りをして、
幻影の恋に溺れるのです。
このまま貴方と、
透明になってしまいたい。
私の恋人も、貴方の想い人もいない世界で、
貴方と二人、透明に溶け合ってしまえば、
私はもう、こんなにも泣かないで、
いいのでしょうから。
理想のあなた
憧れのあなた。
その姿に、密かに心をときめかせて。
でも、
貴方の事を、遠くから眺めてるだけで、
十分なんだって、自分に言い聞かせて。
だって。
俺が憧れてる貴方は、
強くて、優しくて、真面目で、
仕事が出来て。
そして、
…恋人と仲が良くって。
そんな貴方が、素敵だって思うから。
俺が心の中で、そっと。
理想のあなたを思い描けば、
何時でも凛々しい貴方の隣には、
優しく微笑んでる貴方の恋人がいるから。
貴方の隣に立てないことが、
悲しいとも、悔しいとも思えなくって。
俺は、今日も。
ただ。
…理想のあなたを見守るだけ。