香草

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6/6/2025, 9:29:44 AM

「水たまりに映る空」

午前中の雨が嘘かのように午後はカラッと晴れた。
なんとも都合の悪いことに5時間目に体育がある。
雨上がりの炎天下で体育なんてしたらぶっ倒れてしまうだろう。俺は今日が命日と悟った。すると横から暑苦しい太陽のような奴が一人、ヌッと現れた。
「いやあ!晴れた晴れた!よかったなあ若人よ!」
「全然嬉しくないけどね」
若人に突っ込むべきか、嬉しくない天気を讃えてることに突っ込むべきか迷って後者を選んだ。しかし前者の方が良かったかもしれない。なぜならそいつは俺が指導するべき学生だからだ。
教育実習の一環でこの学校に赴任してきておよそ半年。元来運動が得意でプロを目指していたこともあり、大学ではスポーツ推薦で入学した。学士課程の単位取得の一つに教員免許の課程があったから、せっかくだし教員免許もついでに取っておこうとプログラムに参加したのが運の尽き。
教育実習は想像していたよりもハードで、高校生の頃と比べるとやはり体力は落ちていた。
あんなに好きだった体育の授業が段々憂鬱になっていった。

「先生がそんなんでどうする。俺は全部の授業が体育でもいいくらいだ」
こんな舐めた態度を取っているのは最近やたら絡んでくる男子生徒だ。一応担任業務も見学できるので、それでチラッと覗いたクラスの一人。
俺の何が気に入ったのか分からないが、こうやって昼休みでも体育教官室に遊びにくる。
なかなかの脳筋野郎で最近では珍しい熱血タイプだから先生からの人気は高い。しかし本人は生きづらいだろうなあ。Z世代前半の俺ですら、ウザいと思うのだから、同年代のクラスメイトたちはこいつを受け入れきれないだろう。
「お前は体育よりももっと国語とか勉強して情緒を学んだ方がいいぞ」
「ん?情緒はあるぞ。こうやって晴れた空を見ると清々しい気分になってなんとも言えない。」
「じゃあ敬語を学び直せ」
俺は少しうんざりして授業の準備を始めた。

「先生はなんで体育教師になろうと思ったんだ?」
ふと脳筋野郎が真面目な質問をした。
「なんでって」
咄嗟に都合のいい理由が出てこない自分が情けないが、単純なことだ。単位と教員免許が欲しかったからだ。別に学生たちの体躯発達に貢献したいとか、身体能力向上に貢献したいとか、高尚な動機はさらさらない。
「先生はなんかのプロだったのか?」
脳筋野郎は痛い質問をしてきた。
「まあ…。プロになろうとしたんだよ。でも怪我をしたから諦めた」
「へえ!なんの競技だ?」
「器械体操だな」
「ほーん」
脳筋野郎は急に興味を失ったようだ。まあこいつのことだから、スポーツと言えば野球かサッカーしか分からないんだろう。

プロになる気満々で入学したのに俺は苦手な炎天下の下で学生に体育を指導している。人生というのはどうなるか分からないもんだ。
「なあ先生、俺も体育教師になりたいんだよ」
珍しく真面目なトーンだった。
「プロはどうせ無理だから運動を仕事にできるなら体育教師かなって」
脳筋の割にしっかりと将来のことを考えているようだ。しかし気に食わない。
「なんでプロは無理なんだ。知ってるぞ、お前野球がなかなかうまいこと。有名な高校からスカウトも来てたくらいなのに断ってここに入学したんだろ?」
教師の間では有名な話だった。なんならこいつが入学したことで予選止まりだったこの高校が甲子園に行けるかもしれないと噂されているのだ。
「やってみなくちゃ分からん。そうやって決めつけてたらできるものもできない」
珍しく熱い俺の言葉に脳筋は驚いているようだった。
「そうだな!先生!そうするよ!俺ガチで目指してみる!」
「今からでも遅くない。がんばれ!」
「おう!まずは次の体育から気合い入れて体作るぜ!」
「あ、そうだった…次体育…」
俺は教官室から見える水たまりをみてため息をついた。水たまりはスコンと明るい青空を映していた。

6/5/2025, 10:05:36 AM


「恋か、愛か、それとも」

ふと鳥の声が気になって目が覚めた。時計を見ると5時になろうかというところだ。
隣に寝ている妻はまだ寝息を立てている。俺は勢いよく起きると布団をバタバタと片付けた。
キッチンへ行って朝ごはんを作る。ほかほかの米を茶碗によそってインスタントの味噌汁を作る。
本当は出汁から作った味噌汁だと尚良いのだが、妻がめんどくさがって作らないのだ。
そしてこれも本当は自家製のものがいいのだが、スーパーで買ってきた柴漬けを手に取って食卓に座る。
新聞を開くと若者の精神障害を特集する記事が載っていた。およそ今の若者の30%が鬱やら適応障害やらなんやらで働かないそうだ。
「まったく嘆かわしい」
精神障害なんてそんなものないに決まってる。自分たちが都合のいいように作り出した病気で働かない言い訳にしているだけなのだ。
気分が落ちたり、面倒だと思うことは誰にでもある。しかしそれは根性と気の持ちようの問題であって、病気なんぞではない。

自分はなかなか昭和な男だと自負している。最近は頭が固いだの、時代遅れだの揶揄されることが多くなってきたが、自分は胸を張って昭和の男だと言える。
昭和の男はかっこいいのだ。仕事一筋、言い訳や弱音なんて吐かずひたすら汗水垂らして家族のために働く。強い信念を持って生きる様はまさに男らしいだろう。
「最近の日本は弱くなるばかりだ」
新聞を読めば読むほどイライラして机に茶碗を叩きつけた。
今日は休日だ。こんなイライラした気持ちで過ごすのはもったいない。せっかくだからランニングでもして気分転換をしよう。
昔買ったウェアがあるはずだが、どこにしまったのか。タンスの中を調べても見つからない。
妻がまたどこかへやったのだろう。まったく。
「なあ、俺の昔買ったランニングウェアってどこにあるんだ?」
足元で寝ている妻に声をかける。

妻は冬眠明けの芋虫のようにくねくねと伸びをした。
寝ぼけているのかなかなか答えない。
その様子がじれったくて声を荒らげる。
「おい!起きろって!どうせお前が引っ掻き回したんだろ?」
妻はうるさそうに布団を被り直した。
また始まったよ…と小声でぶつぶつ言っているのが聞こえる。
「ウェア?そんなもんとっくに捨てましたよ。20年以上前に一回着てそのまま着なかったから捨てました」
俺はカッとなった。勝手に人のものを捨てるなんて言語道断だ。ものを大切にしないのも気に入らない。
怒鳴り散らしたくなったが、朝から喧嘩などしたくない。俺は諦めてTシャツを来て外に出た。

妻とは見合い結婚だった。それほど美人というわけではなかったが大人しくて、俺より5歳若く家事もできるとのことだったので結婚した。
子供も作ったが、いつのまにか学校を卒業して、いつのまにか独り立ちして家を出ていった。子供とはいい思い出があまりない。いつもうるさそうに馬鹿にしたような顔で俺を見ていた気がする。
「お母さんよくあんなのと結婚したね」と密かに言っていたのも知っている。だからあまり子供が好きではないのだ。
妻も歳を重ねるにつれ俺に歯向かうことが多くなった。これまで散々我慢してたんです、なんて言っていたけれど、妻は夫を黙って支えるもんだろうが。
それでも俺は家族を大切にしていると胸を張って言える。一軒家を買ってやったし不自由のない暮らしを与えてやった。妻も恋愛結婚ではないものの、愛しているし一般的で幸せな夫婦だろう。最近喧嘩は多いが怒鳴ればすぐに終わる。至って普通だ。
しかし20年着なかったからといって人のウェアを捨てる奴がいるか。やはりイライラするから帰ったら叱ろう。
そして俺は誰もいない家に帰宅することになった。
テーブルには離婚届が置かれていた。


6/4/2025, 7:52:41 AM

「約束だよ」

「お姉さんちょっといいですか?」
背後から話しかけられて咄嗟に立ち止まった。
同世代くらいだろうか。私より少し高いくらいの男が自信ありげに笑った。
「お姉さん綺麗ですね!モデルさんとかですか?」
なに?ナンパ?私は眉間に皺を寄せてあからさまに嫌そうな表情を作った。
こっちは仕事が早く終わって買い物できてルンルンなんだよ。水差すんじゃねえよ。
「ナンパじゃない!ナンパじゃない!キャバクラとかのスカウトでもない!」
男がこちらの心を読んだかのように慌てて行く手を遮った。
「おれ、地下アイドルなんすよ!よかったらお姉さんにライブ来てほしいなあって」
あーライブのビラ配りか。改めて見ると男は確かに整った顔立ちをしていた。多少メイクしているのが分かるが、パッチリとした目にスッとした鼻筋、上向きの唇など、女の子が欲しがるパーツを全て持っていた。
「ほら、ここで今週末デビューライブやるからさ見に来てよ」
そう言って男はビラを差し出した。
昔ビラ配りのバイトをしたことから、差し出したビラが無視される辛さはよく知っている。
つい受け取ってしまった。
「絶対来てね!約束だよ!」
子犬のような無邪気さで、潔く離れていった。
まあ悪い人ではなさそうだし暇だし、行ってみてもいいかな。

そこからライブハウスに通い出して1ヶ月になる。
彼の所属するアイドルグループ"Bad Bunny Boys"はこの春に結成したばかりの5人組で、そのセンターで踊っているのが、この前駅で声をかけてきた燈埜(とうや)だ。
名前の通り悪いウサギがコンセプトのようで、メンバー全員赤い首輪をして、観客に向かってワイルドに「俺をちゃんと飼い慣らしてくれよ」なんてセリフを吐く。
初めてライブに行った日は観客もたった数人で学校のレクリエーションみたいな規模感だったのに、今ではライブハウスを埋め尽くすほどの女の子がキンブレを振り回している。
やはりセンターの燈埜は人気のようで、ずっと燈埜の名前が叫ばれている。
その度に私の心は穏やかではない。
私は、駅で燈埜から直接声をかけられてたった数人しかいなかったデビューライブまで見たのだ。多少なりとも燈埜から認知されて、ここまで育てたのは私と言ってもいいくらいなのに、最近知ったポッと出の女が気安く名前呼ぶんじゃねえよ。

ライブの後は特典会がある。
メンバーとチェキを撮ったり制限時間付きでトークができるのだ。チェキ1枚1000円で1分間のトーク付き。私は毎回上限の1万円分のチェキを買う。つまり10分間燈埜と話ができるのだ。
「涼子〜!いつも来てくれてありがとう!」
ステージに行くとパイプ椅子に座った燈埜が手を広げ迎えてくれる。
私の名前はとうに教えており、燈埜は毎回特典会で呼んでくれる。ついつい笑顔になりそうになるが、少しだけ拗ねたような表情を作る。燈埜が心配してくれるからだ。
「どしたん?涼子?なんかあった?」
「今日、最前の子ばっかりファンサしてなかった?固定ファンサなかったんだけど」
「そんなことないよ!ちゃんと涼子に投げキッスしたよ」
「そんなの分かんない。最前の子には首輪触らせてたじゃん。そういうのやめてよね」
「ごめんね?涼子。機嫌直して」
燈埜が私の頬にキスをした。後列に並ぶ女の子から悲鳴が聞こえる。

「今日もグッズ買ってくれるんでしょ?100万ポイントまでもうすぐだもんね」
燈埜のグループはポイント制を導入していてチェキやグッズなど購入金額によってポイントが貯まる。100万ポイントに到達するとメンバーとデートができる特典があるのだ。
「もちろん。今日は10万しか手持ちないから次で達成する」
「やったー!デートどこに行く?」
まるで彼氏のようなセリフにとうとう口角が上がる。
「遊園地行きたいの」
「いいね!俺も行きたい!約束だよ!」
燈埜が顔を覗き込んで小指を差し出す。その骨ばった長い小指に私も小指を絡めた。
しかし次の日SNSで燈埜がグループを脱退することが知らされた。
未成年のファンへの不同意わいせつ罪で逮捕されたとのことだった。
ポイントカードが埋まるまであと5万ポイントだった。

6/3/2025, 11:08:47 AM

「傘の中の秘密」

5時間目の授業で雨が降り出した。
予報だと降水確率40%って言ってたのに。
大きい傘持ってきてないな。折りたたみあったかな。
ぼんやりと窓を見ると自分と目が合った。
毎朝丁寧に巻いた前髪はペシャンコでバレないように引いたアイラインもにじんでいる。ニキビ隠しのコンシーラーもよれている気がする。
慌てて目をこする。いつからメイク崩れていたんだろう。こんな恥ずかしい顔見られたら恥ずかしくて死ねる。
もう一度そっと窓を見る。
すると今度は前の席に座っている友達と目が合った。
彼女は小さく笑うと先生にバレないようにそっとピースした。
私も静かに笑ってピースを返した。
彼女はこのクラスの学級委員で成績も優秀だ。真面目なイメージがあるのに授業中にそんなことをするなんて少し驚きだが、意外な一面を見れて嬉しい。

彼女を知ったのは高校1年の春。
入学式の新入生代表の挨拶で壇上に上がったので少しだけ話題になったのだ。県内でも指折りの進学校だったので負けず嫌いの同級生たちがこぞって彼女に注目した。
どうやら地元のマンモス中学校出身で、かねてから神童と噂されていたほどらしい。
そして知的でクールな見た目から男子からの人気もそこそこ高かったということまで明らかになった。
私もその噂は知っていたが2年で同じクラスになってからその噂は本当だったと確信した。
たまたま出席番号が近く隣の席だった彼女は臆することなく私に話しかけてきた。
「お隣じゃん!よろしくね」
大人しくてツンツンした子を想像していたもんだから少し驚いた。でも話していくうちにお笑いが好きなこと、めんどくさがり屋なこと、課題もギリギリまでやらないことなど私と変わらない普通の子だと分かった。

何より彼女は私にとことん優しかった。
私は彼女と違って運動も勉強もついていけない側の人間だったけれど、見捨てたりしなかった。体育では必ずペアになってくれるし、テストが近いと勉強を教えてくれたりした。
そして私が好きだと言ったキャラクターのキーホルダーやガチャガチャを翌日にくれたりした。
「なんか気になってガチャガチャ回したら当たったからさ」
なんて少し照れくさそうに言っていた。
私はそんな彼女が大好きだ。
クラスメイトから「カップルかよー」といじられるくらいずっと一緒で、持ち物もお揃いにした。

下校時間になり、入り口で鞄をあさる。
やはり折りたたみ傘がない。昨日まであった気がするんだけどな。
「傘ないの?入れてあげよっか?」
彼女がニコニコと覗き込む。
「なんであんたと相合傘しなくちゃいけないのよー」
「よーし、濡れて帰れ!」
彼女と私の笑い声が混じり合う。
「すみません!入れてください」
しゃーなしだからね?と笑いながら彼女が傘を広げる。途端に彼女のシャンプーの香りがフワッと香った。
傘に入ると彼女の長い髪が首をくすぐる。そしてわずかな空気を介して彼女の体温が伝わってくる。
二の腕と二の腕が触れる。ふにっとした柔らかな感触になぜか罪悪感が湧き起こる。
「なんか静かになったけどどうした?」
彼女はこちらを覗き込んだ。目尻が落ちている。
私は前髪を押さえて目元を隠した。
「なんでもないけど?」
次の日の放課後、机の中に折りたたみが入っているのを発見した。少しだけ彼女の匂いがした。

6/2/2025, 11:06:34 AM

「雨上がり」

こんな地下でも風は吹く。蝋燭の火がふっと揺れた。
ツナ缶をつつきながら弟は船を漕いでいる。彼が勢いよく頭を落としたせいで風が発生したのだ。私はつい息を漏らして弟をゆっくりと横に寝かせた。
もうすぐ5歳なのに体は小さい。十分な栄養がないからというのは分かっているが、食べさせてやれるものがない。
ツナ缶があるだけまだマシな方なのだ。南の方は食糧が全くなくて、湧水で洗った雑草をぐちゃぐちゃにになるまで煮て食べているらしい。
どれもこれも急に降ってきた極度の酸性雨のせいだ。
建物は全て溶かされ、家畜や魚も死んでしまった。水も高濃度の酸性でまともに飲めず、人類は滅亡の危機に追いやられた。
人類は避難場所として地下にシェルターを作り生き残った人間が集まった。
世界各地でそのような動きがあり、地下シェルターは点在している。
それらをつなぐために地下通路をつなげる。それこそ私が今やらなければいけない仕事だ。
地下通路を通せば他のシェルターと交易ができる。
また、今世界がどうなっているか情報も手に入れられる。
地上にいた頃は建設業の駆け出しの現場監督をやっていた。今のチームは私を頼りにして結成されたものだからしっかりしないといけない。
幼い弟のそばにいてやれないのは辛いが今は頑張るしかない。

夕食は必ず弟と食べることにしている。
シェルター内はいくつかの個室に分かれていて、私たちはその一つを使っている。本当なら2,3の家族が一つの部屋を使うのだが地下通路チームのリーダーだからという理由で1つの部屋が与えられた。
「今日はまたうーちゃんのところに行ってたのか」
弟は眠そうな顔で頷いた。
うーちゃんとはシェルターの奥底でうずくまる男のことだ。いつシェルターに来たのか分からないが、ずっと動かず喋りもしないからだれも気味悪がって近づかない。しかし弟はなぜか彼に懐いている。
「今日はうーちゃんに算数と理科を教えてもらったよ。うーちゃんすごいんだよ。色んなこと知ってるの」
弟は夕食のたびにうーちゃんとの妄想話をしていた。同年代の遊び相手がいないからいい人形代わりなのだろう。弟はまだ目も半分しか開いていない赤ん坊の頃に私がおぶってこのシェルターにやってきたのだ。こんな閉鎖的で異常な環境で育てば、死体のような人間を遊び相手にするのもおかしくない。
危険な男ではないようだし、勉強のことはよく分からないが弟の言う数式もそれっぽい。当分は様子を見ておこう。

事件はある日の夜に起こった。
シェルターの中でずっとうずくまっていた一人の男、うーちゃんが地上に出て行ってしまったのだ。
「結局なんだったんでしょ、あの人」
「きっと頭がおかしかったのよ」
「気味が悪い奴だったぜ」
「この前無くした指輪もきっとあの人が盗んだのよ」
「あり得るわね。誰でも彼でも歓迎しちゃいけないのよ」
「それにしてもいなくなってくれて良かったわね」
地上に出ればどんな結末が待っているかなんて想像したらすぐに分かるだろう。しかし人々はそれには触れないで、うーちゃんがどれだけ気持ち悪かったか、どれだけ架空の迷惑をかけられたかを噂しあっていた。
弟は意外にも悲しまなかった。やはり人形代わりくらいにしか思ってなかったのだろう。
俺としては口が減って都合がいい。
きっとすぐに死んでしまっただろうが、最初からイカれたやつだったから、こんな状況じゃいずれすぐに死ぬ運命だっただろう。

次の日、永遠に振り続けていた酸性雨がピタリと止んだ。
シェルター内にあんだけ響いていた雨の音がしなくなってハッチを開けてみると何年振りかの青空が見えた。
「おい!みんな外に出られるぞ!」
足元はぬかるみ水たまりだらけで危険だったが、久しぶりの青空はとても高かった。
「それにしてもなんで急に…」
そもそも突然高濃度の酸性雨が降ってきたのも不思議だったが、あれだけ激しく降っていた雨が急に止んだのも不思議だ。
「うーちゃんだよ」
弟がつぶやいた。
「え?」
「なんかうーちゃんが作った機械が暴走しちゃって悪いガスをたくさん吹き出すようになっちゃったから、雨がいっぱい降るようになったってうーちゃん言ってたよ。昨日はそれを止めに行くって言ってた。もう会えないかもしれないけど、僕に空を知ってほしいって言ってた」
「は?」
兄ちゃん、こんなに高い天井初めて見たよ。
空って綺麗だね。

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