汀月透子

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〈心の旅路〉

「だからさ、話の進行がじれったいんだよ」

 映画研究会の部室で先輩の声が響く。
 テーマは古いアメリカ映画「心の旅路」。記憶喪失の主人公が、長い年月を経て記憶と愛情を取り戻すまでの物語だ。

「いやいや、これぞ王道のメロドラマでしょう」と別の部員が反論する。
「ああいう丁寧な描写があるから、ラストが生きるんだって」

 僕は黙って二人のやり取りを聞いていた。
 確かに展開は遅い。子供の頃、祖父と一緒にこの映画を観たときも、途中で眠くなった記憶がある。
 でも、今観ると違って見える。

「僕は婚約者の決断が印象的でした」

 全員の視線が僕に集まる。

「記憶を取り戻した主人公の心の奥底には、別の誰かがいる。
 婚約者はそれに気づいて、身を引く。主人公の幸せのために」

「ああ、そのシーンね」先輩が頷いた。
「でも脇役だよね、それ」

「脇役がいいからストーリーの良さが際立つんですよ。この作品は他の脇役達もセリフが活かされた構成になってる」

 そう答えた僕を、同じ学年の大森梨子が興味深そうに見ていた。切れ長の目が、いつもより少し細められている。

 部会が終わって、梨子が僕に声をかけてきた。

「水野くん、いつも脇役に着目するよね」
「そうかな」
「そうだよ。前に『カサブランカ』観たときも、ピアニストのサムの話ばかりしてたじゃん」

 言われてみれば、そうかもしれない。

「……水野くん、映画作りたいの?」

 突然の質問に、僕は言葉に詰まった。

「わからない。
 本格的に作るなら映画制作サークルがあるけど、そこまでは考えてないし」

「ああ、あっちは体育会系だからね」
 梨子が苦笑する。
 「私もそれが嫌で、こっちにしたんだよね。観るのは好きだけど、作るのはまた別だし」

「そうそう」

でも、梨子の質問は胸に引っかかっていた。

「実はね、うちの祖父が昔、映画制作に関わってたんだ」

「え、本当に?」

「助監督見習いみたいなポジションだったらしいけど。
 家庭の事情で諦めたって」

梨子は黙って聞いていた。

「その祖父とよく古い映画を観たんだ。
『心の旅路』もね。子供の頃は退屈だったけど、祖父は何度も繰り返し観てた」

「そうなんだ」

「この前、祖父が亡くなって。遺品整理してたら、未完の脚本が出てきたんだ」

 脚本は黄ばんで、インクも褪せていた。丁寧な文字で書かれた物語は、途中で終わっていた。
 行間から、何かを諦めた人の無念が滲み出ているように感じた。

「祖父は、映画を諦めたことを後悔してたのかなって思って」

「お祖母さんには聞いた?」

 僕は首を横に振った。聞くのが怖かった。
 もし、祖父が夢を諦めたことを一生後悔していたとしたら。その重さに、僕は耐える自信がなかった。

「聞いてみなよ」梨子が言った。
「知らないまま悩むより、知った方がいいこともあるよ」

──

 週末、僕は祖母の家を訪ねた。脚本を見せると、祖母は懐かしそうに目を細めた。

「ああ、これ。
 あの人、ずっと書いてたわね」

「……おじいちゃんは映画を諦めたこと、後悔してなかった?」

 祖母は少し考えてから、きっぱりと言った。

「後悔なんてしてなかったわよ」
「でも、夢を諦めて」
「諦めたんじゃないの。選んだのよ、あの人は」

 祖母は昔を思い返すように遠い目をした。

「確かに映画が好きだった人だった。でも、あの人はもっと家族が好きだった。
 あなたのお父さんが生まれて、私が体を壊して……そのとき、あの人は迷わず選んでくれた。私たちを」
「後悔は…」
「なかったわ。あの人はよく言ってたの。
『人生は選択の連続だ。大事なのは、選ばなかった道を悔やむことじゃない。選んだ道を正解にすることだ』って」

 祖母の言葉が、胸に染み入る。

「あの人ね、あなたと『心の旅路』を観るのが好きだったのよ。
 あの映画の登場人物たちは、みんな自分の道を選んで生きてる。それを、あなたに見せたかったんじゃないかしら」

 そうだったのか。祖父が何度もあの映画を観ていた理由が、少しわかった気がした。

「この脚本が未完なのはね、完成させる必要がなくなったからよ。
 あの人の物語は、この脚本じゃなくて、私たちとの人生になったの」

──

月曜日、梨子にそのことを話した。

「よかったね」と梨子は微笑んだ。
「で、水野くんはどうするの?映画」
「わからない。
 でも、祖父の未完の脚本を完成させるためじゃなくて、自分のために考えてみようと思う」
「自分のために」
「うん。祖父は祖父の道を選んだように俺は俺の道を選ぶ。
 それが映画なのかどうかは、まだわからないけど」

梨子は「心の旅路」って感じだねと言った。

「何それ」
「水野くんの、心の旅路。
 選ばなかった道への執着じゃなくて、自分の道を見つける旅」

 なるほど、と僕は思った。
 あの映画の婚約者も、主人公も、それぞれの「心の旅路」を歩んでいた。
 そして今、僕も自分の旅路の入り口に立っている。

「梨子さん、もし俺が映画作るなら、脚本読んでくれる?」
「もちろん。でも、主役じゃなく脇役に重きを置く物語になりそうだけどね」
「いいじゃん、脇役がいないと映画は成り立たない」

 二人で笑いながら、僕たちはキャンパスを歩いた。
 まだ何も決まっていない。でも、それでいい。

 人生は選択の連続で、大事なのは選んだ道を正解にすること。
 祖父が教えてくれた、その言葉を胸に、僕は自分の心の旅路を歩き始める。

──────

何も思いつかなくて、元ネタの映画の話になりました。
古いアメリカ映画ってファッションとかもワクワクしますよね。

水野くんは水野晴郎氏、莉子さんは小森のおばちゃま+LiLiCoさんより。
淀川先輩や荻先輩もいらっしゃいます。
いやぁ、映画って本当にいいものですね。(昭和ネタ

12/29/2025, 4:33:53 AM