香草

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8/13/2025, 1:00:11 PM

「真夏の記憶」

一人暮らしをするようになるとフルーツを買うことがなくなる。
それすなわちどういうことかというと、分かりやすい食の季節がなくなるということ。
野菜や魚など食べ物には旬と言われるものがあるけれどたくさんの種類の野菜や魚、それこそほうれん草と小松菜の区別がつかない私に旬を覚えろなんて無理な話。
だからスイカが並び始めたら夏。ぶどうが並び始めたら秋、みかんなら冬というように果物で四季を感じていたのだ。
つまり目の前に並んでいる真っ赤な果肉、スイカを見て私は1人夏の思い出に耽っているのだ。

何年前の思い出だろうか。
まだ日向にいてもそこまで暑くなかったころで、時折涼しい風が風鈴を鳴らして入ってきていた。
永遠に終わらない学校の宿題をぐでぐでと寝転がりながら解いている。
人見知りで少し体が弱かった私は友達と出かけることもなく、空気がきれいな田舎の祖母の家に預けられていた。
というのも両親は仕事で忙しく私の面倒を見れなかったのだ。
都会の子供が田舎に遊びにきてもやることがない。川も森も体が弱い私にとっては危険なものでしかない。
まずそもそも友達がいない。
つまらない。退屈だ。
寝ては食べて寝てはテレビを見て食べては寝て。
祖母もそれほど喋るタイプではなく会話は最低限しかなかった。
退屈でどこか寂しい夏。


「スイカ食べるか?」
ある日、いつものように縁側で寝そべって風鈴の揺れを見ていたときだった。
「スイカ?食べる」
縁側に座って祖母がまんまるなスイカに包丁を入れる。
お互い無言のまま風鈴がちりんちりんと鳴り響く。
赤くみずみずしい果肉が開かれ甘く青臭い匂いが漂った。
「こりゃタネが多いな。飲み込んじゃいかん」
ぼそっと祖母が独り言のように呟いた。
私に言ってくれているのだろうが、返事をするべきか迷って無視をした。
食べやすいように皮から剥がすように一口サイズに切ってくれた。
指でつまみ、つぶさないようにそっと口に運ぶ。
シャクっと甘い水が口の中で弾ける。次の瞬間には冷たい液体が喉元を流れていく。

祖母は皮付きのまま豪快に食べていた。
種もお構いなしなようでジュルジュルと良い音を立ててかぶりついてる。
私はそっちの方が美味しそうに見えて祖母と同じように切ってもらうようせがんだ。
「ありゃ食べれるかいね」
夏休みしかやってこない孫、都会に住んでいる孫。
祖母は祖母なりに気を遣ってくれていた。今なら痛い程わかる。
私は祖母と同じようにスイカにかぶりついた。
口に入りきらない水が顎を伝い、腕を伝い、びしょびしょになってしまった。それでもなんだか大人になれたようで心が満たされていくのが分かった。
祖母の見真似で種をぷっと飛ばした。
お互い一言も喋らず、だけどどちらが遠くに飛ばせるかこっそり勝負していた。
ただ風鈴だけがちりんちりんと盛り上げてくれていた。

冒頭に言った通り一人暮らしになると果物は買わなくなる。理由はシンプル値段が高いから。
けれど私は夏なると必ずスイカを買う。
理由はシンプル夏の思い出だから。

8/12/2025, 8:03:52 AM

「こぼれたアイスクリーム」

賢者さまが足を止められた。
「これは…珍しい」
人目もはばからずガラス窓にピタリと張り付いてポスターを凝視している。
「賢者さま、いかがされましたか」
私はこのイカれた男を好奇の目に晒すわけにはいくまい、と小声でガラスから引き離そうとした。
ただでさえ賢者さまという存在は人に知られてはならない。街に入っても旅に必要な食料と備品を買うだけで、宿の部屋から一切出ない。
人々には悟られることなく街に滞在し、ひっそりと出ていかなければならない。
それがこの旅の決まりなのだ。
なのにこの男と言ったら、街の珍しいものを見つけては「これは調査せねば…」「おやこれは歴史的価値があるぞ」なんて言って立ち止まってしまう。
その度に私が強引に引っ張って宿に押し込めるのだ。
側から見れば、どこにでもいそうなぼんやりした父親としっかりした娘だと思われるかもしれないが、賢者さまのお世話は大変なのだ。

太陽がじりじりと頭のてっぺんを焼きつける。正直賢者さまを置いて早く宿で休みたい。
「ほらこれだよ。昔、といっても私がやってきた時代だけど、こんな暑い日によく食べられていたものさ。せっかくだから買っていこうか」
「賢者さま、まずは宿に…。私があとで買っていきますから」
「それじゃダメなんだなあ。まあまあほらそこに椅子がある。座って食べよう」
この男は自分の立場が分かってるのか?
賢者さまはある時この世界で一番権威のある教会に不思議な光とともに突然現れた。
どうやら過去に失われた文明についてよく知っているので、過去の人間らしい。
失われた文明を取り戻すべく、王様が賢者として文化の発展を任命されたのだが、この男はとても好奇心の強い性格で、ある日城を飛び出して旅を始めてしまったのだ。
王様の命令で私がなんとか見つけ出したものの、「すぐ帰るから」と言われてずるずると監視している状態だ。
正体がバレてしまうと国民の混乱が起こってしまうので賢者であること、過去から来たことは絶対の秘密だ。
なのにこの男は飄々と口に出しよって…。

「ほら、座って食べよう」
賢者さまは両手に真っ白な雲を固めたような貝殻のようなものを持ってベンチに座っていた。
もうなんでもいいや…暑いし…
何も考えられなくなってふらふらと賢者さまの隣に座る。
手渡されたものはカサカサとしたクッキーにひんやりとしたクリームが乗っている。
ほのかにミルクの匂いがする。
「んー!美味い!これは濃厚だ!牧場で食べたのを思い出すなあ。いやああれは高かった…」
賢者さまは舌を器用に使ってクリームを舐めとっている。
「ほら早く食べないと溶けちゃうぞ」
賢者さまがこちらを見て指さした。
クリームから白い液体が染み出して私の手を伝っている。
「わわ!」
慌てて舐めてみる。甘い!冷たい!
ぼんやりしていた頭が急にシャキッと目覚めた。

しかし溶け出したクリームは滝のように手を流れている。
口いっぱいに頬張るが冷たいしなかなか食べきれない。
クッキーまで全て食べ切った頃には手がベタベタになっていた。
「君食べるの下手だねえ」
はっはっと賢者さまに笑われてしまった。
家来の中でも一番マナーがよくて行儀がいいと褒められた私だったのに…屈辱…。
「でもこれがアイスクリームの醍醐味でもあるからね」
「あいすくりいむ、と言うんですね」
「そうそう。君のような子供がよく食べるんだ」
子供じゃないし…。
ベタベタになった手を洗いたいけれど川場はどこにもない。仕方なくこっそりとぺろぺろと舐めてみた。
先ほどよりもしょっぱいミルクの味がする。
美味しかったなあ…。
まあたまにはこういう発見もあってもいいかもしれない。



8/11/2025, 5:54:52 AM

「やさしさなんて」

近くの公園から猫の鳴き声がする。
気になって見てみるとベンチの下にダンボールが捨てられており、中に数匹の子猫が入っていた。
「拾ってください」ダンボールの外に張り紙がされていた。
ふと野良猫とヤンキーの理論を思い出した。
ヤンキーが野良猫を保護すれば、いつも優しい人が保護するよりも周囲からの評価が高いというものだ。
あの理論を見るたび理不尽を頭から浴びせられた気持ちになる。
俺はダンボールを無視して帰宅した。

やさしさなんて薄っぺらいものだ。
人に優しくしたからと言ってそれが返ってくるわけでもない。目に見えるポイント制ならともかく、誰が誰に対してどれほどの優しさを使ったかなんて分からない。
合理的じゃない。
素行が悪い奴が一回の優しさや善行でチャラになるというのも非理論的だ。
「やっぱり根はいい人なのね」なんて。
それ以上に迷惑をかけられた奴がいるのに。
もしかしたら気まぐれで猫を殺したり保護したりする奴だっているだろう。
たった一つの優しさだけを見てその人を分かった気でいるのはなんと傲慢で薄っぺらいことか。
優しさなんてなくてもいいのだ。

次の日あのベンチを覗いてみるとダンボールは空だった。
誰かが保護したのか、それともイタズラで殺されているかもしれないな。
「拾ってください」なんて、誰かの優しさをあてにして放置するのは馬鹿としか言いようがない。
そんな不明確なもの…どうして人は優しさを忘れられないのだろう。
俺は人に優しくされた経験がない。
親には怒鳴られたり殴られたりしていたし、学校ではいじめられていた。誰にも心を許さず淡々と生きてきたから今がある。
人が生きていくのに優しさなんて本当はいらないのだ。
俺はため息をついてベンチに座った。
朝露が残っていたのかスウェットを通してじんわりとパンツが湿っていく。

ふとニャーンと猫の鳴き声がした。
慌ててベンチの下を見るがやはりダンボールは空で猫の姿は見当たらない。
気のせいか、と前を見ると向こうから数匹の子猫がヨタヨタと走ってきた。
虫を咥えているやつもいる。
こいつら…。俺はフッと笑って猫たちを拾い上げた。
そうだよな。
人の優しさなんてなくたって生きていける。
食べ物と水と住むところさえあれば優しさなんてなくても生きていけるのだ。
それでも優しさを忘れられないのは生きているからだ。
守ってやりたい、理解してやりたい、何かしてあげたい。そんな感情が優しい行動に繋がるだけ。
「お前らうちに来るか?」
にゃーんと猫たちが鳴いた。




8/10/2025, 12:36:59 PM

「風を感じて」

散々である。
ただでさえつまらない毎日がこれほどまでに散々であると死にたくなる。
まず起きると出勤時間を過ぎていた。寝坊。遅刻。最悪。
上司のネチネチ説教が脳内再生される。
慌てて家を出ようと支度しているとダンスの角に足の小指を思い切りぶつけた。痛い。クソが。
骨折したんじゃないのかというほど赤く腫れるなんなてこともなくただただ痛みと怒りをグッと堪えて、家を出た。
しかしバス停まで全力ダッシュしていると小学生ぶりに頭から転けた。歳か。悲しい。
幸い怪我はなかったが、バスは乗り損なった。はい遅刻確定。絶望。

もうここまで来たら開き直るのが一番いい。
毎日一生懸命働いているんだからたまの遅刻くらい許されるべきでしょ。
というかもう帰って仮病でも使おうかしら。実際不調だし。小指が。
ミンミンと蝉がうるさい。
目の前を小学生たちがお行儀よく列に並んで通り過ぎた。色とりどりのランドセルと向日葵のように黄色い帽子。鮮やかで若さが眩しい。
まだ夏休みではないのだろうか。
こんなに小さな子供たちが学校に行っているのに私がサボるわけにはいかん。
私は汗をふいて次のバスを待った。

会社では散々を超える散々だった。
ネチネチ上司にネチネチされたのは予想通りだけれど、後輩がトラブルを起こして教育担当として一緒に大目玉を喰らってしまった。くそう…。
あれほど気をつけろと言ったのに…。
というか教育係も元々嫌だと言っていたのに。
後輩は嫌いではないが、自分一人の仕事だけでなく後輩の仕事も私の責任になるのはやはり何度考えても解せない。
そしてその後輩のフォローもしなければならない。
私の仕事に何のメリットがあるのだ。
給料2倍にしてくれるなら納得するのに。
落ち込んだ後輩を励ますつもりで一緒にランチを食べに行くと、財布を忘れた。
先輩らしく奢る予定だったのに後輩に頭を下げることになってしまった。ダサい。
散々後輩をこき下ろしたけれど借りを作ってしまった。まあお互い様。持ちつ持たれつってことか。

しかしトラブルの影響は大きく深夜まで残業する羽目になってしまった。
22時以降は残業禁止という社内ルールがあるから強制的にシャットダウンされてしまったが、明日も残業決定だろう。つらい。明日は推しアイドルの配信があったのに。
会社を出ると涼しい風が吹いていた。
最近ずっと猛暑続きだったから薄い生地のノースリーブの服を着ている。寒い。
先ほどまでデスクで冷房に当たっていたから余計だ。
鳥肌が止まらない。
あったかいラーメンでも食べて帰ろうと思ったけれど、行きつけの店が臨時休業だった。
まったく散々だ。本当に散々だ。
明日も散々だ。きっと明後日も明々後日も。
それでも毎日を止めるわけにはいかない。
こんな小さな散々くらいで死んでいられない。
希望を持たずにはいられない。
明日は明日の風が吹く。
私はコンビニで買った熱燗を片手に、夜風を切って家路についた。

8/9/2025, 11:55:15 AM

「夢じゃない」

あ、これは夢だなと気づく瞬間はたくさんある。
家の中にいたと思えば全く見知らぬ部屋に足を踏み入れていたり、ここにいるはずがない人と話していたり、現実的にありえないことがたくさん起こるとかね。
特に夏なんて暑いから眠りが浅くなるわけで夢を頻繁に見たりなんかする。
俺なんてここ数年夢なんて見ていなかったけれど、今夏は記録的猛暑だからか全然寝付けず夢を見てしまった。
もちろん、俺は夢だって最初から分かってたから何とも思わなかったけれど、友人に話すとその夢がえらく不思議なものみたいだったから話そうと思う。

俺は家の中にいた。
俺の家はかなり古いが立派な屋敷だ。俺の婆さんが若い頃建てたものだから明治後期のもの?古いことはよく分からない。
婆さんはその頃女性にしては珍しい医者だったけれど、そこに当時付き合っていた爺さんを住まわせて主夫をさせていたらしい。現代では珍しくもないけれど当時にしてみれば爺さんも婆さんも肩身が狭かったろうと思う。まあ豪快な母さんを見てれば婆さんも無敵で豪快な人だったんだろうと思う。
実際当時を知る近所の人は婆さんの豪快伝説をよく聞かせてくれる。
とにかく俺の家はかなり古いがしっかりしている。
部屋数はそこまで多くはない。
母さんの代で内装はかなり現代風に改築しているから、外側だけ遊園地とかにある古めの建物、中は普通みたいな感じだった。
俺は2階の角部屋を自室としていて部屋続きでドアがある。その先は魔界と呼ばれる物置だ。
呼び名の理由については今回説明を省くが、単純に幼い子供にとって薄暗く怪しい物置なんて魔界にしか見えない、そういう理由だ。

魔界には婆さんの遺品やら医者時代の古めかしい道具やらが残っていて滅多に入ることはない。
なのにその日俺は魔界にいた。
しかし子供の頃間違って迷い込んだ魔界はダンボールやら本やらが並んでいるだけだったのに、今回は手術室みたいだった。
手術用のベットが置かれていてあのクソ眩しい照明までバッチリ準備されていた。
この時点であ、これは夢だと気づいた。
この家で大きな手術用具なんて見たことないし、そんなものあったら俺がとっくに売っぱらってる。
もちろん誰もいないし、外からは俺がさっきまで見ていたテレビの音がする。
別に怖くない。だって夢だし。
だからパッと照明がついて手術用ベッドがゆっくりと背もたれを倒した時も全然怖くなかった。
どこからか婆さんの声がした。
ちなみに婆さんは俺が生まれる前に死んでいる。なんで婆さんか分かったかと言われると、勘だ。
あー帰ってきたのかな、なんて呑気に考えていたら「こいつは助けない」という婆さんの冷たい声がした。
いやもしかしたら少し若い感じがしたからそのせいかもしれない。
とにかく少しだけ背筋がゾッとするような声だった。

そこで目が覚めた。
テレビはいつのまにか消えていて魔界のドアが少しだけ開いてた。
まあ古い家だから建て付けが悪くてドアが勝手に開くこともないこともない。
俺は力いっぱいにドアを閉めて汗で濡れたTシャツを脱いだ。
婆さんの冷たい声が耳から離れない。
近所の人の話を聞く限りかなり豪快だったらしいけれど一つだけある噂があった。
婆さんは腕の立つ医者だったけれど私怨をかなり持ち込む人で、誰を助けるか助けないかを決めてまさに神のような人だったと。
狭い田舎だ。
婆さんを恨む人がそんな噂を流したのだろう。
でも不思議だ。その噂を聞いたのは俺が5歳くらいの頃だ。
今さらそんな夢を見るだろうか。
不思議な話だ。


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