〈新年〉
元旦、俺は一人で駅伝を見ていた。
別に見たいわけじゃない。ただテレビをつけたら映っていただけだ。
スーパーで買った一人用のおせちをつまみに、ビールを飲む。スマホを眺めながら、時折テレビ画面に目をやる。そんな正月。
実家は電車で一時間ぐらいのところにある。母親から「帰ってくるの?」とメッセージが来ていたけれど、「仕事が立て込んでて」と返信した。嘘だ。三が日くらい、どこも動いていない。
学生時代の友人たちは、SNSを見る限り、すっかり家族メインの正月だ。
子どもを連れて初詣、義実家と実家をはしご。そこに割って入ってまで誘う気にもなれなかった。
映画でも見に行こうか。正月映画、何かやっているだろう。
でも正月の映画館なんて、家族連れやカップルで溢れかえっているに決まっている。人出を想像したらなんだか億劫になった。
ソファに座ったまま、ぼんやりと窓の外を眺める。
子供の頃は、正月が楽しみで仕方なかった。あの気持ちは何だったんだろう。お年玉をもらえるから?
いや、それだけじゃないよな。
家族とどう過ごしていたっけ。父親は朝から酒を呑んでいた。おせちをつまみながら、ずっとテレビを見ていた。駅伝だったり、バラエティ番組だったり。
でも、それが嬉しかったのかもしれない。
普段は仕事で朝早く出て行って、夜遅く帰ってくる父親が、朝からずっと家にいる。それだけで、なんとなく特別な日なんだって感じがした。
一度、初詣に行くと言って父親と電車に乗ったことがあった。あれは何歳の時だったかな。小学校低学年くらいだろうか。
行った先で、馬が走っていた記憶がある。いや、走っていたというより、ぐるぐると歩いていた。たくさんの馬が、円を描くように。
──あれ、競馬?
でも、正月から競馬ってやっていたっけ……?
記憶を辿ろうとしたその時、スマホが鳴った。母親からだ。
「あけましておめでとう。何してるの?」
「ああ、うん。おめでとう。特に何も」
「やっぱり。
おせち食べに来なさいよ。お父さんも待ってるわよ」
母親の声は、いつもの明るい調子だ。
俺はさっき思い出したことを聞いてみる。
「昔、父さんと二人で電車乗って初詣に行ったことあったよね?」
「え?」
「小学校に上がる前ぐらいかな。
なぜか馬がたくさんいるところに連れて行かれて」
アハハハ、と母親が笑った。
「あったあった!
川崎大師に行くって言ってたのに、あんたが『おうまさん見た!』って言ったから競馬場行ったのがわかったのよ」
「競馬場?」
「そう。あの年は午年でね。
お父さん、普段ギャンブルなんて全然やらないのに、あんたに馬を見せたかったのかしら」
「へえ……」
そうだったのか。あれは競馬場だったんだ。
「あなたが言ってた馬で馬券買ったら大当たりしたみたいね」
母親は楽しそうに話し続ける。
「え、そうなの?」
「そうよ。帰ってきてから、お父さん、ものすごく上機嫌だったもの。あんたにおもちゃ買ってあげたでしょう?」
──そうだ。思い出した。
馬がぐるぐる歩いているのを見ていたら(今思えばあれはパドックだ)、父親が「どれがいい?」って聞いてきた。俺は適当に「あの焦げ茶と茶色いの!」とか言ったんだ。
そのあと父親がやけに上機嫌で、ちゃんと初詣に行った後、参道の露店でおもちゃを買ってくれた──
あの生真面目な父親が、正月だからと母親に内緒で競馬場に連れて行ってくれた。
なんだか、おかしくなった。
「これからそっち行くよ」
気がつけば、そう言っていた。
「本当?待ってるわね」
母親の声が、一段と明るくなった。
電話を切って、俺は立ち上がった。
着替えて、財布とスマホをポケットに入れる。玄関のドアを開けると、酔った頬に冷たい空気が心地よい。
帰ったら、父親にあのときのことを聞いてみよう。自分の中ではすごく楽しかった、あの「初詣」のことを。
今なら、父親と一緒に笑いながら話せる気がする。
新年。新しい年の始まりは、もしかしたら、古い記憶を掘り起こすことから始まるのかもしれない。
俺は駅に向かって歩き出した。
──────
川崎競馬場の正月競馬。誘導馬が干支の格好するんですよ。
上記のお話は、2001年の新春杯の成績を参考にしました。馬単で6460円。お正月だから単勝・複勝・馬連・馬単で1000円ずつ買ったらいいお年玉になりそうな結果です。ウワーォ。
母親に内緒で子連れで競馬場行く人いるの?とも思われそうですが、私はよく連れて行かれましたです、はい。
母は昔から損な性格だった
人の分までおせちの支度をして、
大晦日でも紅白も見ず正月の支度して、
元旦は誰よりも早く起きて雑煮作って、
正月休みだからとゆっくり過ごすこともなく、
年始の客をもてなして、
料理作って酒出して、
親戚に気を遣って、
松の内が過ぎたら過労で寝こむ人だった
そんな貴女みたいな人生は送りたくなくて
早く家を出たけど
煮しめを作ったら貴女と同じ味だったよ
貴女と同じように、紅白の歌を背中で聞きながら元旦の雑煮のだしを取っているよ
紅白が終わって「ゆく年来る年」が始まる頃
ようやく座って年越しそばを食べて
「良いお年を」
そんな貴女の声を思い出す
大晦の夜
──良いお年を。
──────
あけました。
9月からリハビリがてら「書く習慣」始めて、1日1本1000文字以上のお話を書いてますが。
なんとか100本書けました。
1本書くと、あっこーいう視点でも書ける?とか、キャラが暴走したり、とか。
こういう感覚は学生時代以来です。
読み返してブラッシュアップして、ここに載せたのとは微妙に異なるお話もあります。
なんか、形になるようにしますかね。今年のささやかな目標。
今年もよろしくお願いいたします。
やあ(´・ω・`)
おおつごもりが来てしまった(´・ω・`)
これからおせち作り大詰めなんだ(´・ω・`)
「星に包まれて」は何のネタにしようかな(´・ω・`)
あ、「心の旅路」はなんとか書いたから読んでね(´・ω・`)
じゃ(´・ω・`)
(´・ω:;.:...
〈静かな終わり〉
年末の街は、正月を迎える準備で浮き足立っていた。門松を並べる店、福袋の広告を貼り出す店。すれ違う人々の足取りも、どこか軽い。
カフェの扉を開けると、温かい空気と甘い香りが顔を撫でた。
店内を見渡す。窓際の席に、彼はすでに座っていた。
「待ちましたか」
私が声をかけると、彼は慌てたように顔を上げた。
「いや」
短い返事。視線が落ち着かない。年末の忙しい時期に呼び出されて、早く終わらせたいのだろう。
私は向かいの席に座り、何気なく彼の左手に目をやった。
いつものように、結婚指輪を外している。
(そういうところよね……)
心の中でため息をつく。私に会うときだけ外す、その小さな配慮が今は虚しい。
注文を済ませ、カップが運ばれてくるまで、変な沈黙が流れた。彼はスマートフォンをいじり、私は窓の外を眺める。そんな関係を、もう十年近く続けてきた。
「もう終わりにしましょう」
私は正面から彼を見つめて言った。
「来年、繁忙期が終わったら退職します」
彼の手が止まった。コーヒーカップを持ち上げかけた手が、宙で固まる。
「……他に男ができたか」
その問いかけに、思わず笑ってしまいそうになった。
「妻とは会話もない、でしたっけ」
私はスマートフォンを取り出し、メッセージアプリのログを開いた。画面をスクロールしながら、あの頃の甘い言葉を黙読する。
家に帰っても一人でいるのと変わらない、と。
「……二人目のお子さんが生まれるんですってね」
彼の顔が強張った。何で知っているのか、という表情。
「聞いてしまったとき、結構ショック受けちゃった自分がイヤになったの」
淡々と、できるだけ静かに言葉を選ぶ。
感情的になって、泣いて、喚いて──そんな終わり方はしたくなかった。
「いや、子供ができたのは事故みたいなもので」
彼が言い訳を始めた瞬間、私は手を上げて遮った。
「これ以上嫌いにさせないで」
彼の目が見開かれる。
「身体(それ)だけの関係だって割り切っていたつもりだけど」
私はできるだけ微笑んで見えるよう表情を作りながら続けた。
「……それでも愛してもらえているのかと、1%ぐらいは思っていたのよ」
彼は何も言えず、俯いた。
しばらくして、彼は席を立った。
会計を済ませ、コートを羽織る。私は彼を引き止めなかった。
「……じゃあ」
小さく呟いて、彼は私の顔を見ることもなくカフェを出て行った。
窓越しに、夕暮れの街に消えていく彼の後ろ姿を見送る。少し肩を丸めて歩く背中が、妙に小さく見えた。
『認めたくないけど、あなたのことがずっと好きだったのよ』
心の中で独りごちる。
でも、もう言わない。言ったところで何も変わらない。変わるのは、これからの私だけだ。
残ったコーヒーを飲み干して、私も店を出た。
空を見上げる。薄暗い空に、ぽつりぽつりと星が瞬き始めている。
「静かに終えることができたからいいよね」
小さく呟いた。自分に言い聞かせるように。
もう、独りで過ごしても大丈夫。家庭を優先するあの人に心乱されることもない。
新しい会社で、新しい関係を築けばいい。
年末、どう過ごそうか。大晦日まで、あと数日しかない。
「今からどこかホテル取れるかな」
そう考えて、少し笑った。
いや、またあてもなく電車に乗って出かけるのもいい。除夜の鐘が響く古い寺の、凛とした空気に触れてみたい。
それとも、初日の出を見に行こうか。水平線から昇る光を、一人で静かに迎えるのも悪くない。
人混みを抜けて、駅へ向かう。アーケードには「迎春」の文字が躍り、福袋の予約を呼びかける声が響いている。
来年を祝う賑やかさの中を、私は背を伸ばし一人歩いていく。
駅前のイルミネーションが、人々の歩む影を長く伸ばしていた。消えかけていた何かが、また静かに灯り始めるような気がした。
綺麗なものが見たい。澄んだ空気の中で、新しい光を浴びたい。
くだらない物語を一つ終えて、歩き始めたい。
さよなら、あなた。
さよなら、揺れ続けていた私。
──────
「揺れるキャンドル」後日譚です。
ビミョーに不穏な話ですけど、静かに終わらせたということで。
今年の不穏は今年のうちに。(年またぎで書いてますけど
モチーフは、スターダストレビューさんの「1%の物語」という曲です。何年前だ。
〈心の旅路〉
「だからさ、話の進行がじれったいんだよ」
映画研究会の部室で先輩の声が響く。
テーマは古いアメリカ映画「心の旅路」。記憶喪失の主人公が、長い年月を経て記憶と愛情を取り戻すまでの物語だ。
「いやいや、これぞ王道のメロドラマでしょう」と別の部員が反論する。
「ああいう丁寧な描写があるから、ラストが生きるんだって」
僕は黙って二人のやり取りを聞いていた。
確かに展開は遅い。子供の頃、祖父と一緒にこの映画を観たときも、途中で眠くなった記憶がある。
でも、今観ると違って見える。
「僕は婚約者の決断が印象的でした」
全員の視線が僕に集まる。
「記憶を取り戻した主人公の心の奥底には、別の誰かがいる。
婚約者はそれに気づいて、身を引く。主人公の幸せのために」
「ああ、そのシーンね」先輩が頷いた。
「でも脇役だよね、それ」
「脇役がいいからストーリーの良さが際立つんですよ。この作品は他の脇役達もセリフが活かされた構成になってる」
そう答えた僕を、同じ学年の大森梨子が興味深そうに見ていた。切れ長の目が、いつもより少し細められている。
部会が終わって、梨子が僕に声をかけてきた。
「水野くん、いつも脇役に着目するよね」
「そうかな」
「そうだよ。前に『カサブランカ』観たときも、ピアニストのサムの話ばかりしてたじゃん」
言われてみれば、そうかもしれない。
「……水野くん、映画作りたいの?」
突然の質問に、僕は言葉に詰まった。
「わからない。
本格的に作るなら映画制作サークルがあるけど、そこまでは考えてないし」
「ああ、あっちは体育会系だからね」
梨子が苦笑する。
「私もそれが嫌で、こっちにしたんだよね。観るのは好きだけど、作るのはまた別だし」
「そうそう」
でも、梨子の質問は胸に引っかかっていた。
「実はね、うちの祖父が昔、映画制作に関わってたんだ」
「え、本当に?」
「助監督見習いみたいなポジションだったらしいけど。
家庭の事情で諦めたって」
梨子は黙って聞いていた。
「その祖父とよく古い映画を観たんだ。
『心の旅路』もね。子供の頃は退屈だったけど、祖父は何度も繰り返し観てた」
「そうなんだ」
「この前、祖父が亡くなって。遺品整理してたら、未完の脚本が出てきたんだ」
脚本は黄ばんで、インクも褪せていた。丁寧な文字で書かれた物語は、途中で終わっていた。
行間から、何かを諦めた人の無念が滲み出ているように感じた。
「祖父は、映画を諦めたことを後悔してたのかなって思って」
「お祖母さんには聞いた?」
僕は首を横に振った。聞くのが怖かった。
もし、祖父が夢を諦めたことを一生後悔していたとしたら。その重さに、僕は耐える自信がなかった。
「聞いてみなよ」梨子が言った。
「知らないまま悩むより、知った方がいいこともあるよ」
──
週末、僕は祖母の家を訪ねた。脚本を見せると、祖母は懐かしそうに目を細めた。
「ああ、これ。
あの人、ずっと書いてたわね」
「……おじいちゃんは映画を諦めたこと、後悔してなかった?」
祖母は少し考えてから、きっぱりと言った。
「後悔なんてしてなかったわよ」
「でも、夢を諦めて」
「諦めたんじゃないの。選んだのよ、あの人は」
祖母は昔を思い返すように遠い目をした。
「確かに映画が好きだった人だった。でも、あの人はもっと家族が好きだった。
あなたのお父さんが生まれて、私が体を壊して……そのとき、あの人は迷わず選んでくれた。私たちを」
「後悔は…」
「なかったわ。あの人はよく言ってたの。
『人生は選択の連続だ。大事なのは、選ばなかった道を悔やむことじゃない。選んだ道を正解にすることだ』って」
祖母の言葉が、胸に染み入る。
「あの人ね、あなたと『心の旅路』を観るのが好きだったのよ。
あの映画の登場人物たちは、みんな自分の道を選んで生きてる。それを、あなたに見せたかったんじゃないかしら」
そうだったのか。祖父が何度もあの映画を観ていた理由が、少しわかった気がした。
「この脚本が未完なのはね、完成させる必要がなくなったからよ。
あの人の物語は、この脚本じゃなくて、私たちとの人生になったの」
──
月曜日、梨子にそのことを話した。
「よかったね」と梨子は微笑んだ。
「で、水野くんはどうするの?映画」
「わからない。
でも、祖父の未完の脚本を完成させるためじゃなくて、自分のために考えてみようと思う」
「自分のために」
「うん。祖父は祖父の道を選んだように俺は俺の道を選ぶ。
それが映画なのかどうかは、まだわからないけど」
梨子は「心の旅路」って感じだねと言った。
「何それ」
「水野くんの、心の旅路。
選ばなかった道への執着じゃなくて、自分の道を見つける旅」
なるほど、と僕は思った。
あの映画の婚約者も、主人公も、それぞれの「心の旅路」を歩んでいた。
そして今、僕も自分の旅路の入り口に立っている。
「梨子さん、もし俺が映画作るなら、脚本読んでくれる?」
「もちろん。でも、主役じゃなく脇役に重きを置く物語になりそうだけどね」
「いいじゃん、脇役がいないと映画は成り立たない」
二人で笑いながら、僕たちはキャンパスを歩いた。
まだ何も決まっていない。でも、それでいい。
人生は選択の連続で、大事なのは選んだ道を正解にすること。
祖父が教えてくれた、その言葉を胸に、僕は自分の心の旅路を歩き始める。
──────
何も思いつかなくて、元ネタの映画の話になりました。
古いアメリカ映画ってファッションとかもワクワクしますよね。
水野くんは水野晴郎氏、莉子さんは小森のおばちゃま+LiLiCoさんより。
淀川先輩や荻先輩もいらっしゃいます。
いやぁ、映画って本当にいいものですね。(昭和ネタ